史上最高の“ライトゴロ”完成は1983年の李来発(第730回)
15日の読売ジャイアンツ・千葉ロッテマリーンズの一戦は、1回に松本哲也がセス・グライシンガーの牽制球に誘い出されたが、挟殺プレーのミスで一塁に生き、記録上は“盗塁死”。直後に二塁盗塁を決めるという珍記録を作った。その話題で盛り上がっていた矢先の2回には、右翼・長野久義が2死満塁からグライシンガーの右前への打球に猛チャージ。巨人では1988年の呂明賜以来25年ぶりとなる一塁送球での“ライトゴロ”を完成させた。「チャンスがあればと思っていました」と長野。2週間前から一塁手のホセ・ロペスと、足の遅い選手(投手)の時はやってみようと話しあっていたという。送球はショートバウンドになったが、見事にすくいあげたのもロペスが前もって心の準備出来ていたから。助っ人外国人の機敏な判断もビッグプレーの大きなアシストとなった。
“ライトゴロ”は、打球が飛ばずに外野手が前に守っていた昔は珍しいものではなかったが、近年で数年に1度のビッグプレーとして動画サイトに アップされる。最近では2010年4月27日、北海道日本ハムファイターズの定位置を守っていた右翼・稲葉篤紀が塩崎真内野手を刺して以来。この時は走者 が二塁にいて、塩崎が走者をちらっと見ていた油断を見逃さずに刺した。ちなみに稲葉は1999年ヤクルト時代もやっている強肩外野手だ。
一塁に限らず、走者一塁で打球をつかんで二塁に送球して封殺するのも“ライトゴロ”。このプレーはアウトカウントが無死または1死でフライか安打か判断し にくい場合に良く見られる。ジャイアンツの中尾輝三(後の碩志)の1939年11月3日セネタース戦、1941年7月16日名古屋戦と2度のノーヒット ノーランはともに、一塁走者を二塁封殺する右翼・中島治康の機敏なプレーで相手の安打を摘み取って達成された記録なのは有名な話しだ。
今回の長野はプロ野球の歴史に残る“ライトゴロ”になったのは間違いないが、ここで一つ紹介したいのが、1983年7月9日、近鉄バファローズ・南海ホー クス戦(平和台)。6回に二塁盗塁を成功させたバファローズの栗橋茂が直後にホークスの遊撃・定岡智秋の“隠し球”でアウトになった。事件が起きたのは8 回バファローズの攻撃。1死満塁で小川史が痛烈なライナーを右翼に放った。この打球を台湾出身の李来発がショートバウンドで掴んだため、走者のスタートが 遅れた。李は迷わずに本塁送球し、快足ランナーとして知られた三塁走者・藤瀬史朗を本封。捕手の香川伸行が三塁送球し、二塁走者・羽田耕一を三封するとい うビッグプレー。外野に飛んだ打球だったために“併殺打”はつかなかったが、会心の一打を放った小川は一塁で呆然とするしかなかった。
野球規則、特にスコアリングルールは「芸術」である。そしてこれほど、面白いものはない。改めて野球を考案した先人達に感謝しなくてはならない。
【写真】ライトゴロを完成させた長野をベンチで迎える巨人ナイン
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