Facebook

SNSで共有

「橋下発言-愚かさ、自覚足りぬ日本人」/永田浩三

今、画家のベン・シャーンの人生を、現代のなかで見直す旅のさなかにいる。ベンの故郷リトアニア、そして勉強のために訪ねたイタリア。いずれも原発国民投票で、NOの意志表示をした。両国では20世紀、ベンのようなユダヤ人の多くが殺された。ナチスによって、スターリンによって。ベンは、20世紀初頭、家族とともにアメリカに亡命。そこで、ドレフュス事件や、サッコ・ヴァンゼッティ事件など冤罪をテーマにした絵を描いて、認められた。1929年の世界大恐慌後には、疲弊する農村や都市を写真で記録。1950年代、赤狩りや水爆実験に命がけで反対した。

ベンのことを長々と書いた。なぜか、今吹き荒れる排外主義、ヘイトスピーチ、橋下市長発言。それらは、すべておかしい。自分の奇妙な愛国主義を振り回し、異を唱えることを許さない。それが今の日本で幅をきかせている。私も新大久保で、排外主義反対の「仲良くしようぜ」デモに参加した。「殺せ」「首をくくれ」と絶叫するひとたちは、なんのお咎めもない。一方、「仲良くしようぜ」の小さな看板を掲げるひとには、公安や機動隊が、徹底監視している。おかしくないか。日本は、人権を守る国なのか。いやそうではない。今私が滞在するフランスでは、ヘイトスピーチは犯罪だ。小学校・中学校・高校では、歴史の負の部分をきちんと教えるようにもなった。まるで、東京ドームのように多くの観光客が訪れるノートルダム寺院。その裏に、かつてナチスに協力したことへの謝罪と鎮魂の碑がある。これが、最低限の理性の発露であり、歴史継承のかたちだと思う。

が、日本はどうだろうか。極右の政治家の慰安婦をめぐる発言に対しても、大手メディアははれものにさわるようだ。憲法改悪問題もしかり。国民の幸福のために、知る権利を代行するのがメディアではないのか。だが、今の現実はそうではない。フクシマの事故以降も、東京新聞などを除き、多くの大手メディアは、火消しに動き、再稼働や新設にさえ、抵抗の姿勢すら見せない。こんなことでいいのか。そんなはずはない。フランスでは、科学者・政治家・企業・メディアが一体となって原発推進にひた走る。異を唱えるのは、市民の一部だ。これは、まさに日本の「原子力村」と同じ。ただ、フランスのメディアは排外主義にはNOという。その点で、日本社会の病弊の方がより深刻だ。気がかりなのは、その愚かさを、ほとんどの日本人が自覚していないことだ。心配でしかたがない。

(ジャーナリスト・武蔵大学教授)


You must be logged in to post a comment Login