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(被災地で生きる)ここの漁師になる 八王子→気仙沼

写真:佐々木夫一さんの「第18一丸」に乗る富田潤さん=気仙沼市唐桑町拡大佐々木夫一さんの「第18一丸」に乗る富田潤さん=気仙沼市唐桑町

 気仙沼市唐桑町の小鯖(こさば)漁港。4月下旬、富田潤さん(24)は、初夏から始まるカジキ漁に向けて網を繕っていた。

 20センチほどの竹製の網針(あばり)で破れた部分を足していく。昨年は教えられながらの作業だった。今は仲間に教えを請うことはない。「自信がつけば早くできると思うけど、みんなの命にかかわる網だから」。早さより丁寧さを心がける。

 漁師の見習いになって1年3カ月。ジャージー姿にゴム長という漁師姿も板についてきた。今年の目標は「昨年の自分に勝つ」。

 だが、「親分」である佐々木夫一(ゆういち)さん(63)の評価は厳しい。「トミーのいいところ? ないな。よく逃げないなとは思うが」

 富田さんが唐桑にやってきたのは東京都内の大学を卒業した年の5月。東日本大震災から2カ月ほどしかたっていなかった。ボランティア活動をしているうち佐々木さんと知り合った。

 船を動かそうにも燃料がない。漁師として切羽詰まっているはず。なのに、佐々木さんは他人への気配りを怠らなかった。スカッと気持ちいい「海の男」の魅力を富田さんは感じた。

 漁の楽しさと苦しさを聞いた。水産資源が減り、後継者不足に直面している漁業の「いま」も思うと、「何かできないか」と考えるようになった。都内で公務員になる夢が破れ、思いは一気にふくらんだ。

 昨年2月、佐々木さんを訪ね、弟子入りを志願した。佐々木さんは驚いた様子で言った。「相当、厳しいぞ。血の汗を流さないと一人前になれない」。翌日、佐々木さんの船でタラ漁に出たが、船酔いに苦しんだだけだった。

 佐々木さんの住み込みの弟子になると、海でも陸でも怒られてばかりの日々。涙を流す日もあった。

 師弟といえども、昔ながらの海の男と現代っ子。いつも一緒だと、思いがぶつかることも多い。

 親分「住み込みなのに、1カ月目で『給料はいつからもらえるのか』と聞いてきた」。弟子「ただ目安を聞いただけ」。

 親分「一人暮らしを始める時、俺に何にも話していかなかった」。弟子「前々から話していたはず」。

 親分「船でみんなが働いている時、居眠りしてるんだ」。弟子「そんなことは一度もない」……。

 佐々木さんは「トミーは俺の苦悩」とただし書きをつけたうえで、「俺たちの金の卵でもある」と言う。富田さんとしては反発もあるが、親分の「早く一人前になって欲しい」という思いを感じ取っている。立つ場所は違う。だが、師弟の目は同じ方向を見ている。

 漁師生活が半年を過ぎたころ、富田さんは海がたまらなく好きになった。「津波で人を傷つけたけど、恵みもくれる。おいしい魚でみんなを笑顔にする」。やりがいを感じる日々だ。

 怒られてばかりの親分には「感謝という言葉では言い尽くせない」と言う。そして、いつか親分から独立できる日が来る。「でも、漁師をやるのは唐桑。それは決めている」(鈴木剛志)

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