宇佐美有罪判決は憲法違反・最高裁判例違反(上)
ストーカー事件の真相(24)
これから再アップする原稿は昨年(2012年夏)アップしたものである。下にカーソルを動かしてもらえば、朝顔の写真を目にすることができる。最初の3つのコメントは昨年、頂戴したもの。
光陰矢の如し
この原稿アップからほどなくして、「生活苦のため…日本人妻(食口)が韓国人夫を殺害」 事件が起き、急遽、この記事を非開示にして春川事件をアップした。
それから、すべてがおかしくなった。一言で言えば変調乱調である。
ほどなくして、文鮮明氏がご逝去。それが合図となったかの如く、文仁進氏の不倫をはじめゴタゴタが続いた。「これから私(韓鶴子)と清平(金孝南)が中心」と宣言されたと思ったら、あれよあれよという間に、「真のご子女様」が視界から、地上天国実現の言葉が教団の活字媒体から消え、文鮮明氏の椅子が撤去され、ピーター金なんぞがお出ましになった。
統一原理という上着を脱ぎ始めた教会の変容は今後も続くだろうが、私の気持ちはようやく昨年の夏の段階に。
愛も知性もない教会員さん(割合は不明)が信仰仲間の冤罪事件(有罪判決)に関心を示すことはないだろう。そう思いながらも、どうしても記録にとどめておかなければならないと、(最高裁が逆転判決を下すのは1%以下ゆえ上告棄却は間違いないが)、宇佐美さんの上告趣意書を3回にわたって紹介することにする。その後、「事件の構造の絵解き」をするつもりである。
まずは、感覚を取り戻していただくために、ざっとでいいから、「東京高裁の控訴棄却判決文を公開す」 に目を通していただきたい。
法律文を読むのが得意な人はいない。理由は、論理を緻密にしなければならないために言い回しがくどく、そのために長文、また難解な用語が登場するからだが、今回の趣意書は比較的読みやすい。長文に辟易されても、愛と知性ある教会員の方は、宇佐美さんの叫びだと思って読んでいただきたい
以下にアップする上告趣意書を読めば、そう確信できるはずだ。
平成24年(あ)第948号ストーカー行為等の規制等に関する法律違反被告事件
最高裁判所第三小法廷 御中
弁護人 堀 川 敦
弁護人 宮 入 陽 子
上記被告人に対するストーカー行為等の規制等に関する法律(以下「ストーカー規制法」という)違反被告事件について,上告の趣意を述べる。平成24年(あ)第948号ストーカー行為等の規制等に関する法律違反被告事件
被告人 宇佐美 隆
目 次
第1 はじめに……1頁
1 本件上告の概要・・・・・・1頁
2 本件事案の特殊性・・・・1頁
第2 上告理由……2頁
1 憲法13条違反があること……………………………2頁
2 最高裁判所判例と相反する判断をしていること……5頁
3 憲法31条違反があること……審理不尽……………8頁
第3 判決に影響を及ぼす重大な事実誤認……13頁
1 恋愛感情充足目的に関する認定の誤り……………………14頁
2 恋愛感情充足目的と意思確認目的の非両立性……………17頁
3 「待ち伏せ」に関する認定の誤り…………………………19頁
4 故意に関する認定の誤り…………・……………………… 27頁
5 告訴人の「不安」についての疑問…………………………29頁
第4 証拠調べ手続きに判決に影響を及ぼすべき法令違反があること……32頁
(注1)今回はゴチック部分のアップである。ゴチック、カラーリング、下線は管理人。□で囲った部分は管理人の注釈。読みやすいように、改行、行開けは適宜行った。写真も管理人。Kは告訴人のイニシャル。
(注2)地裁判決文、高裁判決文と比較して読んでもらいたい。立場性抜きにして、論理的で、説得力があると感じ取られるはずだ。法律文章は苦手だと思う人に。表現、用語は馴染みにくいだろが、決して難しいことが書かれているわけではない。超長文だが、頭の体操になると思って、吟味熟読して欲しい。
第1 はじめに
1 本件上告の概要
本件は,ストーカー規制法の適用により有罪とされた事件であるが,後記第2.1記載のとおり,本件について争いのない事実経過及び告訴人の対応に鑑みれば,同法を適用して被告人を有罪とすることは憲法13条に違反する。
また,後記第2.2記載のとおり,原審判決は,ストーカー規制法の規制対象となる行為を不当に拡大させる結果を招く解釈を行っており,同法について合憲限定解釈をした最高裁判所の判例に反する判断を行なっている。
さらに,後記第2.3記載のとおり,原審判決が行なった同法の構成要件に対する解釈は,同法の規制を不当に拡大する上,通常の判断能力を有する一般人の理解としては,あいまい,かつ不明確な解釈であるから,憲法31条に違反するというべきである。
また,後記第3に記載のとおり,原審判決の行なった事実認定には,有罪の認定に合理的疑いを生じさせる反対事実及び証拠を一切無視したことによる,判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認が存在する。
さらに,後記第4記載のとおり,原審の証拠調べ手続には,本件の重要な争点である被告人の恋愛感情充足目的に関し,被告人の主観面の立証に密接に関連する客観的証拠が一切採用されなかったことによる,判決に影響を及ぼすべき法令違反がある。
2 本件事案の特殊性
本件は,被告人が,入籍間近の時期に突然行方不明になった婚約者(以下「告訴人」という。)の身を,家族的心情で真摯に心配しながら,真剣に探していた行為が違法とされただけでなく,被告人にとってあまりに唐突に何の前触れも無く,しかも生活安全課ではなく公安警察によってストーカーとして逮捕された事案である。
また,告訴人の人格的生存の根幹に関わり,誰でも心配して当然というべき事情があり,人道的観点から,どうしても直接に告訴人の意思を確認する必要があったと言える被告人の動機に関わる重大な事情について,第一審及び原審においては全く顧慮されず,事実が著しく歪曲された結果,「有罪」とされたのである。
そもそも,被告人は,告訴人に被告人との結婚意思がないことを直接確認できさえすれば,その後さらに自己中心的に告訴人のその意思を無視してまで「どうにかして関係を修復したい」という意図は全く持っておらず,告訴人が被告人に対し,直接かつ誠実に結婚意思がない旨を伝えていたならば,被告人が告訴人を苦労して捜し続ける必要もなかったはずなのである。
ところが,告訴人は,被告人の心配する気持ちを承知しながらも,誠意のない態度を取り続けて被告人の人格を無視する行動に終始したために,本件が生じたといっても過言ではない。
また,ストーカー規制法の立法時において,ストーカーに対する規制の必要性とともに,「ストーカー」というレッテルを不当に貼られた場合の人権侵害の可能性が危惧され,適用上の注意条項(同法第16条)がおかれたが,本件は,まさに,同法の本来の目的を逸脱し,被告人に対する不当な人権侵害が現実化したというべき事案である。
御庁におかれては,是非,「被告人の言うことは本当かもしれない」という観点から虚心坦懐に一連の事実を見つめ直して頂くことを懇切に求める次第である。
第2 上告理由
1 憲法13条違反があること
憲法13条:【個人の尊重・幸福追及権・公共の福祉】すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追及に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
(1)被告人の行為は憲法13条による保障の範囲内のものであること
本件は,上記のとおり,入籍間近の時期に突然行方不明になった告訴人の身を家族的心情で真摯に心配し,真剣に捜していた行為が違法とされ,不当に「ストーカー」というレッテルを貼られたに等しい事案であり,ストーカー規制法を適用すべき事案でないことは,既に,控訴訴趣意書39頁の4項において述べたとおりである。
控訴趣意書39頁の4項は←サイト参照のこと。
一般に,恋愛感情を抱くこと自体は,人としての本能に関わる本質的・根源的なことであって,憲法13条の私生活上の自由として,または幸福追求権として保障されていると解される。
本件の場合も,被告人は,当事者間の合意により婚約し,入籍間近の相手に対し,単なる恋愛感情よりも一層深い家族的親愛の情を抱いていたのであり,かかる家族的心情は,単なる恋愛感情以上に,憲法上保障されてしかるべきである。
とすれば,かかる家族的心情から身内同然の者の身を心配して捜す行為もまた,憲法13条の保障に含まれると解すべきである。
ただ一方,憲法上保障されるべき行為といえども,他人の権利・自由などと対立衝突する場面においては,他人の権利等の保護との調整を図るため,やむを得ず制約を受けることも憲法上許容される。
しかし,後記(2)(3)のとおり,本件の具体的事実経過によれば,被告人の憲法13条に基づいて保障されるべき前記行為は,告訴人の権利または自由と調整するにあたり,その制約が憲法上許容される場面とは言えない。以下,詳述する。
(2)告訴人の被告人に対する態度の問題性
第一審判決も認めるとおり,告訴人は,平成20年1月初めに突然行方不明となり,それまで頻繁に被告人とメールや電話を交わしていたにもかかわらず,一切音信不通となったこと,及び,その後,被告人が必死に告訴人の所在を捜し続けていたことは争いのない事実であるところ,このような状況は,被告人と同様の立場と境遇におかれれば,だれでも告訴人の身を心配し,捜すのが自然かつ当然の状況というべきである。
しかも,被告人は,あまりにも不自然に告訴人が音信不通状態になったことから,統一教会の信仰と結婚に反対する告訴人の家族らによって,物理的に隔離され,強制的に棄教することを迫られていると推測し,告訴人の受ける精神的ダメージを心配して必死の捜索活動をしたのであり,告訴人も,当時は,被告人がそのような心配をしていることを承知していたのである(告訴人の一審第3回公判供述調書)。
ところが,告訴人は,被告人の心配を承知しながら,被告人に対して何ら直接の連絡をしなかったのである(同供述調書)。
なお,告訴人の意思表示に関連し,原審及び一審判決は,「告訴人が平成21年12月に統一教会本部宛に脱会と婚約破棄する旨の内容証明郵便を送り,平成22年4月には被告人の実家に婚約を破棄する旨の被告人宛の手紙を送った」という事実,及び「被告人がその内容を認識していた」という事実を認定して,この事実をもって,「被告人が,告訴人には被告人に対する恋愛感情がなく,被告人と結婚する意思もなくなっていることを知りながらも」と認定する根拠の一つとしている。
かかる事実認定には,重大な事実誤認があることは後述するが,ここでは,あえて争いのない事実に注目する。
すなわち,告訴人は,行方不明から11ヶ月後に漸く統一教会本部宛に内容証明郵便(甲33)を送り,その後さらにまた1年も経ってから,被告人の実家に対して被告人宛ての手紙(甲66)を送ったことには争いがない。
前者の意思表示は,言うまでもなく被告人に対するものではなく,後者の意思表示は,行方不明からほぼ2年も経過した時期に,誰でも書けるような簡単な文面をわざわざ遠方の九州の実家宛てに送るという極めて間接的かつ不自然な方法により一方的に送りつけたものであった。
このような告訴人の態度は,失踪直前まで入籍を間近に控えて親密に交際していた者として,また,告訴人が強制的に棄教を迫られているのではないかという被告人の心配を認識していた者として,あまりに非常識かつ不誠実であるとともに,著しく不自然である。
告訴人の不自然な対応は,被告人にとっては,強制棄教の体験談として読んだ書籍等(弁護人の証拠請求が却下された資料)に書かれていた展開と同様のものであり,告訴人が不自然な対応をすればするほど,強制棄教の被害を受けているのではないかという被告人の確信は強まり,本心を確認する必要性が高まったのである。
皮肉なことに,被告人が良心的な人間であり,告訴人の本心を尊重しようとすればするほど,告訴人の本心を直接確認しなければいけない,という必要性は高まる結果となった。
他方,告訴人は,被告人が告訴人の強制棄教及び偽装脱会を疑うだろうということを分かっていながら,前記の如く,余りにも非常識かつ不誠実で著しく不自然な意思表示しかしなかった上,第一審公判廷において,本件公訴事実記載の5つの各日時場所において被告人の姿を見たとき,まだ被告人が自分を捜し続けていると思い「しつこい」と思ったという嫌悪感と不安感を強調した(告訴人の一審公判供述)。
しかし,その一方で,告訴人は,被告人が捜し続けていると分かっていながら,依然,被告人に対して適切な意思表示をすることなく,また,被告人を拒絶する態度も一切示さず,さらには,ストーカー被害を警察に相談したり警告の申出をしたりすることもなかった。
そして,第5公訴事実後段のときに初めて,はっきりと直接的に被告人を拒否したため,被告人は,ようやく告訴人に結婚意思がないことを確認することができ,告訴人と訣別すべく心の整理をつけることができたのである。
もちろん,その後,被告人が,告訴人の前に現れることはなかったのであり,この点に争いはない。
ところが,そのような被告人に対し,告訴人は,第5公訴事実の2ヶ月後に告訴し,さらにその1ヶ月後,被告人は,ストーカー被害の対応窓口である生活安全課ではなく公安警察により「逮捕」されたのである。
被告人にしてみれば,告訴人から誠実なる直接の意思表示さえあれば,告訴人の身を案じて3年近くもの間,必死に捜し続けることもなく,膨大な時間と労力を失うこともなかった上,ようやく傷心を乗り越え,心機一転しようとした矢先に,当の告訴人の告訴によって逮捕されるという,まさに踏んだり蹴ったりの事態であった。
(3)小括
被告人は,ただ,告訴人の身を案じて捜し続けていただけであり,告訴人本来の人格を尊重し,本心を確認するために捜し続けていただけであるにもかかわらず,このような告訴人を捜し,同人の意思を確認しようとする行為が,ストーカー規制法上の「待ち伏せ」にあたるとされた。
しかしそもそも,告訴人が被告人の人格を尊重せず,直接的に明確に意思表示をしなかったことが根本的な原因であるから,被告人による告訴人の身体の安全等に対する危険,つまり,ストーカー規制法が防止しようとする危険は全く生じていなかったといえ,これは,本来,被告人の憲法13条に基づく権利に対する制約が許容されるべき場面ではない。
したがって,原審判決には,憲法13条違反があるというべきである。
2 最高裁判所判例と相反する判断をしていること
(1)ストーカー規制法の合憲性の根拠
原審判決は,控訴趣意書39頁にて述べたとおり,最高裁平成15年12月11日判決(平成15年(あ)第520号)におけるストーカー規制法の合憲性に関する判断と,明らかに相反する判断をしている。
「最高裁平成15年12月11日判決」は←をクリックすれば、読むことができる。ただし、全文ではない。
すなわち,上記最高裁判例は,
「ストーカー規制法は,ストーカー行為を処罰する等ストーカー行為等について必要な規制を行うとともに,その相手方に対する援助の措置等を定めることにより,個人の身体自由及び名誉に対する危害の発生を防止し,あわせて国民の生活の安全と平穏に資することを目的としており,この目的は,もとより正当である」
としたうえで,
「ストーカー規制法は,上記目的を達成するため,
①恋愛感情その他好意の感情等を表明するなどの行為のうち,
②相手方の身体の安全,住居等の平穏若しくは名誉が害され又は行動の自由が著しく害される不安を覚えさせるような方法により行われる社会的に逸脱したつきまとい等の行為を規制の対象とした上で,
③その中でも相手方に対する法益侵害が重大で,刑罰による抑制が必要な場合に限って,
④相手方の処罰意思に基づき,刑罰を科すこととしたものであり」,
その法定刑も特に過酷ではないとして,ストーカー規制法による規制内容は,合理的でやむを得ないものであり合憲と解した。
つまり,上記最高裁判例は,ストーカー規制法の目的を正当としながら,その目的を達成するための規制内容については,①ないし④のように,合憲限定解釈をした上で合憲としたのである。
しかし,これに対し,原審のストーカー規制法の解釈には,以下のとおり,上記最高裁判例の行なった限定解釈とは相反する部分がある。
(2)まず,上記最高裁判例は,規制対象となる行為につき,上記①のとおり,「恋愛感情その他行為の感情等を表明するなどの行為のうち」という限定をしている。これに対し,被告人の行為は,告訴人の本心の確認,すなわち,告訴人の感情や意思の表明を直接聞くことを目的とした行為であり,被告人自身の感情等の表明などを目的とする行為ではなかった。よって,上記①の要件を欠くというべきである。
この点,原審は,告訴人に会って本心を確認する目的と,告訴人に対し強い恋愛感情を有し,どうにかして関係修復したいという目的は両立するとして,
意思確認の目的があったからといって恋愛感情充足目的があったとの認定が左右されるものではないという論理を展開したが,
このような解釈は,規制対象となる行為を不当に拡大することになり,上記最高裁判例の判断とは,明らかに相反する。高裁判決文のこの記述は、正直、説得力があると思った。しかし、弁護人は完璧に論破する。
すなわち,もし,告訴人に被告人に対する恋愛感情や結婚意思があることが確認されたならば,たとえ,被告人に告訴人との関係を修復したい気持ちがあったとしても,関係を修復したいという点では,被告人と告訴人の意思は合致している以上,処罰の対象にはなりえない。
他方で,もし,告訴人に被告人に対する恋愛感情や結婚意思がないことが確認された場合,被告人としては,潔く別れるつもりだったとするならば,やはりこの場合も,ストーカー規制法の規制対象とはなりえないはずである。
そうすると,事実認定の問題はあるにしても,解釈論としては,単純に,前記2つの目的が「両立する」とは断定できないはずである。
にもかかわらず,原審判決は,そのような断定をしたため,上記最高裁判例の判断に反し,むしろ,規制対象となる行為を不当に拡大する恐れがある。
(3)また,上記最高裁判例は,上記①の行為のうち,上記②のような不安を覚えさせる方法により行われる社会的に逸脱した行為を規制対象とし,規制対象となる行為の中でもさらにしぼりをかけて,上記③のとおり法益侵害の重大性と刑罰による抑制の必要性がある場合に限り,その上で,上記④のとおり相手方の処罰意思を要件として刑罰を科すことを認めるという4重のしぼりをかけた限定的な解釈をしている。
このような解釈について,上記最高裁判例の最高裁調査官は,
「被害者の受忍限度を超え,刑罰による抑制によらなければ被害者の法益保護の目的を達し得ないような事態に至ったときに初めて国家権力の刑罰権の発動がなされることが想定されているといえる」
と述べられていることからも分かるとおり,上記最高裁判例が,ストーカー規制法の規制内容を相当限定的に解釈することによって合憲の結論を導いたものと言える。
実際,ストーカー規制法違反で有罪とされた判例においては,相手方(被害者)から明確に交際拒絶の意思表示をされたにもかかわらず,自己中心的に,自らの恋愛感情等を押し付け,電話やメール,手紙等による連絡を繰り返したり,被害者の嫌がるものを送りつけてきたり,訪問等により,つきまといや待ち伏せをしながら交際や復縁要求をあからさまに迫ることなどが多く,被害者にとっては,悪意的な要素や嫌がらせ的な要素しか感じられず,嫌がらせ等の内容がエスカレートする恐れもあるため,もはや警察に相談するしか,なす術がない状態である場合が多い。
ところが,本件の場合,前記1で述べた通り,事実経過において争いのない告訴人の対応に鑑みれば,前述した上記①だけでなく,②③の要件をも欠く事案であると言え,およそ告訴人の受忍限度を超えるとは言い難く,また,刑罰による抑制に寄らなければ告訴人の法益保護の目的を達し得ないような事態に至ったともいえない。
被告人は,既に述べたような事情から,ただ告訴人を捜し,その告訴人のおかれた状況をうかがっていたにすぎず,実際,本件各行為には,嫌がらせ的な要素と言えるようなことがないことからも,通常のストーカー事件とは全く異質の事案であると言える。
前述のとおり,告訴人が婚約破棄の意思表示を直接被告人本人に伝えなかったということに問題の根本的な原因があったのであり,もともと被告人による告訴人の法益の侵害は全く生じていなかったにもかかわらず,告訴人の一方的な処罰意思から事件化され,原審のような解釈により,被告人にストーカー規制法を適用することは,合憲限定解釈をした上記最高裁判例に違反し,ひいては憲法13条にも違反するというべきである。
3 憲法第31条違反があること
(1)刑罰法規の明確性の基準
被告人は,「恋愛感情その他の好意の感情・・・を充足する目的」(以下「恋愛感情充足目的」という。)で,「身体の安全,住居等の平穏若しくは名誉が害され,又は行動の自由が著しく害される不安を覚えさせるような方法により」(以下「不安を覚えさせるような方法」という。),反復して「待ち伏せ」したものとして,
ストーカー規制法第2条1項1号,同2項が適用され,有罪とされたのであるが,
控訴趣意書36頁以下において述べたとおり,上記「恋愛感情充足目的」,「待ち伏せ行為」,及び,「不安を覚えさせるような方法」のいずれの構成要件についても,原審及び一審判決の解釈は,以下のとおり明確性を欠くため,憲法第31条に違反するというべきである。
一般に,刑罰法規が憲法第31条に違反するかどうかについては,最高裁昭和50年9月10日大法廷判決において,
「刑罰法規の定める犯罪構成要件が,あいまい不明確のゆえに憲法31条に違反し無効であるとされるのは,その規定が通常の判断能力を有する一般人に対して,禁止される行為とそうでない行為とを識別するための基準を示すところがなく,そのため,その適用を受ける国民に対して刑罰の対象となる行為をあらかじめ告知する機能を果たさず,また,その運用がこれを適用する国又は地方公共団体の機関の主観的判断にゆだねられて恣意に流れる等,重大な弊害を生ずるからであると考えられる。
しかし,一般に法規は,規定の文言の表現力に限界があるばかりではなく,その性質上多かれ少なかれ抽象性を有し,刑罰法規もその例外をなすものではないから,禁止される行為とそうでない行為の識別を可能ならしめる基準といっても,必ずしも常に絶対的なそれを要求することはできず,合理的な判断を必要とする場合があることは免れない。
それゆえ,ある刑罰法規があいまい不明確のゆえに憲法31条に違反するものと認めるべきかどうかは,通常の判断能力を有する一般人の理解において,具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうかによってこれを決定すべきである。」
と判示されている。
以下,本件についても,この基準に則って検討する。最高裁(大法廷)昭和50年 9月10日判決に全文が掲載されている。
(2)恋愛感情充足目的について
恋愛感情充足目的に関する一審判決の解釈について,弁護人は,控訴趣意書の36頁の第5の1において,その解釈の問題性を指摘したが,これに対し,原審判決は,格別の理由を述べることなく,一審判決を是認した(一審判決p7)。
しかし,一審判決のいう恋愛感情充足目的とは,控訴趣意書37頁で述べたように,「告訴人と会うなどしてその様子を確認し,さらには,機会があれば告訴人と話をするなどして,告訴人と会いたい,告訴人との関係を修復したい」という内容であるところ,
「機会があれば,関係修復したい」
という余りに漠然とした仮定条件のついた単なる「思い」や「感情」までも,刑事処罰の対象とする結果となっている。
そもそも,ストーカー規制法の立法時において,恋愛感情充足目的の要件は,国民に対する規制の範囲を最小限にすべく,いわば規制を限定する趣旨で設けられた要件であり(平成12年5月16日参議院地方行政・警察委員会松村龍二議員答弁,添付資料1の6頁),
規制の対象となるのは,単なる恋愛感情その他好意の感情そのものではなく,その感情を「充足する」目的がある場合に限る趣旨の要件であった。
すなわち,上記議員の答弁によれば,
「その感情が充足されうるものであることが予定されていることから,単に一般的に好ましいと思う感情だけではなく,相手方がそれに応えて何らかの行動を取ってくれることを望むものをいう」
としており(資料1の15頁),
相手方の気持ちには関係なく,また相手方の事情等は考えず,初めから一方的・独善的に自分の思いに相手方が応えてくれることを望み,
例えば一方的に関係修復しようとするような目的を「充足目的」とし,そのような目的を持つ行為者に限定して規制の対象とする趣旨であると解すべきである。
ストーカー規制法は議員立法であり、法案提出者の答弁はこの法律の運用基準になるものである。
また,実際にも,一方的かつ独善的な恋愛感情充足目的を持つ行為者だからこそ,相手方に法益侵害の危険が生じる可能性があるのであり,かつ,それを規制する必要性も生じ,規制が許されると言いうるところ,一審判決のように,「機会があれば関係修復したい」という程度の仮定的な要素のある感情までも規制対象とすることは,規制対象を不当に拡大する結果を招くと言える。
また,上記最高裁判決の基準である通常の判断能力を有する一般人の理解として,機会があれば,関係修復したいという思いをもって何らかの行動をすることが違法となるのかどうかは,それ自体,内心の心理状態である以上,非常に不明確であり,また,これを客観的に判断することも極めて困難である。
さらに,「恋愛感情を充足」という文言自体が,元々,非常に曖昧な概念であるのに,さらに,一審判決のような規制を拡大する方向の解釈を認めることは,罪刑法定主義の精神に反するため,憲法31条に反するというべきである。
①「一般人」とは、私や読者のこと。交際していたのに「もう付き合いたくない」と断られる。しかし、相手のことがあきらめきれず、何度か電話や手紙を出した(日常的によくある話)。このことが処罰されなければならない行為なのか。このことを弁護人は問うているのである。
②「<恋愛感情を充足する目的>は非常に曖昧な概念」という指摘はその通りだと思う。
「恋愛感情を充足させる」とは一体、どういうことか、「恋愛感情を有すること」とどう違うのか。好きな異性と恋愛関係になるために、手紙を送る。それも「恋愛感情を充足させる目的」の行為とみなされてしまうのか。
③宇佐美さんに即して言えば、彼は婚約破棄が告訴人の本心なのか。<もし本心だっから諦めるしかない。しかし偽装脱会だったら関係を修復することができる>というほのかな希望を持って、告訴人を探していた。これが刑罰の対象になることなのか。
(3)「待ち伏せ」の意味について
ストーカー規制法上の「待ち伏せ」行為の意義について,弁護人は,控訴趣意書37頁の2において,待ち伏せというためには,
①特定の場所において隠れて待つこと,
②相手方に対して行為者自身の気持ちを表明する意思が必要であること
が必要であると主張したが,これに対し,原審判決は,①の要件は,一審判決同様,必要ないとした。また,②の要件は,一審判決を変更して必要であることを認めた。
しかし,①の要件に関する第一審及び原審判決の解釈は,以下に述べるとおり,明らかに不当である。
すなわち,国語辞典によると,一般に,「待ち伏せ」とは,「相手の不意をつくために隠れていてその来るのを待つこと」(広辞苑,添付資料2の1),「人を襲ったりするために隠れて待つこと」(大辞林,添付資料2の2)などとされ,「隠れて待つ」という意味が必ず含まれているのであり,ただ単に「待つ」こととは区別されている。
また,ストーカー規制法上の「待ち伏せ」という行為を解釈するにあたっては,同法上に「待ち伏せ」につき特別な定義規定が設けられていない以上,刑事法規の明確性及び厳格解釈の原則によって,国語辞典に書かれた上記のような一般用語的な理解を前提とすべきである。
ところが,原審も一審判決も,ストーカー規制法上の「待ち伏せ」の要件として,物理的に隠れて待つ必要はないとしており,前記の一般用語的な理解を全く無視しており不明確な解釈と言わざるを得ない。
一方,原審判決も,②の要件については,「待ち伏せの日常的な用語としての意味内容」に照らして検討しているところ,どうして,①の要件については,一般用語的な理解を無視するのか極めて不可解と言わざるを得ない。
結局,①の要件について,原審判決が正当とした一審判決の
「ストーカー規制法の目的及び保護法益に照らせば,待ち伏せ行為は,相手方が予期せぬ場所や状況の下で,相手方が行為者の姿を認識しうる状態で相手方が来るのを待つことを言うものと解され,必ずしも物理的に姿を隠す必要はない。」
という解釈では,上記最高裁の基準に基づき,通常の判断能力を有する一般人の理解において,ただ単純に「待つ」場合とどのように違いがあるのか全く不明確であり,
具体的場合に当該行為がストーカー規制法の適用を受けるものかどうかの判断をすることは困難であるため,憲法31条に反するというべきである。
また,相手方が行為者の姿を認識し得ない状態で,身を隠して相手方が来るのを待っているような場合でも,同法の目的及び保護法益に照らし,「待ち伏せ」と言うべき場合もあることを考慮するならば,結論の妥当性という観点からも,上記一審判決の解釈は不十分と言える。
結局,同法の「待ち伏せ」にあたるかどうかは,相手方が行為者の姿を認識しうる状態で相手方が来るのを待っているかどうかというより,相手方の予期せぬ場所や状況のもとで,相手方の意表をつくかたちで,身を隠して待っているかどうかにより判断するのが,一般用語的な理解及び一般人の理解にも合致して,明確であると言える。
次に,②の要件については,原審判決が,一審判決の解釈を変更して,「待ち伏せ」の要件として,自らの気持ちを伝える意思ないし目的があることが必要であるとしたことは評価できる。
ただ,この結論を導くにあたり,他方で「相手方が予期せぬ場所や状況の下で成される必要はなく」と述べたが,この点,①の要件を述べる際には,前述のように「相手方が予期せぬ場所や状況の下で」相手方が行為者の姿を認識しうる状態で相手方が来るのを待つことをいうとする一審判決を正当としており,明らかに自己矛盾があり,不可解である。
(4)「不安を覚えさせるような方法」の要件について
一審において,弁護人は,被告人には,「不安を覚えさせるような方法」の要件の認識がなかったので,ストーカー行為の故意はなかった旨主張したが,一審判決では,この点,故意の存否に影響を及ぼす事情とは言えないから失当とされた。
そのため,弁護人は,控訴理由書38頁において,「不安を覚えさせるような方法」の要件は,客観的な構成要件要素の一つである以上,故意の認識対象になるというべきであり,この要件の認識の有無は,故意の存否に影響を及ぼすとは言えないという一審判決の解釈は誤りである旨主張したが,これに対し,原審判決は,具体的な理由を述べることなく,一審判決を是認した(一審判決7頁)。
しかし,「不安を覚えさせるような方法」の要件は,ストーカー規制法第2条2項に明記された構成要件要素の一つである。
そして,一般に,罪刑法定主義の観点から,処罰される行為を明確にするために,構成要件は,一般人が認識可能な形で,条文に定められなくてはならないとされており,構成要件の機能の一つとして,故意規制機能,すなわち,処罰根拠となる「故意」というものが「ある」というために認識の対象として必要とする客観的事実を示す機能があるとされている。
にもかかわらず,この客観的構成要件要素の一つである「不安を覚えさせるような方法」についての認識に関し,故意の存否に影響を及ぼす事情とは言えないという原審及び一審判決の判断は,構成要件の故意規制機能を無視した不当な解釈であり,ひいては罪刑法定主義の精神に反するため,憲法31条違反というべきである。
「故意の存否」は一般人からすれば難解な法律用語である。これについては「控訴趣意書(6)」の最後のほうの囲み注、「福士判決文の総評」のところで書いた。再読してもらいたい。
4 原審判決を合憲正当とした場合に日常生活において生じうる問題性
原審判決のように,意思確認目的と恋愛感情充足目的は両立するという前提をとり,ストーカー規制法の「恋愛感情充足目的」には,「もし機会があれば,会いたいし関係を修復したい」というただの感情的な思いまでも含まれるという解釈をとり,同法の「待ち伏せ」行為とは,行為者が隠れて待つ場合に限定せず,相手方が予期せぬ場所や状況のもとで成される必要はなく,他方で,自らの気持ちを伝える意思か目的があれば足りるとすると,日常生活において,極めて異常な事態が生じうることになる。
例えば,好意的感情は持っていたとしても,その感情とは全く無関係の別の用件で,相手方の意思を確認する必要があり,相手方が来るのを待っていたところ,結局,相手方に話を切り出すきっかけをつかめず,何回か待つようなことになってしまった人がいた場合,相手方が,その者を一方的に,ストーカーであると勘違いして警察に告訴すれば,原審判決の解釈を前提にすると,上記の行為者は,ストーカーとして処罰される結果となり,あたかも,有罪へのレールが敷かれた列車に乗せられたも同然の結果を招くことになる。
弁護人がこの例を持ち出したのには理由がある。
先にも述べた通り、ストーカー規制法は議員立法で、国会で活発な質疑応答がなされた。質問者が危惧したのは、拡大解釈されることであった。
例えば、男性記者が被疑者の女性を張り込み等をしていた場合、ストーカーとして訴えられた場合はどうかなど。
宇佐美一審、二審判決の解釈がまかり通るようなことがあれば、人権侵害(憲法違反)は日常的に起こり得る。
たとえば、ある異性に恋愛感情を抱いている人が、相手に映画のチケットを渡そうと(デートに誘おうと)、駅の改札口で待っていた(待ち伏せではない)。しかし、声をかけることができず、何回か待ちを繰り返した。
そうしたら、その異性は「気持ち悪い。これはストーカーだ」として、告訴する。
その結果は有罪判決。
一般人(私たち)は、これを当然と思うのか不当逮捕・判決だと思うのか。不当だと思えば、 最高裁昭和50年判決に照らせば、憲法違反である。
仮に,相手方が,ストーカーと勘違いしたとしても,まずは警察に警告をしてもらうなどのストーカー規制法上の手続きを踏めば,その中で,誤解がとける機会もありうるが,かかる警告の手続をとらず,いきなり告訴から逮捕に至れば,上記の原審判決のような解釈によると,簡単に有罪とされてしまうであろう。
かかる事態は,ストーカー規制法の目的・保護法益を明らかに逸脱し,ひいては,幸福追求権及び個人の人権として保障された国民生活を著しく侵害するものであり,前述のとおり,憲法違反と言わざるをえない。
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-すべての教会員&統一に反対する家族はぜひ読んでください-
現役教会員だった後藤徹さんが荻窪のマンションから解放(追放)されたのは、2008年2月のことだった。それから5年が経過し、ようやくみんなの前(法廷の場)で、自分の体験を話すことができるようになった。彼が解放され、緊急入院した3日後に見舞った者としては感慨深いものがある。
彼の証言がブログ「拉致監禁by宮村の裁判記録」にアップされるようになった。すべての教会員は読むべし!(これまでに紹介したあとに、アップされたもの)
●「原告後藤徹氏本人尋問(反対尋問 荻上弁護士編その2)-ベランダから逃げなかったのかと何度も質問する荻上弁護士」
●「原告後藤徹氏本人尋問(反対尋問 荻上弁護士編その3)-「何とか生き抜きました」と証言する後藤徹氏」
- [2013/05/12 12:08]
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コメント
完璧!
きれいな朝顔の写真に癒されながら読むことができました。
裁判所にはぜひぜひわかっていただきたいと祈ってます。
三権分立?
米本さんも例を挙げていらっしゃいますが、もう一例。
ある男性は、好意を抱く知人の女性Aさんに、第三者から頼まれた書類を手渡さなければならない。そのために、職場のあるビルの入り口で毎夕、待っているが、たいてい、Aさんは同僚と話ながらそこを通り過ぎていき、なかなか用件を言い出せない。
Aさんにとってその男性は決して好きなタイプではなく、ストーカー行為をされていると思えてきて、訴えた―。
男性は即、逮捕。「恋愛感情を充足させる目的があった」として犯罪者に―。
こんなバカな話がありますか!。世にも不思議な、法解釈です。
<被告人が,告訴人の前に現れることはなかったのであり,この点に争いはない。
ところが,そのような被告人に対し,告訴人は,第5公訴事実の2ヶ月後に告訴し,さらにその1ヶ月後,被告人は,ストーカー被害の対応窓口である生活安全課ではなく公安警察により「逮捕」されたのである>
それにしても、裁判所は「いきなり公安警察が逮捕」ということに違憲性を認めないのでしょうか。
戦時中の特高警察じゃあるまいし、今時、こんな逮捕が許されていいのでしょうか。
いちいち民間人が裁判に訴えて出る以前に、「公安さん、やり過ぎです!」と言ってチクリとやるのが、三権分立の一翼を担う裁判所(司法)の仕事じゃないのでしょうか。
人権無視
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