vol.8 岸田今日子との出会い
‐‐‐‐なぜ岸田今日子さんをムーミンの声優に選んだのでしょうか?
おおすみ 岸田今日子がムーミンの原作を読んだ、という小さなコラムを新聞で見たのが記憶に残っていて、企画に上ったとき、岸田さんをイメージ配役として出したんです。すると、名前を利用できると思ったのか、広告代理店が飛びついたんですよ。あとはバランスとるために、知名度より実力のある声優をと考えました。スナフキンの西本裕行さんを探したのは音響監督の田代さんで、ムーミンパパの高木均さんを探したのは僕。劇団『仲間』の友人の芝居を見に行ったら彼が出ていた。芝居終わった後、ロビーで『よかったですよ』って言ったら、初対面なのにチューインガムをくれた。それが、そこに落ちてたやつ(笑)。で、彼のワーゲンで家まで送ってもらった。その頃、彼は日活の映画で凶悪な悪人役で、素っ裸で人を撲殺するような怖い役ばかりやっていたが、私はチューインガムとワーゲンの印象で決めた(笑)。
アフレコは初体験でした。今までアフレコをやったこともないような人が、岸田さんがやるならやりましょと、岸田今日子を中心にばたばたっと決まって反対がなかった。岸田今日子に合わせるための配役ですとていうと、関係者たちもみな黙った。岸田今日子も、スナフキンも声優やるなんて思いもよらなかった。だから田代さんは苦労したらしい。高木均なんて、画面が口を動かしたところから、息を吸い始めるんですよ。だから必ず、一呼吸遅れる。で、どうしたかっていうと、とりあえずOKして、後から全部ずらして(笑)。声優としては、ノンノンのお兄さんスノークが広川太一郎だね、これはみんなの意見が一致した。彼はアドリブの名手で、前回、アドリブで言ったことを採用して、今回の脚本に全部書き込んでいった。そしたら乗っちゃって、スノークの役作りに貢献した。他の役者もいいアドリブが出ると次の脚本に書いてあって。特にアニメ系の役者たちはすごくテンションが上がった。それが製作が私たちの手から離れたらパッとなくなった。だから声優たちから反乱が起こった・・でも、これは別の話。
大塚康生さん 略歴
1931年島根県生まれ
東映動画アニメーター第一期生。日本におけるアニメの創生期から第一線で活躍。
宮崎駿さん、高畑勲さんの先生であり、まさに日本の近代アニメーションにおける礎。アニメーターの父と云うべき人物。
元麻薬Gメンという異色の経歴を持ち、軍用車両に造詣が深く、ジープマニアとしても有名。
現在は一線を離れ、スタジオジブリや東映アニメーション研究所などで後進の指導にあたっている。
日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。
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