vol.4 アニメは原作者になにをフィードバックしたのか?
大塚 ヤンソンさんも作家として、僕らのアニメが向こうでヨーロッパで流れて人気が出て見直したんですよ。アニメが押し寄せて、フィンランドも、イギリスでもパリでも大人気になったから。
おおすみ 海外で放送禁止だったんじゃないんですか? 僕らが作った東京ムービー版のムーミン?。
大塚 放送もしてましたし、海賊版ででまわって、一気に出る。今は、海賊で野放しに出て行きますから。
おおすみ ヤンソンさんがOKしたという「楽しいムーミン一家」。あれしか海外に出せなかったというのはうそですか?
大塚 うそですよ。
おおすみ えー!そうですか。
ちょっと裏話みたいになるのですが、フィンランドにあるムーミンミュージアムの中に、ムーミン谷のセットがあって、シンボル的なムーミンの像が立ってるんですよ。ヤンソンさんが、亡くなる直前まで手を入れて満足して完成させたといわれているものです。やっぱりヤンソンさんも、テレビの影響を受けていたんでしょうね。どういう経路でそうなったかわからないけれど、そのムーミンのキャラクターは明らかに大塚さんの描いたムーミンの影響が出ているんです。頬の線が、目の形を変える、頬の線がすっと入っていて、目があるというのが大塚さんの絵でしょ。トーベ・ヤンソンの挿絵はもっとイラスト的な2次元優先の、あえてペタンとした絵を描いていた。
大塚 アニメーションは、動かすことが前提ですから、微妙なニュアンスだけでできた絵は無理なんですよね。目なんか、こう丸いけど、ちょっと上を切っただけで悲しそうな顔になるし。
おおすみ 変化することが前提ですね。しかも瞬時に見分けがつくこと。特に小さな子どもに見せるために、ムーミンのお母さんにエプロンかけて、ノンノンにリボンをつけ、スナフキンにはかつらをかぶらせて、ひと目でわかる仕分け、あれはかなり試作し、検討した上での、意図的な採用でしたよね。
大塚 意図的って言えば、ヤンソンさんは、ちょっと見たところでは区別のつかない絵を狙って描いているんですよ。よく見れば、わかるみたいな。
おおすみ お互いプロとしての領域がある。その上で、お互いいい影響を与え合えれば理想ですよね。90年版の『楽しいムーミン一家』でしたっけ。日本に来てヤンソンさん自身が監修した。あれでもね、スノークがあの鬘を被ってましたよね。あれは僕らが苦肉の策で採用したものです。裁判所でスノークが一度っきり被った裁判官の鬘でした(笑)。それを彼女は採用した。
大塚 そうでしたよね。彼女ね、ずいぶんテレビの影響を受けてると思う。ムーミンの存在がテレビで世間に知られてから。テレビで人気が出て、世間に認知されれば、動かせないでしょ。モンキー・パンチさんもそうですよ。ルパン描いてて、大塚ルパンに似ちゃうっていうんですよ(笑)。
大塚康生さん 略歴
1931年島根県生まれ
東映動画アニメーター第一期生。日本におけるアニメの創生期から第一線で活躍。
宮崎駿さん、高畑勲さんの先生であり、まさに日本の近代アニメーションにおける礎。アニメーターの父と云うべき人物。
元麻薬Gメンという異色の経歴を持ち、軍用車両に造詣が深く、ジープマニアとしても有名。
現在は一線を離れ、スタジオジブリや東映アニメーション研究所などで後進の指導にあたっている。
日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。
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