vol.2 ムーミンが高畑勲さんと宮崎駿さんを踏み切らせた
大塚 結局ムーミンに惹かれて、宮崎駿さんや高畑勲さんもAプロ(注:2)に移って来てくれました。
‐‐‐‐え、そうなんですか・・
大塚 ムーミンを見てこういう企画の作り方もあるんだって、僕たちもやりたいと思ったのです。
おおすみ 少し前から、藤岡プロデューサが、高畑さんや宮崎さんがAプロに来るぞ、来るぞって言ってたんだけど、ひょっとしたら来ないんじゃないかっていう雰囲気もあった。しばらく来なかったのは、彼らが当時いた東映を離れるのをなにかためらっているのでは、と思ってたんですが・・。
大塚 当時、東映では僕を含めて新鮮な企画が通らなくなっていましたから。
おおすみ ちょうどその時期、ムーミンの放送が始まった。それを東映にいたころ観てたんですね。
大塚 そう、・・ムーミンは東映で大騒ぎになったらしいです。僕は立ち回りや大きいもの、怖いものは得意だけど、可愛らしいものは苦手だと思われてたので大塚さんだって、あんな可愛らしいものが描けるじゃないかって評判になったそうです!それで宮崎、高畑、小田部さんが、3人ともムーミンを見て、Aプロに行こうと。あそこなら可能性があるって来たんですよ。
おおすみ そういう経緯があったんですか。
大塚 結果としてムーミンは手伝えなかったけど、ルパンの後半あたり手伝ったよね。
おおすみ ええ・・たしか匿名ということで。
大塚 ルパンは彼らのやりたい企画じゃなかったんでプロデューサーが自分たちの好みに合う企画を立ててくれないと手も足もでないでしょ、それでそのあと高橋さん(瑞鷹エンタープライズ)のところに行って、「ハイジ」や「母をたずねて三千里」をやったんですよ。
おおすみ 宮崎さんや高畑さんたちの出入りが、そういう経緯だったとは知らなかったけど、ムーミンという作品に惹かれたのは、なんとなくわかるな・・・あの時期、僕もね、舞台の仕事も含め、大きな壁にぶつかっていて、ムーミンを創ることで救われたことは確かなんですよ。それは何かっていうと、当時、信奉されていた、イデオロギーによる『大きい物語』、つまり、悪を階級悪と設定して、その悪を倒すのは、個人的ヒーローじゃなくて、階級的団結だと。今考えると、非常にナンセンスなんですけど、硬直したリアリズムが僕らの中にどっぷりありました。
大塚 ありましたね。そういう時代だったからね。
おおすみ 『大きい物語』が世の中の動きに機能できなくなって来たんじゃないか、という疑問を持ちはじめたちょうどその頃、ムーミンという企画がきた。これは突破口になるのでは、と直感しました。原作そのものはアニメーションにするにはすごく遠い作品です。原作の世界をアニメの世界に持ち込むためにどうするかって考えたときに、これにはまったく参考がないなと、ディズニーまで含めてね。
大塚 そうですね。
おおすみ ああいう世界はアニメに例がないと。これはどうやったら、スタッフに浸透していくだろう…と思った時に、ご本人 を目の前にしていうのは初めてだけど、大塚さんの理解力ってすごいなってと思いました。今までにないものを提示したんですから。
大塚 そうじゃなくてね、僕はAプロに、「巨人の星」の手伝いとルパンの準備っていうことで行ったら、ポンと出てきたんですよ、ムーミンが。おおすみさんと出会って、人形劇の舞台で子どもたちの反応をよく見ているおおすみさんの意見がものすごく新鮮だったんですよ。なるほど!と。演出家って大きく二種類あって、思想家であると同時に技術、絵コンテが描けたり出来るタイプ。もう一つはアニメーションの技術をマスターしてなくても映画作りの勘所を抑えられる人、そう思うと二つでしょ?どっちかひとつでいいんですよ。コンテなんてあとでもいいんですし。おおすみさんは、ものすごく言葉を使うわけ。ここがこうで、ああで、面白いぞー、楽しいぞーって。大量の言葉でコンテマンやアニメーターを説得する能力には驚きました。かって会ったことのない演出家で、話を聞いているだけで面白い映画の予感がありました。そこで精力を使い果たし『あとは任せたよ』つってね(笑)。
おおすみ 僕が面白かったのは、しゃべったことがリアルタイムで絵になっていったということですね。
大塚 (笑)それはテレビアニメーションの原点で、直ちに視覚化することで演出家とイメージを共有出来ますから。素早く描かないと意味がない。僕や宮崎さんはそういった訓練をしてきていたのです。
注:2 Aプロ・・・東京ムービーの制作プロダクション
大塚康生さん 略歴
1931年島根県生まれ
東映動画アニメーター第一期生。日本におけるアニメの創生期から第一線で活躍。
宮崎駿さん、高畑勲さんの先生であり、まさに日本の近代アニメーションにおける礎。アニメーターの父と云うべき人物。
元麻薬Gメンという異色の経歴を持ち、軍用車両に造詣が深く、ジープマニアとしても有名。
現在は一線を離れ、スタジオジブリや東映アニメーション研究所などで後進の指導にあたっている。
日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。
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