2013年05月14日 22時10分41秒 posted by uruseiblog

天でも地でも御心を

テーマ:ブログ


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そういえば不可思議なことが室内でありました。


携帯電話なのですが開くといつの間にかメール欄となっていて


しかも最近は私が全く交流のない某被害者の
履歴が開かれていました。


もしや遠隔操作?と思ってしまいました。


その人間に対して、コピー携帯のような技術を利用して
成りすましでなにやらコメントでも送られては居ないだろうかと
警戒してしまいます。


実はそれが、ある日突然、掌を返したように変貌し
ネット工作員と連携するように私を叩き出した
某”被害者”のメールアドレスだったので、


成りすましメールでも送られれば
餌を与えるようなものです。


余計に警戒しています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今日は航空公園まで避難してきました。


室内での胃腸と脳への操作を嫌ってです。


数日前にとんでもない決断をした時と同様に
追い込みをかけられる気配をも感じ
早々と室内から逃れたと言うのもありますが、


室内で延々と電磁波を受けて
脳が疲れることを嫌ったと言う側面もあります。


気がついたのはやはりハイテク被害者は
色んな意味で警戒の対象になっていると言うこと


勿論公安系含めてです。


歩いていてとても目立ったのは目立ったのは88ナンバー自動車。
(もしくはNoの中に8が二つある。


それが何かをしてきたと言う確証もありませんが、


公安協力者系の自動車は、ハイテク被害者が
危険な存在である事を前提に動いているのだと認識しています。


例えば無自覚に危険な洗脳でも受けている危険性があれば
遠隔マインドコントロールの管理影響下から離れることは。。。


確かに危険だという事にもなりますが。


ただ、私の想像では公安系も分かれている気配を感じるのですが
気のせいでしょうか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ところでハイテク被害自覚被害者に警告があります。


この工作員達の中には”体臭”を印として
被害者を見分けている人間達がいます。


しかもこの匂いは何やら呪い系の気配のあるものです。


私が頻繁に語っている胃腸への異物の作成ですが
通常の一般の方の場合は胃腸が排泄物で満たされているので
異物という形をとることはないと思います。


おそらくは”滞留便”という形になるはずです。


しかもそれは流動化するもので
他の排泄物とは分化されて存在することが出来るようです。
(それだけが薬品で磁気化されてるのだと思います)


それを腸の中に作りあげておくことで
後はそれを腸の中で移動させ色々な介入を仕掛けてきます。


例えば顔に水分を送りやすいツボのようなものもありますし
そこに貼り付けて電磁波照射するような方法です。


目的場所と異物の間に
電流の流れを作り上げ水分や栄養を
移動させるのだと想像しています。


そんな利用の仕方で顔を太らせたりも可能です。


私はそんな方法で眉間と額に肉と皺を作られています。


加齢臭も作れます。


問題は、彼らはその宿便に対して薬品を吸収させ続け
それを発酵させては特有の匂いを発生させるのです。


それは例えば足への電磁波誘導で
足の匂いとして現れる事になりますが


元々は腸内で熟成させられた薬品まみれの排泄物が
腸内に滞留していることに起因します。


匂いは納豆臭のようなアンモニア臭が中心のようです。


そしてこの人間達はその匂いを目印や合図としているようで、
多くの加害者達がその匂いを嗅ぎに近寄ってきます。


近くで鼻を鳴らしていく人間や
鼻を押さえて臭いと言う仕草をしていく人間は
沢山居ます。


ちなみに私の義理の弟が壊れたきっかけは
この体臭被害が突然始まったことでした。


タルムード洗脳者達の呪術なのか、
それとも特定の集団の人間達の趣味や習慣なのかは不明です。


オカルトのようですが、
どうやらこの匂いが一つのポイントとなっているようで


洗脳されている工作員の中には
この匂いに反応するように教育されている人間が
居るのかもしれません。


要するに洗脳された人間が、
ある時何かの刺激に反応して
刷り込まれた行動を実行するように、


壊れた人間が暴れだすよう合図となっているのが
この匂いである可能性があるということ。


不思議なのですが工作員組織の人間達は自分達の足元の匂いにも
とても気を使っているようです。


私の姿を確認すると
匂いを嗅ぎにくる人間以外にも
自分の足元の匂いを嗅いでいる人間が結構居ます。


匂いも呪い?


私は30年以上そんな被害を実行されていた気配があります。


五年前に気がついて、それから胃腸を整えて体臭が消えて
工作員との胃腸攻防戦が始まりました。


昔は寄生虫を利用しての便秘誘導と滞留便作成だったようですが
回虫です)
今は、マイクロ波を利用しての関与です。


匂いを嗅ぎに寄ってくるのは年配者と
ストーカー行為に慣れていそうな人間が多いと思います。


とにかく暗いイメージの人間が殆どです。


想像できるのはこれはかなり昔から利用されていた
マーキングらしいと言うことです。


もしも機会があれば詳細をコメントしますね。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


【本題です】
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

最近宗教関係の掲示板で
頻繁に、このイエスキリストの言葉を目にするようになりました。


聖書の中でイエスがお祈りの見本として語った内容の一部ですし
多くのイエスの使徒がこれを模範としているのだと想像しています。
(私の場合は少し違う内容ですが)


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。

御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。

私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。

私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。

私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』
〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン〕

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


最後の〔 〕の中に関してはその聖書毎に記述があったりなかったりで、
最後に”アーメン”とある部分に関しては
本当にイエスがそう言ったのかどうかも不明です。


ちなみに私は”アーメン”と祈ったりはしません。


「御心が天で行われるように地でも行われますように。」


マタイ6章の10節にあるこのイエスキリストの言葉ですが
この社会ではどんな解釈をしているのでしょうね。


私や兄弟姉妹そして理解者は、私達の知識の範囲で
ここでの言葉を額面通り受け止めて解釈すれば良いと思いますが、


多くの人達は、
ここで”天”で御心を行っている主体が一体誰だと
解釈しているのかに興味あります。


もしかしたら天において御心を行っているその主体を
意識していない可能性もあります。


そして御心とは一体何を持って御心と表現していると
認識しているでしょうか。


以前から頻繁に掲示板でこのお祈りを目撃しては
そんな事を考えていました。


地上で”御心を行う”のはイエスキリストを信仰する人間です。


では一体”天”で御心を行っているのは一体誰なのでしょうか?


霊界としての天国に住むと信じられている
翼を生やして頭に輪を載せた天使でしょうか?


それとも白装束に身を委ねた神様なのでしょうか?


イエスの言葉の真意を理解していた12使徒達は
この言葉の意味を一番良く理解していたはずです。


聖書で天使と言われた”人間達”が住んでいる、
私達から見れば天空に存在している別の惑星。


そこでこそ御心は実践されているのです。


御心が神の意志=創造主の意志なのですし
それに従って生きるのが”宇宙の法則”です。


それを実践していた天使達が
この社会にそれを布教してくれました。


その中の一人であるイエスは、自分の故郷を思い出し、


そこで実践されている創造主の意志に従った生き方が
この地球社会でも実践されますようにと言葉で表現したものこそが
この一節だと認識できます。


イエスが勧めたお祈りに使用される言葉と言う事もあり
この社会でも頻繁に語られる事になるのでしょうが


その真意を理解せずに祈っても
その想いは創造主には届かないと思います。


現に御心の内容を理解していないからこそ
私達は今のような誤った価値観を持って
こんな社会を作り上げてきたのですし、


理解不足と形式重視を続けたことがこの社会を、
御心とはかけ離れた社会へと変貌して来たのではないでしょうか。


”御心”のその詳細は、パウロが聖書の中で頻繁に取り上げています。


パウロが”肉の想い”と語った内容と対極にあるところの
”御霊の想い”というのがそれのはずです。


私達の社会の人間は、放置しておけば心の意志を持って
その価値観と欲とエゴと煩悩を基本に、想いを発する存在でした。


しかし”イエスキリストにある者”と言われた人間達は
イエスの奥義、つまりは魂と言う経路を理解して
そこから創造主の意志を引き出したり、


天使達からのテレパシーを受け止めては、それを語っていた事も
その意志を実践しようと勤めていたことも
聖書の記述から明らかだと思います。


天使達からのテレパシーは、テレパシー能力の足りない私達が
創造主の意志を受け止める事の代わりとなるものだと思います。


そこで語られた、”肉の想い”とは正反対の意識。


”御霊の想い”こそがイエスキリストがお祈りで触れていた御心であり
イエスはこの社会の中でもそれが実践される事を願っていたのです。


つまりは「”宇宙の法則”が天なる自分の故郷である金星で実践されているように
この地球社会においても実践されますように」


と自分の思いのすべをこの社会に伝えたのだと言う事です。


イエスの転生オーソンが


「地球人の苦悩を光の前の暗黒のように消すために
宇宙の創造主を地球の道しるべとしよう」


というのが、天使達スペースブラザーズの
地球への想いなのだと言っていました。


彼らはそのような想いを抱きながら
この地球社会を見守り続けて来たと言うことです。


彼らが創造主の想いを実践しながら
自分達の社会を天国に作り上げたように、


宇宙の創造主の法をこの地球社会でも指針とすることで
この社会が良くなっていく事を願ったものだと理解できます。


そしてそれを具体的に表現すれば
「宇宙の法則をこの地球においても実践すること」


ですし


つまりは「御心が天で行われるように地でも行われますように」
と言うことになります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


パウロは御霊の想いとしてどんなものをあげていたでしょうか。


例えばガラテヤ人への手紙の中では
肉の行い、御霊の種という表現で


私達の心の想い、魂の想いをあげていました。


心の想い(肉の想い)とは


不品行、穢れ、好色、偶像崇拝、魔術、敵意、
争い、そねみ、憤り、党派分裂心、分派


妬み、酩酊、遊興


要するに私達が心を持って作り上げた好き嫌いの価値観や
善と悪の価値観に根ざした想いや、

自分の心を心地よくしたいという想い。


そんなものが肉の想いと表現されていたはずです。


今の社会の実態を持って考えれば
それは良くも悪くも社会の進化と共に発展し


所有欲、物欲、権利欲、自己顕示欲、自尊心


の様に、物質的そして知性的な進化に伴い
発展した意識をも含む事になります。


これらのような想いが、
今現在の私達が実際に持っていて実践しているものだと言う事です。


私達の心は心地良さを求めています。


そして、その心地良さは心の価値観を満足させる事や
心の想いを実践する事で満たされる様です。


それを際限なく実行すれば、この社会はどんな状態になるのか?


今の私達の社会を見れば良いのです。


私達の誰もが自分の心を満たそうと、
心を心地良くしようと願って行動する事で
欲と本能とエゴに取り付かれていますし、


それを満たす事が行動の動機となっているはずです。


世界中は国毎に領土を持っては分裂していますし、
隣国同士が争っているのがこの社会です。


その分裂を生み出すのも私達の肉の想いですし、
同じような価値観の人間達が集ったり、人種や民族が集ったり
宗教で集ったりしては


その分割された中に自らを所属させては、
自分と同じような意識を持った人間を味方と意識しては
敵を作り上げては争い続けています。


一方では同じ国と言う”分派”の中でも
更に思想や心情で分裂していると言う実態まであります。
(分派と言うのは当時のイエスの使徒達の中でも
派閥があったことを示す言葉だと思います)


そこでは結局は自らの心地良さを求め
自らの安泰を計る事が一番の目的ですし、


そのためには他人の立場など理解しようともしませんし
戦争などでは自らの満足のために他国の人間を平気で殺したりもします。


自由経済や民主主義と言う名目の元、
実質的な人間同士の弱肉強食も存在しています。


資本を持っている者が権力をも手にしては
権力のない者や資本のない物を奴隷のごとく従えています。


つまりこの社会では御心ではなくて
私達の心が実践されているに過ぎないと言うことです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

パウロが御霊の種と呼んだ御心とは
一体どんなものなのか?


そして私達はその想いを本当に実践できているのでしょうか。


パウロは聖書の中で
愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制を挙げています。


言葉の表現の仕方で内容が異なって見えたとしても
これは創造主の想いに他ならないはずです。


宇宙の法則では

理解、慈愛、忍耐、意志の強さ、勇気、義、

平等、調和、喜び、などと表現されることが多いようです。


そしてこれこそがイエスキリストの語っていた
御心ですしパウロが語っていた御霊の想いです。


私達は本当であればこれを口にするのではなくて
実践することを求められている事になります。


金星のマスターは語っていました。


「地球社会では創造主の法を語っているだけで
実践されてはいない」
と。


それが実践されている社会であれば
そこに天国が再現されるはずなのです。


昨日も記事で取り上げた太陽系の他の惑星の
天使達の生活を思い出してください。


御霊の想いの実践がそれを実現したのだと言えます。


人々は相互に理解し合い、
相手を尊重して尊敬して生きる事を実践しています。


結果彼らの社会には争いごとはなくなり
平和が実現されてもいます。


イエスキリストが語っていたように
誰もが他の人間を自分と同じように愛しています。


彼らの社会には人間同士の間の上限関係もありませんし
誰もが対等の立場の人間として存在しています。


そして彼らの社会は万物含めて
調和が実践された美しい社会を作り上げていますし
彼らの日々の生活には喜びと明るさが絶えないそうです。


そして彼らが如何に創造主の想いを実践しているかと言うことを
髣髴させているのは

この地球社会への彼らの働きかけが物語っていると思います。


彼らは自分達だけが幸せであれば良いとは考える事なく、


隣の地球社会の人間の様子を眺め続け
私達が自らの過ちの中で地獄を再現してその中で苦しんでいる事に対して
救いの手を伸ばしてくれています。


それは彼らの同情心や慈愛の精神ともいえますが、


何よりも彼らが受け止めている創造主の想いが
自分達だけでなくて太陽系の同胞でもあるこの社会の人間達へと
救いの手を伸ばさせたのだと思います。


イエスは、「創造主の一番の想いは永遠の命」
と表現していたと思います。


きっと創造主の創造物に対する最優先の想いなのでは
ないでしょうか。


その想いを自ら受け止める事の出来ない
私達この社会の人間達のために


彼らはその思いを伝えるためにも
私達の社会を訪問し続けてくれたのです。


私達、頭の良くない人間(自ら思考することをやめた人間)が
悪人達に騙され続けるために
いつまでたっても彼らの想いはこの社会全体に広がる事はありません。


しかしそれでも彼らはこの社会に対して
常に希望の種をまき続けてきてくれたはずです。


輪廻転生を信じることができず、テレパシーを理解できず、

創造主の意志を魂と言う器官から受け止めることのできない私達のために
彼らはこの社会の中に”御心”を述べ伝えて来てくれたのです。


私達が実践の容易な戒律を実行して自分にとって心地良い神を拝もうと、
私達は自分に進化がないことで
それが正しくないと言う事を理解する事もできます。


私達がこの社会を天国にしたいと願えば、

天において実践されている御心を
この地においても実践しようと勤めるのであれば


創造主の意識を正しく認識して、それを単に語るのではなくて
実践するように勤めなければなりません。


そして大切なのはその想いでもあると言うことを
私達は忘れてはいけません。


(私は強い封印されているようなもので
強い想いが出せないで困っていますが)


太陽系の天使達は
私達の社会の改善を信じて”疑わないようにしている”そうです。


それは”強い想いが時には実現する”と言う事を
彼らは誰よりも理解しているからです。


私は正直言って半ばこの社会の改善を諦めていますが
少なくとも天使達は違います。


出来るものならば私達も彼らに倣って
その想いを実践したいものです。


今日の食事を私の一日の精神状態と脳機能の維持、
そして健やかな転生を迎えるために資してください


この糧を与えてくれた創造主とこの食材の各フォーム
そしてこの食材を育んでくれた地球の自然環境に感謝します。


私や兄弟姉妹、そして天使達や創造主の想いが
一人でも多くの人間を創造主の法へと導いてくれますように。


そして一人でも多くの人間が、新しい太陽系へと
転生してい事ができるように私達を導いてください。


私達に無限なる力の祝福がありますように。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


P.S.


最後は私が食事の時にしているお祈りです。


本当は自分の事を養ってくれている妻や親族
そしてブログの理解者・覚醒者仲間である兄弟姉妹
情報その他の協力者


更には私に好意的なハイテク関与で助けてくれている人間達に対しても
感謝してから食事をするようにしています。


私の想念は今は限りなく弱いと思います。


でも少なからずそんな想いを持とうとする事が大切である事は
間違いないと思います。


想いが大切だと言う事を学んだ私や兄弟姉妹や理解者は
できることなら天使達を倣って
その想いを持ち続ける事が大切だと思います。


ちなみに以前の私のお祈りの一番最後は


「この社会に真の意味での平和が齎されます様に」


でしたが最近は流石に内容を変えてしまいました。


これは口にして語るのではなくて
心の奥底で想う事が大切だと思います。


ちなみに私は口にはしません。


人前で自分を心神深く見せようとする人間もいますが
私達にはそんな必要はありません。


そして何よりも尊敬すべき人間(イエスキリスト)が
それを勧めていました。

PR

コメント

[コメントをする]

コメント投稿

一緒にプレゼントも贈ろう!

気になるキーワード

    アメーバID登録して、ブログをつくろう! powered by Ameba (アメーバ)|ブログを中心とした登録無料サイト