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大学では教えられない歴史講義

2010年1月29日(金曜日)

カンヅメです&my favorite記者さん達

カテゴリー: - kurayama @ 23時43分34秒

 この記事をアップしてからしばらく、校正作業のためにカンヅメになります。
 2月9日をお楽しみにしていてください。近日、詳細を報告します。

 ところで世間ではこんなことが。

 外国人参政権をめぐる長尾教授インタビュー詳報「読みが浅かった」
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100128/plc1001282154020-n1.htm

 ますます、外国人参政権の根拠が薄弱になりましたね。まず推進派は、亀井大臣を説得してみる義務があるでしょう。今日の『産経』本紙、推進派の言う事は何の根拠もなく、単に自分の主張を押し通そうとしているだけですから。

 ちなみに、上の記事を書かれた小島優さんの記事は必ず読むようにしています。防衛問題や地方行政の専門家の方です。

 署名記事は責任を伴いますし、読者の側も信頼できる記者を探すのは義務みたいなものです。新聞を高級紙(クォリティーペーパー)にするのは、読者の眼、緊張感だと思います。

 私は他に、朝日新聞の××××さん、読売新聞の西条耕一さん、産経新聞の牛田久美さんなどの署名記事は楽しみにしています。

 ××××さんは名前を出すとご迷惑がかかりそうなので、匿名で(笑)。バランス感覚に優れた方です。朝日でも個人だと優れた方はいますので、見るようにはしています。

 西条さんは一面識もないのですが、緻密かつユーモアにあふれた記事、楽しみにしています。
『読売』よりも『週刊将棋』で読む方が多いのですが(笑)。

  牛田さんは前々から「よくぞここまで」と感動しながら記事を読ませていただいていました。
 私の元々の専門である公文書管理の問題を追いかけてくれている方です。『正論』の竹田先生との対談の時が初対面でした。感激したのを覚えています。

 皆さんも、「この人の記事は読む」という記者の方を見つけてみれば、新聞の読み方が変わるかと思います。気に入った記事を見つけたら、署名を確認することをお勧めします。


2010年1月28日(木曜日)

功山寺決起、後日談

カテゴリー: - kurayama @ 02時40分22秒

 伊藤博文と山縣有朋。ともに長州閥の頂点、元老筆頭である。
 しかし、山縣は伊藤が死ぬまで頭が上がらなかった。
 明治の元老会議の史料を見ても、山縣を含めた他の元老全員が反対しても、伊藤の意見が通るのである。

 俗に、伊藤は派閥を作らず、山縣は面倒見のよさで巨大派閥を作り上げたと言われる。
 勢力比で言えば、百人中九十八人くらいは山縣の子分である。
 晩年は、伊藤の秘書としていっしょに帝国憲法を起草した最側近の伊東巳代治すら山縣の下に走った。
 しかし、伊藤は「子分から弟分の子分になりたがるのは物好きだな」くらいにしか思わなかった。年上の山縣の方が、永遠に弟分なのである。

 山縣が巨大派閥の力を背景に伊藤に圧力をかけても、自分の方が格上だと思っているので何も感じないのである。
 なぜか。
 伊藤には切り札の一言があるからである。

 山縣が伊藤の気に入らないことを言うと一言。


「高杉さんはイイ人だったなあ〜」

 

 山縣としては「だからどうした?」と言いたい所だが、それを言わせずに伊藤は

「今度一緒にお墓参り行こうか〜」

と続けたら、もう山縣は何も言えないのである。

 命には懸け時、賭け場所がある。
 伊藤は、功山寺決起の際に真っ先に駆けつけた。
 山縣は、一番頼りにされていたのに、最後にやってきた。

 この差である。

 山縣以下当時の顕官全員で伊藤を朝鮮統監に祭り上げても、伊藤は必ず帰ってくる。
 高杉晋作の法要ともなると、旧主の毛利の殿様などを呼んで、盛大に執り行うのである。

 山縣は冷徹な現実政治家で、自らの権力保持のためには手段を選ばなかったが、最低限の恥は知っていたのである。
 あの時、高杉が立ち上がらなければ、伊藤が駆けつけねば自分の今の地位も権力も、それどころか日本そのものがなくなっていたことを。

 誰かがやってくれるのを待つ。世の中の流れが変われば駆けつけよう。全員がそう考えていたら日本という国は消滅するのである。
 今も昔も。


「日本活性」と予告

カテゴリー: - kurayama @ 02時22分36秒

 色々ご心配をおかけしました。

 仕事が立て込んでいたものでして。(出欠の確認&採点の山という怖ろしい仕事もありますが)

 本日は新講座「日本活性の処方箋」、というか「みんなで坂本龍馬になりましょう!集会」でした。龍馬だけでなく、高杉晋作の話でも盛り上がりましたが。世の中を単に批評するのではなく、自分で実践して何かをしようとしている人たちの集まり(になった)ので、どなたも熱心でした。

 予定の4月ではなく、3月から本格始動ということになりそうです。

 趣旨は、「日本を蝕む病理を抽出し、処方箋を見つけ、実践して治す」です。

 

 ちなみに予告しておきますと、本編以外の話ですと

真の信長式経営術!

をやります。

 この砦でも話題になった「信長は天才ではないからすごい」「信長の三大必殺技」の他、

「高度成長に活かされた帝国陸軍参謀の信長評価」

「山本五十六は信長を誤解していたからアメリカに負けた」

「司馬遼太郎が織田信長と明智光秀のイメージを決定的に捻じ曲げた」

「羽柴秀吉が明智光秀に勝てるなどと当時の人は誰も思っていなかった」

「本能寺の変の真相。犯行声明を出した抵抗勢力」

「電通鬼十則と信長式経営、どっちが普通か」

「信長が駄目部下に与えた四か条とその真意」

「自分より強い相手と戦うにはどうすれば良いか」

「信長の天下盗りはこの三人がいなければできなかった(光秀・家康・秀吉ではない)」

等など、「雑談から駒」という感じです。

 乞うご期待。近づけば告知します。


2010年1月24日(日曜日)

締め切り奮闘中です

カテゴリー: - kurayama @ 21時09分11秒

 現在、締め切り奮闘中です。各位、御迷惑をおかけしています。

 昨日の帝国憲法講義、多くの方々にお集まりいただき、ありがとうございました。懇親会では「小沢自治労」について質問が集中しました。うーん。その内、「小沢一郎を語る基礎知識」でもやりましょうか。

 水曜日からの新講座「日本の処方箋」も宜しくお願い致します。講座と言っても、聴衆参加型にしようと思っています。学術的な内容よりも実践を重視したいと思いますので、宜しくお願いします。

 明日の予告ですが、「功山寺決起!後日談」です。やはり山県有朋は賢いなぁ、などと言ったキミ!しかと読むように!


2010年1月23日(土曜日)

高杉晋作の雄弁(後編)

カテゴリー: - kurayama @ 13時36分41秒

 これからのお話は衆人環視の下で行われた史実である。
 こんな話、フィクションだとあまりにも荒唐無稽すぎて書けない。というか、筋が通らなさすぎて、「なぜそういう展開になるの?」と一回でも思えば、理解できなくなるのである。
 私もこの話、合理的に説明ができない。事実をそのまま伝えるしかないのである。しかも如何に頭と心が捻じ曲がった、自称実証主義者の歴史学者や知識人気取りの歴史マニアすら細部以外否定できない事実である。

 あなたは3千人の敵と戦うには、何人集まれば決起しますか?

前回までのお話+α。
 長州藩は四国連合艦隊砲撃により領土割譲の危機に追い詰められた。そこで登場したのが高杉晋作である。圧力をかける大英帝国に対し、「今度やったら勝つ!」の一言で、交渉を終わらせた。(これには異説あり。今度英国の外交文書を調べときます)

 一方、長州藩は外患だけではなく、内憂も抱えていた。京都での政権抗争に破れ、あまつさえ御所に発砲してしまい、幕府と薩摩藩から逆賊呼ばわりされて征討を受けてしまう。
 この過程で、幕府との融和を図る俗論党が長州藩の実権を握り、高杉ら正義派は弾圧される。

 さて、

 亡命を余儀なくされた高杉は、仲間が次々と殺されていくのを見て、藩論が親幕府に傾いてくのを見て、帰国。自らの傘下にある奇兵隊など、そこらじゅうに俗論派打倒の決起を呼びかける。しかし、高杉が最も頼りにしており奇兵隊を預かっていた山縣狂介(有朋)は「無謀」だと反対する。高杉に同調したものは一人もいなかった。

 そこで高杉は元治元年十二月十四日(1865年1月11日)に決起する!と呼びかける。この日を選んだ理由は、どうやら赤穂浪士の討ち入りの日にしよう、くらいのつもりだったらしい。
 その時の台詞がすごい。

「誰もやらないなら、一人ででも立つ!」

 結局、決起は十五日の深夜になった。当然ながら狂人呼ばわりされている高杉についてくるものは一人もいない。「何とか一人でも多くの仲間に呼びかけます」と言った舎弟の伊藤俊輔(博文)とてあやしい。

 高杉は京都から亡命してきていた三条実美以下五人の公卿の前で決起を宣言する。
 丁度、大雪の後であり、満月を背景に馬の前足をたなびかせて、出陣していく。

「これから長州男児の肝っ玉をお見せいたしましょう!」

の一言を残して。

 そして明け方、伊藤俊輔が駆けつける。
「すみません、たった八十人しか集まりませんでした。。。」

高杉の返事は

「八十対三千!充分だ!」

 伊藤は大柄な男で構成される力士隊など、かき集められるだけかき集めてきたのである。
しかも、単に集会があるから集まれではないのである。
 今で言うと、
「市庁・県警本部・自衛隊駐屯地・県庁の順に攻略するぞ!」との呼びかけである。
 当たり前であるが、当時でも犯罪である。

 現代に置き換えて全く問題がない。こんなことをやればどうなるか、想像してみよう。

 しかし、何が起きたか。

高杉は
「とりあえず、武器と兵糧を寄越せ!お前らだってあいつらに本音では不満だろう!」
「俗論党にやらせておいて良いのか!お前らも加われ!」
「どうせ、軍艦は幕府に召し上げられる。だったら俺に貸せ!」
などなどと発砲する前に呼びかけると次々と応じるのである。

 そうする内に、200対1300くらいで戦闘が始まるのだが、これが何と勝ってしまうのである。
高杉が勝つと見て、一番日和見だった山縣までも参戦し、藩の実権を握る毛利敬親は高杉の勝利を認めるのである。

 ここで、高杉が決起しなければ長州藩など、歴史から消え去っていただろう。幕末にそんな藩などいくらでもある。徳川家を倒せる現実的な勢力など存在しなかったであろう。長州藩が第二次長州征伐で徳川家を撃退したから、薩摩は長州と手を組んだのである。

 高杉晋作のたった一人の決起がなければ、倒幕維新はありえなかったのである。

  たった一人の若者の覚悟が、明治維新をもたらしたのである。


2010年1月22日(金曜日)

高杉晋作の雄弁(前編)

カテゴリー: - kurayama @ 03時00分43秒

 幕末の争点を開国佐幕に対して尊皇攘夷と習った方は多いと思う。しかし、当時は本気で攘夷が可能であると思っていた責任者などいないのである。せいぜい異人斬りくらいである。
 薩摩藩が生麦事件で薩英戦争を行ったが、それは不意の事件である。

 唯一例外が長州藩とされる。

 長州藩は朝廷に接近し、徳川将軍家をここぞとばかりになじり続けた。「征夷大将軍のくせに、夷狄(=野蛮人=外国人)を追い払わないとは何事か」と。野党・反主流派は政権担当者を攻撃する時に、実現不可能な正論を唱えることもある。最近のどこかの国の「札入れ」でも、舶来品の「まにゅふぇすと」なる珍品が流布されたらしいが、それと同じである。

 で、これをやりすぎると困るのが、いざ自分が責任をとる立場に追い込まれた時である。どこかの国では、前の政権の財政政策が悪い、ですべてを誤魔化そうとしている。

 しかし、この場合の長州藩は「戦争をやれ!」と主張してきたのである。しかも、本当に「攘夷の勅許」が降りてしまった。他の藩は「今までさんざん大きなことを言ってきたのだからお手並み拝見」との態度を決め込む。

 最近の研究によれば、長州藩は一度打ち払って威嚇した後に、「武備充実」に持っていこうと考えていたらしい。エゲレスとかオソロシアは狙わず、アメリカとかオランダとかの小国やせいぜいフランスだけにしておこうと考えたらしい。それでも仏米に返り討ちにあったが。
 その挙句に大英帝国を盟主とする四国連合艦隊に下関を砲撃され、陸戦隊に荒らしまわられるのである。(ちなみにこの時の恐怖感で山縣有朋は対外政策に慎重になったらしい。)

 当然、かのエゲレス様はあらゆる要求を突きつけてくる。賠償金だの領土割譲だの。難しい交渉である。成功するはずのない仕事など誰もやりたくない。そこで長州藩の嫌われ者の高杉晋作に白羽の矢が立ったと言えば聞こえが良いが、汚れ役が押し付けられた。

 英清戦争(アヘン戦争)後の上海を訪問した経験のある高杉は、領土を割譲した敗戦国の惨めさを知っている。あらゆる点で譲歩を重ねた分、領土割譲だけは突っぱね続けた。
 

 英国代表は遂に切れて禁断の一言を発する。

「お前らは敗戦国だろうが!」

 現代の亡国前夜のどこぞの国の外交官などこの一言で終わりであろう。この時の英国代表の発言は戦勝国としては自然である。これを言われたら黙るしかなく、嫌な要求を呑まざるを得ない。自分の経歴に傷がつくから、みんなで高杉に全権代表を押し付けたのである。合理的だが、負けているのだから理屈が全部通れば、国益を損する。学歴秀才や草食系男子はこれがわからないのである。どこかで一発逆転を狙わなければ駄目なのである。

 高杉は一点狙いのために、その他の論点でひたすら常識論で耐えているのである。そして絶対に譲ってはいけない一線に関して、「他の点では今まで全部譲ったでしょ・」とばかりに一発ハッタリをかますのである。

 その高杉晋作の返答がすごい。

「今度やったら勝つ!もう一度やるか?」

 驚き、呆れ、感心した英国人は「こいつは使える奴だ」と、仲良くする道を選んだ。もちろん長州藩はかけらも土地を割譲していない。

 時に理屈として正しいかどうか以上に、その人間の発した言葉が強いかどうかが大切な時がある。
 真の雄弁とは、気魄に裏付けられているものである、との教訓として受け取っている。

 

 後編、もっとすごいです。


本日の竹田研究会

カテゴリー: - kurayama @ 01時58分06秒

 本日は恒例の竹田研究会でした。
 竹田先生の講義は前半は秘密(来月号の『正論』をお楽しみに)、後半は古事記の話です。
 
 竹田先生、『正論』の校正最終日で四苦八苦。私の携帯から編集部に電話するなどという一幕もあり。
編集長及び川瀬さん、ご迷惑をおかけしました。
 たまには私も役に立つでしょ?と、竹田さんの秘書さんの娘さんに自慢。

 あと、私の不手際で竹田研究会の案内が行っていなかった方も多数おられ(原因はいろいろです)、
申し訳ありませんでした。
 と、最初に謝っておいた所で、本題。

 懇親会ではこの砦の議論が色々と話題になりました。先代のアサド&現バシャールを称えてみたり。
 他に900対8000が、なぜ100点満点で500点の成果なのか、とか。
 日本の夜明けは近いぜよ!

 リクエストが多かったのが、「高杉晋作やって!」ということなので、やります。


2010年1月21日(木曜日)

初歩から特上級まで、政治批評のマニュアル

カテゴリー: - kurayama @ 03時06分01秒

 問題。
 以下のニュースに意見しましょう。
 基準解答として、私の答案をのせます。(最後の一問は都合上不掲載)

 まずは初級問題。
 国会開幕、代表質問で、自民党やはり政治献金問題しか言わず。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00170274.html

 別に言うなとは言わないが、優先順位が違うでしょう。
 何をさておいても、「天皇の政治利用」を鏑矢として放つのが、陛下の野党である。次に外国人参政権への反対表明が必要である。というか、なぜ自民も公明も党首が先陣をきらないのだ?

 したり顔の方々は「これが攻めどころだ」などと批評するのだろうが、それは行政問題であり、政治問題ではない。政争論だけで語っている方々は政治(大事=政治家がやること)と行政(小事=役人がやること)の区別がついているのだろうか。鳩山首相や小沢幹事長の献金問題など、検察の邪魔さえしなければ良いではないか。三番目以下に入れておけばよい話である。

 もう一つ初級問題。
 原口総務相、外国人参政権に反対せず。
http://www.soumu.go.jp/menu_news/kaiken/02koho01_000080.html

「普通に考えれば原口さんにそんな度胸あるの?」と上から目線で批評するのは簡単だが、私はあえて、「原口大臣よ、国民と共に歩め!」と主張する。それでその通りにすれば良し、そうしなければ「国民の敵だ!」と批判すれば良いし。

 この記事は、見出しのつけ方が難問かもしれない。

 次に中級問題。
 公明党、予算案に賛成の意向を表明。
http://news.www.infoseek.co.jp/politics/story/100119jijiX108/

 民主党と組む気満々ですな。これでこの夏の自民党は「比例は公明党で」などと言わなくてすむようになった。体質改善には良い機会なのだが、誰もが正気になれていない。

 いよいよ上級問題(学問的な基礎問題)。
 自民党経済政策調査会(与謝野馨会長)、予算対案骨子を纏める。民主党より3兆円少ない89兆円。

 民主党のバラマキ公約を削っただけ?それでも、野党が対案を示したのは特記すべき。今までの野党はそれすらやっていなかったので。
 ところで、谷垣総裁はいつになったら影の内閣を作るのだろう。。。

 最後に特上級問題(政治のプロを名乗るなら即答できなければならない問題。)
 自民党、「小沢幹事長の不正資産追及チーム」が会合 国会で追及へ
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00170211.html

 これのみ、解答しません。普通の人にはさっぱりわからないでしょうが。
 一つだけツボを指摘しておくと、座長が後藤田正純。これでピンと来なければ、日本政治のことを何もわかっていないに等しい。真顔で「あの人親中派ですよねえ」とか言われても困る。

 特上級問題、意味がわかれば、今の日本で何が起きているか、手に取るようにわかるようになる、第一歩です。小沢さん、○○○の□□□を敵に回したのかア。これで勝ち残れば、本当に竹下登以上の超権力者ですね。北京から監視役を仰せつかっている自治労&日教組を除く。などという事態になりかねないが。検察は○○○が味方に回っているから強気なのね、と読んでいますが。

 しかし、自分で問題出して、自分で解答して、自分で採点するなんて、東大法学部教授みたいだ。


2010年1月20日(水曜日)

久しぶりに「憲政の常道」の蹂躙

カテゴリー: - kurayama @ 01時02分37秒

 鳩山由紀夫総理、小沢代表に「検察と思う存分戦ってください。」と激励したのは、党代表としての発言であって、総理としての発言ではない、と官房長官が弁明。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100118-00000514-san-pol

 平野官房長官、「憲政の常道」をご存知か。と言いつつ情けなくなった。
 では「幹事長」の英語と中国語でも聞きましょうか。
「a chief secretary」とか「秘書長」である。つまり、党代表の代行である。

 与党の代表は、総理の仕事が多忙すぎるので(新聞の首相動向欄を見てください。分刻みです。だから小沢さんはなりたがりません)、党代表の仕事は幹事長が代行するのである。

 だから、今の自民党で谷垣総裁と大島幹事長の仕事分担がよくわからなく、なっていないか。
 相変わらず立ち直る気配ゼロだが。
 これでは良くわからないので、昔の話で言うと、河野洋平自民党総裁と森喜朗幹事長が、お互いに色々なことをやって権限分割が大変だ、という話があった。それまでの歴代自民党総裁は即総理だったので、野党総裁など経験したことがなかったので。

 ではいよいよ本題。なぜ与党幹事長は与党代表(総裁)の代行をするのか。
 与党代表と総理は分離してはならないからである。
 立場を使い分けられては困る、同一人格の選挙で選ばれた政治家が国家に責任を持つ。政府を構成する多数党の運営などは総理の腹心が行えばよい。与党幹事長に対して威厳を示す、そんなものは一国の総理になる前提である。これが英国流憲政論である。

 戦前の日本はどうだったか。
 政友会の原敬、憲政会の加藤高明、民政党の濱口雄幸は自分で政党を創立し、野党を経験した後に総理を勝ち取っているので、与党内での威厳は絶対である。
 田中義一も意外と弱くない。ちょっと難しい話になるが、いずれまじめに書きたいと思っているのが、「田中義一内閣と東條英機内閣、どちらが強かったか(弱かったか)」という比較である。

 高橋是清、若槻禮次郎、犬養毅は弱い総裁と言われたが、それでも誰かの傀儡になるなどということはなかった。
 高橋は党の過半数に脱党されながらも、爵位すべてを返上して捨て身で衆議院選挙に立候補し、野党から与党に返り咲いている。
 犬養も、三大派閥の均衡の上に立ちながら、勝ち目がないと思われながらも衆議院解散に打って出て、少数与党から絶対多数を獲得している。
 若槻は、、、ノイローゼでした。(笑えない・・・)

 英国も戦前の日本も、与党を掌握できる政治家が総理大臣になる、これが大前提である。
 総理大臣は、陛下に代わり、国務に責任を持つ立場である。
 与党代表が幹事長に「検察と戦ってください」などと言うのは、検察への指揮権発動をちらつかせて検察を牽制しているという意味なのである。総理大臣は、検察の捜査に関して介入できる、何の理由を説明することなく国会議員への起訴を止めることができるのである。

 鳩山由紀夫さん、貴方は内閣総理大臣です。衆議院の総選挙により第一党の地位を与えられた
民主党の代表だから今の地位にあるのです。二つの地位は使い分けることはできないのです。

 こういう時に昔の日本人は良いことを言った。

 憲政の常道の蹂躙だ!


不思議な鳥

カテゴリー: - kurayama @ 00時16分44秒

 表題、怪文書として回ってきたのだが、あんまりおもしろいので紹介。

中国からはカモと呼ばれ、
アメリカからはチキンと言われ、
ヨーロッパからはアホウドリと名前がつき、
国民からはサギと罵られ、
自分ではハトだと思っているらしいが、
実態は日本のガン!

 他にも、色々と珍しいメールが届く日だった。

昨年「事業仕分け」任命直後にクビになって以来ひさしぶりのメルマガになりますが

ではじまるメルマガとか。

 その昔、自民党と社会党の国対政治全盛期、平和なやりとりがあった。

田邊誠(社)「貴方はタカ派と言われているが、実際はどうなのか」
金丸信(自)「私はハト派、しかもメスバトでございます」
田邊誠(社)「ハトは凶暴な動物で、しかもオスバトよりメスバトの方が獰猛なのをご存知か」
 与野党共に大爆笑だったらしい。

 


2010年1月18日(月曜日)

カツアゲの話

カテゴリー: - kurayama @ 23時52分21秒

 あるところに不良にカツアゲされているいじめられっ子がいた。

 自分がもっている財布の金だけでは足りず、家の金を盗んでこさせられていた。

 ある日、それが親にばれて「そんな金を渡す必要はありません」と叱られたので、もう渡すのをやめた。

 いじめられても、決して金だけは渡さない。それだけで何かを守ってことになるのだから。ましてや悪事には加担しない。しないようにする。それだけで何かが変わることもある。個人の話ならば。

 ところが、このいじめられっ子は、単に家の金を盗んでまで、カツアゲされるのをやめただけで「制裁を下した」などと自信を持ってしまった。

 そのいじめられっ子の名を、日本国と言う。

 ちなみに、坂本龍馬はいじめられて何も言い返せず毎日泣いて帰っていたが、剣を鍛えて誰にも舐められないようになった。

 この話を聞いて、戦争(ケンカ)をすることと戦争(ケンカ)に備えることがまるで違うとわかってくれなければ、どうにいえば良いのであろうか。

 最近思う。龍馬に学べ!


2010年1月16日(土曜日)

原口総務大臣の生きる道

カテゴリー: - kurayama @ 23時39分54秒

 まずは新聞に出ている事実だけを並べる。

 とうとう外国人参政権法案、政府提出に。
 小沢と輿石が首相官邸に乗り込み、輿石が首相と官房長官を怒鳴りつける。
 ついでに言うと、「小沢幹事長」人事に鳩山が難色を示すと、「だったら参議院は協力しない」と恫喝したのも輿石だった。
 旧社会党出身の赤松農相「先の選挙では在日韓国人の皆さんには投票以外の多大な支援をいただいた。 外国人参政権は皆さんとの公約」と民団で挨拶。

 国民新党は反対を表明。
 所管の原口総務大臣は国民新党も含めた、閣議決定がなされる条件での賛成を表明。

 さて、原口一博総務大臣、千載一遇の天下取りの好機である。
 最近の噂では、小沢幹事長と良好なので鳩山退陣の際には「次期総理」などと報道されている。しかし、小沢幹事長の疑惑はもはや留まるところを知らない。
 田中角栄以来、検察庁を敵に回して権力を保持できたのは竹下登だけである。リクルート事件の時だけは勝ち目がないのに、正義感だけで戦い、見事に蹂躙された。その後は慎重に行動するようになり、勝算がない戦いはしていない。勝算とは何か。世論と、○○○の中の特に□□□を敵に回さないということである。今回は□□□どころか○○○が面従腹背であり、官僚機構全体が敵である。むしろ検察は官僚機構の利益を代表しているとさえ言われている。
 小沢について総理にしてもらえるなどと考える方がおめでたい。はっきり言って、小沢の説明が正しいかとか、検察が公判を維持できるか、とか法律論などどうでもよいのである。もはや力と力の正面衝突、無理が通れば道理が引っ込むという状況を、外国人参政権反対派によって現出させられたのである。

 民主党がこのまま、自治労日教組による傀儡小沢政権による恐怖政治の下で、分裂が起きないとすれば国民が民主党を見捨てるか、民主党が外国の手先として日本を支配するかしかない。

 もし、閣議で外国人参政権を提出してくるなら、徹底的にその根拠を聞くべきである。
 どう反論すれば良いかはさんざんこの砦に書いた。それでも強行するなら、原口大臣はどうするべきか。

 辞表を提出すべきである。
 そして、ただひたすら全国各地で演説会を開けばよい。会場がなければ街頭遊説を行えばよい。それで英雄である。
 脱党するのは、除名されてからでも遅くない。演説により、国民の盛り上がりが巻き起こったからでも遅くはない。

 それから原口新党である。既成政党に飽き足らない政治家は、英雄原口代議士の下に駆けつけるであろう。国民も支持しよう。

 普通の人に、「訳もわからず日本に住みついている外国人ホームレスにも選挙権を与えようというのが、今の政府の方針です」というと、仰天される。よくわかっていないらしい。

 小沢氏と近いと思われている原口大臣が反旗を翻すところに意味があるのである。

 ばらしてしまおう。
 現在の民主党議員の少なからずが、自分の事務所で言いたいことを言えないという。
 誰が聞いているかわからないからである。代議士よりも別の御方に忠誠を誓い、政治家を関している秘書が多いからである。共産圏の監視社会である。

 しかし、原口大臣は陛下の認証官である。
 鳩山首相が罷免権を行使する前ならば、首相を通さず陛下に直接辞表を提出しても良いのである。別に首相に辞表を叩きつけても良いが。

 今、売国奴の暴走を止められる最も重要な立場にあるのは原口総務大臣である。

 国民は原口大臣がどうするかに注目しよう。正常な判断力があれば、強くて正しいほうにつくだろう。


2010年1月15日(金曜日)

パーマストンとは

カテゴリー: - kurayama @ 23時59分30秒

 かつて大英帝国にパーマストン卿あり。
 人にできないことを三つもやった。

 一つ。激昂する米国世論を恫喝だけで屈服させる。
 1839年。英国領カナダと米国の国境で、英国人スパイが逮捕された。当然、米国の法律に従えば死刑である。ところがパーマストンは釈放を要求する。その時の文句がすごい。

焼くぞ!

 もう少し丁寧に紹介すると、「なるほど我々はカナダにはそれほど陸軍はおいていない。しかし、その気になればニューヨークもボストンも灰にできることを君たちはお忘れではないか。」
 その後の歴史で「リメンバー○○○」を三回も繰り返した米国世論も沈黙。スパイを無罪放免引渡しをしたとか。
 米国人のすごいところは、自分が弱いと思うと、それを自覚した行動が取れるところである。

 二つ。支那便衣兵を叩くだけ叩いて見事に引き上げ。
 1840年。有名なアヘン戦争(英清戦争)を引き起こす。最近の研究では単純な構図ではないと言われているが、当時は麻薬を密輸して取り締まられたのに逆切れして英国が弱いものいじめをした戦争と言われていた。その善悪はともかく、中国大陸の戦は、正規軍が壊滅してからが本番である。
 清朝正規軍はこの時も一ヶ月で壊滅した。その後の十一ヶ月は、延々と便衣兵(ゲリラ&テロ)との抗争である。今のイラクと大して変わらない殺し合いである。英国は不平等条約を押し付けて、さっさと引き揚げた。

 三つ。嫌がるロシアを戦争に引きずり出し、袋叩き。
 1853年。在野のパーマストンは外交界の長老として世論を煽りまくり、クリミア戦争を引き起こした挙句に介入。ロシアという国は、戦闘力が弱いことを自覚しているので物量に頼るし、
それ以上に外交が上手で慎重な国である。
 ところがこの時ばかりはまんまと欧州で孤立し、袋叩きにされた。

 その他、パーマストンに関しては、詳しくは下記を参照。

 君塚直隆『パクス・ブリタニカのイギリス外交 : パーマストンと会議外交の時代』(有斐閣、二〇〇六年)
 少しばかり自慢をすると、実はこの本を書いてくださいとお願いしたのは私です。初対面から「中華ナショナリズムババ抜き」の話で盛り上がり、周囲から「いつからの仲ですか」と訝しがられ。で、二回目の時には有斐閣の君塚さん担当の方と「本格的なパーマストンの話を書いてくださいよ」という話に。
 帯は

「ネオコンなど生ぬるい!」

「艦砲射撃は男のロマン!」

 では、会社の性質上、企画が通らないということで、
「英国外交の神髄」が採用されましたが。酒が回ると「パパパパパーマストン」などと、どこぞのパフィーの番組のような話にも。。。 

 閑話休題。
 昔からパーマストンに注目していたが、十九世紀の大英帝国、まさにあらゆる面で超大国で、他の普通の大国が三つくらい束になってかかってやっと互角なのですね。絶頂期の米国と違い頭も良いし、今の米国と違い中国とロシアが結束すれば何も言えなくなる、どころかフランスが「国連安保理で拒否権行使するぞ」と言えばすごすごと出て行く、などということはないのです。
 現代の我々にとって重要なのは、米国は決して超大国ではないということです。
 この砦でもしつこく言っていますが、大江健三郎あたりが撒き散らした、根拠不明なアメリカコンプレックスから自由になるべきでしょう。

 さて、十九世紀の大英帝国が、絶頂期の米国よりも力が強く頭が良かった。
 これはここまで言えばお分かりいただけたと思う。

 我々の先人たちは、こんな相手と張り合ったのである!

 そして幕末維新という自己改革を成し遂げ、独立を守ったのである。

 米国があり、中国がある。そして日本がある。
 何かをしなければと思った時点で、あなたは既に坂本龍馬です!


2010年1月14日(木曜日)

国会議員に必要な資質

カテゴリー: - kurayama @ 23時20分28秒

 表題、最近よく聞かれる質問なので、毎回している返答を記録に。昔はあまり洗練されていない答え方をしていたとも思うので。

一、勇気。決断力と言い換えても良い。
 ただし、100%の確率とか、51%以上あれば・・・とかを気にしているようでは駄目。そんなのを待っていたら寿命が尽きてしまう。こういうのを「百年河清を待つ」という。50%未満の確率をどこまで上げられるか、運命を切り開く力と言ってもよい。客観状況が整備されるのを待ちたければ官僚の方がお勧め。多かれ少なかれ、成功している政治家はどこかで大勝負をしている。

二、魅力。人の心をつかむ力。
 勇気がない人間のこれは、単なるハッタリ。有害ですらあるので注意が必要。俗に「仕事を放り出してただ働きしてくれる人が十五人いれば、それほどの人ならば絶対に国会に行ける」と言われる。まあ、タレントでもなく、宗教団体の支持なしで、という条件付でならば、それは正しい。普通の人がそこまでしてくれるなどありえないでしょう。
 「自分が何かをできる」よりも「自分よりできる人を使える」が大事なのは、どんな組織の指導者でも大事。政治家の場合は、「何かをしてくれる人が自然と集まる」が必要。

三、判断力。人の話を聞いて、何が正しいのかを判断する力のこと。
 これは本人に魅力があれば、判断する材料を提供してくれる人材が集まる。その人の言っていることが正しいのかどうかさえわかればよい。極端な話、誰が信用できるかだけわかれば良い。学者とかブレーンとか参謀とか言われる人種は、勇気とか魅力とかの能力が欠けることが多いものである。この二つは天性である。

 森羅万象すべてに通じるというのは無理なので、やたらと細かいことに口出ししないほうが良い。「政治家が学者と張り合ってどうする?」的な態度は、誰も幸せになれない。ただし、逆に大事なことについてわかっていないと、誰からも馬鹿にされる。

四、安全保障。マキャベリ先生の言葉によれば、外交と軍事つまり国家の経営。
 要するに、地方議員ではなく、国会議員にとっての大事なこと。
 この二つ以外は、地方議員でも程度の差はあれ関係があるし、決定もできる。


2010年1月13日(水曜日)

江戸の民意

カテゴリー: - kurayama @ 01時57分16秒

 征夷大将軍。ご存知の通り、京都の外に存在する職である。ところが、足利幕府は京都に幕府を開いた。現実の必要性からである。理屈はどこかに追いやられ、誰も疑問に思わなかった。実質合理性がすべての世界、それが足利時代である。つまりは、力と陰謀に優れたものは何をやっても良いということである。

 幕末、相次ぐ異国船の来訪に、「征夷大将軍の職責を果たせ。それが天皇から大政を委任されている将軍の務めではないのか」との声が日本中の知識人から沸き起こった。幕府はそれを無視できなかった。論理が現実政治の武器となりえたからである。

 平和な江戸時代を通じて、日本史最高の知識人層が形成された。最も自分の頭で考える人間の数が多かった時代である。

 たとえば、第二次長州征伐など、幕府は知識人たちの支持を得られず、厭戦気分が蔓延し、最終的に挫折に追いやられている。

 日本は江戸時代以降、民意が大きな影響力を持つ国である。江戸のどの時点からかはいずれ。

 しばしば民意(世論)に左右される政治はよくないと言われる。しかし、少なくとも江戸時代の知識人達に支えられた民意はどうであったか。検討課題だと思っている。


幕末を動かした武器は言葉

カテゴリー: - kurayama @ 01時40分08秒

 幕末は暗殺の嵐が吹き乱れた時代だと言われている。二本差しを腰にぶら下げている感覚は、現代の日本人にはわからないと思う。しかし、読書によって想像力を鍛えることができる。

 たとえば、会津藩では、武士は毎朝、切腹の作法を練習していたという。もし恥ずかしい行いをしたら、自ら命を絶つ覚悟をするためである。生きることを考えるとは、どのように死ぬかを自分で決めることである。これを死生観と言う。生命は永遠ではないのである。今日、何かの拍子に命を失うかもしれないのである。現代、「自分はどのように死ぬのだろう。死に場所はどこだろう」などと考えている若者はどれくらいいるのだろう。少なくとも「命は尊い」と教えるならば、「いつか死ぬからである。だから恥ずかしくない生き方を心得よ」と教えるべきであろう。これを昔の武士は、今の小学生の年齢から教え込まれていたのである。

 以上の話は、白虎隊の本を読めばどこにでも出てくる。

 さて、本題。幕末は暗殺の嵐の時代、と言われ、テロが世の中を動かしたかのように語られる。最後の十年弱(五年位?)はそう言ってもよいと思う。ただし、彼らは犯罪者である。取り締まる警察機構も、裁判機構も顕在である。「人を斬る」というのは当時にあっても、大変な覚悟がいった。それが当然である。

 ついでに、身分の低い浪人たちが、高位の公家や大名を刀で脅して動かした、というのも再考が必要であろう。彼らは用心棒を雇えるので、あまり効果がないのでは?また、公家社会の中で刀などを持ち出したら、かえって危険人物視されて反感をかうだけである。

 では当時の公家の中で最も活動的で説得力があったのは誰か。岩倉具視である。彼は中級公家の羽林家に属する。羽林とは「ものすごく多い」という意味である。ではなぜ彼の政治力がずば抜けていたのか。彼の言葉が硬直した公家社会を動かしたのである。

 志士たちにしてもそうである。刀だけなら、警察特殊部隊である新撰組やら見回り組の方が強いのである。現に多くの志士が捕縛最中の格闘で命を落としている(死刑廃止をしている欧州では、現在も普通の光景)。

 暗殺する覚悟、雄藩の軍事力も重要だが、幕末において言葉も重要な武器であった。現状を憂う危機感、未来を切り開く情熱、知恵と知識に裏付けられた構想、そして死生観に基づく勇気。

 現代人とどこが違うのか、考えてみてはどうだろうか。


2010年1月11日(月曜日)

信長人気の正体

カテゴリー: - kurayama @ 23時21分53秒

 この砦でも、最近の歴史学界の狂いっぷりは何度も書いているが、
「織田信長のジェノサイド」
「織田信長のホロコースト」
「織田信長の単独行動主義」
などと、もはや左翼の枠すら逸脱した意味不明ぶりは目も当てられない。
 左がかった(だけで真面目に勉強していないので左翼になれない)学者先生にかかれば、
信長は、ナチスや古代ユダヤ教徒やネオコンになってしまうらしい。

 一方で、保守系の「信長びいき」は贔屓の引き倒しの見本市である。
「日本のルネサンスを切り開いた近代人」
「秀吉や家康など遠く及ばぬ、独創に優れた天才の中の天才」
「日本人離れした日本史最大の偉人」
などなど。
 あらゆる事実を「だから信長は天才である」という結論で締めくくる論者がいかに多いか。
これ全部、左翼史観に乗っているという話を今からする。

 戦前の信長評価はどうかと言うと、豊臣秀吉や徳川家康より信長を評価している識者など、
中世史家の田中義成と論壇の徳富蘇峰くらいしか見当たらない。また、武田信玄や上杉謙信が生きている内は二人より信長が格上だと思っている同時代人はいないし、江戸から昭和二十年までの武将格付けで二人より信長を上にした例など記憶にない。
 それどころか、福沢諭吉にかかると、秀吉の前座で、柴田勝家や丹羽長秀と同格である。
 では現在のような、「日本史で最も偉大な人アンケート」をとると必ず断トツで坂本龍馬と一位二位を分け合うようになったのはいつか。
 ここに、刷り込まれた日本人の歴史観があるのである。

 戦前の日本で最も人気があったのは豊臣秀吉である。
 一つには立身出世の申し子であったこと。日本人は秀吉に他人の過去ではなく自分の未来を見たのである。
 二つには朝鮮出兵である。巨大な中華帝国と半島で対峙した、まさに大日本帝国の魁である。

 しかし敗戦により、まさに第二の理由で、秀吉を英雄とできなくなった。そこで代わりに英雄とされたのが織田信長である。「外国人は一人も殺していないが、日本人を殺しまくった」。昔の歴史学界の本物の左翼先生にとってこれほど都合が良い人物はいないのである。別に信長を褒める必要はない。それは手段である。目的は秀吉の悪魔化と矮小化である。
 日本人が秀吉を英雄視して、再び半島や大陸と対峙しようなどと考えられては困るのである。
それが完遂し、左翼学界の世代交代で、知能犯左翼から白痴犯サヨク(造語)になると、「信長のやっていることはブッシュと同じだ」などと訳もわからず批難してみる、などというおぞましさである。
 アメリカコンプレックス爆発の保守派は「信長は天才だ!秀吉はそれを真似したに過ぎない」
などと言っているが、まんまと左翼歴史学者の「秀吉抹殺」の陰謀に知らずに加担しているのだから哀れである。
 信長の行動様式って、キレモノのアメリカ人と似ているところが多いので、特定の世代の人には感情移入しやすいというのがあったのだが、いい加減に米国への言われなき劣等感から自由になるべきではないのか。そうしないと真面目な日米の実務的な話に意味不明な感情論が紛れ込むし。「理想のアメリカ人」を織田信長に投影されたら、私だって寒気がする。

 秀吉の「惣無事令=侵略は悪いことという建前にしましょう」や「海賊停止令=テロリストは人類の敵です」(=あわせて豊臣平和令とも)、欧州での実現は、前者が一八一五年ウィーン条約、後者が一八五六年パリ条約である。これを先駆的と言わず、何を先駆的というのか。

 逆に信長の偉いのは何一つ先駆的なことをやっていないことである。すべて歴史に学び、自分なりの工夫と応用を加えていくところである。決して無から有を捻り出したり、神がかり的な行動をとったりしないのである(そういうことをすると失敗するので、すぐに辞める偉さもある)。信長を「天才」などとしてしまうと、彼のすごさが逆にわからなくなるのではないか。しかもあらゆる事実評価が、後の時代に作られた歪んだ歴史観に基づいているなどとなると、当時のこともわからないし、現代にとっても役に立たないのは必定ではないか。

 最後に余談。なぜ昔の左翼は信長が好きなのか。信長の家中統制策、宮本顕治の党統制策と同じだからである。彼らの方が余程歴史を真面目に学んで実践していると言える。
 ただし、彼らは信長の凄みの神髄である外交手法は学んだかどうかは大いに疑問だが。

 機会があれば、「織田信長の三大必殺技」やります。

 「真の信長フリーク」を自認する私としては、左翼の陰謀に保守が乗せられる、それに信長が歪められて利用される、というのは耐えられないのである。
 先走って言っておくと、信長は「天才ではなく英才である」というのが、私の結論である。


2010年1月10日(日曜日)

盗聴と防諜の小話

カテゴリー: - kurayama @ 01時27分45秒

 1月18日からの通常国会、自民党が最初に何を問いただすかに注目している。総理や与党幹事長の政治資金だけに終始する、が最悪である。

 何よりも、「陛下の政治利用は憲法四条違反である」と内閣法制局長官に問いたださなくてはならない。総理に聞いても「合憲です」と答えるに違いない。
 だからこそ戦後五十年、憲法解釈権を独占してきた内閣法制局の長官に、
「法律家としてどう思うか」と聞くべきである。

 一度は癌を患われた七十五歳の陛下に訪韓を強要したあげく謝罪・・・、などという事態になれば如何か。過去の出来事を看過する者は未来に呪われる。

 さて、関連というか、小沢訪中団が話題になった。しかし、一年生議員でついていっただけならば、目くじら立てる必要はないと思う。この時期に今の立場で、あえて特定の人々に警戒感を抱かせる必要はないので。度を越えてはしゃぎまわっていたとか、そういうことがなければ良いのでは?

 独裁国では当然、民主国ですら、政治家が外国に行く時には常識として気をつけていなければならない常識がある。それは、いかなる場所でも盗聴盗撮の危険があるということである。
 某国などは、水槽の金魚の体内に盗聴器を仕掛けていた、などということもあるらしいので、
完全な盗聴器発見は無理、と考えて行動すべきであろう。

 このような場合でも、歴史に親しんでいれば何かしら考えるヒントは与えてくれるものである。戦国時代に毛利元就という武将がいた。強大な陶氏と戦うために厳島に城を築いた。
 しかし「あれは失敗だった。攻められたらひとたまりもない」とつぶやく。
 しかもそれを敵の間者(スパイ)に聞かれてしまった。
 元就は、あえてその間者を逃がした。
 実は完璧な要塞設備が出来上がっており、陶氏の大軍を誘い込みたかったのである。間者の報告を聞いた陶氏は大軍を率いて押し寄せ、元就の経略どおり、惨敗した。
 以上を、誤誘導(disinformation)と呼ぶ。

 聞くところによると、二〇〇二年平壌会談で、安倍官房副長官は休憩時間に、「拉致被害者を返さないなら、経済援助などビタ一文出す必要はない。席を立って帰りましょう」と、盗聴器にはっきりと聞こえるように発言したという。
 午後の会談の成果はご存知の通り。五人は帰国できました。
 歴史が動いた瞬間ですね。

 ちなみに前近代の武士達は本当に聞かれたくない会話は、火鉢の砂に書いたとか。
 すぐ消せますし、完璧な防諜ですね。


2010年1月9日(土曜日)

なんば安生さんご紹介、他。

カテゴリー: - kurayama @ 01時28分14秒

 国士舘でいつもご一緒の立石節子先生から、なんば安生(あんせい)さんの御本を謹呈されましたのでご紹介させていただきます。ありがとうございます。

 なんば安生『だから、日本って変?』(文芸社、2009年)

 海外駐在経験が長いと日本に違和感を覚える、というお話です。ほとんどが事例なので読みやすいと思います。「なぜ日本には核シェルターがないのか」などというそのものズバリの節などもあり、普通の日本人が当たり前と思っている日本がいかに異様か、という話が満載です。とはいうものの、一部の評論家に見られるような外国かぶれ的な視線がないので、嫌味が感じられず、読みやすいと思います。

 繰り返し強調されているのが、「スウェーデンでは公式行事で国王を称える歌を歌うのは当たり前。なぜ日本では君が代は駄目なのか」「日本国憲法は問題だらけ。平和憲法を名乗るが、ではどこの国の憲法が戦争憲法なのか」「歴史問題の解決が日本人が立ち直る鍵」です。

 仰る通りですね。歴史家のはしくれとして耳が痛い。

 

 ちなみに最近、幕末明治に関して意見を聞かれることが多いので、小ネタがたまっています。大河ドラマの影響だったり、徳大寺のこと書いたり、この前この砦に龍馬のこと書いたりと、色々な理由がありますが。単なる雑談ですけど、もしお聞きしたいという人がいましたら、下記のラインナップ、やります。なければその他のネタの渋滞を解消します。笑

  大久保利通の就職活動とゴマスリ

  木戸孝允、とっさの時のピンチ脱出法

  西郷隆盛と坂本龍馬と梶原一騎

  今すぐ高杉晋作になる方法?(前編)

  今すぐ高杉新作になる方法?(後編)

 三番目以外、幕末マニアにはおなじみの話ばかりですので、ネタばらしはやめてくださいね。私自身の表現力の練習と、あと若い人で知らない人が多いでしょうから、そういう啓蒙もかねて。

 

 教育に関して、輿石東(コウセキトウ?)が以下の発言をしています。

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100107/stt1001071942009-n1.htm

「世の中は自治労と日教組が諸悪の根源という話もある。それだけ期待もされ、批判もされている。教育が選挙の争点になるのは初めてだろう。いよいよ日教組の出番だ」

 だそうです。判断は読者の皆さんに任せます。

 ちなみに産経本紙だと、その横に福田元首相が「憲法に反する天皇の政治利用を許してはいけない。追及すべきだ」と谷垣自民党総裁を叱咤激励したという記事が。こういうのがあるから、新聞は紙で読んだ方が良いこともある。

 情報や学問に携わる職業の人間は、複数の新聞に眼を通すのが義務です。日本だと五大紙と主要英字新聞くらいは。図書館で全部読むのが合理的なのですが。最近どころではなくサボっている私が言うのもなのですが。。。


2010年1月8日(金曜日)

年賀状出せずの件、お詫びと生島さんの寒中見舞い御紹介

カテゴリー: - kurayama @ 00時28分59秒

 年始以来、仕事がまったく出来上がらず、よってメールの方への返信以外の年賀状を一枚も出せず、失礼しました。色々と動いておりまして、ご挨拶の機会はあろうかと思いますので、現在の仕事が一山超えるまで少しお待ちください。ご寛容の程、宜しくお願い致します。

 ということで、この砦の記事は「亡国前夜」のような執筆時間がかかるものではなく、短い時間で書けるもの中心になると思います。ちなみに今年に入ってからの記事、ほとんどが30分くらいです。4日のだけ、書き始めてから思わず長くなりましたが。

 さて、この砦でもことあるごとにご紹介している、特定失踪者の生島馨子さんから寒中見舞いが届きました。生島さんの妹さんの孝子さんは今年で69歳になります。あの国のような劣悪な医療環境の国に住んでいるだけで、どれほど心配になるか。生島さんのお母さんのうらさんは、再会を99歳まで待ちながら、5年前にお亡くなりになりました。

 その頃の、西村眞吾さんのブログを以下に。後世の歴史家から「当時の日本人は一体何をやっていたのだ」と冷笑されること必定でしょうね。我々が昭和十年代の日本人を愚劣呼ばわりしているように。

 http://www.n-shingo.com/jijiback/256.html

 生島さん御自身も70歳を超えています。仮に妹さんが帰ってきても肉親はお姉さん一人です。拉致問題の解決には時間がないのです。どこぞの木っ端役人や人気取り政治家のように「相手の出方を見つつ、粘り強く交渉を」などと発言することが、いかに人道に反するかはお分かりでしょう。

 

 昔、男ありけり。山村新治郎と云ふ。よど号犯人に取られた人質と身代わりとなった運輸政務次官なり。世の人は「身代わり新治郎」と誉めそやしたとか。

 

 別に、どこぞの木っ端役人や人気取り政治家に「お前が代わりに住め」といっている訳ではありませんので。あしからず。というか、どこぞの木っ端役人とか人気取り政治家の数、拉致された罪な気日本人の数より明らかに多いので、誰とは言えないのが困る。しつこいが、職業柄、後世の歴史家の視点に立ってしまうので、一体どういう国なのかと思ってしまう。

 

 生島さん、ご母堂様が亡くなられてから5年、まだ年賀状を書けないそうです。喪中のままということです。

 去年の10月23日以来の再掲ですが、クリントン大統領の言葉で締めくくります。

 最後の一人を取り返すまで絶対に諦めてはならない。もし北朝鮮が話し合いで解決しないなら、いかなる手段を使っても、戦争を含めたあらゆる国家の総力を挙げて、取り返すべきである。一歩も譲歩してはならない。もし一人でも生きて祖国の地を踏めなければ、その人が死んだ場所にお墓を立てなければならない。国家は永遠に贖罪し続けなければならない。そしてそのお墓には、なぜその人がその場所で死ななければならなかったのか、墓碑銘に刻まなければならない。


2010年1月7日(木曜日)

「造物主の偉大さ」の捉え方

カテゴリー: - kurayama @ 01時15分37秒

 主(GOD)の偉大さをどう捉えているかに関して、よくやるたとえ。

その1 この世をパソコンとしよう。造物主は、最初から完璧なプログラミングをしたから偉大なのである。人間の目にいかにバグに見えようと、それは人間にそう見えるだけであって、完全無欠の造物主がバグがあるパソコンなどつくるはずがないのである。=プロテスタント。預定説。人間に自由意志などない。

⇒ルター派は最初、預定説でカトリックを攻撃した。バチカンが「免罪符」を売りまくり、「これを買えば天国に行ける、などとなぜ言えるのだ?天国に行ける人間は預め定められているはずだ!」と、攻撃した(宗教原理主義から霊感商法を批判しただけであり、現代の価値観で計ってはいけない。)。これを宗教改革と言う。ただし、これだとあまりにも救いがないし、スポンサー筋のザクセン公の受けも悪いし、ドイツ農民戦争などを起こす連中が暴走するので、あまり言わなくなる。それを「日和った!」と攻撃して台頭したのがカルバン派。

※ルター派の主要国=ドイツや北欧

※カルバン派の主要国=アメリカ・オランダ・スイス

 

その2 この世をパソコンとしよう。造物主は、いかなるバグも直せるから偉大なのである。この、あらゆるバグを直せる能力を「奇跡」と呼ぶ。=カトリック。人間に自由意志はある。

⇒プロテスタントの攻撃に対し、それまであまり理屈っぽいことを考えてなかったカトリック内に、イエズス会とかドミニク会とかフランシスコ会とか、理論構築と海外布教を好む集団が現れる。預定説だとあまりにも救いがなさすぎるので、人間の自由意志に基づく努力を認めるようになる。これを対抗宗教改革と称する。

※カトリックの主要国=イタリア・オーストリー・イベリア両国・フランス・ベルギー

※英国国教会はプロテスタント扱いだが、中身はカトリック的。

 ヨーロッパとかキリスト教といっても、考え方の根底が違うのですね。カトリックはバチカンを頂点にヒエラルキーが歩けど、プロテスタントは教会ごとに違うのですね。

 

 以上の違いを認識した新井白石のイタリア人宣教師シドッチへの質問。

「その造物主とやらが完璧ならば、なぜこんな不完全な世の中をわざわざ作ったのだ?特に人間とか。それと、その造物主は誰が作ったのだ?」


2010年1月6日(水曜日)

幕末維新の留学生

カテゴリー: - kurayama @ 00時57分00秒

 明治維新は世界史の奇跡。その通りだと思うが、だからと言って、外見だけ猿真似しても成功はしない。外国人であろうと、現代の我々であろうと。

 実は手放しで褒めてはいけないと思っているのが、留学生達である。何せ、この人たちの少なからずが帰国して東大教授になったのだから。しかし、それでもこの人たちの手放しで褒めてよいことについて述べたい。

 日本人は、「幕末以来、西洋の文化を学ぶために留学生を派遣した。帰国した留学生達は、学んだ知識や技術を日本の近代化に役立てた」との文をさらりと読んでしまう。
 しかし、これは世界的に見れば、奇跡なのである。

 何が奇跡か。彼らがほぼ全員帰国しているのである。別に、留学先に残る道はあったし、ホームシックにかかった訳ではない。当時の人種差別を言うなら、インド貴族だって英国本国での立身出世を夢見ていたほどである。昔の日本人留学生は、自分の使命は「祖国の役に立つこと」と自覚していたのである。

 しかも、当時の日本政府は自腹で留学生を送り出しているのである。特に国名を伏すが、「何とかスタン」の政府高官が揃って日本の明治維新を学びに来たのだが、彼らその費用を日本に出させようとしたのである。(本当に出したかどうかは知らない)
 日本人の感覚だと、自腹を切るのが当たり前だが、国際的にはそうではないのである。

 独裁国ならば、まず留学生の家族を人質にする。その為、留学生活を家族抜きで過ごすので、
精神的に不安定になってしまう留学生があとを立たない。

 イランのパーレビ国王が明治維新の真似をして欧米に留学生を送ったら、留学先の方が儲かるので、というか儲からなくても帰るのがイヤになって、ほとんど帰国しなかったので莫大な国費が無駄になった。それどころか、性急な近代化路線への反対派の攻撃材料となり、ついには革命に至ってしまった。これだけで明治維新の大前提が愛国心だとわかる。

 

 まったくの余談だが、このイラン革命でイスラム原理主義の立場から決起を呼びかけたホメイニさんは、SONYのカセットテープにコーランを肉声で吹き込んで、国中にばらまいた。イランは王党派も革命派も親日である。
 現大統領のアフマディメジャドがアホだのバカだのという声をよく聞くのだが、残念ながら我が国が言えた義理ではあるまい。日本の話を聴く耳は持っている。
 アメリカ国内にも「イランを叩け」などと寝呆けた勢力が存在して、実際に現地はいつイスラエルが仕掛けるかと緊張しているのだが、イラクと違い、こんどこそ日本がアメリカを止めないと身の破滅である。政府には期待していないが。
 イランは大事な国である。

 

 日本では人材の空洞化と言われて久しい。優秀な研究者ほど海外に流出して戻ってこない、ということである。
 しかし、圧倒的多数の日本人は祖国を捨てることができないのである。この国でしか生きられないのである。

 自国や他国の失敗から学び、現在の危機を認識し、自分が何をなすべきかを考える。
 年齢に関わらず、「青年」の使命ではないだろうか。

 日本史の研究をしていた時に読んだ、サムエル・ジョバンナ元ジンバブエ国立文書館長の「いつも大金をはたいて海外留学に送り出すだけが研修ではない。自国の歴史や文化に根ざした活動の方が大事なのでは」との言葉を思い出す。

 伊藤博文や井上毅が『日本書紀』にたどりついたように、結局は自分が何物なのか、自分の頭で考えるしかないのだと思う。その方法論が国内に残るのであれ、海外に行くのであれ。

 日本人自らの御一新というか洗濯というか、求められている。しかし時間がない。


2010年1月5日(火曜日)

なにげない記述ですが

カテゴリー: - kurayama @ 01時13分47秒

 日本のどの教科書にも、「大嘘」と言って悪ければ、極端な政治的主張が書いてある。

1549年 キリスト教伝来

 イエズス会のフランシスコ・ザビエルが対抗宗教改革の一環としてはるばる日本にまで宣教にきたことを指すらしい。

 さて、以上を客観的事実と思った方々に質問。

一、イエズス会とは何者ですか。
二、フランシスコ・ザビエルとは何者ですか。
三、対抗宗教改革とは何ですか。
四、そもそも、ここで言うキリスト教とは何ですか。
五、キリスト教が徳川幕府によって禁じられたならば、なぜオランダはその後も日本と交易していたのですか。
六、ついでに「宣教」って、どういう意味ですか。

「五」など、たいていの学校や予備校の教師は説明できないので、まじめにモノを考えた受験生はただひたすら何も考えずに丸暗記するか、そもそもモノを考えないか、になってしまうのが今の暗記中心受験勉強の弊害では?

 そこで、日本史の教科書には書いていないが、ほとんどが世界史の用語集には書いてあることを解答として。

一、ローマ教会の下、カトリックの教えを世界中に広めようと結成された組織です。多くの国への侵略の尖兵となりました。

二、そのイエズス会の創設者で、七大幹部の一人です。

三、ルター・カルバン・ツィングリらプロテスタントが起こした宗教改革への対抗として、ローマ教会が起こした世界中への布教活動と宗教紛争。

四、カトリックのことでしょうね。よく、プロテスタントや正教から抗議が来ないものです。

五、プロテスタントだからです。江戸幕府が来航を禁止したポルトガル・スペインはカトリックです。戦国時代以来、日本人はカトリック(天主教)とプロテスタントをまったく別の宗教だと思っていました。ちょうど、現代の日本人が同じ唯一神を信じるユダヤ教・キリスト教・イスラム教を別の宗教と看做しているように。

六、プロパガンダのことです。プロパガンダの最初の用例は、1622年「異教徒を改宗させる宣教委員会」ですけど。

 以上、五と六だけは載っていないですか。

 別にカトリックには何の恨みもないですが、ザビエルの布教開始を「キリスト教伝来」などというと、知らず知らずの内に特定の宗教勢力の主張を鵜呑みにし、歴史が見えなくなるので困るという事例としてあげました。

 どこの宗派でも良いからキリスト教が単に日本に伝わったのならば、730年代、奈良時代です。ご興味の方は『国史大辞典』の「景教」の項目をどうぞ。
 景教ことネストリウス派は、現代キリスト教の三大宗派、正教・カトリック・プロテスタントのすべてから異端扱いされているので、キリスト教と数えられていないのですが。

 最初のキリスト教伝来を奈良時代のネストリウス派とするか、戦国時代のカトリックとするか、それとも他の宗派とするか、客観的とか価値中立という立場はありえないのです。どこかで線引きをしなければならず、それは学者の仕事ですが、どうも正面から向かい合う知識人がいないような。

 憲法とか吉野作造とかを研究していると、「キリスト教の影響」とか、「キリスト教を基盤として」とか、「キリスト者として」とかいう文にイヤというほどぶち当たるのですが、何が困るといって、そのような粗雑な用語使いをする人が勝手に思い描く「キリスト教」の印象で語られた文章が平気で学術書とか学術論文を名乗っていることです。

 そんな用語使いをするから、アルカイダを「イスラム過激派」と呼んでみたりするのでは?
 それ、オウム真理教を「仏教過激派」と呼ぶくらい違和感がある用法なのですが。

 何らかの政治意図を承知で用語を駆使するのは理解できます。しかし、それは客観的な学術用語ではないです。何も考えないで客観的な用語だと学者が思い込む。ここに日本の知識人の貧困があるのでは、と昔から思っていました。

 歴史教科書ではよく、韓国や中国など特定のアジア諸国との問題だけをとりあげる人ばかりですが、実は欧米は相互の歴史歪曲と抹殺の繰り返しの中で妥協してきたのであって、無自覚に彼らの言い分を鵜呑みにするのは如何なものでしょうか。

 ちなみに、私は「キリスト教」などという用法はよほど括れる時しか使いません。
 例えば吉野作造を「キリスト教浸礼派」とは呼びますが、「キリスト者」などとは呼びません。ましてや、「吉野はキリスト者なので、日本国憲法九条の先駆者として、戦争反対の立場を貫いた」などと言われた日には。。。

 こんな感じで日本史と世界史の教科書の問題点を指摘していったら、ほぼ全面的に書き換えが必要です。書けといわれれば書けますけど。


2010年1月4日(月曜日)

今すぐ坂本龍馬になる方法

カテゴリー: - kurayama @ 02時23分47秒

ペリー、日本開国の恩人。←???

これほど、日本人の間違った歴史認識に基づく言われなき対米コンプレックスを凝縮した一文を私は知らない。
日本人はこれだけ情報に溢れていながら、坂本龍馬より馬鹿なのか?
それとも何かの陰謀か?
少し視野を広げただけで、意味不明なアメリカへの劣等感など何のことかと思えるはずである。世界が変わるはずである。
まさに坂本龍馬の如く。

細かい歴史的事実はともかく、有名な坂本龍馬と勝海舟のやり取りを再現しよう。

勝「お前は俺を殺しにきたのか。まあ話を聞け。」
 と地球儀を片手に、
勝「ここがエゲレスでこれがオソロシアだ。」
坂本「(驚いて)では本町筋はどこですか」
勝「何のことだ?」
坂本「わしが生まれた土佐の町です」
勝「そんなものは知らんが、日本がここで、土佐はここだ」と地球儀を指す。
坂本「わしの知ってた世界は狭かったです。弟子にしてください。」と。

 どうでも良い事実特定に血道をあげる方々は無視して話を進めよう。
 彼らはたぶん、永遠に今からの話を理解できないし、しようともしないであろうから。
 大事なのは勝が、「英国があって、ロシアがある、そして日本がここにある」と地球儀片手に説き聞かせている点である。
 既にこの時点はそうであるし、日露戦争勝利後、早くて一九〇七年、遅く解釈すれば一九一九年まで日本はその地政学的客観的状況から抜け出せないのである。それが当時の世界史の流れであり、その枠内で日本は奮闘しなければならなかったのである。

 ついでに勝の台詞を地政学の用語で補足しよう。
「海洋覇権国家の大英帝国があり、陸の挑戦者のロシア帝国がいる。日本は両者の悪意にさらされている。」
 大事なのは、坂本の質問能力の高さである。
「なぜあんな小さな島国のエゲレスの方が強いのですか。」と。
 勝が、圧倒的な海軍力の高さや世界中の植民地の話をすると、
 坂本は「そうか、これからは海の時代だ」と、自分の使命は海援隊や亀山社中にある、と悟っていくのである。
 御国のために何かをしたいという人は、正しい知識を少し得ただけで、行動力を発揮するという話である。

 さて、本題。
 米国のペリーとロシアのプチャーチンが日本に開国を迫ってきたとされる一八五三年とは何の年か?クリミア戦争の真っ最中である。

 以下、誰もが否定できるはずがない事実だけ並べよう。
 一八五三年〜五六年まで、ロシアは欧州で孤立し、英仏などを相手にクリミア戦争で苦戦していた。
 プチャーチンはその最中、英仏の艦隊に追いかけられながら、日本に開国要求をしてきた。
 だから非常に礼儀正しく、正式の窓口である長崎に回ったりしている。
 つまりロシアは大国ながらも、覇権国であり圧倒的な海軍力を誇る英国やもう一つの大国であるフランスまでも敵に回し、苦境に陥っていた。
 米国はこのとき、まったくの小国であり、蒸気船こそ有していたが、海洋国家にすらなりきれていない段階であった。
 そもそもコモドア・マシュー・ペリーのコモドアとは准将を表す肩書であり、米国にはまともな常備海軍すら存在しない。そのコモドアの階級すら、ペリーを艦隊司令長官に任命するための臨時の昇進であり、大佐(艦長)はいても、とてもまともな海戦や陸戦隊揚陸ができるような軍備など存在しなかった。
 しかもペリーが最初に江戸湾に差し掛かったときは、日本が砲術演習中であり、一方的に武力で威嚇するような「砲艦外交」など成立する余地などなかった。

 さて、読者諸兄が江戸幕府の当事者、例えば阿部正弘ならばロシアと米国、どちらと先に話をしますか。

ロシア=世界第二の大国であり、脅威の隣国。だが、当面は苦境にあるらしい。今は礼儀正し い。本気になれば、英国以外の海軍にはそうそう負けない。日本を占領できる能力があるとすれば、最も可能性が高い。

米国=態度は大きいが、欧州の五大国のどれにも勝てるはずがない小国。ほとんど地球の裏側に近い遠方すぎて軍事的脅威になりえない。一応最新兵器の黒船を有しているがそれだけ。日本よりは国力はありそうだが、本気になって出血を覚悟すれば占領は防げる。

 この状況で、ロシアと最初に話を纏めれば、大英帝国が敵に回る。
 英露が喧嘩している内に、日本よりは強いかもしれないがまだ大国ではない米国と手を結ぶのが賢明であろう。
 実際に、後の米国総領事ハリスが大国面して居丈高になったとき、堀田正睦は「では英国と話しましょうか」と相手にしてない。堀田はしょせん米国が欧州列強の誰にも勝てない小国であると知っているので、全然引いていないのである。
 日本史の教科書だと、大国アメリカの居丈高な要求の前に脅されて不平等条約を結ばされたような書き方をしているが、英露両大国のどちらかに肩入れするともう一方を明確に敵に回すので、どうせ受け容れざるを得ない条約ならば、最初に米国を使おう、というのが阿部正弘から井伊直弼が暗殺されるまでの一貫した江戸幕府の方針である。幕末の日本人は、戦後日本の教科書が描くほどヤワではないのである。

 なぜそうなるかを確認。
 オスマン帝国・ペルシャ帝国・ムガール帝国・そして大清帝国で繰り広げられた英露覇権抗争の最終舞台が日本だった。自分が大国として自立するまでは、その均衡の中で、侵略をする口実を与えないようにしつつ、自らの力を蓄えるしかないのが当時の日本人の共通認識であった。むしろアメリカが、欧州列強よりも小国だったからこそ、江戸幕府にとって利用価値があったのである。
 最近、幕末に関して意味不明な陰謀論が流行しているが、日本が周辺諸国の悪意に取り囲まれていたのは当然であって、その中で当時の日本人がある種の「陰謀」とも言える、知恵をいかにはりめぐらせたかを学んでも良いのでは?

 昭和時代の研究者は、感動的な程に次から次へと珍説奇説を繰り出してくれる。しかし、スターリンやヒトラーの名前を知らないで院生をやっている人間は一人もいない。
 明治時代の研究者だって、ビスマルクやディズレーリの名前くらいは知っている。彼らがどれほど日本に影響を与えたかは大半の研究者は理解していないが。
 幕末研究者でクリミア戦争に至る三十年間の欧州外交界を牽引し、英露それぞれの国で外相や首相を務めた人物を即答できる人が何人いるであろうか。

 パーマストンとネッセルローデ抜きに幕末維新を語ってきた。
 これが日本人の間違った近代史認識の根源であり、言われなき劣等感の正体である。

 どうせなら、ペリー像が陰に隠れるほど巨大なパーマストン像を作って

「日本開国の真の恩人」とか嫌味たらしく書いてみたらどうか。反米ナショナリズムを唱える人でそういうことをやろうとした人を寡聞にして知らないのだが。

 

現代。

米国という国があって、中国という国がある。

そして日本国がここにある。

これを聞いて自分にできることは何かを考えたあなた!

あなたはたった今から坂本龍馬です!


2010年1月3日(日曜日)

日英、二人の若き宰相

カテゴリー: - kurayama @ 00時42分58秒

 ウィリアム・ピット(1759〜1806)。ヨーロッパを支配するナポレオンを打倒した、大英帝国の宰相である。さしずめ、「死せるピット、行けるナポレオンを走らす」であろうか。偉大な父、ウィリアム・ピット(大ピット)と比較されて、小ピットと称される。14歳でケンブリッジ大学入学、16歳で卒業。それ以外は引きこもりで学校に通わず。21歳で衆議院議員に当選、24歳で総理大臣に就任。以後47歳で死去するまでのほとんどを宰相として過ごす。

 北条時宗(1251〜1284)。ヨーロッパ以外のユーラシアを支配するモンゴル帝国の侵略を打破した、日本国の執権である。14歳で連署(副総理)、18歳で執権(総理)に就任。34歳で死去するまでその地位にある。その死後もモンゴルは日本への侵略の機会をうかがったが、時宗の息子貞時は警戒を緩めなかった。

 さて、留学生たるもの、まずは自国の歴史や文化について知らねばならない、とよく言われる。そこでよく出されるのが、英国で日本人留学生に対し「モンゴルが二回も日本に攻め込んだそうだが、初めと二回目はどう違うのだ」と聞かれて答えられずに恥をかいたという例。

 最近の自虐的な歴史学者の言に従うと、「文永の役は威力偵察、弘安の役はモンゴルが本気で攻めてきたが、たまたま神風と呼ばれる暴風雨が吹いたので助かった」とか言いかねないので恐い。

 正解。「文永の役は水際撃滅。弘安の役は艦隊決戦。」

 これくらい言えないと、国際社会では通用しない、という話です。「文永の役」「弘安の役」「威力偵察」「神風」「水際撃滅」「艦隊決戦」の用語と訳語は、留学前に調べましょう。特に後ろ四つはすべて英国の歴史用語・軍事用語です。特に「神風」って、無敵艦隊(アルマダ)撃滅に関してスペイン人がオランダ人が使っている言葉です。というか、「元寇」を訳しなさいと言われて、すぐに訳せた日本人にまずお目にかかれたことがない。。。

 ついでにその昔、鎌倉の円覚寺のお墓の前で英国人に「北条時宗ってどういう人ですか」と聞かれて答えて曰く。

「日本のウィリアム・ピット。ピットはヨーロッパを支配するナポレオンを打倒した、偉大な英国の総理大臣。24歳で総理に就任されたとか。尊敬している。北条時宗はヨーロッパを除くユーラシアを支配するフビライの帝国を撃退した、日本の総理大臣。18歳で総理に就任した。ピットより14歳若く死んで、ここに眠っている。日本では最大の英雄の一人として扱われている。」と。

 以上、翻訳調でわかりにくい日本語を載せました。さりげなく微妙な嘘を混ぜているの、わかりますか。外国人相手ですから、一応は相手をたてないと。笑

 それはさておき、なぜ昔の日本の若者はかくも偉大だったのか。少し考えてみたいと思う。


2010年1月2日(土曜日)

「勝負手」という概念

カテゴリー: - kurayama @ 02時14分00秒

 小利口なだけの受験秀才君には解けない問題を一つ。

 問い。不利なときにとるべき手段として明らかに不適当なものを選べ。

一、とにかく永遠に最善手だけを続ける。
二、時が来るまでじっとしている。
三、相手の隙に乗じて一か八かの奇策で打って出る。

 

 

 明らかな正解は一です。既にこちらが不利な状況で最善手しかできないと、それはジリ貧になってしまうだけなのです。常識的な判断として勝てない勝負になっているのに、常識論しかできないと、遅かれ早かれ負けてしまう訳です。

 歴史上でも、昭和十五年(一九四〇年)のアメリカが対日戦をやる気満々な状況で、「対米英融和」などとできもしない、一見常識的な最善手だけを言い続けた無能な外務官僚たち。何の役にも立ちませんでしたね。かといって、「日独伊三国同盟」などは単なる悪手で逆効果でしたが。

 ちなみに、問いの正解は「二のち三」です。
 これは将棋など勝負事をやっている方はわかりやすいでしょう。不利なときに無理に動いたら、相手に正しい対処をされると余計に苦しくなるだけ。だから、とにかく局面を複雑化して相手を迷わせ、敵を分散させ、我を集中し、相手が隙を見せた瞬間に勝負ができるように持ちこたえる。好機が来たら一気に動く。
 歴代名人の御著書にはそろってそう書いてあります。

 現実社会でもそんなものではないでしょうか。
 有利な時は、最善手だけ指して、次に何をすれば良いか、局面をわかりやすくすれば良いわけです。
 ということは、不利からの逆転にはその逆が必要なわけです。

 ここで日本を乗っ取りたい人の立場になってものを考えて見ましょう。
一、鳩山動揺。ほっておけば支持率が下がる。傘下の議員の選挙準備は怠りなく。
二、政変の前に必ず予算は通しておく。
三、とりあえず誰でも良いから支持率の高くなりそうな首相を据える。
  小沢幹事長の下で自治労&日教組以下の組織が動ける状態にしておく。
四、支持率が高いうちに衆参同日選挙。
  衆議院が多少議席を減らそうが、参議院でも単独過半数。
 以上が、一番わかりやすい訳です。ついでに言うと、鳩山首相の支持率が回復すればなお良し。さらに、今年の参議院選挙が単なる正解の陣取り合戦だと多数の国民が認識してくれればなお良し。

 ということで、危機を一人でも多くの日本人が認識しなければならないとお分かりいただけたでしょうか。それ無しに勝負手を打つ機会がない訳です。

 まずは身の回りの人すべてにこの砦の話を伝えてください。
 倉山満という命知らずな愛国者がいると御伝えください。


2010年1月1日(金曜日)

神風を吹かせてみせましょう

カテゴリー: - kurayama @ 20時11分56秒

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 私は本日から仕事始めです。

 ところで、今年は天下大乱の年。ここで戦わねばいつ戦う、という決戦の年です。日本が地球上で生存できるかどうか、という瀬戸際の年です。このまま何もしなければ日本は滅びるでしょう。二度と日本人が自由と豊かさを享受できる日はこないでしょう。誰かの奴隷として生きていくならばいざ知らず。

 しかし、世の中は動いています。数少ないながらも、日本を救おうと行動している人たちがいます。日本を思う人全員に知ろうとして欲しい。今、世の中で何が起きているのかを。そして考えて欲しい。何ができるのかを。

 この砦が日本の未来を示す灯になれば、と頑張ります。一人でも多くの人がこの砦で何かを感じ、考え、そして伝えてくだされば、幸いにございます。

 かつて、ユーラシア大陸を支配する大帝国と対峙した、十八歳の宰相がいました。北条時宗です。

 なぜ鎌倉時代の日本人は、史上最大の帝国の侵略を二度も撃退できたのでしょうか。それは挙国一致、皆が心を一つにし、優れた指導者の下に結束したからです。「勝てるわけがない」「いっそ降参した方が」などという勢力は元寇の直前に粛清されていた訳です。そしてあらゆる合理的な努力を払ったから神風が吹いた時にそれまでの努力が生かされた訳です。

 努力がなければ、神風はありえないのです。合理的精神がなければ神風は生きないのです。

 多くの人々が静かに立ち上がっています。誰かが何とかしてくれる、と皆が思っていたらどうにもならないのです。まずは、知る・考える・伝える、は誰でもできることでしょう。できることは全部やりましょう。

 私も、たとえ寿命が縮まったとしても、神風を吹かせてみせましょう。


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