橋下徹大阪市長が、戦時中の旧日本軍の慰安婦について「必要なのは誰だってわかる」と語った。橋下氏はさらに、沖縄県の米軍普天間飛行場の司令官と会談した際に、合法的な範囲内で[記事全文]
自民党の高市早苗政調会長が、戦後50年の「村山談話」に疑問を示した。「侵略という文言を入れている村山談話は、私自身はあまりしっくりきていない。自存自衛のために決然と立っ[記事全文]
橋下徹大阪市長が、戦時中の旧日本軍の慰安婦について「必要なのは誰だってわかる」と語った。
橋下氏はさらに、沖縄県の米軍普天間飛行場の司令官と会談した際に、合法的な範囲内で風俗業を活用してほしいと進言したとみずから明かした。
発言に批判が広がると、今度は「貧困から風俗業で働かざるを得ないという女性はほぼ皆無。皆自由意思だ。だから積極活用すればいい」などとネット上で繰り返した。
こんな強弁が、通用するはずはない。
橋下氏の理屈はこうだ。
命がけで戦う兵士を休息させ、軍の規律を維持するには慰安婦は必要で、世界各国の軍にも慰安婦制度があった。それなのに日本だけが非難され、不当に侮辱されている。それは国をあげて強制的に女性を拉致したと誤解されているからだ――。
だが、いま日本が慰安婦問題で批判されているのは、そこが原因なのではない。
慰安所の設置や管理に軍の関与を認め、「おわびと反省」を表明した河野談話を何とか見直したいという国会議員の言動がいつまでも続くからだ。
戦場での「性」には、きれいごとで割り切れない部分があるのも確かだ。だからこそ当時の状況は詳しくわからないし、文書の証拠も残されていない。
それでも、多くの女性が自由を奪われ、尊厳を踏みにじられたことは、元慰安婦たちの数々の証言から否定しようがない。
橋下氏は「意に反して慰安婦になった方には配慮しなければいけない」とも語っている。
ただ、橋下氏の一連の発言は、元慰安婦たちの傷口に塩を塗るばかりでなく、いまを生きる女性たち、さらには米兵をも侮辱するものだ。
「風俗業を活用したら」と言われた米国から、「我々のポリシーや価値観からかけ離れている」(米国防総省の報道担当者)といった強い反応が出てくるのは当たり前だ。
橋下氏とともに日本維新の会の共同代表を務める石原慎太郎氏は「軍と売春はつきもので、歴史の原理みたいなもの」と橋下氏をかばった。
維新の会幹事長の松井一郎大阪府知事も「そういう問題を建前でなく、本音で解決するために言ったと理解している」と話した。
この党には、橋下氏をいさめる政治家はいないのか。百歩譲って本音で解決するためというのなら、何をどう解決するのか示してほしい。
自民党の高市早苗政調会長が、戦後50年の「村山談話」に疑問を示した。
「侵略という文言を入れている村山談話は、私自身はあまりしっくりきていない。自存自衛のために決然と立って戦うというのが当時の解釈だった」というものだ。
安倍首相も先に「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と述べている。高市氏の言葉はこの延長線上にあるようだ。
首相と政権党の政策責任者の発言だ。中国や韓国をはじめとする国々が、敏感になるのは当然だろう。
だがそれ以前に、政治家からのこうした発言があとを絶たないのは、日本国民に対する背信にほかならない。
談話を読み返してみよう。
「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」
村山談話は、このことを「疑うべくもない歴史の事実」として明確に認め、謝罪した。
日本にとってこの談話は、かつての過ちに区切りをつけ、周辺諸国と未来志向の関係を築いていくための礎として大きな意味があった。
その後の歴代政権は、この談話を引き継ぎ、踏襲するといってきた。菅官房長官も、安倍内閣として「談話全体を引き継ぐ」と言っている。
ところがこの18年間、一部の政治家はその精神をないがしろにする行動をとってきた。
A級戦犯が合祀(ごうし)される靖国神社に集団で参拝する。侵略を否定するかの発言をする。
こんなことが繰り返されれば、あとでどんなに釈明しても日本の政治家の本音はこちらにあると各国から受け止められても仕方がない。
それは、多くの日本人の思いや利益に反する。
高市氏は、95年の戦後50年の国会決議をめぐる議論の中で「私は(戦争の)当事者とはいえない世代だから、反省なんかしていない」と語り、波紋を呼んだこともある。
もし高市氏が政治家としての信念で、反省の必要はない、「侵略」という言葉がしっくりこないというなら、近隣諸国や米国を訪れ、その考えを主張してはどうか。
その覚悟もないまま語っているのだとしたら、政治家として無責任もはなはだしい。
どうですか、高市さん。