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幕末の金流出は何故ハイパーインフレを起こしたか?

安政五年(一八五八)に締結された日米修好通商条約の結果として、経済面で二つの現象が起きた。第一に日本から海外への大量の金流出、第二にハイパーインフレーションである。常識的に考えれば、国外への金流出は国内の貨幣流通量の減少をもたらすため、貨幣価値の下落(インフレ)ではなく上昇(デフレ)になるはずだ。ところがその逆の現象が起きた。何故なのか?

1) 江戸の三貨制度と貨幣改鋳

江戸時代の通貨制度は金貨、銀貨、銅貨(銭貨)の三つの貨幣からなる「三貨制度」が採られていた。「江戸の金遣い」「上方の銀遣い」の言葉通り、金貨は江戸を中心とした東日本で、銀貨は大阪を中心とした西日本で使用され、銅貨は江戸時代初期まで流通していた中国銭に代わり補助貨幣として普及した。

三貨制度下では銀は秤量貨幣として貨幣に含まれる銀の重さをもとに各貨幣間の交換比率が定められていた。慶長十四年(1609)、金一両=銀五十匁=銭四貫文と定められたが、元禄十三年(1700)、金一両=銀六十匁=銭四貫文と改定されている。江戸を中心とした東日本の「金遣い経済圏」、大坂を中心とした西日本の「銀遣い経済圏」、さらに九州にも銭経済圏があったと考えられ、実際はその経済圏間の取引で貨幣相場は変動していた。また藩札の発行や為替取引も行われていた。

市場経済の進展と経済成長は貨幣需要を大きく高める。金銀産出量は貨幣需要に追い付かず、貨幣流通量増加の必要性は高まる一方であった。また、幕藩体制を支える石高制は再調査が困難なため生産性の向上が石高に反映されない欠点があり、年貢増収が図りにくい反面、経済規模の拡大は財政支出の拡大とリンクするから藩も幕府も財政難に陥りやすかった。さらに十七世紀を通しての都市・インフラ整備と大火など災害復興のため、一貫してばらまき政策を続けた結果、幕府財政は慢性的赤字傾向を強めていた。

これらを解決するために元禄八年(1695)以降繰り返し貨幣改鋳が実施される。貨幣の質を落とすことで貨幣流通量を増大させ、改鋳を通して「出目」と呼ばれる多額の貨幣発行益(シニョレッジ)を得ることで財政赤字の穴埋めが行われた。しかし、度重なる改鋳によって特に銀貨の価値が大きく低下、秤量貨幣としての役割を果たすことが難しくなり、明和二年(1765)、計数貨幣としての明和五匁銀が、明和九年(1772)には田沼意次によって南鐐二朱銀が発行、二朱判金貨と同等として扱われ銀貨八枚で金一両と交換されるもので銀貨の名目貨幣化が進んだ。

特に十八世紀後半以降、慢性的財政赤字の埋め合わせのための差益目当てで貨幣改鋳が繰り返され、銀貨を名目貨幣化した結果、1850年代の貨幣交換比率は金一両=一分金四枚=一分銀四枚だが、小判一枚には一分銀の十二倍超の素材価値があった。もし、一分銀を自身で製造して小判に交換、鋳潰することが出来れば、三倍の価値を持つ金と銀が手に入ることになる。勿論、幕府の権威が信用として機能している限りにおいて、それを行うのは不可能であった・・・そして、黒船が来航する。

2)日米修好通商条約

嘉永七年(1854)、日米和親条約が締結されると同条約の条項の一つ下田・函館二港開港と同地での貨幣による物資購入の許可を批准するため、日米間の貨幣交換比率を設定する必要性が生じた。この比率を取り決めた条約が安政五年(1858)の日米修好通商条約である。

日米間の貨幣交換比率を巡って両者で激しい駆け引きが展開された。日本側は米側貨幣を分析して双替市場の公定価格に基づき公定銀目では双方同程度のものであるとして米ドル銀貨一枚を一分銀一枚とすることを主張。これに対して米側は双方の銀貨を量目で判断し一分銀は米ドル銀貨の三分の一程度の量目でしかないとして米ドル銀貨一枚に対し一分銀三枚で譲らない。日本側の意見の方に理があったが、米側代表はタフネゴシエイターとして名高いタウンゼント・ハリスで、彼の硬軟おりまぜた駆け引きに結局押し切られてしまう。

貨幣交換比率とともに交渉の課題となったのが第一に改鋳費、第二に貨幣の交換・両替の問題であった。改鋳費について日本側は25%徴収を、対する米側は5%負担を主張しその開きは20%に及ぶ。また、貨幣の交換・両替について日本側は貨幣交換ではなく銀札をもってすること、両替・交換を防ぐ趣旨での外国貨幣での日本製品、日本貨幣での外国商品の直接購入許可と外国貨幣での関税支払方針を主張、対する米側は同種同量原則に基づいて貨幣の両替・交換の自由化と通商分野への拡大を主張し一歩も譲らない。

ところが、安政五年一月(1858)、幕府側は唐突にすべての主張を取り下げて改鋳費の権利放棄、日本貨幣輸出禁止規定の撤廃、一年という限定条件付きでの貨幣の交換・両替自由化など大幅な譲歩を行い、ハリスを驚かせている。この譲歩には国内問題があった。当時攘夷派の勢力伸長著しく、条約締結を優先するためには攘夷派が主張していた京都開市・外国人の内地旅行自由化の拒絶がどうしても必要で、その交換条件として経済的利益の放棄を行ったものだった。ハリスの手記には下田奉行井上清直が内々に彼の元を訪れ、交換条件として提示された旨記録されている。

かくして、不平等条約の最たるものとして後々まで改正が最優先課題としてのしかかる日米修好通商条約が安政五年六月十九日(1858年7月29日)締結されることとなった。その中の貨幣条項である第五条は以下の四点からなっている。

(1)彼我貨幣の同種同量の通用と外国貨幣の国内無制限流通
(2)支払における彼我貨幣の自由使用
(3)改鋳費なしの即時的同種同量交換(ただし開港後一年間――太陽暦での――のみ)
(4)金銀(鋳貨・地金)の自由輸出(三上P148)

続いて年内にオランダ・ロシア・イギリス・フランスとも同内容が締結される。外交交渉の敗北をなんらか挽回しなければ、金流出が起こり国内経済は痛撃を負うこと必至であった。

3)幕府起死回生の金融政策案

実は幕府は無策で譲歩を行ったわけではない。それどころか、譲歩の結果何が起こるかを的確に予測しており、並み居る列強の裏をかいて外交交渉の失敗を帳消しにし得る起死回生の策を密かに準備していた。文字通り幕府の命運を賭けた金融政策である。

強引な対策としては金輸出禁止だが、もし行えば列強は力づくで押し寄せてくるだろう。それを通しうるだけの力は幕府には無い。ただし同様に国際価格に対し割安で流出が懸念されていた銅銭輸出は禁止している。抜群にスマートな政策を立案したのは勘定奉行水野忠徳である。彼は小栗忠順、岩瀬忠震とともに幕末三俊の一人に数えられる当時の幕府屈指の経済官僚であった。その策とは以下のようなものだ。

条約で取り決められた開港日である安政六年六月二日(1859年7月1日)直前の五月二十四日と二十九日、幕府は突然の貨幣改鋳と新鋳を発表する。旧来の天目小判と天保一分金を質を大幅に落とした安政小判と安政一分金へ改鋳、さらに安政二朱銀の新鋳であった。

『量目三・六匁の安政二朱銀は二〇八グレインにあたる。したがってそれの二枚の量目は四一六グレインとなる。それは洋銀一枚の実際の平均量四一六グレインと完全に一致することになる。同種同量の原則で彼我銀貨の交換がされる時、洋銀一枚と安政二朱銀二枚がとりかえられることになる。ところが幕府は安政二朱銀を新鋳するにあたっては、洋銀の評価のおりに分析・認知しえたとする洋銀の平均品位一〇〇〇分の八六五よりも意識的・政策的にその品位をさげ、公式的には一〇〇〇分の八五〇、実際には八四七・六とした。ために洋銀一枚と安政二朱銀二枚との量目が一致しても、純銀量で洋銀――メキシコ・ドルの平均品位を一〇分の九として――の三七四・四グレインに対し二朱銀は三五二・六グレインとなるところから、外国人にとっては購買手段として使用する以外には日本銀貨との交換に魅力はなく、したがってもしも鋳貨条件が天保一分銀の品位のままであれば、良質のゆえに当然に予想される日本銀貨の海外流出を防ぎうるわけである。』(三上P170)

貨幣の改鋳や新鋳は完全に主権国政府たる幕府の専権事項であるから、諸外国からとやかく言われる筋合いは全くない。しかもこの新鋳した貨幣制度によって金の海外流出を防ぎ得るどころか、彼我の価値を比較するならば金流入すらありえる。交換・両替が自由ならばなおさらだ。さらに、放棄したはずの改鋳費すら穴埋めすることが可能となる構成となっており、外交交渉の失敗を政策レベルで完全にひっくり返す乾坤一擲の金融政策であった。

英国公使オールコックもこの幕府の電撃的な発表に『これに反対する権利をイギリス政府が要求することができるような理由はないように思える。大君は、かれの領内に流通している貨幣の名称と重量を好きなように定めることができるものと考えなければならない』(P185-186)と理解を示している。しかしながら、オールコックは見識高いジェントルマンである以上に世界を制する大英帝国の帝国主義時代を生きる外交官である。国益のために自身の私人としての意見に反する「これに反対する権利をイギリス政府が要求することができるような理由」を無理やり捻り出して押し通すのが仕事だ。

オールコックは即座に『条約が調印された時に使われ、行われていた貨幣および比率で、すなわち一ドルに対し三枚の比率で、銀の量目および品位の相等しい一分銀』(三上P187)を要求、つまり制限目的での新鋳は無効で外交関係では条約締結時の貨幣を有効とするべきであると幕府に申し入れた。勿論『本国より、軍艦数艘呼寄』(P188)との圧力は忘れない。

これに対して日本側も激しく反論を展開、条約は同種同量の貨幣交換を規定しているだけで、新しい貨幣鋳造の禁止は規定されていないし、それを通知する必要もないと強く訴え、日本の貨幣は都度都度改鋳されてきたもので、今回の新鋳も銀の上質化を企図したものだと抗弁している。新二朱銀は「公平至正」の貨幣であり、『「我新貨幣、果たして正理に違う事ありや、公平の評論を待つべし」』(三上P189)と。オールコックも内心では日本側主張に全面的に同意しつつ、それを跳ね除け大英帝国の強大な武力を背景として力でねじ伏せてくる。列強も同調し、勝敗は決した。

安政二朱銀は安政六年六月二十三日までに廃止され、そして金流出が始まった。

4)何故金流出がハイパーインフレーションを起こしたか?

海外流出した金の量は最低一万両から最大二千万両まで諸説幅があるが、現在では概ね十万両前後であったと推定されている。また、この流出は開港から翌年安政七年(1870)二月までの半年間の間におきた短期的な現象であった。上記の通り、金流出は貨幣の内外価格差によるところが大きい。正確には交換比率は100:311となる。

『一〇〇ドルの洋銀を三一一枚枚の一分銀に交換し、それをさらに七七・七五両の天保小判との交換に成功した外国商人は、約一三二・四匁の金を日本で入手することになる。この入手した金をアメリカ一ドル金貨の含有金量二三・二二グレイン=〇・四匁で計算するとその金は約三三一ドルにあたる。すなわち一〇〇ドルの投入によって三三一ドル、二三一%の利潤をあげうることになる。』(三上P157)

かくして、世界中から商人が殺到した。それどころか来航した軍人たちもこぞってこの投機に有り金を投じ、退職して会社を設立するものや、職務そっちのけで銀と金の交換に夢中になるものが続出したという。さらに英米列強の商人だけでなく無国籍の投機資本も次々と参入するに至り、ハリスもオールコックも流石にこの日本の金流出という異常事態は自国の国益を阻害すると判断、手のひらを正確に180度返して通用価値の割り増し(直増通用)を日本側に申し入れる。ハリス曰く『金貨幣は其真価の三分一にて通用せり。此事は日本の為に甚害あることにして』(三上P196)一刻も早く国際価格に合わせましょうと。

各国と幕府の折衝によって、安政七年二月一日をもって天保小判一枚を三両一分二朱、天保一分判金を三分二朱、安政小判一枚を二両二分三朱、安政一分判金を二分三朱にそれぞれ置き換えて適用することとされ、実勢基準に準じた価値設定となり、金流出は終息した。同時に逼迫する赤字財政を補てんするため幕府は万延二分金を発行、幕府歳入の約半分を占める改鋳益を得た。

しかし、これで多大な迷惑を蒙ることになるのが、日本国内の人々と幕府である。要するに金貨の四分の一の価値であった銀貨が一夜にして十二分の一以下の価値に落ち込んだからだ。さらに万延二分金の発行による貨幣流通量の増大も貨幣価値の下落を促進する。貨幣価値の下落はすなわち物価上昇をもたらす。それまでも各種要因からインフレ基調であった国内の物価は一気にハイパーインフレーションへと突き進んでいく。

大坂米価は安政五年(1858)から慶応二年(1866)までの間で約十一倍に跳ね上がり(鬼頭P237)、実質賃金は京都の建築労働者の場合、1801〜1804を100とすると、1850〜59が65.7、ハイパーインフレ後の1861〜1868はわずか47.9でしかない。(鬼頭P249)

ハイパーインフレは賃金労働者を雇用する大規模経営者に恩恵をもたらし、経済成長をもたらしたが、一方で賃金労働を行う都市下層民や下層農民の生活を著しく困窮させ、経済格差は拡大、社会を一気に不安定化させる。やがて、困窮する生活の不満を爆発させた人々によって一揆や打ちこわしが頻発、社会の混迷は加速度的に増していった。

日に日に上がっていく物価と反比例するように、幕府の権威と信用はガラガラと音を立てて崩れ落ちていった。

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現在まで使われる通貨「円」の誕生過程を江戸時代の三貨制度から幕末の金流出などまで遡って解説した一冊。原本は1989年だが、学術文庫入りは2011年。特に日米修好通商条約を巡る駆け引きや当時の貨幣状況が詳しく書かれており、この記事の多くは同書の記述によっている。とてもためになるが、ちょっと専門的な面が強いので、先に次の二冊で全体像を把握してからの方が読みやすいかも。

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貨幣とは何かの基本に帰って丁寧に解き明かしていく入門書。冒頭でこの幕末の金流出がハイパーインフレを巻き起こしたプロセスについてまとめられている。特に、何故金流出がハイパーインフレを起こしたのか?という問いの重要性から、貨幣の持つ特徴へと論を展開してあり、面白い。

文明としての江戸システム 日本の歴史19 (講談社学術文庫)
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何度か紹介した歴史人口学の立場から江戸の経済・社会システムを広範囲に渡って解説した、江戸社会史を知りたい人にはほぼ必読の一冊だと思う。江戸時代の三貨制度、幕末の金流出、ハイパーインフレについても第五章、第六章で全体的な江戸経済・産業システムの中に位置づけて語られている。

日本経済史 (放送大学教材)
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江戸経済史について詳しかったので参考にした。他、直接ではないが間接的に基礎知識を抑えるために参考にした本も数冊ある。

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