江戸時代中期の日本概観
支那事変関係が続きましたが、支那事変については今後、当時の新聞社等の特派員報告を掲載するつもりです。
今日からはちょっと一息のつもりで、
今回からご紹介するのは、スウェーデン人ツュンベリー著の「江戸参府随行記」です。
ツュンベリーは植物学者そして医学博士で、東インド会社所属のオランダ船に員外外科医として乗船し、1775年(安政四年)8月13日、オランダ船の主任医官として長崎に来航しました。この年は、杉田玄白らの訳で有名な『解体新書』が出版された翌年にあたります。
先ずは「序」から、日本到着までを見てみましょう。
引用開始
日本帝国は、多くの点で独特の国であり、風習および制度においては、ヨーロッパや世界のほとんどの国とまったく異なっている。そのため常に驚異の目でみられ、時に賞讃され、また時には非難されてきた。
地球上の三大部分に居住する民族のなかで、日本人は第一級の民族に値し、ヨーロッパ人に比肩するものである。しかし、多くの点でヨーロッパ人に遅れをとっていると言わざるを得ない。だが他方では、非常に公正にみてヨーロッパ人のうえをいっているということができよう。
他の国と同様この国においても、役に立つ制度と害をおよぼす制度、または理にかなった法令と不適正な法令の両者が共存していると言える。しかしなお、その国民性の随所にみられる堅実さ、法の執行や職務の遂行にみられる不変性、有益さを追求しかつ促進しようという国民のたゆまざる熱意、そして百を越すその他の事柄に関し、我々は驚嘆せざるを得ない。
このように、あまねくかつ深く祖国を、お上を、そして互いを愛しているこんなにも多数の国民がいるということ、自国民は誰一人外国へ出ることができず、外国人は誰一人許可なしには入国できず、あたかも密閉されたような国であること、法律は何千年も改正されたことがなく、また法の執行は力に訴えることなく、かつその人物の身上に関係なく行われるということ、政府は独裁的でもなく、また情実に傾かないこと、君主も臣民も等しく独特の民族衣装をまとっていること、他国の様式がとりいれられることはなく、国内に新しいものが創り出されることもないこと、何世紀ものあいだ外国から戦争がしかけられたことはなく、かつ国内の不穏は永久に防がれていること、種々の宗教宗派が平和的に共存していること、飢餓と飢饉はほとんど知られておらず、あってもごく稀であること、等々、これらすべては信じがたいほどであり、多くの人々にとっては理解にさえ苦しむほどであるが、これはまさしく事実であり、最大の注目をひくに値する。
私は日本国民について、あるがままに記述するようつとめ、おおげさにその長所をほめたり、ことさらにその欠点をあげつらったりはしなかった。その日その日に、私の見聞したことを書き留めた。
日本到着
(1775年)8月13日早朝、高く切り立った山がある女島ガ見えた。午後には日本の陸地が見え、九時に長崎港の入口に投錨した。・・・・・
幕府は、周辺の山々にいくつかの遠見番を設け、そこに望遠鏡を備え、遠くに船を発見するや、直ちに長崎奉行にその到着を知らせるようにしていた。これら遠見番から、今、たくさんの狼煙があげられた。
この日、船員らは所有している祈祷書や聖書を集め、一つの箱に入れ、その箱を釘付けにした。次いで箱は日本人に渡され、帰航まで保管される。帰航時には各人、自分の本を返してもらう。このようにするのは、キリスト教新教やカトリック教の本を国内へ持ち込まないようにするためである。
甲板にカーテンなしの天蓋つき寝台席が設けられた。船にやってくる日本の上級役人が坐るためである。
乗組員およそ110人と奴隷総勢34人からなる全員の名簿ができあがった。名簿には各人の年齢も書き込まれており、日本人に提出される。しかし出身地は書かれない。本来何人かはスウェーデン、デンマーク、ドイツ、ポルトガルそしてスペインの出身であるが、全員がオランダ人と見なされているからである。入港するとすぐに、全乗組員はこの名簿に従って日本人の点呼を受ける。・・・・・
その時、陸から小舟が一艘こちらへ近付いてくるのが見えた。すると船長は、銀モールの縁どりがある絹の青い上着をはおった。それは非常にゆったりとして幅広く、腹部あたりに大きなクッションが付いていた。
商館長と船長だけが検閲を免れていたので、この上着は長いあいだ、密輸品をこっそり持ち込むために常用されていた。船長は上着を一杯にふくらませて、船から商館へ日に三往復するのが常であった。そしてあまりに重い物を持って頻繁に上陸するので、船員二人が両腕を支えねばならないほどであった。このやり方で船長は、自分の品物と一緒に士官らの品物も――現金報酬とひきかえに――持ち込んだり持ち出したりして、年間相当の収益をあげており、その額は数千レイクスダールにも達していたといえよう。・・・・・
長い入り組んだ港内を航行している間、我々は周囲の丘陵や山々が織りなす世界一美しい眺望に接した。そこは頂上にいたるまで耕作されているのが見られた。このような光景は他の国ではほとんど見られない。・・・
新しい通達を受取った今、我々は決して愉快な気分にはなれなかった。
幕府から、今後すべての密貿易を禁止するという、次のような大変に厳しい命令が伝えられたからである。
一、船長ならびに商館長は今後、他の全乗組員と同様に区別なく、従来は行われていなかった検閲を受けるものとする。
二、船長は今後、他の乗組員と同じ衣服を着るものとする。従来着用されてきた不正をはたらくための上着は禁止する。
三、船長は常時、船に留まるかあるいは上陸するかし、もし上陸を希望するときは全滞在期間中,二回以上船に行くことは許されないものとする。・・・・
もっと以前には、船長は先述の幅広い上着をはおるだけでなく、幅太の大きなズボンをはき、そのなかに様々の禁制品を入れて持ち込んだ。しかしこのズボンは怪しまれて、禁じられた。そして今や憤懣やるかたないおもいで、最後のよるべである上着を脱がざるを得ないのである。
何も知らない大勢の日本人ガ、今年の中肉の船長を見て、ただ驚いている様子は少なからず滑稽であった。日本人はこの時まで、いつも見てきたように船長はでっぷりとした肥満体であると思い込んでいたからである。
引用終わり
*リンクいただいていることに先程気がつきました。大変恐縮、且つありがたく存じます。こちらも貴ブログをリンクさせていただきましたのでご報告まで。
>>素晴らしい国を我々の手で取り戻したいですね。
まったく仰る通り希望をしています。
貴ブログのようにそれを訴えている方々が多くいらっしゃるので、お互い地道にでも不断の努力をしていきたいですね。
リンク、お断りも無くしていまして、申し訳ありませんが、いつも拝読するのに便利なため、していました。
拙ブログもリンク頂いたようで、有難うございます。
これからもよろしくお願いします。
>>安部内閣総員羽織袴を着用し襟を正しなさい
本当にそう思いますね。今の日本では国内にいる外国人に対しても何の命令も指示もあまり聞いたことがありません。
それどころか、さわらぬ神に祟り為しのような無責任政官は全員追放したいものです。