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もしもイエスの教えが正しく理解されて
後世に伝わっていたのなら。。
私達が聖書のイエスキリストの言動を読んでその意識が理解できていれば
後の社会の為政者がイエスの教えを採用したことに
疑問を持つ事も出来たのだと思います。
藤原忍さんの宇宙からの訪問者の監修者の言葉の中で
今ではお笑いになりつつある
韮崎潤一郎さんが触れたコメントを紹介します。
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二千年ほど前、一人の男がゴルゴダの丘で貼り付けになって死んだ。
彼は当時の世間からはおかしなことを言う変わり者ぐらいにしか
思われていなかったようだ。
あまりにも常識はずれで、権威に対し傍若無人な言動をしたため
捕らえられてしまったのだ。
しかし聞く耳のある物は彼の言葉が全ての真理を
述べている事を感じ取っていた。
結局、彼の存在は「世の終わり」まで
語り継がれることになる。
そしてその時「人の子」が
再び地上にやってくると言い残し去っていった。
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ここでの韮崎さんの言葉にもあるように
イエスキリストはこの社会の”常識”を考えれば
時代の権威に対して傍若無人の振る舞いをした人間でもあり
そんな人物の教えがなぜに後に国家の為政者などによって
国民に対して広められる事になったのかに疑問を感じるべきなのです。
つまりイエスの教えは当初のような
時代の管理者にとって煙たい教えでは
なくなっていると言う事が想定できます。
つまりはその教えは必ずどこかが捏造されている事になります。
そしてその中での当時の人間にとっても理解しやすい大切な教えは
恐らくは輪廻転生であったのだと私は思います。
今日はそれに触れている数少ない?内容を
ネットから拾ってきましたので
是非参考にして頂ければと思います。
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2012-11-28 06:40:38
テーマ:歴史見学(本当は、どうだったんだろう?)
初期のキリスト教会には輪廻思想があった。
という事は、イエスは、輪廻を肯定していた?
かつてのキリスト教においては輪廻転生が語られていました。
それを語ることを許されなくなったのは、
西暦553年の第5回第二コンスタンチノーブル宗教会議以降のことです。
「死海文書」の他にも「ナグ・ハマディ文書」「トマスによる福音書」
「マグダラのマリアによる福音書」「ユダによる福音書」などが明らかにされ、
そこに輪廻転生に関する記述が載っていることが明かされるようになってきました。
聖書から、輪廻転生関係の記述が削除されたのは、
カトリックの権威を守るためでした。
ねこってのフリーダムワールドより
イエスが属していたとされるエッセネ派では、輪廻転生が信じられていた。
17:12しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。
しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった。
人の子もまた、そのように彼らから苦しみを受けることになろう」。
17:13そのとき、弟子たちは、
イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った。
マタイによる福音書
「洗礼者ヨハネは預言者エリアの生まれ変わり」であると、
イエスが間接的に言っている。
初期のキリスト教の教父であるアレクサンドリアのクレメンス(150年頃~215年頃)や
オリゲネス(185年頃~254年頃)、
アタナシウス(295年頃~373年)なども輪廻転生を信じていた。
-高校生のためのおもしろ歴史教室 より-
イエスの時代の「キリスト教徒」や「ユダヤ教徒」は、
輪廻転生は当たり前の事として信じられていた様ですが、
紀元6世紀のコンスタンチノープル会議でキリスト教会が輪廻転生を否定する決定をして、
それ以降バチカン(新教、旧教共)の教義として輪廻転生が認められなくなった。
-あほうどりのひとりごと より-
8:58-イエスは彼らに言われた、
「よくよくあなたがたに言っておく。
アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである」。
-ヨハネによる福音書-
生まれ変わりの思想は、当時 必ずしも否定されてはいなかった。
3:3-イエスは答えて言われた、
「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」
-ヨハネによる福音書-
イエスは、新たに生まれ直す(輪廻)ということは、
現にこの地上で起こっていることであると言っています。
イエスは霊から生まれたものは霊という表現で、
神の国(天国)へ入る人間の命の真の本質は霊であると説いています。
この世の通常のほとんどの人間が死後行くことになるあの世については、
イエスは死者の国と表現し、明らかに天国(神の国)とは区別しているのです。
従って、イエスは天国(神の国)に入る人は少ないとも言っているのです。
天国は地上に二度と生まれ直す(輪廻)必要のない世界、
通常皆が行く事になる霊界を超えた天上界、
永遠のいのちの世界を意味しているのです。
その世界には速い遅いの違いはあっても、
やがては(浄化向上後)皆が行くことになるのです。
それについてイエスは、先の者が後になり、後の者が先になると表現しています。
-k-styleのイエス・キリスト研究 より-
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初期のキリスト教会には輪廻思想があった。
ヨハネの福音書・第三章。イエスがニコデモという人物と会話している場面。
「人はもう一度生まれ変わらなければ天の王国を見られない」
次にマタイの福音書第5章
「人は完全にならなければ、天の王国に入れない」
完全にならなければ天国に行けないなら、
実際に天国にいける人は釈迦やイエスのようなごくごく稀な人物のみということになります。
この二つの文章を素直に解釈すれば、
「何度も生まれ変わりを重ねて、完全になったときに天の王国に入れる」
と読めますよね?
ちなみにニコデモとは最高法院のメンバーの一人で、
カバラの秘術を体得している人物でした。
カバラの思想には輪廻思想が含まれます。
そのニコデモに対して「もう一度生まれ変わらなければ」と言ったとすると、
それは直接的に輪廻について語ったものだと考えられるんです。
-霊性と情熱のあいだぐらいブログより-
神様は、全ての人間が天国に入る事(霊界が天国だけになる事)
を願っていらっしゃるでしょう。
一度の人生で天国に入る基準を持つことは、限りなく、
とても難しい事です。
人間が天国にはいる基準を持つ為には(天国を築ける者に成る為には)、
輪廻というものが必要になってくるのでしょうね。
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ブライアン・L・ワイス博士の調査研究の中で
印象深いところや意義深いと思われるところを教えてください。
アメリカの精神科医、ブライアン・L・ワイス博士の著書
『Through Time Into Healing』にこう記されています。
キリスト教の歴史を調べてみると、
紀元4世紀にコンスタンチヌス帝によってキリスト教がローマ帝国の国教となった時に、
新約聖書にあった輪廻転生の記述が削除された、ということがわかりました。
皇帝は輪廻転生の考え方は、帝国の安定にとって脅威となると考えたのです。
もう一度、人生を送るチャンスがあると信じている市民は、
1回だけ最後の審判があると信じている人に比べて、従順さに欠け、
法も守ろうとしないと思ったからでした。
さらに、紀元6世紀のコンスタンチノープルの宗教会議は、
輪廻転生は異端であると公式に宣言しました。
コンスタンチヌス帝と同様に、キリスト教会は輪廻転生の考え方は
成長しつつある教会の力を弱め、土台を危うくするのではないかと恐れました。
前世があるという考えでは、救済される日まで時間がありすぎるからでした。
信者に正しい行動をさせるためには、最後の審判という
おどしが必要だと考えたのでした。
コンスタンチノープルの宗教会議以前の初期キリスト教時代には、
オリゲン、アレキサンドラのクレメンテ、聖ジェロームなどの教会指導者は、
輪廻転生を信じていました。
12世紀になって、イタリアと南フランスにいたカタリ派の人々
は、輪廻転生を信じたために、異端として虐殺されました。
このような資料を調べていて、私は輪廻転生を信じていた
カタリ派やグノーシス派、カバラの信奉者の人々が、
他にも共通点を持っていたことに気がつきました。
すなわち、私たちが理性で見聞きすることや、
宗教の教義で教え込まれたことを超えた直接的な個人的体験こそが
霊的な知恵の源である、という点です。
そして、この直接的な個人的体験が、霊的にも人間的にも成長を促すのです。
不幸なことに、正統的でない信仰は厳しく罰せられたため、
こうしたグループは自分たちの信念を秘密にするようになりました。
過去世の考え方が抑圧されたのは、精神的な理由からではなく、
政治的な理由からだったのです。
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輪廻転生説と原始キリスト教
原始キリスト教には輪廻転生の考えがあったが、
4世紀からの帝国支配者の宗教になるなかで
聖書が変えられていったのではないかというテーマについて
(1)
さて、輪廻転生についてですが
輪廻転生などの考えを読むと4年くらい前までは嫌悪感がありました。
サーカーのスピーチを読んでいて、
輪廻転生のことを述べているところにさしかかると、
「お前は、全知の神様か、どうしてそんなことが言えるのか。
合理的でないこと、体験で確認できないことは
信じるなと自分で言っているではないか」と思っていました。
サーカーは、日に二回朝晩サーダナーをすすめます。。
(サーダナー=スピリチュアルプラクリティスすなわち瞑想、
といっても特別な方法があり仏教の瞑想とは違いますが)
私はサーカーの弟子にならったやり方で
気持ちがいいので、ずっと続けていました。
ある日リアルに生まれてはじめて意識をもった日のことを思い出しました。
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/bungei/michio/1akachanjidai.html
『あれっ、身体が自由に動かない』
いつものように手足が動かないという感じがしました。
束縛(そくばく)されたような不自由な感じでた。
『あっ、そうか、おれ、生まれたばかりの赤ん坊なんだ。
少し、待てば、動けるようになるはずだ』
それだけ思って、私の心は消えました。
(2)
そして、ブライアン・ワイスの「前世療法」PHP文庫という本を読みました。
前世などないと確信をもっていた科学的思考の精神科医が
実際の体験から、前世の存在に確信をもつまでが書かれています。
この本の31ページには、
「私はコロンビア大学の一年生の時にとった
比較宗教学の教科書を読み返してみた。
旧約聖書にも新約聖書にも、
実は輪廻転生のことが書かれてたのだそうだ。
紀元325年、時のローマ皇帝、コンスタンチヌスは、
その母ヘレナと共に、新約聖書の輪廻転生に関する記述を削除した。
紀元553年には、コンスターチノープルで開催された第三回宗教会議において、
この削除が正式に認められ、
輪廻転生の概念は異端であると宣言されたのであった。
人類の救済は輪廻転生を繰り返すことによって行われるという考え方は
巨大化しつつあった教会の力を弱めるものだと、彼らは考えたのである。
しかし、ちゃんとこの概念は存在していて、
初期のキリスト教の先達は輪廻転生の概念を受け入れていた。
グノー死す派の人々、・・・・(略)・・
などは、自分たち昔も生き、再び生まれてくると信じていた。
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言いたいことは、他の回答者に書かれている通り、
コンスタンチノーブルの第2回宗教会議で、
生まれ変わりを説く宗派は異端とされたということです。
この宗教会議がイエスの考え方をそのまま反映したかどうか、ということは、
ご存知の通り、諸説あります。
しかし、イエスの時代の「ユダヤ教」が生まれ変わりの思想を持っていたことは、
他の回答者が書かれている通りで、
聖書にもイエスを「エリアの再来(生まれ変わり)」
であるとのうわさが流れた話が載っておりますし、
イエス自身は、生まれ変わりを否定していないのではないか、ということです。
(これについて、教会や聖書学者は色々言いますがね。)
原始キリスト教では、口頭伝承で、様々な教えが残されました。
それを文字の記録にされたものが「福音書」です。
それは様々な口頭伝承が文字として記述されたもので、
現在の聖書に乗っている4福音書以外にもかなりの数がありました。
この中に、生まれ変わりを説いているものもあったことは事実なのです。
気を付けて欲しいのは、どの「福音書」をどのような根拠を持って、
正典としているのか、それはその時々のローマ教会のトップの考えで、
「選別」したものであるということです。
それがイエスの意思なのか、というと、
「イエスの後継者ということになっている人」たちの意思だから、
ということで、正当化されてきた、ということにも注目すべきです。
ということで、「教会でこのように決めているから。」
「聖書にこのように書かれているから。」だから、「輪廻転生を信じない。」
というのがキリスト教徒が「輪廻転生」を信じない理由なのでしょう。
一度決めたら、カトリック教会は、結構頑固ですよ。柔軟なように見えて。
20世紀に入っても、ガリレオの地動説を認めなかった組織ですからね。
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ベストアンサーに選ばれた回答hakuseiunさん
輪廻転生については、キリスト教の源である、ユダヤ教にあり、
ピタゴラス派の「魂は、ここよりかしこに到りて、かしこに存在し、
さらに再び、ここに到りて、死せる者から生まれいづる。」
から、魂は肉体を変え得て、人は過ちを取り返し得るとします。
しかし、AD4世紀にコンスタンチヌス帝によって、キリスト教が
ローマ帝国の国教となった時に、新約聖書にある輪廻転生の記述を削除し、
AD6世紀に正式に輪廻転生を異端としました。
しかし、ギリシャ哲学での霊魂不滅と輪廻転生の説は強固で、
この後14世紀まで、フランスとイタリアのカタリ派に信仰されましたが、
十字軍に依り排斥されたのが史実として残ります。
古代ギリシャで、悲しみの輪と輪廻転生が語られましたから、
魂が輪廻転生すれば、贖罪の賜恵が遙かに過ぎるからです。
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ここで引用した個人のブログの解釈に関しては
決して正しいとは言えない内容も混じっていると思います。
ただ、これらの賢明な方々は皆、
初期のイエスの教えとしてのキリスト教には
輪廻転生の概念が入っていた事を指摘しています。
この概念一つがキリスト教を大きく変貌させる原因にもなる事は
私が指摘するまでもありません。
一度きりの人生の果ての天国と、輪廻転生の後の天国では
その意味が違ってくる事もわかるはずです。
恐らくは一度きりの人生の果ての天国は
霊界とされてしまうと思います。
しかし繰り返しの転生による進化の果ての天国となれば
そこが自分達の進化の苦労が報われる事になる
新天地としての可能性をも感じることになると思います。
そして現にイエスキリストが”天の御国”と読んでいたその場所は
病気も犯罪も戦争も争いも存在しない
私達にとっての理想の社会です。
誰もが平等で、明日を憂うことなくいつも喜びに包まれて
お互いを愛し合いながら平和に暮らしている社会。
そんな社会こそが私達にとっての天国であろう事は
今のこの社会を地獄に例えれば容易に想像がつくと思います。
引用の箇所の中で少し触れて起きたい事もあります。
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「洗礼者ヨハネは預言者エリアの生まれ変わり」であると、
イエスが間接的に言っている。
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イエスが語った言葉を額面どおり受け止めれば
バプテスマのヨハネがエリアの生まれ変わりだと
理解する事にもなりますが、
ここで、イエスがヨハネをエリアに例えたのは
真理を伝導する人間のための道しるべを
作り上げる役目を果たした人間の例えとして、
ヨハネをエリアと言う預言者に例えたのだと
認識するのが正しいようです。
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「よくよくあなたがたに言っておく。アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである」
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そしてこの引用に関しても併せて触れておきます。
アダムスキーの話では(その側近の引用踏めて)
イエスキリストと言われた肉体を持った魂は、
古くはアブラハムでありその後はモーセであり
更にはエリアであり、更にはイエスであったと言う説明だったようです。
そしてアブラハムとして生まれた以前から
後にイエスと呼ばれた魂は存在していた。
つまりはイエスは自ら語っているように
アブラハムが生まれる前から存在していたのです。
イエスが神であるからではありません。
つまりイエスキリストと私達が呼んでいる存在の実態である魂は
この地球社会の中のヘブライの文明の中に何度も転生してはきては
彼らを導き続けた存在であると言う事になります。
そして時には自ら予言をして、時には自らその予言を実現させた。
それを繰り替えした後に、60年前に初めてアダムスキーが
天使達とコンタクトしたとされた時には
アダムスキーが”オーソン”と名づけた肉体を持って
この社会に現れたと言うのが私の理解です。
もしも彼らの存在を地球社会が受け入れていれば
今度の再臨のイエスは宇宙の法則を語ってくれたはずです。
イエスキリストは自らがこの地球社会の中での
転生を繰り返した存在だったわけですし、
輪廻転生の教えを否定するわけもありませんし
それを語って聞かせたと考えるのが
自然ではないでしょうか。
アダムスキーはこのイエスキリストと言われた人間の魂は
更にマヤ文明の偉大なる指導者として存在していた事もあり
その名は今でも神々の一人として語られていると言ってました。
いずれにしても私達の社会の守護者であった天使達は
この社会に何度も転生を繰り返しては、
この社会をその度に導いてくれたということを
忘れないで欲しいです。
彼らは自分達の価値観を強制的に押し付けて地球社会を変えるのではなくて
地球社会が自らの手で変化したのだと言う形をとる事で
この社会が自発的に進化することを願っていた。
だからこそテレパシーでひらめきを与え
発明などにも協力することがあっても
転生してきては地球の同胞として語る事はあっても
通常、私達を直接指導することもなかったわけです。
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私達にとっての悲劇の一つは
イエスが福音した当時の人間が、
まだ三次元と四次元を理解できるような状態では
なかった事だと思います。
例えば、イエスキリストは一般大衆に対して
「自分の中に魂があってそれが四次元に存在し
同時にそれは自分達の父でもある神の分身である」
などと言う説明は出来ませんでした。
時代背景を考えれば目に見えるものだけを認識していて
人格的に容易に認識できる神を想定していたのが古代の宗教です。
まして、今現在でも理解されていない三次元と四次元の関係を
当時の人間が理解できるわけもないのです。
そして更に混乱を招くことになったのは
イエスキリストが言葉の中で
”父は天に暮らしている”かのように表現したことです。
実際には、空間として地球社会で天と表現されるところに存在してるのは
”天国”とも表現された別の惑星であり
そここそがイエスの語った天の御国のはずです。
父なる創造主が私達の認識できない空間に存在すると説明する事を省いて
宇宙空間についても私達が認識できない世界ですから、
その空間に父なる神が存在しているように表現したのだと思います。
しかしそれがそのまま以後の社会の人間に、
そっくり言葉どおりにそのまま受け止められてしまったのが
イエスの教えが後の社会に延々と誤解され続けた原因だと思います。
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ヨハネ3章十二節
貴方がたは、私が地上のことを話したとき
信じないくらいなら、天上のことを話したとてどうして信じるでしょう。
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私達が信じない”地上の事”と言うのはもしかしたら
私達が目に見えているこの地球社会の三次元物質空間の実態のことだけではなくて
並行して存在している四次元社会の存在の事ではないかと思います。
そして本来創造主の意志はそこにこそ存在しているのです。
でもそれを当時の人間は理解する事は出来なかった。
そこで、天高く存在している箇所にこそ神が存在していると信じている人間達に、
私達にとっての本当の天国である、太陽系の別の惑星をかぶせて
「そこに父が存在している」と
イエスキリストは表現したのではないかと想像していました。
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3:3-イエスは答えて言われた、
「よくよくあなたに言っておく。
だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」
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そしてここでイエスキリストが触れているように、
通常は生まれ変わらない限り
私達は神の国を見る事が出来ないという話にもなってくるのです。
ただ、更にここでももう一つの問題があります。
イエスキリストは”生まれ変わり”とか”復活”と言う概念で
二通りの事を語っていると認識できるからです。
一つ目は文字通り、
”転生を果たす”と言う意味での生まれ変わりです。
そしてもう一つは私達の”魂の覚醒”を意味すると思います。
つまりは魂と言う機関の存在を理解してそれを意識する用になること。
繰り返して引用していますが、
放蕩息子の話の中で戻ってきた息子を父親が喜ぶ場面があります。
「この息子は死んでいたのが生き返り
居なくなっていたのが見つかったのですから」
イエスキリストの語る”生まれ変わり”には
「転生する」と言う意味と同時にもう一つ「意識を変えて父の元に戻る」
という表現の両方が存在していると言うことです。
結局はイエスキリストの語った比喩的表現を
私達が理解できていない事で聖書解釈の中で誤解を生み、
更に輪廻転生という概念が
聖書の中の一切の記述から消えている事が災いして
私達はイエスの言葉の真意を汲み取ることが出来ていないのだと思います。
イエスが聖書の中で天の国について語った箇所の引用です。
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心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人の者だからです。
義のために迫害されているものは幸いです。
天の御国はその人のものだからです。
神の国とその義をまず第一に求めなさい。
私に向かって主よ主よと言うものが皆天の御国にはいるのではなくて
天におられる私の父の御心を行うものが入るのです。
女から生まれた者の中で
バプテスマのヨハネより優れた人は出ませんでした
しかも、天の御国の一番小さい者でも彼より偉大です。
貴方がたも悔い改めて子供達のようにならない限り
決して天の御国には入れません。
金持ちが天の御国に入るよりは
らくだが針の穴を通ることの方がもっと優しい。
天の御国とぶどう園の農主の例え
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ここから”天の御国”をプロファイリングする事も出来ると思います。
天の御国は私達が義と共に
最初に求める指針とすべきものであると言うこと。
ここでの”心の貧しい者”と言うのは
報われていない者と言う意味だと思います。
勿論この社会で心が心地よく感じる機会の少ないような人間の事で
厳しい境遇に置かれている人間の事ではないでしょうか
そして天の御国はそんな人間が行く事が出来ると言っています。
そこに入る事が出来る人間は
イエスキリストを褒め称える人間ではなくて
神の御心を実践している人間だとも言っています。
その場所で一番小さな者でも
偉大な預言者バプテスマのヨハネよりも大きいと言っています。
更にそこに入る事の出来るのは
子供達のような心を持った者だと言っています。
そして金持ちはそこに入る事が難しいと言っていますが
要するにエゴや特別意識、物質的な豊かさ、富への執着は
そこに入る資質を持つことを妨害するという意味だと思います。
そして農園主の例えにあるように
この地球社会の人間の順列で言えば”後のものが先になる”。
ここの例えは天の御国に入る順番と認識できますし、
つまりはこの地球社会の中で偉いと言われて崇められている者ほど
天国は入り難い場所だと言っている訳です。
このような内容からも、そこで暮らす人間は
私達とはかけ離れて高い精神状態を持っている事も想像することが出来ます。
そして現に、私達の理解している
イエスの言っていた天国である金星社会は
まずは私達が行くことが難しい場所でもありました。
狭き門の例えにもありますが、
私達地球社会の人間は生命に対しての最低限の理解をしてこそ
始めて転生が認められるような場所だということ。
虫でも動物でも平気で殺生するような意識では
転生はままならないような場所だと想像できます。
そしてそこで暮らしている人間達は
誰もが前世の記憶を持って生きていますし
皆が創造主の法に則って暮らしています。
彼らは一番小さいもの(進化の遅い人間)でも
バプテスマのヨハネ以上の創造主への信仰心を持って
その意志を実践しているはずです。
誰もが心に自らの好き嫌いや、
心地良さによるエゴをこびりつける事なく
幼子のごとき心をも持っているでしょうし
彼らの世界は特定の人間が富を持っていて
特定の人間が富を持てないような不平等の社会でもありません。
彼らの社会では富は皆の物であり
それは共用されるものでもあります。
誰もが欲に囚われる事も無く
同時に誰もが生活への不安を持つことも無く
誰もが仲良く調和の中で暮らしている社会。
そんな社会だからこそ
私達はそれを天国と認識できます。
輪廻転生を認識することの魅力は
私達の人生に生きる意義を齎す事だと思います。
何となく流されて、夢を持っても夢破れ
その後は厳しい現実と向き合いそこで妥協して生きるような
今の私達の社会の多くの人間のような暮らしではなくなるはずです。
一度きりの人生であれば限られた時間の中で
出来る限りの体験をしてやろうとか
思い切り心地良いことをし続けようと言う気にもなるでしょうし
何よりもそのために必要なお金が重視される事にもなります。
しかし私達が繰り返し転生するとなれば
しかも進化の御褒美には記憶を持った転生と、長寿と
天国と表現できる社会の中での暮らしが待っているとなれば
誰もがこの地獄社会から卒業するために
進化を意識して生きるようになると思います。
繰り返し人生があると言うだけでも生き方が変わり
私達は其の都度人生をのんびり生きる事になるでしょうし
其の上にご褒美まであるとなれば
間違いなく私達の人生の目的は変わっていくはずです。
いつの時代の権力者にとっても
一般庶民がそんな意識をもたれる事はとても都合が悪かった。
ましてそれが可能性の問題ではなくて
込めて聖人と言われた人間が確証こめて語ったとすれば
それは庶民にとっての希望でもあったと思います。
財産を共有し、集団のコミュニティーを作って暮らしていた
イエスの弟子である12使徒達の生き方には
天国と言われた社会への憧れと、
イエスキリストに告げられた其の社会の人間の生き方を
踏襲するという意味が在ったのではないでしょうか。
知らないからこそ持つべき価値観と持つべき人生の目的を
狭い選択肢の中からしか選ぶ事が出来なくなっている。
そんな私達の社会にとって
輪廻転生の存在は大きなカンフル剤と
なるのではないかと思いました。
勿論それがこの社会の常識となって行けばです。
釈迦やイエスと言った聖人達の教えから輪廻転生を消し去ったのは
恐らくは時代の権力者であったであろうという事も
想像して頂けた事でしょう。
この社会の今の仕組みを愛する人間と、
本来あるべき魂からの導きを受ける人間とが
今後はっきりと分かれて行く。。。
近い未来にこの社会の常識が
一度きりの人生から永遠の生へと移っていくことを
私や兄弟姉妹、そして理解者は信じ続けたいです。
【貴方に無限なる力の祝福がありますように】
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