去年の5月6日、大型連休の最終日に茨城と栃木を襲った竜巻。
1人が死亡、52人がけがをし、2000棟を超える建物が被災しました。
村竹キャスターは、被災直後の現場をリポートしていました。
国内最大級の竜巻に襲われた茨城県つくば市。そのなかで、大きな被害を受けたのが北条商店街でした。
それから1年、村竹キャスターが再び現場を訪ねました。
住民は元の暮らしをどこまで取り戻したのでしょうか?。
1年ぶりにつくば市の現場を訪れた村竹キャスターは「すっかりきれいになっています。1年前は電柱も根もとからなぎ倒されていたけれども、直されています。この付近の家は屋根が飛ばされたり、家自体が吹き飛ばされたりしていたんですが、新しい住宅も建ち、家もリフォームを終えています」と報告しています。
建物の被害が大きかった北条地区では、多くの住宅が修理を終えているように見えました。
商店街では街ににぎわいを取り戻そうと「復興市」が開かれていました。
「がんばっぺ! 北条」と書かれたこのバッジ。100円で販売されて、家の修理などに充てる支援金になります。
当時のことを伝えていこうと取り組んでいる人たちもいました。
災害の直後から被災者に向けて張り出された壁新聞です。ボランティアの人たちが紹介パネルなどを設けて当時の様子を伝えていました。
竜巻に襲われた午後0時46分。
さまざまな想いを胸に黙とうをささげました。
「その時の状況を思い出して涙が止まらなくなった。1日も早く元の北条の街に復興してほしい」と黙とうをしていた女性は、このように訴えています。
街は復興が進んでいるように見えました。
しかし、よく見ると今も竜巻の被害の痕跡がいたるところに残っています。
一本路地を入ると、ブルーシートがかけられた家や、さら地もあちらこちらで見かけました。生活に欠かせない住まいの復興がなかなか進んでいないところもあります。
“もとの生活を取り戻したい”。
その思いを抱きながらもがいている人と出会いました。
稲見実さん(78)さんです。
40年以上暮らした自宅は全壊し、市が斡旋(あっせん)した住宅で妻と2人で避難生活を送っています。
今は自宅跡にテントを建て、毎日のように通っています。
稲見さんは「やっぱり地域とのつながりということですかね。地域の人がみんなここによってきて下さるものですから、いろんな話をしながら一緒に過ごしています」と語っています。
一時は、病院などに近い街なかの賃貸住宅に移ることも考えました。
しかし、地域との絆が深いこの土地に自宅を再建したいと思っています。
最大の課題は資金です。
建築費用は2000万円以上かかる見通し。高齢のため住宅ローンは組めません。
さらに、今住んでいる県営住宅は入居期限があり、このまま住み続けるわけにはいきません。
悩んだ末、貯金を取り崩し、自宅を再建することを決心しました。
今後、大きな病気など多額の出費が必要な事態が起こらないか不安を抱える日々です。
稲見さんは「病気になったら大変。この年になって頑張っていかないと。80になってあと何年だなんて言ってられない。頑張ります!」と将来への不安を隠しながらも、このように話しています。
村竹キャスターは、今回、再びこの地域を訪れて「私は更地の多さに驚きました。またいまだにブルーシートで雨露をしのいでいる建物があるとは、想像もしていませんでした。一方で、古い建物が点在し、歴史を感じさせた町のたたずまいも、新しい建物が増えたせいか、印象がすっかり変わりました。お話を伺った町の人も“別の町になってしまった”と話していました。でも、そうした家や空き地の一つ一つに将来の不安と引き替えに多額の費用をかけて家を建て直すか、あるいは別の地域へ移り住むかといった人々の悩みと苦しみが込められていると感じました」と報告しています。
さて、私たちは、突然襲ってくるこの竜巻災害にどう備えたらいいのか?。被害を抑えるための対策も進んでいます。
当時、つくば市とともに竜巻の被害を受けた栃木県真岡市の西田井小学校の取り組みです。
5月7日、竜巻を想定して抜き打ちの避難訓練が行われました。
「落雷や突風の恐れが出てきました。児童は、直ちに教室に避難し、担任の指示に従いなさい」と校内放送が流れると、児童たちは一斉に教室へ走ります。
栃木県の東部を襲った竜巻では、県内の900棟余りの建物に被害が出ました。
この直前の学校の防犯カメラの映像です。天候が急変して激しい嵐になるまで僅か数分間。このあと襲った竜巻で学校の窓や扉が吹き飛ばされました。
学校では、ふだんから教師が天候の変化に注意するようにしました。
天候が急変して異常を感じたら、いち早く児童を校舎内に避難させます。
教室に避難したあとも課題があります。
当時、校舎では窓ガラスが200枚以上割れました。児童がいる平日なら多くのけが人が出た可能性があります。
学校は教室や職員室の窓ガラスに特殊なフィルムを貼りました。破片が飛び散らないようにするためです。
さらに、飛ばされてきたものが教室に入らないようカーテンを閉め、竜巻の被害のあと、いすに置くようにした座布団で頭を覆います。
竜巻に襲われてから1年。
少しでも早く行動し、危険を減らすため、学校全体のチームワークを高めようとしています。
「子どもたちだけの訓練ではなくて、教職員がどう対応するかの訓練でもある。最悪を想定して、早めに対応する心構えを持つことが必要だ」と藤井努校長は力説します。
この1年、現場を取材してきたNHK水戸放送局の酒井紀之記者は次のように報告しています。
「去年の竜巻では、茨城県に竜巻注意情報が出されたのは、被害が出始めたのとほぼ同時で、竜巻を予測する難しさが改めて浮かび上がりました。しかし、その一方で、去年、竜巻がつくば市を襲う直前にどんな前兆現象があったかを専門家が調査したところ、多くの住民が『昼間とは思えないほど空が暗くなった』と答えています。
気象庁も、この災害の教訓から、空が暗くなって冷たい風が吹き始めるような異変により注意してもらうよう呼びかけ方を見直しました。つくば市の住宅などの建物の被害は1100棟を超え、その4割以上は建て替えや大規模な改修を余儀なくされるケースでした。
ところが、ここ北条地区は高齢者が多く、自宅を建て直したくても収入がないためローンを組めずに、稲見さんのように老後の蓄えを取り崩すしかない人も多くいます。つくば市の行ったアンケート調査でも、回答者の17%が被災した建物の修理や解体が済んでいないと答えたほか、市内の14世帯が今も市や県などの公営住宅で避難生活を送っています。つくば市は、1年とされた入居期限を個別の事情に合わせて延長するなど、支援策の見直しを進めています」
村竹キャスターは、最後に「東日本大震災でもそうですが、町や地域が復興してくためには、被災者がまず次の生活の設計を早く立てることが大事だと痛感しました。未曾有の被害となった今回の竜巻災害ですが、これを教訓に被害を最小にするための防災対策として何が必要か、人々の目線に合った生活支援をどう行うか。解決しなければならない課題はまだまだ多いと感じた」としめくくっています。