西公園こけしと庄子先生

 仙台市青葉区の西公園にそびえ立つ「こけし塔」。古鳴子型とよばれるこのこけしは、頭部だけで3トンの重量がある鉄の鋳物で、山形県から関山峠を越えて輸送された。建立にあたっては、陸上自衛隊がクレーンを使って作業し、1961(昭和36)年3月26日、当時の島野仙台市長ら出席のもと除幕式が執り行われた。

 でも、なぜこのような巨大なこけしが建立されたのか?

 「工芸Designの原点~仙台発・国立工藝指導所をめぐる物語~」の展覧会(1月8~20日、公益財団法人仙台市市民文化事業団主催)を開催したことで、この巨大こけしと二つのミニチュアの鋳物こけしにまつわる話が明らかになった。
 庄子晃子先生(東北工業大名誉教授)がお持ちになっていたミニチュアのこけしには、「昭和三十六年三月 戦災復興事業完工記念 仙台市」と記され、「孫一作」の文字もあった。おそらく、戦災で大変な思いをしたことを伝えるため、二度と起こらないでほしいと平和を願う思いをこめて作って配られた記念品だったのだろう。


写真2
←仙台市市民文化事業団主催の工芸Designの原点(東北工業大学一番町ロビーにて)で展示されたこけし

西公園のミニチュアこけし


 さらに、同じ昭和36年3月にこちらのミニチュアのこけしも作られ記念品として配られていることが会期中に分かった。西公園の巨大なこけし塔の完成と合わせて戦災復興事業が完了し、次は観光を盛り上げようと作られたものだったようだ。

 古鳴子型のデザインで東北の漆と鉄を使うことで、東北地方の工芸産業のシンボルとしての意義を担っているのだと庄子先生に教えていただいた。

 50年たった今、私自身も、周りにいるほとんどの人もよく見ているはずのこけし塔の話を知らなかった。不気味だからとか、邪魔だから撤去してほしいと言われてなくなるかもしれない、という話もあると聞いた。

 「知る」ことを通して魅力に気づくこと、伝える人や歴史をつなぐ人がいないと忘れられるものなのだと実感した。

 東日本大震災から2年がたとうとしている。

 このこけし塔の話のように忘れられないよう、震災のことをつないでいかなければならないという思いが強く残った。
(仙台市・東北工芸製作所店長 佐浦みどり)