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【 電話局番 0599 】

【オレンジ色の陽を浴びて】

……海駆ける甘酸っぱい風は五ヶ所みかんの隠し味……

旧南勢町は全域が伊勢志摩国立公園に含まれ、伊勢の南玄関と云われています。 その中央部に複雑な海岸線を持つ五ヶ所湾があり、青い海が四季を通じ特色ある 自然美を奏でています。粗削りな湾口の海蝕海岸に打ち寄せる白浜の美しさ、 点在する大小幾つかの小島と灯台、また静まり返った湾奥の入り江に浮かぶ 真珠筏や青のり網が直線的な幾何学模様を描き、背後の丘陵斜面を彩る五ヶ所 ミカン、各集落に残る南方的な民俗習慣など、南勢町は素朴のなかにも、暖かい風土が 育てた人の心を掴んで離さない魅力を持っており、観光客の注目を集めています。

ささゆり(旧南勢町の花)…すがすがしい香り

新緑の頃、野の道にササユリが咲きます。清楚な花の形に、 何か郷愁を誘うようなすがすがしい香り。

うばめがし(旧南勢町の木)…庭木で人気

紀伊半島海岸部特有の常緑樹で、南勢町の木として町民に親しまれています。 古くは良質の備長炭が、この木で作られましたが、今は庭木として人気があります。

つわぶき…深まりゆく秋に一際映える

秋深まるころ、磯への山道や野の道のべに咲き、ひときわ濃い黄色の花を咲かせます。 海辺に近い日溜まりに、群がるようにして咲くツワブキは、冬の声を聞くとヤブツバキへと 花の季節をバトンタッチします。このほか五月、白いみかんの花がさわやかな香りを 軒近くまで漂わせます。浜辺を歩けばハマヒルガオ、ハマエンドウ、ハマダイコンなどの 貴重な海浜植物が顔を見せます。


史跡巡りにシルバーガイド

『シルバーガイド』は旧南勢町のボランティアの観光ガイド。たとえば、五ヶ所浦で愛洲の城址を訪ねたいとき、土地に詳しいお年寄りが道案内はもちろん地元の者でも知らない詳しいことまで温かな『ふるさと言葉』で説明してくれます。現在町内在の8名が携わってみえます。役場企画商工課(0599−66−1366)(http://www.town.nansei.mie.jp/)へ申し込めば日時場所により適切な方に連絡を取ってもらえます。なお案内は団体でもお一人でもお受けいただけます。

南勢牛鬼太鼓保存会

 町政施行三十周年(昭和六十年)を記念して行われた数々の事業のひとつに『南勢牛鬼まつり』があります。(現在は、商工まつりと合同して七月下旬に行われています。) これは、地元に古くから伝わる『牛鬼』伝説を基に「漁業と農林業の振興」と「町勢興隆」を祈願して新たに創作された祭で、このお祭りの進行に中心的な役割を果たしているのが『南勢牛鬼太鼓』と呼ばれる太鼓演奏です。 御座船の上で打ち鳴らされる『海神太鼓(海の太鼓)』、町中を練り歩く『牛鬼太鼓(山の太鼓)』、それに「浜の民と山の民が力を合わせることで町が栄えていく」という祭のテーマにあわせた『南勢牛鬼太鼓(合体太鼓)』の三部構成で、時にはおどおどろしく、また時には勇壮に鳴り響きます。太鼓そのものも演奏される曲もまだ新しいものですが内容の素晴らしさに町内外からの公演依頼に引く手数多の郷土芸能に育ちつつあります。

創作民話 南勢のうしおにさま

【この物語は、旧南勢町町政施行30周年記念事業により創作されました。】
うしおにのイメージキャラクタ遠い昔、私たちの住む南勢町が、いくつもの山間の村や浜辺の地区にわかれ、愛洲城に殿様や侍が住んでいた頃の話です。
山の方に住む人々は田畑で米や野菜、果物などを作って暮らしていました。
また、海辺に住む人は魚や海、海草を採って暮らしていました。
山の方に住む人々は、日照りが続いたり、春になっても暖かくならなかったりすると作物が育たないので、そんなことのないようにいつもお祈りしていました。
「うしおにさま、今年も日照りが続かないようにして下さいよ。」
うしおにさまというのは、五ヶ所川の西側に切り立った岩肌を見せている西山に住んでいました。牛のように大きな体で、頭には2本の角を生やし、赤い顔は毛で覆われていました。
いつの頃からか人々の前に姿を現すようになり、最初は村人たちに大変怖がられましたが、悪い人は懲らしめても、他の人々には親切で、時には子供たちと一緒に遊ぶことさえありました。
見掛けによらず、優しい心の持ち主だったのです。
こんなことがありました。
田植えも終わり、梅雨どきにさしかかったいうのに、いっこうに雨が降りません。日照りで稲は今にも立ち枯れてしまいそうでした。
村人たちはしだいに焦りの色を濃くし、中には悪い遊びにうつつをぬかしたり、村を捨てて逃げ出す者まで出るようになりました。
ある日、一人の若者が
「五ヶ所川を掘れば、少しは水がわいてくる。これを、皆で力を合わせて田に運べば、稲は助かるかもしれない。」と言って村人たちを励ましましたが、村人たちは若者の言うことに耳をかそうとはしませんでした。
若者はたった一人で毎日毎晩川底を掘り、手桶で水を汲んでは田へ運び、皆の田に少しずつ注ぎましたが、やはり稲は元気を取り戻しませんでした。
そんなことの続いたある夜。
何人かの村人が西山の岩場の上にピカピカッと光る物を見ました。
よく見ると、なんと牛に似た怪物の目と、天に突き出した手の爪が光っているではありませんか。怪物は天を睨んで何か呪文を唱えているようです。
その時、ピャーと音がしたかと思うと、突然彼の目から凄じい光が飛び出し、空の彼方へ吸い込まれて行きました。すると、どうでしょう。ポツリポツリと雨が降りはじめ、みるみるうちに田畑を潤したのです。
稲も野菜も生き返って、やがて立派な実りの秋を迎えたことは言うまでもありません。
それ以来、牛のような怪物は『うしおにさま』と呼ばれるようになり、一生懸命努力すれば必ず山の人々を守ってくれる神様として慕われるようになったのです。

いっぽう、海辺に住む人々にとっても同じような守り神がいて『かいじんさま』と呼ばれていました。
めったに姿を見せませんでしたが、ある海の荒れた日のこと。漁ができずに漁師たちが困っていると、高波の間から大きな龍のような怪物が現れ、スルスルと天に昇って行ったかと思うと、パッタリと風が凪ぎ、漁に出られるようになったということです。

ところで、山の人々と海辺の人々はどういう訳か仲が良くありませんでした。
米や野菜と魚や海を取り替えたりするので、けっこう行き来はあったのですが、交換する量に不服があると
「少ないじゃないか」
「いや、そんなはずはない」
と言って喧嘩になってしまうのです。
山の人が、
「お前たちは、ただ海に出て魚を採って来るだけだが、俺たちは土を耕したり肥しをやったりして、作物を育てているんだぞ。」
と言えば、
「何を言う。俺たちは命懸けで漁に出ているんだぞ。田んぼでおぼれ死ぬことなどないだろう。」
とお互いを罵りあう始末です。
山の人々も海辺の人々も、同じ仕事をする分には力を合わせ、助けあって暮らしをたてることを知っていましたが、海と山となるとそうはいきません。
お互いの先祖を辿れば違うはずだと言う人もいましたが、本来同じ人間に分け隔てなどありはしない筈です。
しかし、彼らはその事に気が付きませんでした。

そうしたある日、うしおにとかいじんは五ヶ所川が海に注ぐ辺りでバッタリ出会いました。最初は、お互い初めて見る相手の姿に驚き、かいじんは口から青い火を、うしおには赤い火を吹いて身構えました。
しかし、しばらくしてお互いの目の中に優しい光が宿っていることに気付き、ふたりとも山の人々と海辺に人々の仲の悪さ心を痛めていることを話し合い、そしてある決心をしたのでした。
「我等ふたりが、海の神・山の神として、別々にあるのがいかんのじゃろう。」
「かも知れんのう。いっそのこと、合体してひとつの神になれば奴等もきっと仲良く暮らすに違いなかろう。」
波が静かで空一杯に星が煌めくある夏の夜、うしおにとかいじんは、五ヶ所川の河口で出会うと激しく体をぶつけ合いました。
バシッ、ガツッ、ドシャーン。
凄じい音と共に、もうもうと煙が立ち込め、辺りに漂いました。
静かです。
やがて、煙がうっすらと晴れていくと、何やら黒い影がすくっと立っています。
よく見ると頭には角が四本、背中には背びれが、おなかには縞模様が付いたうしおにでした。合体は成功したのです。かいじんと合体したうしおにさまは、山と海を交互に見ると、やがてスーッと天へ昇って行きました。
新しいうしおにさまは、山の人々も海辺の人々も、また総ての人びとの幸福を願う万人の神となって世界中を廻られるようになりました。
そして、毎年夏になると西山へ御戻りになり、南勢町の人々が仲良く暮らしている様子を見ては、安心して帰っていかれるようになったということです。

おわり


楓の入り江を一巡り 近鉄志摩観光汽船 (TEL0599-66-0153)

五ヶ所湾を小高いところから眺めると放射状に深く陸地へ入り込んだ入江はさながらマリン・ブルーの楓の葉。『楓江』の雅やかな名前がよく似合う静かな美しさに満ちた湾です。 この湾内を一周する観光船があります。巡航船と同じ五ヶ所港の船着き場から島々を巡り、浦々を訪ね熊野灘に面した湾口を渡って約五十分で一周します。 スピーカーから流れるガイドに耳を傾けながら、天然記念物『はまじんちょう』の自生する獅子島、岩礁の上に立つ白亜の尼崎灯台、荒波に削られた止ノ鼻海蝕崖、と移り変わる景色に目をやると海の青さがいつまでも目に残る。 養殖筏から一斉に中空に放つ白サギの群や、船に寄り添い海上をホバリングするカモメの姿も見ることもできます。五ヶ所湾の自然の豊かさを満喫できる観光コースです。
平成12年3月いっぱいで五ヶ所湾での志摩観光汽船の営業運行を廃止することになりました、海面に道を描き続けた五ヶ所湾の風物詩がひとつ消えてしまうのは残念です。

年間を通して、釣りが出来る五ヶ所湾

季節毎に五ヶ所湾の自然の顔が変わるように五ヶ所湾で釣れる魚の種類も変わります。 以前ほどではありませんが、関係者のご努力によりある程度の釣果や思わぬ大物も期待できます。 乗合船や筏釣りなどの設備も充実しており熟練の船頭さんが釣り場を案内していただけます。
お問合わせ先  南勢町釣船業協同組合 (0599−66−0404)


■基準料金表(仕立船)3名まで

種別 基準料金
基本時間
(日の出より)
時間増
(1隻当たり)
深海 ¥30,000〜\35,000
6時間¥3,000
湾外 ¥20,000〜¥22,0006時間¥2,000
湾内 ¥15,000〜¥17,0005時間¥2,000
湾外掛 ¥25,0006時間¥3,000
鯛流釣 ¥30,000
6時間¥3,000
餌代・道具代は別料金となっております。

■基準料金表(乗合船)

種別 基準料金 基本時間
(出航より)
時間増
(1隻当たり)
湾内キス釣 ¥6,0005時間延長なし
湾外ガシ・メバル釣 ¥7,0005時間延長なし
イサギ・タイ掛釣 ¥8,0005時間延長なし
沖タイ流釣 ¥10,0005時間延長なし
半夜釣 ¥10,000午後1時〜
午後7時まで
延長なし
深海釣 ¥9,000〜
¥12,000
   
磯渡し ¥3,500〜
¥4,000
日の出から
6時間
延長なし
※餌代・道具代は別料金となっております。
※上記料金より1割を釣船組合経費として納める。

【ファミリーで釣りを楽しむ】

釣り人口が数千万といわれる昨今、家族連れから釣りマニアの方まで、
ひとりでも多くの人が簡単に、気楽に釣りを楽しんでいただくため、
南勢町釣船協同組合と観光協会は乗合船をご用意しました。
潮風に吹かれて釣り三昧、そんな休日もいいものですよ。

一年を通して釣れる魚

渡船 グレ、イシダイ、アイゴ、チヌ、イサギ、フダイ、カサゴ
チヌ、ボラ、カレイ、アイゴ、コノシロ、アジ、カワハギ、キス
5月〜8月までは投げ釣りやトローリングでカツオやシイラ釣りが楽しめます。
上記料金についてはあらかじめお確かめの上、お申し込み下さい。

【アオサギ、カワウのコロニー】

大きな輪を描いて岬から海へと空高く翔ぶ鳶、船の行き来で養殖筏から一斉に中空に舞上がる鷺の群れ、翼をゆっくり動かし餌を求めて翔ぶ鴎、みかんを求めて飛び交うヒヨドリと、四季を通じて五ヶ所湾に舞う鳥は多種多彩である。
この鳥たちの住家は島や岬の森の中。宿浦近くの逢原島の鬱蒼とした森には、鷺が集団で棲みついている。また、迫間浦入口の大瀬は、全国で6ヵ所しかないという川鵜の繁殖地だ。松や椎木に巣づくりをし、300羽ほどが生息している。ここは鷺のコロニーにもなっており、県の天然記念物に指定されているアオサギの他、コサギ、ゴイサギ、アマサギなど計約一千羽が棲みついている。

【南勢音頭】 作詞 橋川孝雄

お盆や天王祭、演芸会などで披露される手踊りは、その地で育まれた小唄や音頭、長唄、お囃子など色々ですが、南勢町全域での催し物ではこの曲がメインになります。
剣峠に朝日が燃えて エンヤサー
里はみかんの花盛り
昔懐かし愛洲のお城 
エンヤサーノ ヤレ エンヤサー
汐のしぶきがぬれかかる
南勢音頭で 南勢音頭で輪になろう

山は鶴路か稲穂の里の エンヤサー
鶴が落とした物語り
実る秋空川面に揺れりゃ 
エンヤサーノ ヤレ エンヤサー
祭り太鼓が鳴り渡る
南勢音頭で 南勢音頭で輪になろう

礫台場か道清の浜か エンヤサー
語りかけるよ磯千鳥
うぶな娘の笑顔を見れば 
エンヤサーノ ヤレ エンヤサー
相賀赤石浪が散る
南勢音頭で 南勢音頭で輪になろう
  沖は黒潮大漁旗を エンヤサー
立てて帰るよ葛島
田曽の岬へどどんとくれば 
エンヤサーノ ヤレ エンヤサー
響く男の心意気
南勢音頭で 南勢音頭で輪になろう

浦は七浦真珠の筏 エンヤサー
月の出汐の泉浜
七日島まであの娘とおいで 
エンヤサーノ ヤレ エンヤサー
踊りゃ海から日が昇る
南勢音頭で 南勢音頭で輪になろう