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yu-noとスマガの比較

nitro+「スマガ」をプレイした。

「スマガ」は2008年に発売されたエロゲーの中では一二を争う秀作である。
2chのエロゲネタ&業界板 ベストエロゲー投票集計所では2008年の一位を獲得している。
そしていわゆるループものである。

さて、ここで1996年で最も評価されたゲームの一つに「yu-no」というゲームがある。
このゲームもループものである。というか、エロゲーにおけるループ物の原点である。

そこで、「スマガ」と「yu-no」を比較することにより、この12年間のエロゲーの進化と退化を見つめていきたい。
ちなみにもちろんネタバレ全開で語っていくので、ネタバレを嫌う方は見ないでほしい。




<システム>
yu-noはアドベンチャー形式のゲーム(ADV)である。
スマガはビジュアルノベルである。

1996年まで、エロゲーでもっとも代表的なゲームの形式はアドベンチャーゲームだった。あるいはシュミュレーションゲームである。
そしてこの状況を1996年に発売したLeafの「雫」「痕」の成功で、一気にビジュアルノベルが市場を席捲していく。今ではエロゲーの90%以上がビジュアルノベルだ。
その点で、yu-noとスマガは古いシステムと今のシステムとの比較になる。

そして、今プレイするなら、どうやってもビジュアルノベル形式の方が優れている。
yu-noは時代的にも物語の設定的にも、どうしてもアドベンチャー形式である必要があった。
しかし、このyu-noを進めていくのには異様な労力を必要とする。たとえばyu-noではゲームの本編開始直後に自室に帰って寝る必要がある。寝るためには、机を七回も調べた上に、電話を調べ、その後で目覚まし時計を調べなければならない。目覚まし時計をクリックしたあとに電話を調べても主人公は一日を終えることができない。順番が逆であってはならず、その順番が推測できる範囲を超えていることがしばしばである。そのため、背景部分を連打しまくる必要がある。
さらにうっかり別の画面への切り替えを押してしまうと、意図したルートからずれてしまうことがある。
もちろん未読スキップなどというものが存在するはずもない。
ネットゲームの退屈な経験値稼ぎをひたすら耐えるというマゾっけさが必要になるのだ。

それに引き替え、ビジュアルノベル形式のスマガは非常に快適にプレイすることができる。選択肢をうっかり間違えても「ひとつ前の選択肢に戻る」という親切極まりないコマンドが存在する。
スキップには通常のスキップと高速スキップが用意してあり、ストレスを感じさせない作りになっている。

この12年間でエロゲーは非常にやりやすくなったものである。


<シナリオ>
これはどちらも優秀である。好みによるといえる。
ただ、スマガの終わり方は想像が可能なレベルであったが、yu-noの終わり方は想像の範疇になかった。
私は自分が想像できる以外の終わり方の場合、高い評価を付ける。Airの終わり方は全く想像がつかなかった故に私の中での評価は非常に高い。
12年経っても見劣りしないという点でyu-noの方が優れているかもしれない。スマガを12年後に振り返ればたいしたことのないシナリオだったと思われていると予想する。
また、yu-noではキャラの萌えと引き換えにすべてのキャラクターがストーリーを動かしている。この点でもyu-noの方が優れている。
ただし、スマガの終わり方は不快にならない。ストレスを解消することを目的としたならば、スマガの方が優れている。
要は、芥川賞寄りがyu-noであり、直木賞寄りがスマガである。歴史に残るのは芥川賞かもしれないが、直木賞の方が休日のお供にふさわしい。


<キャラクター>
yu-noのキャラクターにはそれぞれ非常な個性がある。どのキャラクターも自分を持っており、それぞれの目的を追及して物語を自分のものにしようとしている。目的は、妻を捜すことであったり、恋人の敵である時空犯罪人の消去であったり、日本人の歴史の謎の解明であったりする。
さしたる目的を持たず現状を維持しようとしているのは義母と異世界人の売春少女くらいである。
ほとんどのキャラクターは自分の利益を達成しようと行動しており、物語の傍観者になることはない。
スマガを含める今の多くのエロゲーでは他のキャラクターのシナリオに入ってしまうと脇役に徹するがyu-noでは特定のキャラクターシナリオに入った後でも、裏で自分の目的を達成しようと動き続けている。
その代わりに犠牲にしたものがある。それが「萌え」である。
ほとんどのキャラが自分をもっているために、庇護欲をそそらせない。
これで萌えられるかと言えばかなり難しいものがあるのではないか。もちろん今の感覚で萌えることができるキャラクターもいるが、少数である。

一方、スマガのキャラはちゃんと萌えることができる、というか庇護欲をそそるようなキャラの設定になっている。主人公がいなければ幸せになれないということがわかるようになっている。
ただし、その分人生に対して受動的であり、一個人として尊敬できるかと言えばかなり疑問視せざるを得ない。もちろん悪魔退治という立派な目的があるのだが、その世界で必要な役割であり、受動的である。現に一人のキャラは魔女をやめたいと思っていても行動に移したりしない。
彼女たちには自分たちの物語が希薄なのだ。

なお、スマガでは登場キャラ全員が処女である。
兄を愛していた少女も、かつて駆け落ちまでしようとした恋人がいたアミデットもことごとく処女だ。
これはご都合主義というか、プレイヤーにこびすぎている。

yu-no実質年齢が主人公と同じなのはたった一人のキャラに過ぎない。それ以外のキャラはみな年上であり、当然の如く非処女である。現代編のヒロイン5人中のうち、3人までは親父のお古である。
一人のキャラは主人公の娘と推測され、その娘は売春で生きながらえてきた。

いつからエロゲー業界で処女信仰が強くなったのか定かではないが、昔はかなり多くのキャラが非処女だった。というか登場人物に大人の女が多かった。
それが今は「下級生2」の騒動に象徴されるように、処女でなければ価値がないような扱いを受けている。
こうなったのはなぜなのか、私にはよくわからない。私も昔はまったく処女信仰がなかったのに、今ではキャラが処女ではないと少し抵抗感がある。
どうしてこうなったのか。それはわからないが、昔に比べて経験豊富な大人な女性を描くことが困難になったことは間違いない。表現の幅が狭まったといえる。


<主人公>
yu-noの主人公には好感を抱けない。
主人公は父が女に見境がない点を嫌っているはずなのに、自分が父親になった後で易々と他の女を抱く。それも妻が死んで一ヶ月経たないかくらいで別の女を葛藤なしに抱くのである。
また、娘が嫌な予感がするから入るのをやめようと止める場所に入って、あっさり一家離散させられる。昔のエロゲーではよくあったタイプの主人公だが、今のゲームでこの主人公ならばかなりの不評になるはずである。


一方で、スマガの主人公にはまずまずの好感を持った。
自分が世界で唯一愛すと言った女が死んで、別の女に乗り換えることにかなりの葛藤が見受けられる。最終的には別の女に手を出すのだが、その心情が納得できるものだった。
今の主人公として交換が持てるタイプはあるキャラのルートに入ったらそのキャラ以外とセックスしないということが挙げられる。女にも貞操観念を求める代わりに、男にも貞操観念がしっかりしているようになったのだ。

この主人公の変化は、この12年間で進歩といえるものなのかもしれない。


<世界観>
yu-noは主人公が自分がどのルートにいるか確認できるA.D.M.Sというシステムを採用している。このA.D.M.Sというギミックと、現代世界と異次元世界の兼ね合いもあり、史上最高峰の世界観を構築している。

スマガも神様の世界と、自分の世界、それと現実の世界が上手く交錯し、独特の世界観を作り上げている。
さらに世界観自体にもプレイヤーが快適にプレイできるように工夫がなされている。
yu-noでは主人公が他のルートで体験したことをほとんど覚えていないために、プレイヤーが何度も知っている事実を見返さなければならないという苦痛を味あわなければならなかった。一方でスマガはメインのシナリオでは主人公が過去のループをを覚えており、同じ出来事が起こってもリアクションが異なり退屈せずに済んだ。
世界観の時点で、主人公と自分との一体感が持てるように配慮がなされているのだ。よくできた世界観だと感心する。


<まとめ>
結局のところ、両者の究極的な違いはyu-noが「ゲーム」であるのに対して、スマガは「ノベル」であることに収束する。これは昔のエロゲーと今のエロゲーの違いでもある。
「ゲーム」はプレイにそれなりの忍耐力を要する。ドラクエでもレベル上げを好む人間はそう多くないだろう。だが、その苦痛なレベル上げを行った結果、ボスを倒せるようになるというカタルシスが発生する。yu-noは攻略に多大な労力を要するが、それによってを体感でき、クリアの感動の達成感も増す。
一方で、「ノベル」には忍耐力を必要としない。いつでも読むことをやめることができ、いつでも読むことが再開できる。「文学」でない「ノベル」では苦痛を与える内容は好まれず、読みやすい文章でサクサクと読み進めることが必要とされる。「スマガ」も読みやすい文章で、ストレス発散にはもってこいのストーリーである。なにせ「人生リベンジADV」である。


エロゲーは12年前はフロンティアであり、さまざまな可能性と試作が存在した。言うなれば西部開拓時代だった。
それが今ではどうすれば売れるのかがおよそ目安がついており、大量生産的なビジュアルノベルが毎月毎月数十本生み出されている。アメリカならば、鉄道網が張り巡らされ、生産性は伸びたがもはやフロンティアが存在しないヴィクトリア時代になったといえる。

安全な旅は約束されるようになったが、少し物足りない気分がするのは、私だけだろうか。

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