さよなら、間崎分校



カテゴリー:なし
2006.4.3.(月)

3月25日、1つの学校の歴史に幕が降ろされました。
英虞湾の離島「間崎島」の、志摩市立和具小学校・間崎分校は今後の新入生が望めず、たった2人の児童である3年生の岩城保人君、2年生の由実ちゃん兄弟が、船での通学に不安のなくなったこの春、2人が本土の本校に船で通う形で、今年度をもって「閉校」となります。
この上ない青空に恵まれた閉校式、保人君と由実ちゃんは1人ずつ、想い出をつづった作文を発表しました。
たった1人で入学してきた分校、トイレまで先生についてまわった入学当初、浜辺で獲った天草でのところてん作り・・・妹の由実ちゃんが加わって、2人で劇を発表した島の敬老会・・・閉校が決まった秋には想い出作りに島の運動会も開かれました。2人をカメラで追った小さな木造校舎での3年間が、次々と私の中にも思い浮かびます。
思えば3年前、児童数が減少し休校していた島の小学校が、保人君の入学を機に再び門を
開くことを知り、カメラ片手に桜舞う分校の校舎を訪ねたのが始まりでした。
私にもこの3年間の色々な想い出があります。浜辺で獲った「磯もの」を初めて口にしたこと、保人君が初めて名前を呼んでくれた日、登校風景を撮るために家にも泊めてもらいました。次の日、朝やけの中を2人学校へと歩く道、ぽつりぽつりと話をしてくれました。そして、お昼を食べないで撮影する私をいつも心配してくれた由実ちゃん・・・取材を終えて帰る私が乗る巡航船に向かって、いつまでも手を振ってくれました。
この仕事をを始めてから、1つの家族とこんなに深く関わることは初めてのことでしたが、受ける側はもっととまどいがあったと思います。カメラがなければ又違う3年間がったかもしれし、そんな不安の中、受け入れてくれた家族と学校にただただ、感謝です。
保人君の作文を締めくくった言葉、「家族の人へ、僕と由実を分校に通わせてくれてありがとう」・・・「この3年間は無駄にはならんかった」とお母さんは涙しました。お父さんは子供達に一言、「頑張ったな」と声をかけました。
市町村合併やや少子化、田舎離れで、学校の数が減り、1つの学校が消えることはそう珍しいことではありません。そんな中1人の児童の為に分校を継続させることは時代に逆らった特例なのかもしれないけれど、3年間この分校を見てきて、私には、この分校とこの家族の在り方がとても自然な姿に感じられました。
「学校がないのは街灯がないのと同じ、これは、住んでるものにしかわからん」と、こんな言葉を島のお年寄りから聞きましたが、小さな船着き場から坂道を上りつめ、そこに分校の木造校舎が静かに建っている風景が私のお気に入りの風景でした・・・「おかえり」と迎えてくれるているような・・・ほっとするような・・・もうその門の開いた風景を見ることは出来ません。振り返り振り返り、船の時間のギリギリまで、その場所を離れることが出来なかった分校最後の日。 私にとっても、街灯が消えた1日です。
記事URL | 投稿者:脇 こず恵|コメント(0)

この記事へのコメント



コメントをどうぞ


・コメントはすぐには反映されません
三重テレビで内容を確認の上、掲載されます
あらかじめご了承下さい

・告知・勧誘・広告はご遠慮下さい


・第三者への誹謗・中傷を含むコメントは禁止します


・その他、不適切と思われるコメントは掲載いたしません


・コメント欄の情報については三重テレビが責任を負うものといたしません