辻悟先生の死
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辻悟先生が亡くなられた。お通夜にうかがいご焼香させていただいたのだが、研修医の頃お世話になっていただけに、感慨深いものがあった。
辻先生は阪大精神科で助教授を務めておられたが、教授選に敗北して大学を辞められた後は、精神科の病院に勤務しておられた。私が阪大を卒業して阪大病院で研修していた頃は、すでに大学を去られた後だったが、週一回大学で外来を担当しておられたので、カルテを書くシュライバーにつかせていただいた。
とにかく、一人一人の患者さんにかける時間が長く、患者さんと真正面から向き合う真剣勝負の気迫が伝わってきた。患者さんの語ったことだけでなく、先生がどんなふうに返されたのかも正確にきちんと書き留める、それだけのことをするのがとても大変だったのだが、これは後に精神分析の勉強を本格的にするようになってから、とても役に立った。
また、月に一回、研修医が順番に症例を発表して、辻先生のスーパーヴィジョンを受けるのだが、これがなかなかハードだった。患者さんの言葉に対して、治療者がどんなふうに対応したかも発表することになっており、それに対して「あんたは、そのときどんなふうに思ったんや」「なぜ、そういうことを言うたんや」と、どすのきいた低い声で尋ねられると、駆け出しの研修医としては、どう答えていいかわからず、言葉に詰まってしまうのである。
大学での研修医を終えてからも、辻先生が主催しておられた「治療精神医学の集い」に出席させていただいた。誰かが症例を発表して辻先生がスーパーヴィジョンされるのを、出席者が聞いていて、質問したり討論したりする会なのだが、当時大規模精神科病院に勤務していて、精神医療の現場とはこんなにすさまじいものなのかと戸惑うことばかりだった私にとっては、一筋の導きの糸のようだった。
私自身も何度か症例を発表させていただき、辻先生に厳しくご指導いただいたのだが、発表のためにカルテを読み直し、まとめていく過程で、「あ、こんなことも言っていたのか」と新たに気づいたことが何度もあった。
辻先生は厳しい方だったし、頑固でもあったので、批判する人も少なくなかった。「あんなやり方で分裂病は治らない」とか「あんなに必死でやったら患者さんの方が怖がるのではないか」とか、いろいろ言う人がいたのもたしかである。だが、あれだけ臨床に真摯に取り組んでいる方は見たことがない。
お通夜の帰りに一緒になったかつての上司が「あんな頑固一徹の先生はもうおらんわな」とおっしゃっていた。たしかに頑固一徹だったが、一本筋が通っていたような気がする。ああいうタイプは、少なくとも団塊の世代以降にはもはや存在しえないのではないか。
人の死はいろいろなことを思い起こさせ、考えさせる。そう言えば、「治療精神医学の集い」に出席していた二〇代後半、知り合いの同年代の精神科医が二人続けて自殺したことがあった。あのときは本当に辛かった。私自身も精神科医として無力感を感じていた時期だったので、もう辞めようかとも思ったほどである。
曲がりなりにもこの年まで精神科医を続けてこられたのは、研修医のときから数年間ご指導くださった辻先生のおかげだと思う。心から御冥福をお祈りいたします。
(補遺)私が外来を担当させていただいている診療所のI院長は、辻先生の一番弟子を自認しており、父のように慕っていたので、かなりこたえているのではないか。辻先生は数年前からガンのため闘病生活を送っておられたので、このときのくるのがわかっていたとはいえ。私も少しは毒舌を控えようと思う次第である。
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私は先生に治療していただいた一人の患者です。先生に会わなかったら、きっと私は自分の心に気づくことさえなかったと思います。あんなに心をわしづかみされた事は今まで生きてきて一度もなっかった。
今思えば、あの厳しい治療は、今まで知らなかった愛情というものでした。心よりご冥福をお祈りいたします。
2012/11/23(金) 午前 6:30 [ 患者の一人 ]