この世の果てで恋を唄う少女YU-NO ネタばれレビュー

選択肢によってストーリーが網目のように分岐し、リプレイするごとに異なったルートをたどることができるゲームというメディアならではの特性は、まさしく「並列世界」の表現に最もふさわしい要素であり、それどころかマルチエンディングが可能なゲームはそれ自体が並列世界そのものとまで言えます。従って、ゲームというメディア上で並列世界の概念がメインテーマに取り上げられるのは極めて自然であり、事実そうした作品はすでに数多く出ています。もちろんこれらの中には名作・秀作が少なくありません。自分がプレイしたものはごくわずかですが、その範囲で印象に残ったものをひとつあげるならば、ムーンストーンの「何処へ行くの、あの日」でしょうか。
しかし、ゲームが今日のような隆盛を極める前のいわば黎明期である1996年の段階で、並列世界という概念に対するひとつの完成された答えを提示してみせてしまったこの「YU-NO」には、単なるパイオニア的な役割をはるかに超えた絶対的な凄味を感じさせられます。自分の乏しいゲームプレイ経験ではあまりうかつなことは言えませんが、少なくとも並列世界という世界観において、このゲームを完全にしのぐ作品はいまだないのではないでしょうか。もちろん現在はCG、テキスト両面においてどんどん進化していますから、そういう意味では比較になりませんが、それは単に肉厚になっただけであり、骨組となる部分においてはYU-NOのレベルと変わらないか、あるいはあるものは劣ってすらいることでしょう。何ていうか、トランプ遊びをさあ始めようといって、いきなりジョーカーが出てしまったような感じですね。これより強い札、いったいどうやって出すんだっていう。

「歴史は可逆的であり、なおかつ繰り返さない」。最初は何を言っているのかわかりませんでしたが、プレイを終えた今では完全にスッキリしました。過去に戻った自分は「過去にいた自分」ではなく、「かつて現在にいて過去に戻った自分」であり、そこにはこの手の話でよく問題になる矛盾 − 過去の世界に干渉することによって現在の世界に影響する − がそもそも存在しない。無限に分岐する「ブリンダーの木」の中の新しい枝がひとつ増えただけ、とすることによって歴史観と並列世界を説明してしまうというこの構築の仕方は感嘆に値します。この世界観を一から考え出したのならもちろんすごい事だし、仮にどこか別にすでにあった考えをアレンジしたものだとしても、その素晴らしさに変わりはないと思います。
テキスト等から察するに、制作者はどうやら理系の方のようですね。並列世界の概念にしろ、個々の要素は基本的にファンタジーでありながら、その中でキッチリとした論理を組み上げているので、この手のファンタジーにありがちなウソっぽさが感じられません。ありえないこととわかっていながら、一方でひょっとしたらありうるんじゃないかと思わせられるくらいの説得力があります。
主人公のたくやは、そんな制作者の頭脳を反映しているのか、学校では落ちこぼれでありながら妙に頭がいいというか、博識ですね。澪に話して聞かせたうるう年の狂いの話なんて、素直にへえーと思わされました。

こうしたベースとなる世界観はもとより、それを引き立てるストーリーの立て方や、見せ方というのも周到に考えられていて、感心させられます。今のゲーム(の一部)が、いかに見かけ上のCGや音声、アニメーション等の演出に頼ってしまい工夫がないか、よくわかりますね。
ひとつとても印象に残っているのは、どこだったかのルートでの研究室内で、ナイアーブ症状の美月が背後からたくやに襲いかかるシーン。薄暗い部屋の机にまず(美月の)影を浮かび上がらせるところとかがとても緊迫感があり、攻略チャートによってこの後襲われることがわかっていながらもドキドキさせられました。
現在の水準とは比べるべくもない粗いCGと素朴な音楽、そして音声などもない中、決して見劣りしないこれだけのシーンを演出できるのです。技術の進歩にあぐらをかいて、何のひねりも工夫もない素人みたいなシーンしか作れない現在の一部のクリエーターはこれを見習えと言いたいです。

もっとも、ストーリー面でいえば、最初の現代編に比べて異世界編がいささか駆け足になってしまったのは惜しいですが…。何でも、本当は異世界編も現代編と同程度のボリュームにする予定だったのが、時間がなくこういう形になってしまったようです。ただ、それでも違和感や物足りなさをそう感じさせなかったのは、逆にさすがですね。それこそぶっとんだファンタジーのかたまりみたいな「デラ=グラント」の世界観をすんなり受け入れることができたし、セーレスやユーノといったキャラにも十分感情移入ができました。ただやみくもにテキストを費やせばいいってものじゃないということですね。制限されたボリュームの中でも、テキスト表現やストーリーの組み立てが必要十分になされている結果だと思います。
テキストといえば、名セリフもありましたね。確か亜由美ルートだったと思いますが、「言葉で伝えられることは限られているけど、言葉を使って初めて伝えられることもあるの」というのが、とてもジーンときました。こんな気のきいたセリフが聞けるゲームが、最近どれだけあるでしょうか。

ゲーム冒頭で社の近くに倒れていて死んでしまったユーノは、並列世界上にいる無数のユーノの中のひとり、ということでいいんでしょうか。その後、たくやが異世界編を経てトゥルーエンド(ユーノと世界の根源にたどり着く)に向かうことによって、またひとつ新たな「枝」−並列世界が分岐したということなのでしょう。こうなると、もう人の生き死にがわけわからなくなってきますが…。亜由美だって、デラ=グラントでは最後に死んでしまうけど、これも無数の亜由美の中のひとりに過ぎないということなんでしょうか。

最後に。この「大人の缶詰」バージョンでは、今の倫理基準に合わせるということで、一部伏字になっています。……まあ、これは、「親」と「子」ということでいいんでしょうね。なんでこれを伏せる必要があるのかずっと疑問のまま進めていたら、…ああ、そういうことね。まさか最後にユーノとのシーンがあるとは思わなんだ。でも、こういう近親ものって、現在では倫理審査機構によっては再び黙認される傾向にあるみたいなことを聞いたけど、どうなんでしょうね。ま、どっちにしろ親子はマズいか。