金丸にムーンサルト・プレスを決める小橋【拡大】
数々の大けが、大病を克服してきた鉄人の肉体は限界に達していた。最近は首の古傷の影響で両手や足に力が入らず、満足なトレーニングができない状態だった。昨年7月、力皇猛の引退試合での復帰を目指したがかなわず、骨盤から骨を取って首に埋めこむ手術に踏み切った。だが、除去した骨盤の代わりにセラミックを埋め込んだものの、その周辺の部分が骨折。上半身しか練習ができない状態に追いこまれた。医師からは「引退するか手術するか決めてほしい」と最後通告を突きつけられ、昨年12月に引退を表明した。
昨年2月以来、447日ぶりの復帰戦が最後のリング。鉄人は気力を振り絞って完全燃焼した。「きょう私は引退しますが、プロレスで培った不屈の精神で、これからがんばっていきたいと思います」。レスラーとして数々の記録、鮮明な記憶を残して、小橋がリングを去った。
小橋建太(こばし・けんた)
本名・健太。1967(昭和42)年3月27日、京都・福知山市生まれ、46歳。得意技は逆水平チョップ、剛腕ラリアット、バーニング・ハンマー、ムーンサルト・プレスなど。2010年に演歌歌手のみずき舞と結婚。1メートル86、115キロ。
★入門と移籍
高校卒業後、一般企業に入社したが、退職して1987年6月にジャイアント馬場率いる全日本プロレスに入団し、88年2月にデビュー。馬場の死去後、2000年に三沢光晴らと新団体プロレスリング・ノアを設立した。
★絶対王者
全日本時代に三沢、川田利明、田上明とともに四天王時代を築き、3冠(PWF、インターナショナル、UN)ヘビー級王座を奪取。ノアではGHCヘビー級王座を13度防衛し「絶対王者」と呼ばれる。96、98年にプロレス大賞最優秀選手賞(MVP)を受賞した。
★闘病と復活
左右の膝、肘の故障で、2001、08、10年に複数回の手術。特に膝は、骨折や靱帯断裂など度重なる重傷に悩まされた。06年には腎臓がんが見つかり、同年7月に右腎臓の摘出手術を受けた。
小橋建太の名勝負3番
★vs三沢光晴
2003年3月1日、日本武道館。GHCヘビー級選手権試合、時間無制限1本勝負で行われ、挑戦者・小橋が王者・三沢に花道から1メートル下のマットに投げ捨てられる壮絶シーンを耐え抜き、33分28秒、バーニング・ハンマーから体固めで勝利。第6代GHCヘビー級王者となる。
★vs秋山準
04年7月10日、東京ドーム。GHCヘビー級選手権試合、60分1本勝負で行われ、王者・小橋がチョップの乱れ打ち、エプロンからの投げ捨てなどで猛攻。35分34秒、バーニング・ハンマーから体固めで秋山を下し、9度目の防衛に成功した。
★vs佐々木健介
05年7月18日、東京ドーム。団体の枠を超えた剛腕対決は時間無制限1本勝負で行われ、200発を超すチョップの打ち合いとなった。互いに胸が赤く腫れあがる壮絶な打撃戦の末、小橋がエルボー5連発からラリアットで23分38秒、体固めで勝利した。
(紙面から)