フォントの問題がgooブログ側でなかなか解決しないので、とりあえずhtml編集で設定した、過去の記事との調整は後回しにする。
知り合いの方から「最近の子供は変らしい。反抗期がなくて親にも教員にも反抗せず、イジメだけが陰湿になっている」旨の話を聞いた。
昔作っていたHPで私は「苛められっ子のために」というエッセーを書いたことがあり、自分の体験を交えながら、苛める側は黙っているとかさにかかってくるから、一線を越えたらキレて相手に恐怖感を与える行動を取るべきだ、とかなり過激な具体策を示したことがある。これには「よく言ってくれた」というコメントが幾つか届いた。
最近までよくチャットをやっていて身につまされて分かったのは、大人の中に中学生の常連がいて、彼らは非常に真面目で頭がいいのに苛めにあっており、そのチャットルームが一種の癒しの場になっていた。そこで聞いたのは「臭い、と言われる」「久しぶりに登校したら自分の机にお葬式の花と追悼文が置いてあった」「いつも保健室登校している」「教師に訴えても苛めっ子がの親が教育委員会のお偉方だから黙認状態」などなど、色んな情報を得ることが出来た。
http://www.honyaclub.com/shop/goods/search.aspx?cat_p=00&search=%8C%9F%8D%F5&keyw=%82%A2%82%B6%82%DF&image.x=-803&image.y=-140 で「いじめ」で検索すると4600以上の本が刊行されている。一つのジャンルが出来ていると言えるだろう。
以下は文科省のHPから、その下は検索していてたまたま見つけたのだが2ちゃんねる的なブログの、多分中学生同士の会話である。
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いじめの構造(いじめの4層構造)森田洋司1986年 |
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いじめる生徒 |
○ |
観衆(はやしたてたり、おもしろがったりして見ている) |
○ |
傍観者(見て見ない振りをする) |
○ |
いじめられる生徒 |
いじめの持続や拡大には、いじめる生徒といじめられる生徒以外の「観衆」や「傍観者」の立場にいる生徒が大きく影響している。「観衆」はいじめを積極的に是認し、「傍観者」はいじめを暗黙的に支持しいじめを促進する役割を担っている。
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いじめの原因と背景 |
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児童生徒の問題
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対人関係の不得手、表面的な友人関係、欲求不満耐性の欠如、思いやりの欠如、成就感・満足感を得る機会の減少、進学をめぐる競争意識、将来の目標の喪失、など |
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家庭の問題
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核家族、少子家庭の増加→人間関係スキルの未熟さ |
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親の過保護・過干渉→欲求不満耐性の習得不十分 |
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親の価値観の多様化→協調性・思いやりの欠如、規範意識の欠如、など |
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学校の問題
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教師のいじめに対する認識不足 |
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教師も生徒も多忙で、お互いの交流が不十分 |
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知識偏重など、価値観が限られていると、差別の構造につながりやすい |
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生活指導や管理的な締め付けが強いと、集団として異質なものを排除しようとする傾向が生じやすい、など |
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いじめのサイン (参考資料 都教育委員会「いじめ防止のための手引き」狛江市人権尊重推進委員会) |
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表情や態度: |
沈んだ表情。口をききたがらない。わざとはしゃぐ。ぼんやりした状態でいる。視線を合わせるのを嫌う等。 |
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服装: |
シャツやズボンが破れている。ボタンがとれている。服に靴のあとがついている等。 |
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身体: |
顔や身体に傷やあざが出来ている。マジックで身体へのいたずら書き。登校時に身体の不調を訴える。顔がむくんでいたり青白い等。 |
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行動: |
ぽつんと一人でいることが多い。急に学習意欲が低下。忘れ物が多くなる。特定のグループと行動するようになる。使い走りをさせられる。プロレスの技を仕掛けられる等。 |
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持ち物: |
持ち物がしばしば隠される。持ち物に落書きされる。必要以上のお金を持っている等。 |
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周囲の様子: |
人格を無視したあだ名を付けられる。よくからかわれたり無視されたりする。発言に爆笑が起きる等。
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37: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/05/10 04:51:53 ID:jKiMN5nB0
勇敢にイジメを止めに入った学級委員長がフルボッコにされてたの思い出した
そらそうよ
39: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/05/10 04:52:53 ID:Ar89IE+IP
>>37
止めるんじゃなくて、止めるべき人や止めれる人を読んでくるだけでいいのになwww
45: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/05/10 05:03:32 ID:hD6sxBTAO
>>39
結果的に同じことになるでしょ
学校のイジメに関しては学生の手に負えないよ
同い年の複数人が悪意を持って1人を攻撃してるのを止められるわけない
教師なり保護者なり1ステージ上の人間が介入しなきゃダメだよ
46: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/05/10 05:04:45 ID:Ar89IE+IP
>>45
そうだから、委員長が止めるんじゃなくて教職員を読んで来い!っていう意味でした…
48: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/05/10 05:08:34 ID:hD6sxBTAO
>>46
教師呼んできた奴がバレて後でボコボコにされて虐められるよ
53: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/05/10 05:15:04 ID:Ar89IE+IP
>>48
そんなの教師がこってり絞っておけばいい。
ボコボコにするような気力削ぐように指導あるでしょ。
55: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/05/10 05:19:49 ID:hD6sxBTAO
>>53
教師にそんなことできるならイジメなんて存在しねぇよ
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社会の閉塞状況を示すなんともやりきれない記述の数々である。匿名の表記が同じなので
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142: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/03/26(火) 13:21:33.88 ID:ArK701u60
実際問題会社でもいじめは存在するんだし、大人がいじめを辞められないのに
学校からなぜいじめはなくならないのか、っていうのは正直ry 少なくする努力や気配りはすべきだがな
149: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/03/26(火) 13:25:21.59 ID:vqs18OdN0
いじめ止めようとしたら自分がいじめられる
それ考えると見て見ぬふりも仕方ない
加担しないだけマシ
俺がいじめられてた頃も「逆の立場なら俺も見て見ぬふりするだろうしなー」とか考えて腹立たんかった
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早い話、大人社会を含めて時代のエトスが思い切り保身的になって、長いものには巻かれろ、抵抗しても無駄、という空気が支配しているため「正義感の強い人間が損をする」だから自分は「傍観者になる」「どこが悪いか」という諦めの思想が出来上がっている。
そう言えばチャットにも「正義なんて言葉は嫌いだ」という意見がしばしばあり、正義を主張すると「カッコつけ」「偽善的」と絡まれる風潮があるぐらいだから「道徳教育」などというと、右翼か、としか思われないだろう。
こういうエトスの中では、大人は否応無く「狡賢く生きる」ことが要求される。子供が上記のようにイジメの問題について議論するだけまだピュアな部分が残っている証拠と言える。
文科省の分析は正しい部分もあるが(核家族の問題など)、自我心理学的分析が全く無いのが物足りない。
フロイトとその継承者たちは「性悪説」の立場に立って、人間の無意識には快感原則(欲望のエネルギー)があり、これは、何々したい、という身勝手な叫び。一方、何々してはいけない、何々すべきである、という超自我が半無意識的に存在し、多くの場合は親の教育によって育まれる。この欲望と道徳的規範、また現実社会のルールの間に立って欲望を現実原則に沿うように調停するのが自我の働き・・・大雑把に言えばこのように解説できるだろう。
自我が巧く働いた場合、快感原則は文化的創造などに昇華され社会的評価を得ることが出来るが、超自我が弱ければ犯罪を犯し、強すぎると神経症などを引き起こすことになる。自我は無意識と環境によって、名裁判官、名カウンセラーにもなりうるし、どうしようもない反社会的人格を形成する可能性がある。(今時フロイトは古いかも知れないが、私は唯識論と共に非常に参考になり、尊重している)
こういう事情で、個々の人格形成は良心の基盤となる親の言動や社会の善悪のルール次第でどうにでも変化する。
例えば戦争状態という時代のエトスの中では「国のために死ぬ、敵を殺す」のが正しい人間と評価されるだろう。逆に平和で一種の徳治政治が行われている社会では善良で正直な人間が評価されるだろう。
戦前の日本人は「神仏儒」の教えが交じり合い「悪いことをしたらお天道様が見てるよ」という暗黙の気風があった。
また、武士道や商人道、職人気質、農民にも二宮尊徳のいう報徳思想などが残っていたが、これらの規範は計画的かつ巧みに壊されてしまった。
三世代同居が当たり前だった時代では、祖父母が孫たちに生き方と同時に自分の死を看取らせることで「死の現実」「命の尊厳」を教えることが出来たが、核家族社会では「死」はリアリティを持たずビデオやゲームといった架空世界のものとなった。
悪い意味での男女平等が主張されて父親が権威を失ったために超自我の生まれるエディプスコンプレックスとその克服の環境が希薄になった。子供たちの目線から見れば、父親も教師も反抗する価値さえない下らぬ存在なのである(あくまでも第二反抗期の話)。
このような社会が産み落としたのが「デモシカ先生」(先生にデモなろう、先生にシカなれない)、モンスターペアレント、モンスタースチューデント、そして第二世代のデモシカ先生=モンスターティーチャーの三者が作り上げた「イジメという文化」である。
ではこういう閉塞状態を打ち破る処方箋は?の問題になるが、それまで書いていると夜が明けてしまうし、分かっていれば苦労しない。個別のイジメだけの問題なら答えは単純だが、そういう文化を生んだ時代全体を変えるのは容易ではない。
確実に言えることは、確信犯的な「悪の論理」に対して純心な「善の論理」では絶対に勝てないという事実である。悪の論理は自分たちの所属している社会が「悪である」ことを自覚した上で平然と虚言を重ね、中傷し、殺人まで犯す。こういう相手に一人で真っ正直に戦おうとすると「勇敢にイジメを止めに入った学級委員長がフルボッコされた」のと同じような結果になる。だから声無き大多数との団結が大前提で、後は「諦めず時を待つ」ことだろう。
微笑禅の会を作り「見性体験記」を記しながら、私が敢えて「大いに執着心は持つべき」と述べているのはここに関わっている。菩薩行を実践しようと思えば何らかの行動を起こすにも、健康、体力、経済力が必要になる。ここを理解せずに無や空ばかり唱えるのは、どこかが根本的に抜けているか歪んでいる証拠であり、現実は少しも変わらない。慈悲と愛語が怒りや批判と同じ箱に入っているように、色即是空と空即是色は表裏一体である。つまり、今、ここで、自分に何が出来るか、を問い続け、負けない闘いを実践すること、これが最も大切なことである。
大乗の修行は、「おのれいまだわたらざるさきに、一切衆生をわたさんと発願し、いとなむなり」であって、そのため「煩悩をわざわざとどめて生をうるおす。」いかにも人間的であらねばならない。根っから単調で曲線のないようなのはダメじゃ。(沢木興道師の言葉)