渓嚢 けいのう
Xi-náng
 4世紀に中国で書かれた「捜神記」の中で紹介されている山の妖怪。山精の一種とされる。三国志で有名な諸葛亮の甥である諸葛恪が江蘇省の太守だった時、山中であったという。子供のような姿で、人を見ると手を伸ばして引っ張る癖がある。恪が手を伸ばして逆に引っ張ったところ、すぐに死んでしまった。恪の説明によると渓嚢については「白沢図」という本に書いてあり、二つの山の間にいて自分の居場所から動くと死んでしまうのだという。

毛羽毛現
けうけげん
 全身が長い毛に覆われた犬に似た妖怪。マルチーズ犬そっくりな姿をしている。鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」によれば、全身が赤い毛に覆われているので「毛羽毛現」というのだろうとされているが、そもそも出現することが稀な妖怪なので「稀有稀現」と書くこともあるという。一説によると疫病神の一種で、縁の下のようなじめじめした場所に棲み、棲みつかれた家からは病人が出るとも言われる。

ゲウシュ・ウルヴァン
Geush Urvan
 古代ペルシア神話における、対処の雄牛。同じく対処の人間であるガヨマートと共に、アジ・ダハーカによって作り出されたという。悪の原理アンラ・マンユによって殺された、あるいはミトラによって殺されたなどの諸説がある。あらゆる動物や植物はゲウシュ・ウルヴァンの死骸から生じたと考えられた。名前は「雌牛の魂」を意味し、広い地域で家畜の守護者として信仰された。またミトラ教においては「ミトラに屠られる雄牛」としてミトラの神殿に絵や像として描かれ、儀式の中で重要な一部を担った。

ケセランパサラン
 
 主に日本の東北地方に見られる不思議な毛玉。山形県ではテンサラバサラ、宮城県本吉郡、志田郡、黒川郡ではケサラバサラという。ある晴れた朝に天上からタンポポの綿毛に似た(しかし種の部分は無く完全な球状)、白くて丸いフワフワしたものが舞い降りてきたらこれはケセランパサランで、捕まえて桐の箱にしまって大事にするとその人に幸福が訪れると信じられている。また、その箱の中におしろいの粉を入れておけばケセランパサランが増えたり、大きくなったりするという。多くの場合は一年に一度しか見てならず、禁をおかすと不幸になるという。雷と一緒に天から落ちてくるとする伝承もある。

ケツァルコアトル
Quetzalcoatl
 古代メソアメリカ、アステカの神。「ケツァル」とはエメラルドグリーンの羽を持つキヌバネドリの一種、コアトルとは「ヘビ」の意味を持つ。名前の通り、ケツァルの羽毛で覆われたヘビの姿をしており、場合によっては翼も持っている。また人間形でも描かれ、その場合、円錐形の帽子と貝の装身具を着けた姿であらわされることが多い。至高神オメテオトルから生まれた創造神の一柱で、太陽と同一視された。農耕、暦、火といった重要なものを人間にもたらし、また冥界におもむいて死神ミクトランテクートリから人間の下となる「骨」を取り戻し現在の人類を創造した。テスカトリポカにその座を追われ海の彼方へと去るが、マヤにおいては再び戻り、ククルカンという名で呼ばれる。

ケット・シー
Cait Sith
 スコットランドに棲む猫の妖精。胸に白いブチのある黒猫で、靴を履き、マントをはおって、人間のように歩きます。目は緑色をしていて、人間の言葉を理解するといいます。普段は正体がばれないように普通の猫のフリをしていますが、時々うっかりと人間の言葉を話してしまったり、立って歩いたりしてしまうようです。ケット・シーは自分たちの王国を持っており、宮殿は木のうろや廃屋にあり、人間と同じように王や王妃、一般民衆といった階級があります。普通、人間に危害を加えることはありませんが、虐待されたりすると、牡牛ぐらいの大きさになって自分たちの王国へ人間を引っ立てていきます。

ゲーデ
Ghede
 ハイチのヴードゥー教における死の神。「サムディ男爵(土曜日の神)」、「シミテール男爵(墓地の神)」とも呼ばれる。黒い燕尾服に黒い山高帽、サングラスをかけた貧相な小男の姿をしており、死者がギネー(ギニアのこと=神々の住処)に向かう途中にある「永遠の交差点」に立っているという。おおよそ他の死を象徴する神々とはかけ離れた神格で、非常に猥褻でラム酒を何よりも好むという。死の神であると共に愛の神、生の支配者であり弾痕の神でもある。十字架によって象徴され、「クロア男爵(十字架の神)」とも呼ばれるが、これはキリスト教とは関係のないものである。ゾンビの作成も彼の力に借りて行うものであるという。

ケナシコルウナルペ
 
 アイヌの伝承で胆振(いぶり)や日高地方にいるとされた妖怪。名前は「木原の姥」という意味。ざんばら髪の老婆の姿をしており、顔は黒く目や口はなく、親指のような鼻だけがある。木立の空洞の中や川岸などに棲んでおり、山に入ってきた人間に熊をけしかけて襲わせたりする。ある伝承では男が山で親のいない小熊を生け捕ってきたところ、真夜中に外が騒がしくなり、覗いてみると何故か熊の檻の中に頭の禿げた少年がいて、老婆の手拍子に合わせて踊っていたという。

ケネカムイ
 
 アイヌにおいて山野の湿地に生えるハンノキを顕現体とするカムイ。男性のケネカムイはカミフレク、女性をカミフレマッと呼ばれ、まとめてケネカムイという。これはハンノキが雌雄一株だからである。

ゲブ
Geb
 エジプト神話において大地そのものを象徴した神。緑の模様の入った巨人として描かれる。天空の神ヌトと大気の神シューの三神一体で壁画にかかれることが多い。彼は妹のヌトと共にシューとテフヌトの兄妹神から生まれた神で、ゲブとヌトは主神ラーがやっかむぐらい仲がよかった。そのためにラーがシューを二人の間に遣わすまでは、二人が互いに離れることなく抱き合い大地(ゲブ)に光が差し込まなかった。今大地が光が届くのはゲブの上にシューが立ち、ヌト(天空)を支えているからだと言う。

ゲフィヨン
Gefjun
 ゲルマン神話における女神。デンマークの守護女神で、処女のまま死んだ女たちの魂を守る女神。名前には「与える者」という意味があり、豊穣神でもある。アサ神族ともヴァナ神族とも言われ、ときにフレイヤと同一視される。オーディンに派遣されて、スウェーデンを支配していたギルフィ王の処に行き、鋤で掘り取れるだけの土地をもらう約束を取り付けた。そしてその後でヨツンヘイムに行き、巨人の種を受けて四人の息子を産み、彼らを雄牛に変えると、これに鋤を引かせて掘り取った土を海中に落とさせたのが現在のゼーランド島であると言われる。彼女はオーディンの息子スキヨルドと結婚し、デンマーク王家の祖先となったという。オズの別名ともされる。

ケベフセヌエフ
Kebechsenef
 エジプト神話において、ホルスの子であり、死者の腸が保存されている壷を守る役目を持つ神。

ケペラ
Khepera,Kheperi
 神聖甲虫のシンボルによって尊崇されたエジプト神話の太陽神。正午の太陽が壮年の神レーとして崇拝されたのに対し、日の出の太陽は青年の太陽神ケペラとして崇められた。日没の太陽は老年の太陽神アツム

倩兮女
けらけらおんな
 日本における巨大な女の妖怪。誰もいない寂しい道などを歩いている時に、人間の背丈より高い垣根や塀の向こう側にゅっと巨大な姿をあらわしケラケラと笑って人を驚かす。着物を着た中年の女の姿をしており、まるで踊るように楽しそうに手を振りながら、口紅を塗りたくった赤い唇を思いきりめくらせて笑う。一説に沢山の男たちを弄んだ淫婦の霊が化したものだと言われる。

ゲルド
Gerðr
 北欧神話における女神。ヨツン(巨人)族の出身で、「あらゆる女の中で最も美しい女」と称される。父はギュミル、母はアウルボダ。ゲルドとは「野原」、「耕地」といった意味。主神オーディンの王座「フリズスキャルヴ」(腰掛けると全世界を見渡せる)にたわむれに腰掛けたフレイはギュミルの館にいたゲルドを見つけ、一瞬で恋に、そのあまりフレイは病気になってしまった。フレイの父ニョルドと継母のスカジは息子を心配し、フレイの従者であったスキールニルにその悩みを聞き出させた。スキールニルは策を弄し、ゲルドに呪術を使ってフレイに自分自身を与えることを約束させたと言う。

ケルヌンノス
Cernunnos
 ケルトのガリア人に崇拝されていた冥界の神の一人。頭に牝鹿、牝山羊、あるいは牡牛の角を生やしていて、あぐらをかいて座った姿で表現される。また、傍らに角を生やしたヘビや牝鹿などを従えている場合もある。角は生殖を象徴しているため、一説では豊穣神の性格を持つとも言われる。動物の王でもあり、従者である牝鹿が一声鳴けば彼の周囲にあらゆる動物が集まり、喜んで彼のために働いたと言う。

ケルピー
Kelpie
 イギリスのスコットランド地方に棲む馬の姿をした水の精霊の一種。川辺の草原などで草を食べていることがあるが、近づくのは危険で、触ると手がくっついてはなれなくなるし、一度背中に乗ると降りられず、水の中に引き込まれてしまう。しかも、その背中は人が乗るたびに少しずつ伸びるので、何人でも乗ることが出来る。ある言い伝えでは、次から次へと7人の少女がまたがったが、少女達は全員湖の中へ引き込まれ、しばらくして内臓だけが浮かび上がったという。

ケレス
Ceres
 古代ローマにおける豊穣の女神。祭礼は4月19日。ギリシアのデメーテルに相当する。地下の神としての要素も持つという。

ケレンダ=アンガペティ
Querenda-Angapeti
 タラスコ人が信じる創造神クリカウェリの化身となる神。火の神であり、太陽神であり、またトウモロコシ(メイズ)の神。語義は「神殿にある石」。サカブで崇拝され、タラスコの王達は最初に収穫された果実悪阻の心臓に捧げた。アステカのセンテオトルに相当する。

軒轅 けんえん
Xuān-yuán
黄帝

元始天尊 げんしてんそん
Yuan-shi Tain-zun
 中国の成立道教(教義的道教)において、全ての始まりとされる純粋に哲学的な最高神。天地のできる以前に自然の気をうけて生まれ、天地の壊滅にもほろびず、天地の開かれるたびに大道を授け続けてきたという。ある道教経典では、盤古真人(盤古)を元始天尊だと説く。道教は、最初は太上老君を最高神としていたが、南朝梁の陶弘景になるとそれを下げて、元始天尊を第一位に据えるようになった。諸神仙の主宰者であり、道教の教義は、天尊によって諸神仙に開示され、さらに諸神仙によって現世の人間に示されると考えられた。三十六天の大羅天に住むといわれる。

玄天上帝 げんてんじょうてい
Xuàn-tiān shàng-dì
 中国道教において北方を守護する神。「真武君」とも呼ばれる。中国で古くから北方の守護神として信仰されていた神獣玄武が道教に取り入れられたもので、人身で描かれ、本来の玄武はその足元に配置される。道教の伝説によれば元始天尊の化身であるとされる。玉皇大帝に認められ天上界へ召され、殷の紂王の時代に玉皇大帝に地上の妖魔退治を命じられると、ざんばら髪のまま黒い衣を身にまとい、鎧兜に身を固め、六丁六甲らの神兵を率いて敵を都の獄へ閉じ込めた。この功績によって玄天上帝の称号を与えられたという。

ケンハリンガン
Kenharingan
 インドネシアのボルネオ東北部のマレーシア領に住むズスン族の神話に見える創造神。すべての物や生物を創り出した後で、「自分の皮を脱ぐことができた者は永遠に死なないようにしてやろう」といった。本当なら、どんな生物でも皮を脱ぐことが出来るのだが、その言葉を聞いていたのは蛇だけだったので、蛇のみが永遠の命をもらうことになった。