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NHKweb

皇太子ご夫妻 オランダで即位式に

5月1日 4時23分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130501/k10014290741000.html

オランダで新しい国王の即位式が行われ、11年ぶりの外国公式訪問となった雅子さまも、皇太子さまとともに式に臨まれました。
オランダの首都アムステルダムでは、現地時間の30日午前、王宮でベアトリックス女王の退位式が行われました。
続いて、新しい国王と王妃が退位した女王とともにバルコニーに姿を現し、王宮前の広場に詰めかけた

およそ2万5000人の歓声に手を振って応えました。このあと午後には、隣にある教会で

ウィレム・アレキサンダー新国王の即位式が行われ、皇太子ご夫妻も各国の王族らとともに式場に到着されました。
皇太子さまはえんび服、雅子さまは、白っぽいアフタヌーンドレス姿で、集まった人たちに笑顔で応えたり、
お二人で並んで写真撮影に応じたりしたあと、式場の中に入られました。
即位式には、ヨーロッパや中東など20か国近くの王族や、国際機関の特使のほか、
オランダの政府関係者や一般の国民らおよそ2000人が出席しました。
はじめに新しい国王と王妃が入場するとオランダの国歌が合唱されました。
そして、新国王のスピーチや新国王と議会の代表らによる宣誓の儀式が行われ、
皇太子ご夫妻は招待席の最前列で式の様子を静かに見守られました。
即位式は1時間ほどで終わり、ご夫妻は王宮に移動して新国王夫妻を囲んでの記念撮影に臨まれました。
皇太子さまと雅子さまは、それぞれモロッコの王妃や国連のアナン前事務総長と並んで立ち、にこやかな表情で撮影に応じられました。
ご夫妻は、このあと新国王夫妻が主催するレセプションにも臨み、
雅子さまは、即位式に伴う一連の公式行事への出席を予定どおり終えられました。

 

雅子さま 回復に向けた大きな一歩
即位式からレセプションまで3時間近くにわたる公式行事に臨み、
予定されていた務めを無事に果たされた雅子さま。
今月19日に皇太子さまとお二人での訪問が閣議で了解されたあとも、
親しい知人には、直前まで体調を見極めたうえで訪問するかどうか決めると伝えられていました。
回復傾向にあるとは言え、体調に波のある状態が続くなか、雅子さまは、今回の訪問を最後まで前向きに検討し続けられたのです。
背景には、「ぜひお二人でお越しいただきたい」というオランダ王室の意向がありました。
皇太子さまと雅子さまに、新しい国王と王妃からそれぞれ直接、即位式への出席を願う気持ちが伝えられていました。
皇室はオランダ王室と親密な関係にあるうえ、お二人は、7年前、当時の女王の招きで、
ご一家で静養に訪れた際のもてなしに深い感謝の気持ちを抱かれていました。
なんとか2人で行けないかと可能性を探り続けるなかで、

雅子さまは、即位式に伴うすべての行事に出席するのは難しいかもしれないと感じられていました。
これに対しオランダ王室は、雅子さまの置かれた状況に理解を示し、
「即位式などの中心的な行事に出ていただければ、あとはご無理いただかなくても結構です」と日本側に伝えるなど、
雅子さまが訪問されやすい環境づくりに協力しました。
一方で、これまで外国への公式訪問に慎重な考えを示していた雅子さまの主治医も、

訪問が成功すれば大きな自信につながるとして、前向きな検討を勧めることで雅子さまの背中を押し、
お二人での訪問の決断にも同意したということです。
訪問の日程は緩やかに組まれ、主治医も同行することになり、
雅子さまは多くの人たちの配慮や支援に応える形で今回の訪問に臨まれました。
療養生活が始まって10年目に入った雅子さま。
活動の幅に徐々に広がりが見られるなか、11年ぶりとなった外国への公式訪問で回復に向けた大きな一歩を踏み出されました。

 

祝賀ムードに沸くオランダ
オランダでは、ヨーロッパで最も若い46歳の新しい国王の誕生に、国中が祝賀ムードに沸きました。
即位式が行われた教会があるアムステルダムの広場には、オランダの市民や外国からの観光客などおよそ2万5000人が集まり、
多くが王室の象徴ともなっているオレンジ色の帽子などをかぶり、広場はオレンジ一色に染まりました。
即位式のもようは大型のスクリーンにも映し出され、厳かな雰囲気のなかで行われる歴史的な式典を、

市民は拍手と歓声を送りながら見守りました。
オランダでは、女王による統治が3代にわたって続き、男性の国王が即位するのは123年ぶりのことです。
また、アレキサンダー新国王は先週46歳になったばかりで、ヨーロッパでは最も若い国王となります。
ヨーロッパの信用不安の影響で、経済が堅調とされてきたオランダでも景気にかげりが見えるなかで、
若き国王の誕生という明るい話題に、この日は国中が祝賀ムードに包まれました。
オランダ人の若い男性は「国王の誕生で経済も上向きになってくれるとうれしい」と話していました。
また、雅子さまが11年ぶりの外国公式訪問先としてオランダを訪れたことについて、
オランダ人の男性は「日本とオランダ両国にとってもすばらしいことだと思う」と話していました。

 

 

 

くだらない

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>小和田雅子さん結婚前?

>空港でコロコロついたトランクを足にはさんでおさえていたw

 

そんな事実はないと思います。

あるとしても両手がふさがっていた一瞬の出来事。

ころがらないように止めたとか、防犯上押さえたということでしょう。

くだらない。

エピソード1

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温泉の女将さん 95年頃
皇太子さまは独身時代に来た時かなりお酒に強い印象だったが、
結婚してからは控えるようにしていたようだ。
皇太子ご夫妻出発後、部屋の椅子が動かされていたことに気づいた。
椅子を並べてテレビを見ていたようだ。
雅子さまが皇太子さまにお酌をしていて、ほほえましかった。
地酒をとても気に入った皇太子さまは6本まとめ買いして帰って行った。
旅館の主人がご夫妻を近くの散策コースへお伴して先頭に立った時、
その半月前に訪れた陛下ご夫妻の時と同じスピードで歩くと
「ご夫妻に追い越されていました。雅子さまはキャリアウーマンでしたし、
ご夫妻はお若かったから足がお早かったようです」

素顔の皇太子殿下を語る これ以上ないというお相手が決まって……
指揮者 堤俊作(談)
高円宮殿下は「俊友会のコンサートに浩宮殿下(当時)をソリストにお迎えしたら」というご提案をされたのです。(略)
これは練習をするだけの会だったのですが、殿下が「コンサートをやりましょう」と
おっしゃり、さっそく会場さがしが始まりました。(略)
しかしコンサート実現までには、さまざまな問題がありました。
それを殿下が粘り強く、時間をかけて関係者を説得されたと伺っています。(略)
殿下は目標を定めるとまっすぐに取り組まれる方です。いくたびかのコンサートを
通じて、そうしたさまざまなエピソードが生まれました。このたびのご婚約までの
殿下の一貫した姿勢というのも、こうしたご性格が現れていて興味深いものがあります。

週刊新潮1993/2/4 もう始まっている「雅子妃」いじめ

宮内庁はささいなことで、雅子さんにバツ印を付け、丸々五年の歳月をムダにしたのだ。
いじめの最大の加害者は、宮内庁なのである。
例えば、六日に内定報道が広がった時点で、宮内庁だけはこれを一切認めませんでした。
確かに、今度の皇太子妃選びでは、宮内庁はひたすら殿下の邪魔をしていただけ。
(略)
宮内庁は、「雅子さんの洋服については全く関知していません」と言うが、
無言の圧力をかけ、暗黙のうちに前例に従わせるイヤらしさは宮内庁のお手のものである。
(略)

 

善意

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美智子様
「結婚するまで、私は人間とは善意であると思っていましたが、そうで無いという事を知りました」


皇室ジャーナリスト
そうでないことに愕然としながらも自分は他人に善意であり続けられたのは立派。
でも、善意ゆえに他人を傷つけるということもある。
美智子様が手紙に書いた言葉の「(皇太子様は)寂しい人」 という言葉は、良子皇后たちを傷つけた。
皇族や公卿・大名華族のなかには経済的理由や、古い因習のために
どうしても子供達を他家に預けて育てざるを得なかった方々が沢山いた。
たとえ離れて暮らしいても、子供は幸福であって欲しいという祈りにも似た切ない親心を痛めつける発言。
庶民においても、親子一緒に暮らして当然という家ばかりではない。
悪意のない傲慢さはあった。 善意から出た、無知ゆえの言葉というのは分かっていても、
このような手紙が表にでたことについては軽率だったのかも知れない。

大膳

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元大膳の渡辺誠
(成婚前)皇太子はずっとメニューのリクエストなどしたことなどなかった。
ところが、ある日を境に「フォアグラ」とか「中国料理のコース」とか注文し始めたので、

おやっと思っていたら雅子様と一緒の食事だった。
フォアグラは通常は缶詰のものを出していたけれど、
外国から空輸された「フレッシュフォアグラ」を所望された。
内定直前の雅子様の誕生日のディナーのメニューが
「フレッシュフォアグラのせステーキ(ロッシーニ)」
中国料理のときは初め渡辺さんが提案したメニューにダメ出しして、もっと豪華なものに変更した。

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これは断じて雅子様のリクエストによるものではなく、皇太子さまが雅子さまをもてなそうとしたのです。

 

 

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皇室特番より

退職の挨拶

部屋で皇太子ご夫妻が大膳から別れの挨拶を受ける→
夫妻が隣の部屋へ退場→大膳が挨拶の部屋を出ようとする→隣室から大爆笑
その大膳は「これからも笑いの絶えない東宮家が続いていくのだな」と感慨深かった。
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退職した方のことを笑っていたのかという、心ない噂がありますが

全く関係のない、たわいのないことでご夫妻で明るく笑っていたそうです。

大膳の方も、感慨深かったとおっしゃっていたのだし、素直に解釈してよいのではないでしょうか。

 

 

AERA

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平成5~6年頃のAERAより

 

●「どうして分かっていただけないの」
側近たちの話を聞くと、侍従たちが次第に余計なことはするまいと考えるようになるのにも、
無理からぬところがあるようである。
それというのも、皇后陛下のご気性に激しい側面がおありのためである。
普段は慈愛に満ちたお顔からも分かるようにお優しいお方なのだが、癇性な面もお持ちで、
御所の中では時折、甲高いお声を上げられたりすることがある。
女嬬というお側のお世話係りの女性が仕事を失敗したりすると、こっぴどくお叱りをうけたりしている。
侍従たちにはもっと手厳しく、お気に召さないことをすると、
「どうして分かっていただけないの」などとおっしゃって、延々とお小言を賜る。
ある侍従などは一時間もしかられ続けたのである。
それが嫌で、侍従たちは何とか皇后陛下のお気に召すように、と考えてばかりいる。
それだけに、直言やら諫言を申しあげることなどは夢のまた夢なのであります。

●「アチラ」がウンと言わなければ…
天皇、皇后両陛下のお暮らしぶりには、いろいろと疑問や不安を感じさせることが多いのですが、
その原因の最たるものは、皇后陛下のお力が増大してしまったことだと感じてならないのである。
とにかく、行幸啓にしろ、パーティーの計画にしろ、
皇后陛下が「ウン」とおっしやらなければことが進まないのである。
天皇陛下だけの内諾を得て、関係方面と調整しても、
最後に皇后陛下が「ダメ」とおっしゃれば、それですべてが覆されてしまう。
最近では、だれもがそれを承知しているから、起案したらまず皇后陛下にお伺いを立てる。
それでご承知いただけたとなれば、最後まで問題は生じない。
天皇陛下ご自身がこうした力関係を十分に承知されているから、ご了解を頂きに参上すると、
「アチラはどう言ってるの?」と皇后陛下のことを気づかわれたりされている。
本来、ご皇室にとって皇后陛下は、あまり意味のある存在ではない。
ご公務は勿論、大抵の儀式も天皇陛下がおいでになれば事足りる。
にもかかわらず、皇后陛下が意味もなくでしゃばってこられるのである。…

●天皇ご一家の快楽主義的傾向…
宮内庁の多くの職員が衝撃をうけたのは、週刊誌『アエラ』に載った元東宮侍従の浜尾実さんの発言だった。
「后妃たちの20世紀」と題した記事の一コマにすぎないのだが、
浜尾さんは「天皇家は、『国民と苦楽を共にする』と言われているが、私には『楽』しか
共にしていないのでは、と感じます。コンサートに行ったり、展覧会を見たり…」と発言し、
「苦」も共にして欲しいと注文をつけているのだ…
…夏の軽井沢でのテニス。那須、須崎、葉山にご用邸があるのに、
ホテルに宿泊しなければならない軽井沢にばかり出掛けられること自体、好ましいものではないのだが、
それはさておき、軽井沢では必ず、別荘の主たちが組織している
軽井沢会のテニスコートでプレーをされることになっている。
中央にテラスハウスがあり、それより奥でプレーされるのならば、
道路からかなりの距離があり、目立たないで済む。
ところが、天皇ご一家は必ず、手前の道路に面したコートをお使いになる。
その結果コートのぐるりの金網には二重三重の人垣ができ周辺の交通は大混乱することとなる。
衆人環視の中でわざわざプレーをされる必要があるのか。
皇后陛下がショートスカートの裾をなびかせ、太腿をちらつかせラケットを振られるお姿を見守る人々の目は、
必ずしも暖かいものではない。

テニスといえば、御所内のコートでは毎日のようにお楽しみになられているが、
先帝陛下が崩御され、さらに、大谷智子さまがお亡くなりになったときだった。
テニスは、宮内庁ではお遊びでなく表芸扱いなのだが、この時ばかりは
庁内 に服喪のためテニスを当分、控えるようにお達しがだされた。
ところが、である。なんと、お三方だけが気になされることなく、ふだんどうりのテニスをされた。
両陛下と皇太子殿下である。…

●「クリーニング店」と化した赤坂御所
…ご公務に次々とプライベートスケジュールをお加えになる。音楽会、展覧会、ご趣味のスケート、
各種記念大会やパーティー…。
あまりにスケジュールをタイトにしているために、自暴自棄状態に陥ってしまうこともある。
お出かけが増えることで職員が困っていることにお召し替えの問題がある。
ご承知かどうか、ご皇族は着替えの際には、庶民のようにシャツやズボンだけ着替えるということがない。
着替えるとなれば、下着からすべてを取り替える。
そして、下着にまできちんとアイロンを掛けたものを身につけられる。
また、服装にはTPOがあるから、場面場面でお召し替えなさることとなる。
例えば、朝、寝間着から着替えた後で、テニスをするとなれば、スポーツウェアに着替えられる。
テニスが終われば普段着に、その後にパーティでもあれば正装に…
といった具合にお召し替えを煩雑に繰り返される。
一度着たものを洗わずに再び着ることはないから、その度に、大変な量の洗濯物がでる。
そこで、ご一家のお出掛けやお楽しみが増えれば、職員たちは洗濯とアイロン掛けに追われることとなる。
昨今の赤坂御所内はまるでクリーニング店で、雨天でも続けば職員たち総出で
深夜九時、十時までアイロン掛けにおおわらわなのである。
アイロンを持ち続け、腰痛を訴え公休をとり医者に行くものまで現れるのだから、ことは深刻である…。  

 

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昨今の雅子様に批判的な記事の悪質さから考えるとこの記事もすべてが事実というわけではないのでしょう。

もちろん、両陛下が洗濯の指示を出すわけでもなく、そのようなしきたりなのでしょう。

 

雅子様が皇后になったら、このようなしきたりはやめさせると思います。

雅子様は大らかな方ですし、合理的です。

頻繁なお召し替えはなさいませんし、アイロンの有無もお気になさらないということです。

 

 

上原善広

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…そして、最後に触れておきたいのは、ある部落出身者が皇族に嫁いでいるという事実だ。
皇族と部落が重なっている。まさに日本最大のタブーなので、報道されたことは一度もない。
ある関係者からその確証を得て今回、わたしは実地にその部落を見に行ってきた。
何県(G県T市)かということもここでは控えたい。そこは、今は廃れてしまったが、元は有名な城下町。
その人の住んでいた場所の裏にひっそりと、忘れ去られたように白山神社が建っている。
その周囲はボロボロのバラック様の建物ばかりで、N ・Aの出身地よりも田舎だけに、
そのみすぼらしさはよく目立つ。もちろん未指定地区になっている。ここの出身者が皇族に嫁いだということで、
地区指定を見送られたのだ。そのため、行政による環境改善はほとんど入っていない。
かつてMと呼ばれたこの地区は、その昔は湿地帯で住みにくいところだったと、明治以前の記録に残されている。
この地域の城跡はここから数キロは離れたところにあるのだが、実際に城があった頃は、
この部落の近くまで勢力があった。城の追手門跡は、実にこの部落の至近に設置されている。長
吏や牢番を代々担当してきたのは部落民だったため、昔の城の近くには被差別部落が置かれることが多かったのだ。
群馬県T駅に降り立ったのは午後3時くらいだろうか。私は駅を出ると横を通り駅舎の裏側に出た。
部落は必ずしも一律全てが悪条件な場所にあるのではない、ということを以前 に書いたが、ここはそれとは正反対。
いわゆる今までの偏見どおりの、条件が悪 悪い部落に入るか。 以前の地名は「××町」といい、
道端の案内板によると、昔は湿地帯の中を曲がりくねった道が続いていたので、

それで××とつけられたと、道端の案内板は解説している。
ここは非常に説明しにくい部落だが、非常に貴重な部落でもある。なぜなら 、ここから女性が一人、
皇族に嫁いでいるからである。そもそもこの土地については、ある研究者の方に紹介していただいて知ったのだが、
最初は私も半信 半疑であった。しかし今回実地に歩いてみて、それを確信するに至った。

まず、日本有数の企業N社がここから誕生しているのだが、女性はその社長 の娘だった。
地元では「粉屋の娘」と呼ばれていたという。何代にもわたって記録的な成長を続けてきたこのN社だが、
それはやはり「差別からの脱却」がまず根本に、怨念のようにあったからであろうと思う。
江戸期から商いに奮闘してきたその歴史は、彼の地にあるN記念館でも辿ることができる。

老舗の醤油屋も現在彼の地にあるが、その醤油屋から分家してできたのがN社である。
「こな屋」と「醤油屋」はいずれも女性の一族の経営で、故に彼の地ではうどんが名物となっているが、
これは不味いのであまり有名でない。醤油もそう良質な醤油でなかったと聞いている。
駅の裏にはそれらの工場群が散在する。日本を代表する大企業であるから、本社はずいぶん前に東京に移してあるが、
工場は小規模ながらまだこの発祥の残っている。いずれも古い施設だ。その工場の一つをぐるりと回ると、
その裏にひっそりと、これもまた古ぼけた白山神社が祭られている。白山神社の周囲には廃屋と呼んでもよさそうな、
朽ちかけた家々が並ぶ。ここは女性が皇族へ嫁いだため、行政から同和地区指定されなかった。
指定を受けると部落とわかってしまうからである。家々の横を泥川が流れる。

「貴あれば賎あり」から真に貴も賎もない時代へ・・・

私はこのような事実をことさらスキャンダラスに書いて、読者や部落民の劣情に訴えたいのではない。
休刊した「噂の真相」三月号でも書いたが、この事実を考えると、私たち「平民」よりも
皇族の方が先進的ではないかと思うのだ。なぜなら皇族は過去の身分上、最高位にいる。
その彼らが過去の身分上最底辺の部落民と結婚するなどということは、身分社会の崩壊を意味しているからだ。
ただ「平民」と「部落民」の結婚差別どころの騒ぎじゃない。無論、皇族や宮内庁内には数々の激しい抵抗が
あったと予想できるが、私たちにそのことをうかがい知ることはできない。私はこの事実を知ったとき
「さすがは象徴天皇である」と、心の中で喝采した。私たちも税金を払っている身である。
しかし、この事実は、公表されて初めて意味を成すことである。公表すればそのまま、
差別に対して皇族の先進性がアピールできるではないか。これをもって「部落解放」を宣言しても良いくらいの、
画期的な「事件」なのだから。しかし、それはされなかった。
そうした事実がまことしやかに広まることもほとんどなかった。
一部の研究者や関係者だけの心に留め置かれたのである、なぜか。

女性が結婚したその当時は、残念ながら差別はまだまだ悲惨なものだったからである。
しかし、これは快挙事であることは間違いない。現天皇が自らの祖先について朝鮮半島を持ち出して
一騒動になったことはまだ記憶に新しいが、今思えば彼らしい自由な発言であるといえる。
そして今回の皇太子による「雅子のキャリアや人格を否定する動きがあった」という発言は、
この父にしてこの子あり 、真に勇気ある堂々とした発言だ。周囲の関係者や宮内庁職員の方が、
天皇家よりも閉鎖的で前近代的なのだろう。正に皇室の新時代の幕開けと見て良い。
私は今まで松本冶一郎の「貴あれば賎あり」を信じてきたが、これからはそんな古臭い言葉なんか放棄したい。
真に、貴も賎もないのだとしたい。
こうした事実を、この稿で堂々と具体的に公表できたらいいのに。
そして地名も堂々と公表することができたとき、部落解放は成されたと見ても良いと私は思う。
彼の地を歩いたその夜、たいしてうまくない田舎町の飯と酒と女だったが、それはたいそう私のはらわたに沁みた。
彼らの「歴史的な結婚」の四十年に乾杯しようではないか。

 

 

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おまけ某スレより

 

香淳皇后(昭和天皇妻)
「良子(ながこ)女王の父は久邇宮邦彦王・・・
久邇宮家を継いだ第八子の邦彦王は、朝彦王が伊勢神宮の宮司であったとき、
身分の卑しい下女に生ませた男子である。
俗にいう"部落"の娘の子が邦彦王である。貴と賤はいつも混じりあっている。・・・
 

久邇宮朝彦親王
寿満(すま)
生没 ?-? 略歴 ●島津斉彬の側室。
●出自は不明。薩摩藩士伊集院兼珍の養女となり、島津斉彬の側室となった。
側室の中でも最も斉彬の寵愛を受けたとされ、5人の子をもうけた。
このうち[日韋]子は、斉彬の後継忠義の正室となっている。

 

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民間からお妃になった方はいつもこのように根拠なく貶められます。

美智子様も、紀子様も、そして雅子様も、嘘か本当かわからないような話を広められて、貶められています。

 

賤の噂があれば、貴の噂もあります。

毅夫様も世が世なら親王、あるいは王と呼ばれる生まれだという考察もあるらしいのです。

何代も遡れば貴も賤も混じりあっているのは当たり前のことなのかもしれません。

 


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香山リカ

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香山リカ TV番組で(2009)

 

手塚治虫『赤の他人』

この作品の中で少年は「、「両親はじめ全てが偽者で俺をだましている」

という事実に気がつく。

少女の頃、これを読み、同じ想いに襲われた。

両親に向かって「知ってるぞお前ら!」などと言っていた。

 

(スタジオの人「本当に言ったんですか?」)

 

その後も「自分は騙されてはいない」という確信が欲しくて

暗中模索・紆余曲折の末精神科医になった。

 

現在大学の教員をしているが、毎年学生にこの作品を読ませ、

「“あなたの人生はこうじゃない”(全世界に騙されているんじゃない)という証拠を挙げて下さい」

という課題を出している。

 

何人かの学生は「私も同じ事を考えています」と書いてくれるが、

ほとんどの学生は「こんな事はありえない」とか

「私の顔は親にそっくりだから」とか、全然つまらない事を書いてくる。

 

、ある哲学者にこういう課題を出してるんですという話をしたら、

「それは検証するのは不可能。だから答えのないレポートを出している事になり、不適切な問題」と言われた。

 

と笑いながら話す香山リカ。

 

 

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香山さんはどうやら統合失調症のようです。

このような頭のおかしい方に雅子様を語ってほしくはありません。

雅子様擁護、雅子様批判、どちらにも頭のおかしい方がいるようです。

 

 

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