Ki
 シュメール神話において天地創世の際に登場する大地母神。バビロニア神話のキシャルに相当する。シュメール語による原意は「大地」。天の体現者であり夫であるアンと共に原初の海ナンムから生まれ、大気の神エンリルを産んだ。キは「全ての神々の母」と考えられているが、創世神話以降の神話には登場せず、大地母神としての性格はイナンナに受け継がれることになる。

鬼 
gui
 中国における霊魂の総称。中国では太古から人間の霊魂は死後も存続し、また人間に生まれ変わると信じられていたが、人間の、特に子孫に祀られない霊魂は遊鬼となって様々な災害を起こすと信じられた。「鬼」は「帰」に通じる言葉であり、死者の国から帰ってきた者、つまり「悪霊」を指し、基本的には姿は見えないものとされるが、日本の幽霊のように生前の本人の姿をとることもあった。縄で首を吊った者はその縄を持って出現し、水死した者は水死体の姿をとどめているといわれる。恨みをもって人間に害を成すが、稀に生者の国で人間と同じように暮らし、子供をも置ける鬼もあったという。

 
Kuí 夔(キ):Unicode5914
 中国神話において五帝(参考:三皇五帝)の二人、の臣下とされる神。楽官(朝廷の音楽に関することを司る官吏)として音楽を司り、若者達に教えたとされる。ただ、これは孔子編といわれる「書経」という書物にかかれたの姿であり、「山海経」と呼ばれる中国の地理書には全く違うことがかかれている。それによればは、東の流破山という場所にいた怪物で、牛に似た姿をしているが角は無く、また一本しか足がない。体は青みがかった灰色をしており、一本足なのに海を自由に泳ぐ。また泳ぐたびに強風と大雨をもたらし、目から太陽のような光を発し、口を大きくあけて雷鳴のような声で叫ぶという。この化け物に目を付けた黄帝はこれを捕らえ、剥いだ皮で軍鼓を作ったという。
 この二つの書物のに対する見解の違いの原因は、神話を歴史に無理やり転化したための矛盾であると考えられる。こういったことを行ったのは孔子を始めとした儒家であり、「呂氏春秋」という中国の雑家書にはこう書かれている。魯の哀公という人が孔子に「一足」とはどういう意味か?と尋ねた。この文は素直に読めば「は一足(一本足)である」と読めるからだ。楽官であったはずのが一本足というのはいささかおかしいというわけだ。これに対して孔子はこの文を「は一で足る(一人いればそれで足りる)」という意味だと教えたという。ただ、「山海経」も「書経」も成立年代がはっきりしていないため、どちらのが正しい姿なのかははっきりとは分かっていない。

キアン
Cian
 島のケルト神話における太陽神。医術の神ディアンケトの息子で、魔神バロールを倒すことになる光の神ルーの父親。彼は牧童として、ガヴィジーン・ゴーという職人が飼っていた魔法の牛の面倒を見ていた。この牛は魔神バロールの宮殿を造った功績として、ガヴィジーン・ゴーが魔神から授かったもので、一度に200樽もの乳を出すといわれていた。だがキアンはこの牛を逃がしてしまい、牛は本来の主人であるバロールのもとへと帰ってしまった。キアンは慌てて牛の後を追い、海神マナナン・マクリルの助けを借りてバロールの地下帝国へとたどり着く。そしてそこで、美しいバロールの娘、月の娘エフネと出会う。彼女は、その息子が自分を滅ぼすという予言を恐れたバロールによって幽閉されていたのだが、キアンはエフネと恋に落ち、そして光の神ルーが生まれ、予言どおりルーはバロールを倒すことになる。だがキアン自身はフォモールとの戦いの最中に知恵の神エクネによって殺されてしまった。

羲和 ぎか
???
 中国神話においての数多くいる妻の一人とされる女神。十個の太陽の生みの親だとされる。羲和の生んだ十個の太陽は最初一つずつ空を登っていた。東南海の外には羲和の国があり、そこで羲和は太陽たちに湯浴みをさせて汚れを落とさせたとされる。しかしの時代になると十個の太陽が同時に現れるようになり、草や木は焼け焦げ、人民は大いに苦しんだ。そこで天帝だった帝が弓の名手であったを地上に送り、太陽に住むとされる烏を次々と打ち落とし、太陽を一個にしたのだという。また羲和は太陽の御者だったとする伝承もある。羲和が御者となって太陽を運ぶ車が、東の東谷を出発すると朝になり、西の虞泉に近づくと夕暮れになり、蒙谷に入ると夜になる。太陽が十個あるのは月を10日で分けて上旬、中旬、下旬とするような暦の区切りに関係があるといわれている。

キキーモラ
Kikimora
 ロシアにおいて民家の暖炉のそばに棲む女性の精霊の一種。決して歳をとらない痩せた小人の少女だとか、狼のように大きな耳を持つ頭に頭巾をかぶり、鳥のように尖った嘴と鶏のような足を持つ女だとか言われる。働き者の主婦の味方で、皆が寝ている間に機織りを手伝ったり、家事の一切を肩代わりしてくれる。が、怠け者の主婦がいるとその子供を夜泣きさせ、お祈りを怠る主婦がいると機織り用の紡ぎ糸をめちゃくちゃにして困らせるという。

キジムナー
 
 日本の沖縄に住む木の精霊。「キジムン」、「ブナガヤ」ともいう。河童のようだとか、全身が赤い色をした子供で髪の毛をたらしているとも言われる。古びたガジュマルの木に棲み、海辺や川辺によく出現する。家に棲み付いた場合は、家のものを漁に連れて行き、大量の魚をとらせる。しかもキジムナー自身は魚の片目しか食べないので、その家はどんどん豊かになるという。しかし、怒らせたりすると家を出て行き、その家は破産したり貧乏になるという。

鬼子母神 きしもじん
Hārītī
 仏教の守護神の一。サンスクリット語でハーリティーと呼ばれる。訶梨帝母(かりていも)、歓喜母とも言う。仏教の伝説によれば、釈尊在世の頃、この鬼女が王舎城に出現して、民衆の子供を奪い食ったが、釈尊に教導され、五戒を受け、以後王舎城の守護神になったといわれる。日本では安産、保育の神として信仰される。また時に盗難よけの神ともされる。しかし仏教に取り入れられる以前のインドでは生産の神として信仰されたと考えられる。単独で信仰されるほか、密教では普賢十羅刹女図中にも加えられる。

鬼車 きしゃ
Kueiche
 中国において、災いを呼ぶという怪鳥の一種。別名を「九頭鳥」といい、その名の通り九つの頭を持つ鳥である。鬼車は十の首を持っているが、頭は九つしかない。これは犬に噛み切られたとか、古代周王朝の宰相・周公旦が庭師に指させたからだとか伝えられている。この頭の無い首からは常に血が滴り落ちており、人々はこの怪鳥の襲来を容易に知ることが出来た。鬼車がやってくると人々は家の灯かりを消し、犬を叱って吠えさせてこれを追い払ったという。
 一説に、鬼車はその首一つにつき一対の翼があったため、いざ飛ぶとなると18枚の翼が互いに競い合い、絡み合ってついには互いに傷つけ合い、結局役に立たなかったという。

キシャル
Kishar
 バビロニアにおける大地母神。シュメールにおけるに相当する。男性原理を表す夫のアンシャルと対応して女性原理を表す。語義は「大地の果て」。バビロニアの英雄詩「エヌマ・エリシュ」("高きに居るころ")では、太初の神ラームとラハムに続く二番目に登場した夫婦だと謳われている。これらの夫婦はどちらもアプス(真水)がティアマト(塩水)と混じりあったときに誕生した。アンシャルとキシャルから、天空神アヌ、真水の叡智の神エアや空に住む神イギギ、地上と黄泉の国に住む神アヌンナキが生まれた。

キチ・チ・マニトゥ
Kitchi-Chi-Manitoxu
ギチ・マニトゥ

ギチ・マニトゥ
Gitchi-Manitoxu
 スペリオル湖周辺に住むネイティブアメリカン、オジプワ族の信じる偉大な精霊(マニトゥ)。キチ・チ・マニトゥとも呼ばれる。すべてのマニトゥの上位に位置するマニトゥ。

吉祥天
きっしょうてん
 「きちじょうてん」とも読む。もとバラモン教の女神で、のちに仏教に入った天女。顔かたちが美しく、衆生に福徳を与えるという女神。父は徳叉迦、母は鬼子母神で、北方の毘沙門天の居城に住むとされる毘沙門天の妻(あるいは妹)という。日本では金光明最勝王経会や吉祥悔過会の主尊としてまつられた例が多く、像容はふつう宝冠、天衣をつけ、右手を施無畏印、左手に如意宝珠をのせ、後世も美貌の女神として親しまれる。

狐憑
きつねつき
 日本における憑依迷信の一つ。狐の霊が人にとり憑いて異常な状態に導くという。犬神のように家筋につく場合、その家系は「狐筋」と呼ばれる。ヒステリー性、発作性の精神病の一種が原因だと思われる。実際に狐になりきったようなしぐさをしたり、色々なことを口走ったりするという。治療には行者や神職者を呼んで、松葉いぶしのような、「狐落し」の呪法が行われる。古く平安時代の文献にも現れ、また農村を中心に広く分布したが、狐に対する得意な感覚や信仰の故もあって根強い迷信となり、熱病患者を狐憑と誤って松葉いぶしにしたり、「狐筋」とされた家系は縁組を忌み嫌われたりしたこともあった。

狐火
きつねび
 日本における怪火(あやしび)の一種で、夜、道の通ってない山腹の獣道などに、火が点々と見えたり消えたりする現象を言う。まるで行列のように一列に並んで火が移動するばあいこれは「狐の嫁入り」とも呼ばれる。東北地方では「狐松明(きつねたいまつ)」と呼ぶところもある。炎は点滅しており、赤またはオレンジ色で、数十個、数百個と数を増やしたかと思うと突然消え、再び数を増やしたりする。一説に狐が口から吐き出す息がポッと燃え上がる現象だとも言われる。江戸では王子稲荷が狐火の名所とされた。秋田県平鹿郡では良いことの前兆とされた。

キナシュッウンカムイ
 
 アイヌにおいて、蛇(とくにアオダイショウ)を顕現体とする男性のカムイカンナカムイの使いとされ、また巫女に憑くカムイとも考えられた。

キーヌシ
 
 日本の沖縄において、大木に棲む木の精霊の一種。ガジュマロの木の精であるキジムナーはしばしば木の外に出て活動するが、キーヌシは自分が棲んでいる木から外に出ることはなく、その姿を見たものはいないという。したがって姿は分からないものの、キーヌシが木の中にいるのは確かで、夜中にミシミシと木が倒れるような音を立てることがあるという。これは自分の運命を悟ったキーヌシの苦しみの声で、数日後には声をあげた木は枯れてしまう。

キムナイヌ
 
 北海道の一部と樺太に住むという山男の一種。「ロンコロオヤシ(禿げお化け)」ともいう。巨大な身体のほとんどは毛むくじゃらだが頭だけ禿げており、禿げ頭の話をすると気分を害して山に嵐を起こしたり大木を倒したりして人々を困らせる。しかし基本的には気がよく、しばしば山中で困っている人を助けてくれる。また煙草が大好きで、タバコを吸っている人がいると近づいてくる、この時幾らか煙草を分け与えれば、人間に害はないとされる。

キムンカムイ
 
 ヌプリコカムイとも呼ばれる。アイヌにおいて熊を顕現体とするカムイであり、熊の衣装(毛皮と肉)を来てアイヌモシ(人間の世界)に降り、衣装(皮=衣服と肉=食料)を人間に与えてカムイモシ(カムイの世界)に帰って行く。単に「カムイ」と言ったときはこのカムイを指すほどアイヌ人にとって代表的なカムイである。熊は大きく、力強く、牙と爪は鋭く脅威であり、しかしながら肉は美味くまた多く採れて、毛皮も便利。こういったことに対する恐怖と畏敬と感謝の気持ちから生まれたカムイである。山に住み、山を領土としている。

九嬰 きゅうえい
Jiŭ-ying
 中国における怪物の一。太古の時代に、10個あった太陽のうち9個を落としたとされる英雄(げい)は色々な怪物を退治したが、九嬰はそのうちの一つ。名前のとおり頭が9つある怪物で、中国北方の凶水という川に棲み、口から火を吹いて火事を起こしたり、水を吐いて洪水を起こしたりして人民を苦しめた。獰猛で、げいと激しい戦いを繰り広げたが、結局は矢で射られ、凶水の流れに呑み込まれてしまったと言う

窮奇 きゅうき
Qióng-jī
 中国神話に登場する怪物。四凶の一。凶暴な虎の姿で前足の付け根あたりに翼があり空を飛ぶことができる。性格がひねくれていて、人が喧嘩していると正しい方を食べ、実直な者がいると鼻を食べ、悪人がいると褒美として獣を捕まえて贈るという。もともとはそれほどひどい悪者ではなく、西方の地で害を及ぼす魑魅魍魎の進入を防ぐ役目をしていた。

九皇 きゅうこう
Jiŭ-huang
 東南アジアの華僑たちに信仰されている神。「九皇爺」、「九斗氏」、「九皇大帝」とも呼ばれる。神話では天老か導母の九人の息子で、北極星に位置する天老の周りをめぐる九つの星は九皇だとされる。漢代の説話では、五斗米道の祖である張道陵が皇帝から厄落しを命じられて壺に封印した九つの悪霊が九皇だとされる。また明代の説話では、九皇は明皇帝の九番目の息子の九代後の子孫であるという。各地の港町には年に一度だけ九皇が訪れるとされる。別の説によれば逃げ出した明皇帝の息子を救った九人兄弟の霊が、九つの香炉に入って海を漂っているのだという。

九天玄女 きゅうてんげんじょ
Jiŭ-???
 中国神話における天女、戦の女神。単に「玄女」と呼ぶこともある。また「九天玄女娘娘」と呼ばれることもある。「九天」は天を九つの方位に分けた場合の総称で天上を指す言葉。黄帝が怪物蚩尤と戦っていた時、黄帝は蚩尤の巻き起こす濃霧に困り果てていた。そこに現れたのが西王母に派遣された九天玄女であり、黄帝は九天玄女からもらった護符を兵法書によって蚩尤の軍勢に勝つことが出来た。一説に人頭蛇身といわれるが、多くの場合は美しい女性の姿だとされる。「平妖伝」「水滸伝」「東遊記」などの小節にも登場している。

九尾の狐
きゅうびのきつね
 日本における狐が化けた女の妖怪。古くは、平和の世に出るめでたい獣としたが、後には、多くの年を経た妖狐とされた。本体は狐の姿だが、九本に分かれた尾と黄金色の美しい毛並みを持つ。紀元前千年ごろに妲妃という美女に化けて殷の紂王の妃となり、寵愛をたのんで淫楽に耽り、残忍な行為を多く行い、殷の滅亡の因となった。その後、インドを経て日本に来ると、玉藻前(たまものまえ)という美女に化け、寵愛してくれた鳥羽上皇を熱病で苦しめたが、安倍泰成の法力で正体を見破られ、三浦義明に射止められ、下野国那須野に飛び去り殺生石(栃木県那須郡那須町の、那須岳の寄生火山御段山東腹にあり、付近の硫気孔から有毒ガスが噴出する)となったという。また、その後も殺生石は近づいた人間や動物たちを殺したが、後深草天皇のときに、玄翁和尚が杖で打って、石の霊を成仏させたという。

キュベレ
Cybele
 プリュギア(小アジア地方)の大地の女神。最高神として予言、治療、戦での加護、獣の守護者など広範囲に力を持つ者とされた。もともとは「イーダの貴婦人」と称される山の女神であったと思われる。「イーダ」とは西アナトリアにある山の名前。またプリュギアでもともとクババ、即ち「クベの貴婦人」として知られていた女神がキュベレであった可能性も高い。同じく大地の女神であるアグディスティスと同一視されることが多い。神話の中では不実に報いる為にアッティスを狂気に陥れ、自らを去勢させるという下りがある。キュベレの祭司はそれに習って関節の骨で飾った鞭で自らの肉体を打ちさいなみ、去勢するという儀式を行った。キュベレを信仰する者達はこの「キュベレの祭り」の中で、雄牛か雄羊の生贄の血を祭壇で浴びることにより、死後に新しい世に目覚めることができると信じていた。

キュンガイ・ゴシェン
Khyung-gai mGo-can
 古代チベットで信仰されていた神。太陽と関係があったと推定される。鳥の頭を持っていたという。

 ぎょう
Yao 顒(ギョウ):Unicode9852
 中国古代の地理書「山海経」の南山経の中で、旱魃を起こすとされていた怪鳥の一種。あちこちに炎が噴き出していて草木も生えていない殺風景な活火山「令丘」の山に住んでいる。梟に似た鳥の姿をしているが、顔は人面で四つの目が縦に二個ずつ並んでおり、顔の両側には人間の耳がある。ギョウギョウとなく事から(ぎょう)という名がついたとされるが、この鳥が出現すると国のあちこちで一斉に旱魃が起こり、人民が苦しむ事になると言う。

 きょうげん
Jiāng-yuán ゲン:Unicode5AC4
 中国神話において周の始祖、農耕神后稷の母とされる女神。名前は「女性の元祖」の意の妻の一人。姜が巨人の足跡に自分の足を重ねてみたところ后稷を妊娠したという。姜は不吉に思って生まれた子を道端に捨てたところ、牛や馬が捨て子を踏まないように避けて通った。そこであらためて林に捨てたところ林の中を通る人が多くなった。次に溝の中の氷に捨てたところ鳥が舞い降り捨て子を翼でくるんで暖めた。姜はここまできて捨てた子が不吉な子などではなく、神秘的な存在であると考え手元において育てることにした。その子────后稷は棄てようと思われていたことから「棄」と名づけられた。

共工 きょうこう
Kungkung
 中国神話に登場する巨獣にして悪神、洪水神。洪水の「洪」の字は共工からきている。黒い竜、あるいは人頭蛇身の姿をしており、九つの頭を持つ人面蛇身の「相柳」や、後に淮水の神になったとされる「浮遊」を従えている。ことあるごとに洪水を起こし、といったその時代ごとの皇帝に反抗し、皇帝に成り代わろうとした。との戦いに敗れた共工は自分の角で不周山を串刺しにすることで大地の均衡を崩し、河を氾濫させようとした。さらに空に穴をあけ、太陽の動きを乱そうともした。このために中国の天地は傾き、天の星々は西北に移動し、大河は東南に流れるようになったと説明される。最終的に共工は夏王朝の始祖神である禹によって追放され、洪水は治められたという。
 別の伝承によれば、共工と火神祝融はどちらが強いかを決める為に決闘をした。戦いは数日続いたが最後は双方とも天から落ち共工が負けた。そこで共工は敗北を恥じるあまり、天を支える山の一つである不周山に、頭からぶつかって死のうとした。結局死には至らなかったが、その衝撃で大きな欠けらが山からもげ、空に巨大な穴があき、大地にも大きな亀裂が幾つもあらわれて火と水が噴出し、大規模な洪水が世界の表面をほとんど覆い尽くしたという。水から逃れた少数の場所は火によって破壊されたともいう。は川底から五色の石玉をたくさん拾い上げ、それを溶かして膠状にして天空の穴を修復し、さらに一匹の大亀の足を切り取って東西南北の支柱としたのだといわれる。

僵尸 きょうし
Jiāng-shī
 中国の伝説の中で、死んでいるにも関わらずまるで生きているように動くとされる死体のこと。外見からあまり生きている人間と区別できない。20年以上も前に死んだはずの人間が生前と同様の姿で生きている人間と付き合うこともあるし、人間を追いかけてしがみつくものもいる。ただし、僵尸が動くのは夜間だけで、昼は棺の中に戻るか、棺の中では痩せていてミイラのようで、それを燃やすと奇怪な声を発するという。

玉皇大帝 ぎょくこうたいてい
Yù-huang dà-di
 現在の中国、台湾、東南アジアなどの民衆道教で最も崇拝を集めている、道教の実質の最高神。「玉皇上帝」、「天公」、「昊天上帝」などの名でも呼ばれる。道教の最高主宰神は、5世紀には太上老君、6世紀からは元始天尊を掲げるが、それが化身して天界を統治するようになったのが、玉皇大帝であるとされている。また、太上老君の霊感によって生まれた、太上老君の息子だとする伝承もある。現在でも教義的な最高神は元始天尊であるが、宋の真宋皇帝や、北宋の徽宗皇帝が玉皇大帝を特別視したことから現実的な最上位の神となったと考えれる。
 天地のあらゆる事象を統べる神であり、72通りの変身の法を知り、おびただしい数の家来を用いて命令を遂行させるという。彼の第一の家来は泰山府君であるされる。また玉皇大帝は中国の皇帝と直接つながり、玉皇大帝の家来も皇帝の家来と相応して関係しているとされてきた。11世紀には皇帝が玉皇大帝から信任の書簡を受け取ったと称して、衰えた権力を人心をなびかせることにより取り戻そうとしたこともあった。また民衆が身近に感じられる神でもあり、各家庭にいる竈君から受けた報告で人々の運不運をコントロールしているとされる。玉皇大帝は一般的に龍が刺繍された皇帝の正装をまとい、玉座に座った姿で表される。西王母がその妻とされ、また多数の姉妹、娘、甥などがいるという。玉皇大帝の宮廷には獅子がおり、天界を邪悪な存在から守っている。

玉女大仙 ぎょくじょたいせん
Yù-nŭ dà-xiān
天仙娘娘

清姫
きよひめ
 日本における有名な怨霊の一人で、男を慕う気持ちが強いあまり、蛇になったしまった女性。紀州(和歌山県)道成寺縁起の安珍(あんちん)清姫伝説として知られている。彼女の家にはよく熊野参詣に訪れる一人の山伏安珍が宿泊しており、清姫は幼い頃から父に言われるままに彼こそ自分の将来の夫と信じ込んでいた。しかし安珍にその気はなく逃げ出した為に、清姫は恋しさのあまり10mはあろうかという大蛇(頭は清姫のまま)に変貌し、目から血を流しながら安珍を追いかける。最後には安珍が隠れた道成寺の釣鐘に巻きついて口から火を吐き殺してしまう。

キリム
Kirimu
 アフリカ中部西岸の、ザイール(現コンゴ民主共和国)の山岳地帯に住むニャンガ族という少数民族に伝わる森の怪物。七つの頭に七つの角、七つの目を持つ怪物で、犬の牙を持ち、鷲の尾羽が生えているという。普段は森の中でじっとしているが、空腹になると動き回り、村々を襲って人々を喰う。しかし、喰われた人間は消化されずに腹の中で生きているようで、ムウィンドという勇者がキリムを退治するとその身体から数多くの人々が飛び出し、一つの部族になったという。

麒麟 きりん
??
 中国の霊獣の一種。中国に古代から伝わる五行思想では,麒麟は東西南北の中央の位置を占め、360種類いる毛のある獣の長だとされる。鹿と牛が交わって出来たもので、身体は鹿、尾は牛、頭に一本の角があり、背丈は5mほど。時代によっては身体に龍の鱗があり、龍の頭を持つものもいる。仁徳の高い生き物で、歩く時に生きた虫を殺すことも無ければ草を踏む事も無い。鳴き声は音楽の音階に一致し。歩いた後は正確な円になり、曲がる時は直角に曲がるという。

ギルガメシュ
??
 ?

ギルタブリル
Girtablulu
 古代バビロニアの神話に登場する半人半獣の怪物。上半身の足が人間で、腰の部分はサソリとなっており、サソリと同じトゲのある尾がある。一種の聖獣であり、新バビロン王朝時代の境界石などに弓を構えた姿が描かれている。「ギルガメシュ叙事詩」では、天界と冥界に通じるマーシュ山の番人として登場し、ギルガメシュがこの山にやってきたとき、ギルタブリルは彼を一目見ただけで半神であることを見抜いたという。

キルムーリ
Killmoulis
 イギリス、スコットランド低地地方において、水車小屋に住む妖精の一種。人間の姿と大差ないが、鼻が極端に大きく口がないので、全体的に不細工な姿に見える。水車小屋で粉ひきの手伝いなどをしてくれるが、大麦に灰をかけるなど悪戯好きで、子供のように騒々しいので、迷惑にもなる。「年老いたキルムーリよ」と唱えれば服従させることが出来るという。水車小屋への愛情は人一倍深いので、水車小屋に何か不吉な事が起ころうとすると嘆き悲しみながら予告をするという。

キング
Kingu
 古代メソポタミアの悪霊(悪神)。地母神にして混沌の怪物であるティアマトの息子、もしくは夫とされている。キングはマルドゥークとの壮絶な戦いで母親側に味方し、恐ろしい怪物たちの軍団を率いて戦いに参加した。しかしながら結局ティアマトと同じ運命を辿りマルドゥークに殺される。ある伝承によれば、マルドゥークはキングの血と土を用いて最初の人間を創ったという。最後にキングはティアマト側について他の神々と共に、エレシュキガルの治める冥界の国に行った。