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  現存有 国鉄 B20形蒸気機関車
       
  B201-1<<夕焼けに染まるB201>>
万字線鉄道公園 撮影:2008年9月後半頃
 

日本国有鉄道の前身となる運輸通信省(日本の国有鉄道。区分に関しては「こちら」を参照)が、第二次世界大戦末期に規格形機関車として生産開始された飽和蒸気方式・20tタンク式蒸気機関車。
国有鉄道の機関車としては明治時代以来となる小型で、構内作業用を目的としていた為に通常なら車両扱いされない「構内作業用機械」(保線・除雪作業用のモーターカー等と同様の扱い)となるところであるが車籍を持った、極めて異例の機関車である。
第一期として1944年に5両が製造される事となり、規格形蒸気機関車では最大の製造業者となった立山重工業での製造を予定していたが、当時の立山重工業に余力が無かった為、運輸通信省(国有鉄道)郡山工場にて製造となった。
第二期分の10両に関しては、立山重工業にて製造されている。

(補足情報) 規格形機関車とは
太平洋戦争開戦直後の1941年12月、大手・中小の鉄道車両メーカー多数が国策によって「車両統制会」を設立、その管轄下で産業用の小型蒸気機関車・ガソリン機関車の統制規格生産を行うことになり、構造を簡易化するため随所に代用材が用いられ、部材寸法も規格材を少ない加工で用いることを主眼に粗く設定されていた。
戦時中の物資不足もあり、銘銘板も木製である等、実用上最小限の材料で製作されており、蒸気機関車ではボイラー強度を低く済ませる目的で性能を見切り、あえて飽和蒸気方式とする等、いわゆる戦時急造形の機関車となる。
B20形では、強大なブレーキ力が必要な高速運転や長大編成牽引運用は当初から想定せず、圧縮ポンプなどの空気ブレーキ機構ではなく自機用の蒸気圧ブレーキを装備(機関車単機のブレーキのみで制動運用)するといった割り切りが特徴となっており、昭和時代の国有鉄道機関車としては唯一の採用であった。

 
主要諸元
全長 7,000mm
全高 3,150mm
車軸配置 0-4-0 (B)
動輪直径 860mm
シリンダー (直径×行程) 300mm×400mm
ボイラー圧力 13.0kg/cm²
火格子面積 0.81m²
全伝熱面積 35.86m² (煙管蒸発伝熱) 31.8m² (火室蒸発伝熱) 4.06m² (ボイラー水容量) 1.35m³
小煙管(直径×長さ×本数) 45mm×2,300mm×98
水槽 2.50t
炭庫 0.9t
運転整備重量 20.3t
第2動軸上軸重 10.86t
シリンダ引張力 3,190kg
粘着引張力 5,075kg
動輪周馬力 299PS
ブレーキ装置 手/蒸気ブレーキ
弁装置 ワルシャート式
軌間 1,067mm
      各号機情報→ 
       
 
B201
B201-2小樽築港 撮影:1966年頃

B201-3万字線鉄道公園(旧・万字線朝日駅) 撮影:2005年4月

 

1944年2月・国鉄郡山工場製 C/N,11

仙台局配属・黒沢尻支区(本区盛岡)配置
 ↓
1949年6月22日 小樽築港配備
 ↓
1967年10月23日 廃車
 ↓
時期不明 北海道岩見沢市「東山総合公園」に移管保存
 ↓
1999年12月 北海道岩見沢市「万字線公園」に移管保存

平和の鐘

ドームには1958年3月に「平和の鐘」と呼ばれる安全ベルとハトのプレートが付けられたが、その経緯に関しては不明。
現状としては、雑に塗料を塗りつぶした様な状態となっているが、戦時規格形機関車に付けられた平和の鐘であるだけに、是非良い状態としてもらいたい。
このプレートの詳細に関して情報をお持ちの方はお教え下さい。

※左図は現役時の写真からのトレースの為、比率等が異なる可能性があります。

B2010-3

現在の保存の姿は、小樽築港時代と異なっている。
塗装もそうだが、現役時代には側面のナンバープレートは見られず、正面のナンバープレートに関しても、オリジナルのものではない様である。
※画像にカーソルを合わせると、保存(万字線鉄道公園)での状態が表示されます。

※アイコンイラストは「にわとり様」制作のものを改造して使用させて頂いています。
       
 
B202

1944年2月・国鉄郡山工場製 C/N,12

 

東京局配属(配置先不明)
 ↓
1945年12月現在 国府津区横須賀駐泊所
 ↓
時期不明 浜松工場廃車上申
 ↓
1959年5月26日 廃車

       
 
B203

1945年3月・国鉄郡山工場製 C/N,13

 

東京局配属(配置先不明)
 ↓
1945年12月現在 国府津区横須賀駐泊所
 ↓
1949年6月1現在 休車
 ↓
時期不明 国府津区久里浜支区に移管
 ↓
1950年2月15日 奈良に移管
 ↓
時期不明 鷹取工場廃車上申
 ↓
1959年12月21日 廃車

       
 
B204

1945年・国鉄郡山工場製 C/N,14

 

東京局配属(配置先不明)
 ↓
1945年12月現在 国府津区横須賀駐泊所
 ↓
時期不明 田端に移管
 ↓
日本車両東京支店に貸出
 ↓
1948年3月15日 廃車
 ↓
1948年6月1日 日本車輌より返却
 ↓
蕨→久里浜に移送(1948年6月1日に新鶴見操車場通過)
 ↓
1950年12月18日 国府津区久里浜支区にて解体

       
 
B205

1945年5月・国鉄郡山工場製 C/N,15

 

東京局配属(配置先不明)
 ↓
1945年12月現在 国府津区横須賀駐泊所
 ↓
時期不明 浜松工場廃車上申
 ↓
1959年5月26日 廃車

       
 
B206

1945年8月・立山重工業製 C/N,345
(1946年11月7日竣工説有)

 

東京局配属(配置先不明)
 ↓
1945年12月現在 国府津区横須賀駐泊所
 ↓
1955年8月1日 国府津区久里浜支区に移管(横須賀にて使用)
 ↓
時期不明 浜松工場廃車上申
 ↓
1959年5月26日 廃車

       
 
B207

1945年8月・立山重工業製 C/N,346
(1946年11月7日竣工説有)

 

東京局配属(配置先不明)
 ↓
1945年12月現在 国府津区横須賀駐泊所
 ↓
1949年3月15日 国府津区久里浜支区にて廃車

     

 

 
B208

1945年・立山重工業製 C/N,347
(1946年11月15日竣工説有)

 

東京局配属(配置先不明)
 ↓
1945年12月現在 国府津区横須賀駐泊所
 ↓
1955年8月1日 国府津区久里浜支区に移管
 ↓
時期不明 浜松工場廃車上申
 ↓
1959年5月26日 国府津区久里浜支区にて廃車

       
 
B209

1946年・立山重工業製 C/N,348
(1946年11月16日竣工説有)

 

東京局配属(配置先不明)
 ↓
時期不明 奈良に移管
 ↓
1955年7月 大分に移管
 ↓
時期不明 小倉工場廃車上申
 ↓
1960年10月15日 廃車

       
 
B2010

B2010バリエーション
B2010-1 鹿児島時代1
2との時代前後関係不明。
1or2のどちらかが、川崎車輌あるいは大和鉄道貸出時のままの可能性も考えられるが詳細不明。
B2010-2 鹿児島時代2
全体的にグレーという、国鉄の蒸気機関車としては異色の時代があった様だが、1の配色との時代前後関係不明。
B2010-3 鹿児島時代3
実際の期間は不明だが、少なくとも1968年9月以降は煙突上部に円形板(火粉防止か?)が付けられていた様である(外して煙突に立てかけられて運用している姿も確認されている)。
※画像にカーソルを合わせると外した時の状態が表示されます。
B2010-5 梅小路時代1
梅小路蒸気機関車館で静態保存時の姿。
鹿児島からの移送後、保存に際してこの状態となったものと思われる。
ナンバープレートは形式併記の無いタイプとなっていた。
B2010-6 梅小路時代2
梅小路蒸気機関車館で動態復原後の姿。
時期不明だが、現在では黒いナンバープレートに変更されている(2010年10月14日までは赤いプレートの装着を確認済)。
※画像にカーソルを合わせると黒プレート状態が表示されます。
※アイコンイラストは「にわとり様」制作のものを改造して使用させて頂いています。
 

1946年12月7日・立山重工業製 C/N,349

1946年12月7日 大阪局配属(配置先詳細不明。初期配備から姫路一ともされる)
 ↓
1947年5月17日 姫路一配置
 ↓
1948年1月22日 大和鉄道(現・近畿日本鉄道)に貸出(1月24日着)
 ↓
1948年7月22日 大和鉄道より返却(7月23日着)
 ↓
1948年12月23日 川崎車両に貸出(12月24日着)
 ↓
1949年4月29日 川崎車両より返却
 ↓
1949年6月21日 953列車にて鹿児島に移送(6月26日着)し鹿児島機関区に移管
 ↓
1972年4月22日 梅小路へ移送
 ↓
1972年9月5日 梅小路蒸気機関車館に移管(9月22日配置)・動態保存対象
 ↓
1979年3月28日 梅小路にて廃車
 ↓
1979年3月31日 車籍抹消・静態保存
 ↓
2002年4月16日 動態復元解体着手
 ↓
2002年10月12日 動態復元完成式挙行
 ↓
2006年 梅小路の蒸気機関車群と関連施設として準鉄道記念物に指定

       
 
B2011

1946年・立山重工業製 C/N,350

 

1946年12月14日 大阪局配属(配置先詳細不明。和歌山か紀伊田辺か?)
 ↓
1947年3月 御坊臨港鉄道(現・紀州鉄道)に貸出
 ↓
時期不明 御坊臨港鉄道より返却(貸出は短期間とされている)
 ↓
1955年8月1日現在 紀伊田辺配置
 ↓
時期不明 鷹取工場廃車上申
 ↓
1958年1月16日 紀伊田辺にて廃車(1957年12月20日説・1958年1月11日説有)

       
 
B2012
DB2012
森製作所最後の蒸気機関車改造ディーゼル機関車・DB2012
紀伊御坊駅 撮影:1972年6月
 

1946年・立山重工業製 C/N,351

1946年12月22日 大阪局配属(配置先詳細不明。和歌山か紀伊田辺か?)
 ↓
1947年6月 御坊臨港鉄道(現・紀州鉄道)に貸出
 ↓
1948年 廃車(貸出のまま)
 ↓
1948年6月2日 御坊臨港鉄道(現・紀州鉄道)に売却
 ↓
1953年7月 水害により損傷
 ↓
1954年6月 森製作所にてDL化され、DB2012に改番
 ↓
1954年11月5日 改造認可
 ↓
1972年6月現在 紀伊御坊に留置
 ↓
1974年2月現在 日高川に留置
 ↓
1975年度 廃車

       
 
B2013

1947年3月・立山重工業製 C/N,400

 

1947年2月10日 名古屋局配属・配置
 ↓
時期不明 福井に移管
 ↓
1949年6月1日 一休
 ↓
1950年3月9日 門司に移管
 ↓
1954年11月1日現在 直方配置
 ↓
時期不明 小倉工場廃車上申
 ↓
1960年11月5日 直方にて廃車

       
 
B2014

1947年・立山重工業製 C/N,401

 

1947年3月1日 名古屋局配属・配置
 ↓
1955年8月1日 早岐に移管
 ↓
時期不明 小倉工場廃車上申
 ↓
1960年11月5日 早岐にて廃車

       
 
B2015

1947年・立山重工業製 C/N,402

 

1947年3月16日 東京局配属・ 高崎一配置
 ↓
1947年4月 日本ニッケル鉄道(後の上武鉄道)に貸出
 ↓
1947年8月 高崎二に移管(貸出のまま)
 ↓
1948年10月 日本ニッケル鉄道より返却
 ↓
1949年6月 一休指定
 ↓
1949年9月22日 高崎→門司へ移送(新鶴見操車場通過)
 ↓
1949年9月23日 門司着・移管
 ↓
1955年8月1日 東小倉→小倉工場に移送
 ↓
1955年8月20日 小倉工場に移管
 ↓
時期不明 小倉工場廃車上申
 ↓
1962年10月26 小倉工場にて廃車

       
 
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