2013-05-06
■[雑記][連載]『就活惨敗――結局、正社員として生きられなかった』第三十回

満面の笑み
仕事帰りに、リクルートエージェントの私の担当だった人にも電話した。事情を説明し、ただ、聞いてもらった。
「いろいろお世話になってかつ、そちらのサービスを利用できないで申し訳ない。ただ、いまは苦しい。話を聞いてくれてありがとうございます」
そう、言うほかなかった。
翌朝、会社に行くと、縮刷版のタイトル打ち込み以外に仕事らしい仕事はない。それも、大半は終わっている。
夕方ころ、編集部長が言う。
「この会社では、試用期間中は一ヶ月おきくらいに、会社に入ってどうだったか、何を学んだか、何を感じたかなどについて作文を書いてもらっている。まだ一ヶ月には満たないけど、ちょっと書いてもらおうか」
「いつまでですか」
「なるべく早くだ」
「さすがにきょうはこの精神状態では難しいです。明日に書いてもいいですか」
「『なるべく早く』だ」
つらいので、無理やり帰った。
朝、出社してから作文を書いた。
※ ※ ※
作文:一ヶ月間働いて感じたこと
「このまま行くと解雇」と十八日に社長から宣告され、精神的に参っている。
ここ数日心労がたたっていて、右の肩が痛く、首が回らない。食事もほとんど取ることができず、お茶やコーヒーで生活している。甘いものを取って何とか脳の回転を維持しようとしているが、つらいことに変わりはない。
だが、十九日朝に会社に来ていいこともあった。十八日号に書いた「クールカーゴ JCVに寄贈 太陽工業」という記事で、リリースを送ってくださった先方の担当者様から感謝のお返事をいただいた。書いたことで喜んでいただけたのはとてもありがたい。それで少し体調が良くなった。
多分、書く仕事の喜びはそこにあるのだと思う。書いたことで、人から評価され、承認されることだ。
ここ一ヶ月近く勤めている間、私は未熟さと、対人関係の苦手さを感じた。
書けると思っていても、実際には書けない。内容上の問題、数字や表記など新聞紙面の書き方のルールの問題など、不慣れな私は戸惑っていた。バックナンバーを熟読し、しだいに分かるようになるものの、いまいち要領を得ることはできない。
その度に失敗を繰り返し、成長できない自分がいる。
何とかしようと思っているが、どうしていいかわからない。成長したくても、どう成長していいか見当がつかない。自分がどのように未熟であるかということについても、把握しきれていない。
また私はここで働くはるか以前から、対人関係能力の未熟さを感じていた。人と会う、というときは不安になり、対策を練っていた。
特にそりが合わない人がいる。パワハラ系の体育会気質の人だ。◯◯さんと最初に出会ったとき、後にこの人とはトラブルを起こすだろう、と直感していた。少なくともうまくは行かないとも思った。
予感は当たり、現在も◯◯さんと接する時は怒られる時しかなく、基本的にはうまく行っていない。◯◯さんとうまく行かないことに関して考え込み、家で吐いた。最近は会社に来ても吐き気がするようになり、心労で仕事がうまく行かないこともある。
未熟さと対人関係の難しさで、精神的に疲れ果て、毎日気持ちが悪い。
書くことはそれ自体が喜びで、仕事にできるということはとてもありがたいことだが、ここまでうまく行かないと、自分でも考え込んでしまう。
現実のところ、精神的に疲れ果て、このような文章を考えるのも大変になっている。その中で試用期間中の解雇の話が出ると、心労が極端になり、何も手がつかなくなってしまう。
会社に来て生き生きとしている人がいる。そういう人がうらやましい。
※ ※ ※
「◯◯さん」というのは「太めの男」である。多少のごまかしの部分はある。自分をよく見せようとした部分もある。謙虚さも装っている。しかし、体調を崩したり精神状態をぼろぼろにしたりと、そのあたりは事実を書かざるを得なかった。そのときの状況で、「会社のみなさんはいい人で、とても仕事が充実しており、うまくいっています」とは書けなかった。
編集部長は言った。「もう、辞めたいってことなんじゃない?」
私は答えなかった。
「じゃあ、社長に僕の方からこの作文を見せておくよ」と言われた。
「おい、君は体調を崩していたのか。悪いことをした。実家に帰って、体を休めてはどうか。一ヶ月分の給料と解雇予告手当、自宅への転居費用は出す」
暮らしている場所に残ってフリーで頑張る、とも言いたかったが、この精神状態では無理だった。その申し出をありがたく受け取った。
「あとは総務と相談してくれ」
そう言い残して社長は自席に戻っていった。
「退職についての箇所ですが、『解雇』ではなく『自己都合退職』にしていただけないでしょうか」
「せめて、退職理由のところに『会社と新入社員のミスマッチのため』と記していただけないでしょうか。私に完全に非があってやめる、という書き方だと納得がいかないので」
その日は、家に帰った。金曜日なので、土日を挟む。
月曜日に会社に行き、離職票のことについてはオーケーだという結論を聞き、荷物をまとめて会社を去ることにした。東京本社のフロアで頭を下げ、「どうもありがとうございました」と言って帰った。退職することを同僚に伝えるメールは、出さなかった。
私が会社を去る際、太めの男は自分の野望が達成されたかのような、満面の笑みをたたえていた。
結局、実家に帰っていままで通りにフリーライターをやることにした。
社長は、私が辞めて何年かたったあと、新しい人に変わった。
副編集長の一人は、のちに朝日新聞社に転職し、横浜総局から何かの事件の署名記事を書いていた。
太めの男は、しばらくして宗教の業界紙に移った。その後、「宗教ジャーナリスト」として独立し、『週刊朝日』に宗教団体と被災地支援について書いていた。
あれほど「会社員」としての意識を高く持つようにと言っていた、フリーをバカにしていた人がフリーになるとは、不思議だった。(了)
■[雑記][連載]『就活惨敗――結局、正社員として生きられなかった』第〇回

(付記)第一回を掲載したときに、いきなり話に入るのはわかりにくく、説明を入れてほしいとの声があったので、下の記述を冒頭に書き加えます。これにて『就活惨敗』は完結です。ご愛読いただき、ありがとうございました。文章を直し次第、編集者に持ち込もうと思っています。お声がけいただける編集者がおりましたら、ご一報いただけますと幸いです。
はじめに
いま、さえないフリーライターをしている。もともとは新聞記者になりたかった。さらには新卒で就職できなかった。
新卒で就職できないとなると、人間扱いされない。一方、新卒で就職できない人もいる。そんな人が、どんな会社に勤め、どんな職業人生を歩むのか。私自身には実体験があるので、それを記してみたかった。
一応、山梨県でも有数の進学校と言われる駿台甲府高校を卒業し、難関大学である早稲田大学の教育学部社会科社会科学専修というところを卒業している。だが、職業人生でつまずいた。
新卒で就職できないと、大変なことになってしまう。現在は「ブラック企業」の議論が盛んにあるものの、その体験談を雑誌や新聞などで読むと、私のほうがひどい体験をしている、と思うことが多い。
大学を出てからの人生を振り返ってみると、実際にはフリーライターである期間は長かったものの、意識としては会社員生活の苦しみに異様に支配されている。
そんな会社員時代に、恨みつらみを抱いている。過去に囚われ続けている。正社員でないことのコンプレックスは強い。
そのあたりの実体験を、書いてみたい。
2013-05-05
■[雑記][連載]『就活惨敗――結局、正社員として生きられなかった』第二十九回

「他力本願」は人頼みの意味ではない
また、木曜日になる。ゲラがしだいに出力される。新人としてコピーし、全員に配布する。みんなが目を通し、赤字を入れる。私も私なりに一生懸命ゲラを読む。
一面下のコラム欄に「他力本願」の誤用があった。「人頼み」の意味で使用していた。誤用であることを指摘し、赤字でその旨を記した。五木寛之がよくこの「他力本願」の思想を語っており、それをよく読んでいたため、この誤用はよく気がつく。
他の人のチェックも集まり、私がそれらをひとまとめにした。
「こんな赤字を入れたのは誰だ!」
すぐに編集部長や副編集長、太めの男などが社長のまわりに集まり、筆跡から私だろう、ということになった。私には何も言われなかったものの、他の社員に「あいつには校正をさせるな」と怒鳴り散らしていた。その後「君はうちの新聞をよく読んで勉強してね。それまで、ゲラをチェックしなくてもいいよ」と言われた。
そのころ、電話を取った。私に聞かれてもわからないことだったが、その際の対応がまずく、「もう電話にでるな」と社長に言われた。
電話の相手の会社は、トナミ運輸という。会社上層部の雰囲気から、どうやらまずいことをやったのでは、ということは伝わったものの、私には何も言われない。ただ「お前は電話をとるな」と社長に言われ、太めの男に「お前は社会人としてのマナーを知らないのか、本当に糞だな」と言われたにすぎなかった。どんな問題が起こり、どう改善したらいいか、何も言わなかった。
だんだん、やることがなくなってきた。副編集長から、新聞のバックナンバーを見て縮刷版のために見出しを入力せよ、という仕事をもらい、それしかなくなっていった。
社内のメーリングリストには、部数の増減が流され、その中ではトナミ運輸が大量に解約したことが記されていた。
自宅にかえって、携帯電話のウェブでトナミ運輸について調べてみた。匿名掲示板の同社のスレッドには社員や元社員による恨みつらみが記されていた。調べると内部告発をした社員を何十年にもわたって冷遇し続けたことや、綿貫民輔と国民新党、郵政民営化との関係も記されていた。国民新党が郵政民営化に反対するのは、トナミ運輸が郵便関係の仕事を扱っているからだという。
確かに、私が電話の受け答えで失礼なことをしたのは、問題かもしれない。しかし、それで会社上層部を震え上がらせるとは、いくら業界の大手企業でも不思議である。なにか大きなスポンサーだったりするのか。
日々の一挙手一投足に対して、太めの男からいろいろと言われ続けていた。私自身のジャーナリズム志向については社では特に何も言わなかったが、「おまえはジャーナリズム、ジャーナリズムとうるさい」と言われ続けた。
そのことを、同じ会社で働く社長含め他の社員も知っていた。それに対して何かを言う、ということはなかった。
太めの男は言った。
「この新聞は、オナニー新聞なんだ。松岡満運輸の社長が、自分の書いたヨイショ記事を読み、オナニーしてスッキリしてくれるのが望みなんだ」
と、怒鳴りつけた。
こういう発言は、普通の会社なら環境型セクハラにあたる。その社内には女性社員もいる。太めの男は、よくキャバクラや風俗についても語っていた。
「男の会社員なんてものはな、死ぬほど残業で働いて、帰ったらアダルトビデオで抜いてスッキリするもんなんだ。ワーク・ライフ・バランスなんて甘ったれたことを言っている奴は働くな」
おそらくこの人は独身なのだろうか。結婚していれば、家族のこととか、考えるものだが。
「俺は清い体でふるさとを出てきたんだ」
と叫んだ。おそらく、彼女などがいたことはないのだろう。私生活、という領域があり、場合によってはそれはかけがえのないものである、ということを感覚的に理解していないようだ。
しかも、この種の話は会社というパブリックな場所でするものではなく、友人などの私的領域においてなされるべきものである。
もう、太めの男には、逃げるという形で接するほかなかった。
毎日毎日、太めの男が席にいない時間を見計らって、企画の提案メモを残し、帰る。帰宅の電車の中で市川市立図書館から借りた本を読み、妙典の駅で降りてサティに寄るのだけが息抜きになった。夕食用の惣菜やレトルト食品、そして翌日の朝食用のおにぎりや惣菜パンなどを買い、家に帰る。洗濯機を回し、寝る。
時々は『週刊金曜日』の女性編集者とも電話をした。近況を報告するつもりが、いつしか会社でいじめられている話になり、相談になってしまう。
ある土曜日、背広をクリーニングに出した。一部を直してもらう。電話があり、一日遅れる、という話だった。ここで背広がなくなると、着ていく服がない。
月曜日には、二十時からの企画会議があった。太めの男が言うには、これは「来れる奴はなるべく来い」というものだった。修理した背広を取りにクリーニング店に行かないと困る、という話をして難しい、申し訳ないという話をした。
「それなら仕方がない、いいよ」
と太めの男が言った。
「おい、なんで昨日の企画会議に来なかったんだ」
「会社の用事よりも私用を重視するとは社会人としての常識がない」
「会社の命令は、絶対なんだ」
何人もの人から言われた。昨日は、「いい」のではなかったのか。
反論は、しなかった。ボッコボコに、されるのがわかっていたからだ。
前日は、許してくれた。それをもって問題はないと思った。そして、それを後日になってひるがえすのは、罠にはめたようなもので、卑怯ではないか。
もし必ず会議に出なければならないのなら、それでもいい。しかし、そう説明するのが筋では。
編集部長と副編集長二名、太めの男などが会議室に入るようにうながし、説教をした。
太めの男は、私が『週刊金曜日』に書いていたことを知って、同誌を買ってきて掲げ、私に怒鳴りつけた。
「おい、おまえが書いていた『週刊金曜日』という雑誌、どんなにくだらない、しょぼい雑誌かと思ったら立派な雑誌じゃねえか。おまえ、こんな雑誌に書いていて、いまのていたらくはなんなんだ。クズ、死ねよ」
何も言えないまま、話は続く。正確には、何も言わせないという感じだ。
「本多勝一というのは、日本の左翼の頭目なんだ。まあお前も左翼なんだろうけど、本多が編集委員をやっている立派な雑誌に書いていてこの仕事しかできないというのはなんだ」
「我々はジャーナリストではなくて、新聞記者なんだよ。そこのところを、勘違いしないでほしい」
昼休みを終えて、席に戻った。すると、隣の席の人から、改まった感じのメールが会社のメーリングリストに送られていた。
隣の席は、きれいに片付いていた。嫌な予感がすると思ったので本文を見ると、退職のあいさつだった。
辞める数日前に印刷された新聞に、老トラック運転手のルポ記事を書いていた。雪の高速道路を、職業的使命と安全を大切にして走る運転手を描いたそのルポは、書き手の優しさにあふれていた。
いいなあと思っていたら、すぐに辞めてしまうなんて。会社に入って、社歴も短いのに。ほかの記者に比べ、誠実でいい人そうなのに。
自ら退職したのか、解雇通告を受けたのか、わからない。しかし、なぜ辞めるのか、不思議だった。
私には、することがない。仕事を誰も与えてくれない。社内に「何かありませんか」と聞いても、「過去の我が社の新聞と雑誌を読んで勉強しておけ。それ以外は何もするな。校正の赤字は入れるな。電話も出るな」と言われるだけだった。
のっぴきならない状況になってきた。事情を説明し、助けを求めるために『週刊金曜日』の女性編集者に相談のファックスと、速達を送った。もちろん、コンビニからだった。まだ、電話やネットは開通さえしていない。引っ越して一ヶ月も経っていない。
そんな中、追い詰められている。
しばらくして、女性編集者とは連絡が取れ、話をしてほっとした。
会社に行くと、誰かから「あれだけ言われたのになぜ反省して休まなかったのか。休んでいないということは、何も考えていない証拠だ」と言われる。もし休んだら、「すぐに来い」と怒鳴り散らされるのが目に見えるので、歯を食いしばって出てきたということがわからないのに、困った。
藤原正樹
校正の間違いの指摘は黒字でする。著者がなるほどというてくれたら、その時点ではじめて赤字。しかし、時間との闘いみたいなところではそうも言うておられないのでしょうか。しかし、松岡って、鹿砦社の松岡氏と親戚?
たかし
このような社風は結構世の中に存在するのでしょうか?もうこのレベルまで来ると小林先生に対する個人攻撃にしか感じなくなるのは僕だけでしょうか?
tazan
>藤原正樹さま
正直、サインペンで校正をやるところって、あまりないのでは。
あと、鹿砦社の松岡氏とは関係がありません。
>たかしさま
結構、存在します。私自身、相当嫌われていたようです。
2013-05-04
■[雑記][連載]『就活惨敗――結局、正社員として生きられなかった』第二十八回

「言葉に対して意識はないのか」
以前まとめて「もういい」と言われていた座談会の原稿まとめは、そのままにしておいた。送ったものを太めの男がやるのか、それとも他の人がやるのかわからないものの、「もういい」ということはもういいのだろうと思っていた。
しかし、違った。
「『もういい』って言っていたので特に何もしていませんが」
「てめえ、何様のつもりなんだ。そう言われてもやるのが常識だろう」
「書きなおす、のですか」
「あたりまえだ」
話された順序を変え、流れのいいようにしてまとめる。再度、太めの男に送る。
「おい、お前は言葉に対して意識がないのか。小見出しは二行で各行が同じ文字にするんだ。段落は一字下げる。お前こんなことも気づかないのか。言葉に対して意識はないのか。どんなライター生活送ってきたのか」
確かに、雑誌の座談会の記事は小見出しは二行でも一行でもよく、また段落は一字下げないことも多い。指摘されたことはもっともだが、それは新聞なり、あるいはその会社なりのローカルルールだろう。
太めの男はさらにたたみかけた。
「おい、お前は入社が決まったとき総務からうちの会社が出している新聞と雑誌をもらったよな。それを熟読していないということはないよな。決まってから入社するまで熟読しているのがあたりまえだ」
確かに、何度か読んだ。しかし、正直どうしたものかという紙面だった。
それに、就職が決まって家探しや引っ越しなど、やらなくてはいけないことが多々ありすぎたため、それどころではなかった。
太めの男は、言った。
「わかりました」
この人は一体私をどうしたいのか、いまいち見当がつかない。
考えこみつつも直して、座談会の原稿をデスクである社長と太めの男とに送る。
「おい、何だ。一人の話で七行以上の文章になる座談会なんてあるか」
そこに太めの男が口をはさんだ。
社長は言う。
「いいこというな。そのとおりだ」
実際には、座談会は型通りの話しかなく盛り上がらず、座談会というよりも集団聞き取り調査のような感じだった。こんなにも司会が下手なのに、それを成功した座談会のようにせよ、というのはかなり無理がある。
太めの男は、私の出した原稿を見て、「もうええわ」と言った。指示らしい指示もなく、どうしていいかわからず、さらには関わりを持ちたくなかったので、敬して遠ざけることにした。
人事記事の作成とプレスリリースのリライトは続く。月曜二十時の企画会議に向けて、帰宅時には毎日企画を一本提出して帰る。定時は十七時三十分だったものの、大体十八時には会社を出る。
ある日、太めの男に言われる。
「明日、トラックターミナルや街中をまわってアンケート調査してこい」
「トラックターミナルは、どこにあるのですか」
「都内には三箇所にある。どこに行くかは、自分で調べて決めろ」
「街中はどこがいいですか」
要するに、アンケート用紙を持って片っ端からトラックドライバーに話を聞いてまわり、それを記事にするようだ。
このような、街頭で片っ端から聞いて回ってそれを調査結果として公表する、というのは社会調査法の教科書ではやってはいけないこととして記されている。また、街頭の声をコメントとして出すことは新聞などではよくあるものの、それを調査データとして数理的に公表することは、まずない。調査としての基本ルールが守られていないからだ。
しかし、会社の先輩から言われたことはやらなくてはならない。「おかしい」と反論したら、何をされるかわからないからだ。
太めの男は「トラックターミナルは朝早いから」と言っていた。朝早くからターミナルの周りでアンケート用紙をもって走り回らなくてはならない。かといって、中に入ることはできない。
妙典の自宅から行きやすい葛西のトラックターミナルに行くことにした。葛西駅からの朝のバスの時間を調べると、六時台からしかないため、それに合わせて早起きして家を出る。都営バスを終点・臨海車庫前で下車し、アンケート用紙を持ってトラックに声をかける。
「すみません」
早朝、大型トラックのドライバーは、遠方から運転してきたため一休みしていることが多い。声をかけても反応しない。ノックする。運転手が気づく。
「すみません」
業界紙の名前を言い、簡単な調査のためお話を伺っている、ということを伝える。だるそうな顔をしている。
何項目か質問した。その中に、いま仕事でほしいものは何か、という問いがあった。選択肢に「社会的地位」という言葉があった。この言葉が、ちょっと飲み込めていない感じだった。
アンケート用紙の選択肢の項目は私ではなく、太めの男が作ったものだ。トラックのドライバーに聞きにくい質問項目、あるいは簡潔に答えてもらえにくい質問項目が多い。早口で尋ねてもわかってもらえず、それでいてじっくり聞くだけの時間はない。アンケート用紙の設計が下手なのか、あるいは私をいびるためにこういうことをやったのか。
葛西のトラックターミナルの隣に、サンクスがあった。トイレを貸してもらうついでに、アンケート調査をやっていてそのためにこのお店を利用するトラックドライバーのお話を伺わせてもらう、ということをお願いした。許されて、ほっとした。
このお店の前にドライバーはトラックを停め、弁当や飲み物、たばこを買い、また乗り込む。店の出入りをする際に、お話を聞く。
朝九時台までは多くの人がこの店を利用していたが、だんだん減ってくる。
広いトラックターミナルの周りを一周し、どこかでトラックは停まっていないかと探す。
トラックターミナルの東側に、大きなトラックが出入りしているガソリンスタンドがあった。その店の人に、トラックが燃料を入れている間にドライバーにお話を聞けないか、と会社の名刺を出しながら頼んだ。お許しをいただき、何人もの運転手にお話を伺った。
その後も、昼過ぎまでトラックターミナルの周りで粘っていた。しかし、トラックらしいトラックは来なくなった。
「トラックが、もう来なくなったのですが」
「どこがいいですか」
「そんなものはてめえで考えろ」
新宿とか、銀座とか言っていた。新宿は遠く、銀座は土地勘がなかったため、神田神保町に行くことにした。
葛西臨海公園駅の下にあるマクドナルドで昼食を取り、改札を抜け効果のホームに入った。電車の本数は昼間ゆえか少なかった。幅が広いホームからは、多くの倉庫が見え、殺風景だった。遠くには、東京ディズニーランドが見えた。
ここから京葉線で、東京駅へと向かう。東京駅から中央線に乗り換える。京葉線から中央線に乗り換えるのは時間がかかる。長い動く歩道と、長いエスカレーターを経て、中央線ホームに。御茶ノ水駅で中央・総武緩行線に乗り換え、水道橋で下車する。
水道橋には、お世話になっていた『週刊金曜日』の編集部がある。当時は千代田区三崎町にあった。現在は、神保町に移転している。
駅から出たところで、お世話になっていた歳のそれほど変わらない女性編集者に電話をしてみた。
「いま、水道橋駅の前にいるんですよ。アンケート調査の仕事で、街の中を歩いているんです」
「私も田舎の新聞社にいたときにやりましたよ。それではがんばってくださいね」
編集部の隣のビルにある佐川急便の営業所に入り、来意を告げて協力を求めると、マネージャーらしき人が出て、「広報を通してください」と言われる。「それでは結構です」と去るしかない。
ちょっと話を伺うだけでも「広報」を通さなくてはいけない、というのは、ある種の大企業病のような気もした。
水道橋から神保町、そして御茶ノ水と荷物を下ろす作業を行なっているドライバーに次々に声をかけ、アンケートを取った。詳しく聞いている余裕はない。数をこなさなくてはならないのだ。
「おい、何枚終わったのか」
「五十枚程度です」
「よし、会社に上がれ」
御茶ノ水駅から東京駅へ向かう。駅内の書店で、ちらりと東大・京大合格者特集の掲載された『サンデー毎日』を立ち読みした。母校の駿台甲府高校が、東大合格者数山梨県内一位だったのを見て、嬉しくなった。
「何だ、四十二枚か」
おそらく、この男が要求していた枚数よりも少なかったのだろうか。かといってそんなに力を入れるような企画ではないせいか、「もういい、帰れ」と言われた。十七時三十分も過ぎているので帰ることにした。
2013-05-03
■[雑記][連載]『就活惨敗――結局、正社員として生きられなかった』第二十七回

現状にそぐわない記事の書き方
人事の記事、というものがある。単に、誰それがどの部門の役職者についたり、あるいは昇進したり、退任したりという記事だ。名前と、新役職・前役職だけのものである。
業界紙の場合、この人事記事は大きな分量を占める。一般紙には社長と取締役の一部、日本経済新聞には全役員程度しか出ないが、会社から送られてくるプレスリリースに掲載されている全員の名前を掲載する。
しかも、新聞に書かれているようにリリースを送る会社なんてなく、それぞれ会社の思い思いの方法で書かれたリリースを、会社から指定された形式に直さなくてはいけない。
形式は、隣の席の先輩の女性記者からもらった古い手書きのプリントに沿わなくてはならない。あと、『記者ハンドブック』も参考にする。
しかしこれが使えない。まず、プリントにある書き方は、どう見ても古い書き方、それも執行役員制度が導入されていない時代のものだ。また、「マネージャー」などの呼び方が会社では使われていなかった時代のものであり、現状にそぐわない部分がある。
「ここはこれで、いいと思う」
と言われながらも、間違っていたところを直す。
しばらくすると、社長が怒鳴っている。
「おい小林、何だ」
社長のところに向かう。
「お前は渡されたマニュアルと記者ハンドブックを読んでいないのか。書き方が間違っている」
「どこがいけないのでしょうか」
「自分で考えろ」
木曜日も午後を過ぎると、組版された紙面のゲラが徐々に出始める。新聞は、金曜日に校了する。
ゲラをコピーし、編集部門の全員に配る。頭を下げる人もいれば、無視する人もいる。太めの男は、無視するほうだ。
この会社には校正をやる専門の社員もいなければ、外注のフリー校正者もいない。大丈夫なのかと不安になると、案の定、誤用がみつかる。
それでも、たいしたことのないものだったので、修正しておいた。
全員のチェックを受けたゲラは、私が朱筆をまとめて編集部長に渡す。
翌日金曜日は、その作業が中心だった。こういう作業は、新人がやらなくてはならない。
それにしても、みんな朱筆を入れない。読んでいて、記事の文章や内容に無理があるものもあるのだが、だれも問題点を指摘していない。特に、一面下部のコラム欄に朱筆を入れる人は少ない。
気になるところにどんどん赤字を入れる。それが実はまずいことだと後々知るのだが、そのころはあまり意識していなかった。
十九時ころ、編集部長が印刷所に電話をかけて「校了」の指示を出す。その声が聞こえたから校了したことを知ったものの、全員にその合図はされなかった。
その前後ころ、自宅でどの新聞をとろうか、ということを考えていた。以前の会社に勤務していたころは朝日をとっていたものの、日経のほうが職業柄いいかもしれない、とも考えていた。業界紙なので、新聞についてはいろいろこだわりのある人が多いだろう、と考えていた。
三月一日のセミナーで私の隣の席に座っていた社員にどの新聞をとっているかについて話を聞くと、日経を読んでいる、と言われる。理由は、企業情報などを知るのに日経がいいからだ、ということだ。
社長にも同じことを聞いてみた。
理由は「新聞なんて必要ない。内容もつまらない」ということだ。
太めの男にも聞いてみた。「そんなくだらないこと聞くな!」と怒鳴られた。それ以上は、聞けなかった。
他の社員も、「なんでそんな質問をするのか」という顔をした。それどころか、私をバカにしたかのような表情をした。
どうも、みんな新聞を自宅で読んでいないようだ。会社に来れば一般紙だけではなく日経産業新聞や日刊工業新聞、さらには同業他社の新聞も読めるからかもしれないが、新聞に愛情を持っていない人が新聞を作っているなんてと、困ってしまった。
かといって、会社のどこにそれらの新聞があるか、誰も教えてくれない。古いものは一箇所に整理されているが、直近数日間のものはどこに置いてあるか、分からない。
困ったなあと思いつつも、会社の人の冷たさが身にしみた。
校了時間がすぎると、少しずつ人は帰る。印刷は千葉県浦安市にある産経新聞の工場で行われ、業界紙を宅配する会社である東伸社が配達や遠方への郵送を行う。業界紙の発行が火曜日となっているのは、土曜に発送したらだいたい火曜日までには着くからである。
土日は掃除などをしたり、図書館に行ったりするなどしてすごした。少しばかり、ほっとしていた。
月曜日に会社に行く。「新聞はできているのですか」と副編集長に問うと、「ここにあるよ」とつまらなそうな顔をして言った。茶色の紙に包まれていた新聞を出す。こんなふうにできるのかと思うと同時に、こんなものか、とも思った。
ただ、気がかりだったのは、編集部員ができた新聞に対して愛情を持って接していないということだ。冷たい人ばかりの会社なのだな。
2013-04-26
■[雑記][書籍]ご恵投御礼

洋泉社の依田様より二冊いただきました。ありがとうございます。
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『入門 日本の七十二侯と旬の食』
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(画像が出ないので申し訳ありません)
■[雑記][連載]『就活惨敗――結局、正社員として生きられなかった』第二十六回

盛り上がらない座談会
翌日火曜日は朝からいろいろな人にプレスリリースを渡され、記事を書いた。大手の運送会社によっては自社の広報サイトを持っているところもあり、新聞社向けにリリースだけではなく、写真まで掲載していた。
ファイル名をつける際のくせで、提出するの文書ファイルにも日付を入れていた。それが社長に気に入られなかったのか、怒鳴られた。
「ファイル名に日付を入れるな。鬱陶しい」
ファイル名に日付を入れるとファイルを整理するのに便利、という文化圏にいる人間としては、自分を全否定されるような心境になった。
しかも、私だけがやっている方法ではなく、『「超」整理法』の野口悠紀雄もやっていることなのだ。
プレスリリースがたまると、整理に困る。角2の封筒を総務からもらえることになり、それに「超」整理法のやりかたで整理することにした。会社が中央区新川に移転する前の入船にあったころの封筒を使う。
中央区新川のあたりは、あまり昼食をとるのによさそうな場所はない。大学生協のカフェテリアのようなシステムの定食屋が一件あり、そこで食事をすることが多かった。食事の時間は、十三時すぎのことが多かった。会社では昼食時間は指定されておらず、適当な時間に昼食をとってもいいことになっていた。
昼食後、太めの男から呼び出された。
会社の入口近くの応接スペースに座らされた。
「お前は就職に苦労しただろう」
失礼な、と思った。こういうことを唐突にいう人は、嫌だ。
「それでだ。座談会のまとめはできるか」
どこかでやったことがあるので「できる」と答えた。
「就職についての座談会をやる。学生側と企業側から出てもらい、それぞれの考えを出してもらう」
「明日、九時に集まれ」
翌日。朝九時に指定された場所に到着すると、誰も来ていなかった。時間までに二人の社員が来て、二十分くらい遅れて太めの男がやってきた。会場に入ると、教室風に並べられている机を座談会に適した形に直した。
会社側二社、各社二名ずつがやってくる。名刺を交換する。学生側二校、一校は一名、もう一校は二名やってくる。大学生も名刺を作ることが普通になっているためか、名刺をこちらも交換する。
座談会がはじまる。太めの男は「大学で柔道ばかりやっていて就職ができず」と言っている。正直、大学で柔道をやっていたならいい就職ができるのではないか。何かある。
話しているあいだ。この座談会は録音しておかなくてもいいのか、と思った。事前に太めの男に聞いたところ、「そんなことは知らん。自分で判断しろ」と言われていたので、困った。あとでトラブルになったら面倒だからだ。
単純な取材ならともかく、普通はインタビューや座談会は録音をとっておくものだ。たとえ聞き返さないとしても。
話している途中に、あわててICレコーダーの録音ボタンを押した。
出席者の自己紹介に移る。企業側からの自己紹介が行われる。一社目は日本最大手の物流企業で、そのせいか話にも印象に残るところがなく、通りいっぺんのものだった。
二社目は埼玉県に本社を持つ生協の物流関係を一手に引き受けている会社だった。人事はおばちゃん。話に抑揚のある人だった。
学生は国立の海洋系の大学で物流を専攻している学生と、私立の物流系大学の就職サークルの学生だった。
まずは太めの男がテーマを投げかけ、それに対して企業側と学生側とが答えてゆく、というものだった。
内容は、覚えていない。気がかりだったのは、座談会の司会があまりにも下手だったことだ。まず、それぞれの話がキャッチボールにならず、かみあわない。会話をしているような感じにならず、ただ話を聞いているだけ、というものになっていた。
印象に残ったのが、生協系の物流企業の発言で、面接は各役職者を一通りそろえて行うというものだった。これで一回で済むという。
さて、これをどうやって座談会としてまとめるか。頭を抱えるしかなかった。こんなに話を盛り上げない司会者も、そうはいないからだ。
座談会終了後、太めの男は別の取材があるといってどこかに行った。あらかじめ社で用意してあったタクシーで京橋あたりの料理屋に行き、昼食を座談会参加者と会社の人間とで食べた。いわば接待である。
食事の席では、酒こそ出なかったものの、生協系物流会社の女性人事の話が面白かった。座談会でもこの人を中心に盛り上がる話をしてくれればよかったのに。
その日は副部長などから頼まれたプレスリリースのまとめ記事を書いて帰った。
社長から、「物流についての入門書と辞書を買っておけ」と言われていたので、この日前後の日には、帰りにいまはない西葛西の書泉に寄り、物流についての入門書と『新明解国語辞典』を買った。
翌日は一日かけてテープ起こしをし、原稿をまとめた。ICレコーダーの再生ボタンを何度も押し、進めては止めの繰り返しだった。ワードでははかどらないので、ダウンロードしたテキストエディタを使って文字を打ち込んだ。
その打ち込んだものを太めの男に送る。
「テープは起こしましたが、どんな感じでまとめましょうか」
「知るか」
正直、そう言われると恐ろしい。もし、相手が想像するようなまとめに仕上がっていなかったら、いろいろ言われることが予想されるからだ。しかし、まとめの方針は示さないという。
「こんなテープ起こし、見ているひまはない」
けなされて終わった。
しかたがないので、まとめ直す。
太めの男が言った。
「おい、ちょっと見せろ」
「なんだこれは。このゴミクズ。お前はもともとライターだっただろう。そして『できます』と前に言った。それが、なんだ。もういい」
私はほっとした。まさかこれに何度も苦しめられるとは思わずに。
2013-04-17
■[雑記][連載]『就活惨敗――結局、正社員として生きられなかった』第二十五回

危険人物
セミナーのあと、懇親会が全員必須参加で行われる。そば屋の、ちょっとした宴会スペースだった。
食事はコースが決まっているようで、お酒は飲み放題だったのか、自由に選べた。
基本的には席順は自由だったが、社長と代表が奥に座るようになった。
近くには同日入社で営業部に所属することになった三十代の男性が座る。目の前には、「残業時間をグラフ化せよ」と言った太めの人が座った。右隣には、会議でも隣に座っていた、入社してそれほど経っていない人が座った。
社長は言う。
「きょうは無礼講だ」
もちろんそれが本当だとは思わない。
三十代の男性は、日比谷線沿線に住んでいる、という話をした。もともとは石油の業界紙で記者をやっていた、という話をした。
右隣の男性とは、どんな本を読むかという話をした。小谷野敦の本が好き、という話をしたところ、あまり小谷野のことを知らないようだった。
前に座っていた太めの人は、私に話しかけようとはしなかった。視線も合わせようとはしなかった。こちらも、この人には警戒したほうがいいというカンが働いていた。
太めの人は、隣の人とこう話していた。
「使えない奴っているんだよ。やめたあいつとかあいつとか、そうだっただろ」
仕事ができなくて、会社をやめた、あるいはやめさせられた人の悪口を言っていた。
もしかして何かあってやめさせられるとしたらこの人が原因になるかもしれない、と考えた。
宴席は進み、席も少しずつ入れ替わった。隣には取締役中部支社長が座った。つボイノリオについての話をした。
その後、社長とも話す。面接で出てきた「りょくさいしゃ」は、『紙の爆弾』を出している「鹿砦社」だと気づく。社長は、鹿砦社の松岡利康社長と、同志社大学での仲間だったらしい。『週刊金曜日』みたいなのではなく、『紙の爆弾』みたいなのが好みだと知る。
最後に、代表が歌を歌って終わる。何の歌だったかはおぼえていないが、古い歌だった。
店を出ると、太めの男が二次会として何人かを焼肉に誘っていた。
この人とは絡みたくないと思い、そっと地下鉄の駅に身を潜らせ、そのまま妙典に帰った。
翌日の日曜日は、行徳にある市川市の図書館の貸し出しカードを作り、本を借りた。
月曜日は東京メトロ妙典駅で新聞を買い、電車に乗った。東西線の西船橋寄りは朝は大変混雑しており、ちょっと大きめのかばんがじゃまになっていた。
とても新聞は読めないので、携帯電話で2ちゃんねるのニュース系の板を見ていたものの、地下に入るとそれさえもできなくなった。
茅場町で日比谷線に乗りかえ、八丁堀へと向かう。最初の会社では三鷹から茅場町まで中央総武緩行線・東西線で、茅場町で乗りかえていた。つくづく、この駅とは縁が深い。
八丁堀で降りると、長い地下通路を歩き地上へあがる。五分も歩かないうちに会社につく。
エレベーターで会社につくと、人は少なかった。総務の人がすでに出社しており、どの席に座ればいいかを教えてもらう。机の上には、オールインワンタイプのノートパソコンがある。
しかもパソコンを開いてみると、ウィンドウズビスタが搭載されていた。使いにくさで悪評が非常に高かった基本ソフトだ。
歓迎されていないのか、と落ち込む。
土曜日にセミナーをやったためか、代休をとって出社しない社員も多い。どうも、人がいきいきしている感じがない。
総務からメールのアカウントとパスワードを渡され、設定をする。
そこに社長がやってくる。
どうやら社長は、ノートパソコンを持ち込んだ、と思ったらしい。こんな使いにくそうなオールインワンノートは、会社に持ってこない。
設定されたメールソフトを見ると、このパソコンを以前使っており、退職した人のメールが一通だけ残っていた。退職の際に全員にあいさつをするもので、社内のメーリングリストに流れていたものだ。
読むと、二ヶ月ほど働かせていただき、貴重な経験をいっぱいし学ぶことが多かった、と記されていた。
ひょっとして、やめさせられたのでは。社内を見ると、人事の書類が掲示されており、「解雇」とその人物について記されていた。他にも解雇されている人がいた。
この会社はすぐにクビを切る会社だ。気をつけなくては。緊張感で体がいっぱいになった。
ちょっとでも失敗すると会社から解雇を言い渡されるのか。社長が面接で言った「君を試してやる」という言葉が頭に響いた。
社長が呼び出した。
「おい、わが社が出している、新聞と雑誌と年鑑を読んで、勉強しておけ」
そう言われて、過去三ヶ月程度の新聞と雑誌、そして二年の年鑑を総務の人に頼んで探してもらい、読んだ。
読むと、どうもよくない。内容がつまらなく、文章もそれほど上手とは言えない。格調が低いのだ。
ちょっと大きな記事になると、署名記事になっている。セミナーで「残業時間をグラフ化せよ」と言った太めの男の記事が、割と多い。その社員はこの業界紙の会社ではできる社員ということになっているようだ。
しかし、そんなに文章がうまいわけでも、いい記事になっているわけでもない。
雑誌もだ。面白くもなければ、本当に物流業界の人が役に立つような記事が掲載されているか、というとそんな感じでもない。一般紙・誌指向にしても、あまりよくない。
いろいろと大変そうな会社だが、それでもやっていかなくてはならない。恐怖感がつのる。
昼食を経て、副編集長に言われた。
「これに電話で追加取材をするのですか」
「お前もライターだったからわかるだろう。自分で判断しろ。そこまでは必要ないと思う」
「持っていません」
共同通信が出している『記者ハンドブック』という新聞の用字用語集のことだ。
「買っておけ。ちょっと待て。あった。これを使え」
会社でまとめ買いをしてあったであろう『記者ハンドブック』を手渡された。
だいたい、新聞や雑誌の記事の書き方は知っている。それを踏まえて書いて副編集長に送ると、「まあ、いいよ」と言われた。書き直しは、必要なかった。
あと一本くらいプレスリリースを渡され、記事を書く。両方の記事は、デスク業務をしている人に送った。デスクは、社長がやっていた。
裁量労働制ではあるものの、定時は十七時三十分。それまで仕事をしていた。
二十時からの企画会議は、太めの男に平の記者が毎日帰る前に提出した企画を前に、よしあしを言っていた。ずいぶん厳しい物言いであり、次週からは私も企画を提案しなくてはならないと思うと辛くなった。しかも、毎日帰る前に一本提出しなくてはならない。
二十二時ころに終わり、酒席にも誘われそうだったので、さっさと帰った。こんな状況で酒席に誘われたら、翌日は会社に行けないだろうから。
baki
同僚との昼食や酒席を共にすることを拒む記述がこれまでのエントリーに何度も出てきますね。。気になります。それが話全体に関わってくることという感じがします。
たかし
やっと更新されましたね。緊張の連続の会社での様子。目に浮かびますね。次回作も期待しております。
tazan
>bakiさま
確かに、私は信頼出来ない人とは席を同じくしたくない、という考えがあります。
もっともそれも嫌われる一因かもしれません。
>たかしさま
ありがとうございます。
2013-03-27
■[雑記][英語]The Japan Times WEEKLYを一年間読んで

以前、某国立大学の大学院の筆記試験に二つ受かり、面接で落ちた。面接で落ちたことはどうにもならないものの、筆記試験を二つ受けて二つ受かるということは、そこそこの頭はあるということである。
当然、英語の筆記試験もあった。筆記試験を解いてみてある程度英語がわかると思ったため、英字新聞を読むことに挑戦した。
いきなり日刊の英字紙は厳しいので、ジャパンタイムズが出している『The Japan Times WEEKLY』という週刊の英字紙を読むことにした。
読みはじめのころはときどき辞書を引いていたが、そういうことも徐々になくなっていった。一日四ページを読むのがやっとだったものが、その程度ならあっさり読めるようになった。
一年間で英語を読む速度が速くなり、内容も大体はわかるようになった。
今度は、『The Economist』に挑戦する。世界の知識層やトップマネジメント層が読んでいる雑誌であり、英文も難しく、内容も難しい。しかし、これが読めるようになるなら英語の読み手としてはかなりのものになる。
2013-03-26
■[雑記][連載]『就活惨敗――結局、正社員として生きられなかった』第二十四回

「残業時間をグラフ化せよ」
筆記試験があったのは月曜日、面接で内定が出たのは火曜日。その翌日にはネットで不動産を探していた。不動産業界は水曜日が休みだったため、フォームから問い合わせを送ってもすぐには返事をくれなかった。
とりあえず、木曜日に不動産を探しに東西線沿線を東へと向かう。ヤフー不動産で目星をつけておいた不動産業者をいくつか尋ねる。
さすがに初任給二十二万では高い家賃は厳しく、風呂とトイレが一緒だと仕事を終えたあとにくつろぐことができないからだ。
西葛西から西船橋方面へと向かう。江戸川区であってもさすがに都内は厳しかった。条件に見合う不動産はあるものの、どこも狭かった。ベッドと机を置いたら、他に何も置けなさそうだった。
いくつかよさそうなものを決めておき、再び翌日の金曜日に行く。南行徳によさそうな物件があったため、そこにしようとした。
大家の審査を受けるのでそれを待つものの、「これから勤める人は信用ならない」ということでだめだった。
築十年程度、近所に大型スーパーサティがあり、住環境だけは便利なところだ。
不動産屋には「契約にあたって内定通知書を見せていただけませんか」と言われた。そういう書類をもらっていないことに気づき、会社に頼んで送ってもらった。
不動産探し、引っ越し、役所への各種手続きなど、あわただしくすごした。二月末に千葉県市川市についたあと、片付けを急いで終える。
会社は土日休みの週休二日制だが、三月一日土曜日に会社内のセミナーをやるので必ず出席してほしい、と言われている。そのために引っ越しも役所の手続きも無理して間に合わせた。
三月一日のセミナーは中央区月島の区民センター会議室で行われた。おそらく、会社内で全員がそろって会議をする場所がないので、そこでやったのだろう。
セミナー開始の三十分以上前に現地に到着し、先に来ていた総務の人の案内で座る席を指定された。あらかじめ決められており、そのプリントを総務の人が持っていた。プリントには、入社してからの年月数が記されている。その順に座る。本社勤務の記者職は社長や代表が座る上座から見て右側、総務や営業、関西支社や中部支社の人は左側に座る。
しだいに社員がそろってくる。隣の席の人と話をする。
「こんどこの会社に入ることとなった小林拓矢と申します。よろしくお願いします」
「◯◯です。私自身も入ってまだ日がないので、よろしくお願いします」
おとなしそうな感じの人だった。
「よろしくお願いします。小林です」
「実は私も今日入ったばっかりなのです。前職は競艇の新聞の広告営業をやっていました」
「そうですか。私は前職はフリーのライターでした。一緒にがんばりましょう」
上座の人も徐々にそろう。東京の記者職の人は上座に座れば座るほど、不機嫌そうな顔をしていた。上から四番目あたりに、怖い目をした乱れた髪の毛の、太めの男が座っていた。あいさつしようと思ったが、人を寄せつけない雰囲気が恐ろしく、近寄れないでいた。
他にも、関西支社長や総務部課長、総務部員などにあいさつする。
全員が集まったところでセミナーは開始になる。
最初、会長がマイクを使わず話をする。耳が悪いため、人の話を聞くときにはマイクを通した音を聞くが、自分が話すときはマイクを使わない。
物流業界ではだいたいいくらの売上があり、「その一パーセントを我が社がもらう」と言う。
「朝日や読売は生き残る。毎日新聞は厳しい。うちの会社をやめて毎日に行った人がいるが、いつも我が社の社員に酒をおごってもらいにくる。給料が安いとぼやいている」
自社のやめた社員についていろいろ言う会社のトップははじめて見た。
そして、その中での自社の状況についても話す。
「我が社は業界を代表する新聞だと自負している。トップ企業である。オピニオンリーダーだ」と。
のちに調べた事実は違った。複数の他紙が業界では上位にあり、だいたい物流業界の業界紙では三番目か四番目に位置していた。
そのあと、社長が資料を配布して話をした。
「代表はあのようにおっしゃるが、わが社の置かれた状況は大変に厳しい。なんとかして収益をあげていかなくてはならない」
そう言いながら、資料に目を通すように指示した。
「この書類は絶対に外に出してはならない。わが社は『賛助会員制度』というものを行なっており、これはわが社の言論活動に対して支援していただくものだ。社員にはそれぞれ努力目標を課しており、ここにあるのがその一覧だ」
見ると、社員の名前と、物流企業の名前、そしてその会社から年間にいくら賛助金を取ってくるかが記されていた。担当制となっており、記者が取材活動のかたわら、購読料の他に賛助金をもらってくる。記者ごとに「努力目標」があるのだ。
いかに目標まで達成できるかが、社の売り上げと関わってくるという。
このノルマを達成できないと、売上が上がらないのだそうだ。
それから、編集部長や取締役中部支社長、また関西支社長が現状を話した。
昼食は折り詰め弁当を配布され、会議室内で食べた。正直、息が詰まる会議だったので、この建物を出て外で食べたかったが、名古屋や大阪から来た人もいたため、もてなす必要もあったのだろう。わりと高そうな弁当で、おいしかった。
隣に座っていた、私よりも少しだけ早く入社した人と話した。
「私も、入社してそんなに長くないので」
「よろしくお願いします」
程度の話だけだった。小柄な、丁寧そうな人だった。
会議は午後の部に入る。編集部の副編集長から部門の問題点を話し始め、副編集長二人の話が終わったあと、太めの、怖い目をした髪の毛の男が、恐怖感を与えるようにして話しはじめた。
「この会社の人は生ぬるい奴が多い。一生懸命仕事をしているのか。残業もろくにしていないようなやつに、給料を与える必要はない。残業時間をグラフ化し、給料の査定を連動させるべきだ」
それを聞いて社長は言った。
「確かに君の気持ちもわかるが、労働基準法というものがあり、労働時間というものが決まっている」
私はちょっとほっとした。同僚に無理な要求をする社員に対し、たしなめる社長がいたとは。
実のところこれはあとで裏切られることになる。
「私は、入社したばかりなのですが……」
「お前に話せることがあるとは思っていない。いい」
冷たく言われて打ち切られた。もっとも、意見を求められて言わなくてはならないことになると、大変なことになってしまうのでいいのだが。
その後、関西支社長は営業部門と編集部門を同時に行えることの強みを話し、総務は就業規則の改定について話した。
一社目では入社した際に就業規則の読みあわせがあったが、二社目ではなかった。二社目の会社に対しては、就業規則を読ませてもらえなかったという不満があった。
2013-03-25
■[雑記][連載]『就活惨敗――結局、正社員として生きられなかった』第二十三回

会社をやめた後、再就職を目指す
会社のビルを出たあと、東京駅八重洲口の横断歩道を歩きながら大学時代の友人に電話した。友人は大学院に行くかたわら『週刊金曜日』編集部にアルバイトとして勤務しており、かつて会ったことのある編集者に取り次いでもらおうとした。
早速会えることになり、当時水道橋駅近くにあった編集部に行く。
大学時代に三人、同社の編集者に会っていたものの、二人は辞めていた。一人は少し前に記した『週刊SPA!』の編集者に、もう一人は独立して雑誌社を起業したものの、その雑誌は休刊に追い込まれていた。
編集者に会い、ライターになるということを話す。あいさつをしておいた。
その後、『週刊金曜日』や『週刊SPA!』などに記事を書くものの、生活に困窮し、二〇〇六年七月に実家に帰った。実家で暮らしながら、細々と原稿を書いていた。
なお、勤務していた会社は二〇〇五年の秋ころに御成門のあたりに移転し、それと同じころに金融庁から不招請勧誘を理由に業務停止処分を受け、そのまま倒産した。七月ころに為替証拠金取引の電話勧誘が禁止になり、その後も続けていたのだ。
その後、この会社は顧客から裁判で訴えられ、ノミ行為をやっていることが判明した。
二〇〇七年の終わりころに、再度どこかに勤めたい、という思いが高まった。転職エージェントに登録し、履歴書などのアドバイスを受け、エージェントで紹介されるものにあたったり、あるいは朝日新聞の求人広告欄を見て手当たり次第に履歴書を出してみた。
転職エージェントの紹介してくれる仕事は少なかった。というのも、営業系やIT系の仕事は多かったが、執筆能力や執筆経験を評価してくれる企業は、あまりなかった。求人自体も少なかった。
履歴書はパソコンで作成し、内容を作りこんでいたため、筆記試験や面接試験に進めることが多かった。
中古車の案内サイトを経営する会社が「業界紙記者」の募集をしていた。面接で話を聞いてみると、中古車オークションの情報を得るために出している業界紙で、業界紙でないと「報道機関」として中に入れないのだそうだ。一通りの編集ができる人を求めていた。
むろん落ちたものの、ある程度は致し方ない、と思った。
また、鎌田慧がルポライターになる前に勤めていた業界紙の筆記試験も受けた。作文やSPI能力検査の結果はよかったが、適性検査に問題があったと転職エージェントに言われた。
手当たりしだいに履歴書を送った中で、筆記試験にきませんか、と二〇〇八年の二月に連絡してくれた会社があった。その会社の筆記試験を受けることにした。物流関係の業界紙の会社だ。
会社は東京都中央区新川にある。最寄り駅は、八丁堀。甲府市から中央高速バスに乗り新宿、そこから中央線と京葉線を乗り継いで会社へと向かう。
雑居ビルの三階にあるその会社に入ると、入口近くのぼろぼろの応接セットに座らされた。その時間帯に筆記試験を受ける数名が、その場所で待っていた。
一人は私と同じ年ごろの男。もう一人が、顔を赤らめていた中年の男だった。酒の飲み過ぎだろうか。
ごみごみした薄暗い会社の中を通り、会議室へと通される。あとから来た人も含めると六名程度が筆記試験を受けることになった。
試験は二時間。作文が原稿用紙十枚、それに加えて難しい漢字の読み書きや悪文の修正などが出題された。悪文の修正は、いったいいつの時代のものだろうかと思わせられるような内容だった。あとで調べたら、本多勝一『日本語の作文技術』(朝日文庫)にあるものだった。おそらく、何度も入社試験問題を使用しているのだろうか。
作文の十枚は書けそうにない。試験を開始してからしばらく経つと、解答をやめて帰る人が出始めた。その人たちの作文用紙は、文字が埋まっていない。
おそらく、もっとも多い分量を書いた人が高く評価されるだろうと思い、どんどん枚数を重ねて行くことにした。最後は、だいたい七枚程度になった。
筆記試験が終わり、交通費の精算を行う。最後に私一人が残り、総務の人に言われた。
おそらく書類の段階で期待されているのだろうか。午後の時間帯に面接を指定された。
翌日、面接に向かう。
ノックして昨日と同じ会議室に入ると、一名の老人が中央に座り、中年の男が窓側に座っていた。
「社長の◯◯です。きょうは面接お疲れ様。代表が耳が悪いので、音を大きくするためにマイクを使って話してください」
「はい」
「ええ」
そこで代表がたばこをふかしながら話す。たばこを吸いながら面接をする人は、初めて見た。
しかも、白い紙巻のたばこではない。茶色の何かで巻かれていたたばこだった。あとで調べてみると、細い葉巻だ。
「おい、君は文章がわかっていないな」
「はあ」
「筆記試験の答案を見たよ。文章の間違いを修正する問題の解答がよくないな。それでも、ライターなのか」
「申し訳ありません」
「まあいい」
もう歳も歳だろうが、ひどく尊大そうな人だった。
「君は、自分では書けるとは思っているだろうけど、大したことはないな」
「すみません」
「りょくさいしゃをしっているか」
「知らないです」
「雑誌社だ」
唐突にある雑誌社の名前を出される。おそらくそこの雑誌社で書いたことがあるのだろうと思って聞いたようが、知らない。
そのあと、家庭の事情を聞かれ、事細かなことを話した。
社長は言った。
「おい、使えるかどうか君を試してやる。三月からこの会社で働け。引越し代や不動産の敷金・礼金は全て持つ」
代表もうなづいていた。
面接が終了し、総務と今後の日程について話をした。
「この会社の人はだいたいどのあたりで暮らしているのですか。不動産を探す際の参考にしたいので」
「東西線沿線が多いです。茅場町で日比谷線に乗り換えて、八丁堀まで」
そして総務の人は、この会社で発行している新聞と雑誌を渡してくれた。
「受かったよ」
「よかったね」
母の口調には安堵感が漂っていた。
2013-03-19
■[雑記][連載]『就活惨敗――結局、正社員として生きられなかった』第二十二回

「栄養剤を飲んでも治らないと思います」
重厚なコンクリート造りの建物は、要塞のようだった。昭和の時代に建てられ、おそらくは昔は内部に輪転機があったのだろう。小さな、薄暗い控え室で面接を待つ。
そう思うとどうしていいかわからなくなった。とにかく、面接を受けるしかないのだ。なんであれ、日曜日の午前なんて時間に面接を設定してもらえたのだ。
係員に誘導されて、面接室へと入る。面接官は、中年の男性二人だった。
一人は、いやに不機嫌な顔をしていた。「お前、何様なんだ」という顔をしていた。
「君はなぜうちの会社を受けにきたのか。会社に入ってすぐじゃないか」
理由を説明しても、わかってはもらえなかった。
実はウェブで読んでいます、と言ったら、大変機嫌を悪くした。面接通過の連絡以降、毎日買い続けていたので、「駅で買っています」と言ってもよかったのだ。
中日新聞社の面接官は、若い世代がどんなに苦労しているか知らず、そういう人たちが面接にきても偉そうにしている。
中日新聞東京本社が刊行する『東京新聞』は、特報面の評判がよく、一部方面からはジャーナリズム精神の高さを評価されている。二〇一一年の三月十一日以降、脱原発を主張し続けた紙面は、いわゆる「左派」の人たちから高く評価されている。
しかし、中日新聞社は東京新聞労働組合を弾圧し続け、かつ面接でこういった扱いを志願者にしていることは、案外知られていない。そのとき、この会社は二枚舌を使う会社であり、それを平然と押し付けている会社であると感じるしかなかった。
これ以降、東京新聞が表向きはどんなにいい報道をしても、信用していない。特に三・一一以降の脱原発報道についても、冷ややかな目で見ている。
この日の翌日か翌々日か、また体が動かなくなった。朝、起きようとしても金縛りのようになり、会社からは何度も電話がかかってきたものの、出ることができなかった。
昼過ぎに横になりながら電話に出た際、「医者に寄ってから会社に行きます」と返事をした。
だが、それでも体が動かない。なんとかして、日が暮れそうなころに三鷹駅前の厚生会病院に行く。
病院の先生に体が動かず、だるさと眠気が消えず、疲労感がひどい、という話をする。会社の話もする。「栄養剤やビタミン剤の類がほしい」と言うと、「栄養剤を飲んでも治らないと思います」と言われる。
その日は結局、会社には行かなかった。
もしかすると辞めるかもしれないと思い、退職届をパソコンで作っておいた。
翌朝出社すると、非常にお腹が痛かった。きりきりと締め上げるような感じで、水しかのどを通らなかった。
そんなとき、誰かが遅刻してきた。遅刻してきた人は、コーヒーを部の全員にごちそうする決まりになっている。
しかし、私はコーヒーは飲めそうにない。おなかの痛みが酷くて全く飲めない。本当は何も飲みたくないのだが、胃に優しそうなものを考えた。
そういうと、副部長が、
と言ってきた。しばらく座らされたのち、
と、書類で殴ってきた。
「いえ、お腹が痛かったんです。なんなら飲まなくてもよかったんです」
そう説明しても、
「そんなこと知るか。ここは会社だ。自分の体調管理は自分でするものだ。ええかげんにせえ」
そのまま正座していることになった。
もうやめよう、と思った。さすがに、殴る上司のいる会社で毎日怒鳴られ、バカにされけなされていることもない。
第一、少し前に課長から聞いたこの会社の儲けのからくりはひどいものであった。当時、この会社のスワップポイントは一万ドルあたり三十円くらい。一方、外為どっとコムあたりのスワップポイントは九十円くらい。お客様から預かったお金を担保にしてお金を借り入れて外貨を買って、その金利を抜いているのだ。
「おい、お前は人間のクズか」
「わがまま言っているんじゃない」
そのうち、コーヒーが届いた。スターバックスのコーヒーだった。
「いいえ、とてもお腹が痛くて、それどころではありません」
副部長が冷酷な目でこちらを見ている。
「ちょっと考えなおせ。俺が、お前の実家に電話するから。やめるのは、まだ早い」
係長はそう言って私の携帯電話を取り、実家の母親に電話をかけた。
いまの状況を説明し、変に褒めていた。母親からも何か言ってもらえないだろうか、ということだった。
このころまで毎日、必ず実家に電話し、会社の様子を話してきた。だから、ある程度会社の様子はわかっている。
それでなのか、すんなりと了承してもらえた。
「おまえ、このままやめていいのか。歩合がもらえなくていいのか。ソープに行けなくていいのか」
と係長は言う。
「やめたら、歩合がもらえなくなるんだぞ」
「いえ、別にいいです」
「このままやめて、挫折して人生を送ることになってもいいのか」
どんどん責められる。
「早く撤回しないと、路頭に迷うことになるぞ。お前の人生、これから先は負け続けだぞ。いいのか」
何も言えなかった。
退職の書類を持って、総務の人が私のところに来る。その際に、会社所定の退職届用紙を見せられる。B5である以外は、自宅で作ったものとほぼ同じだった。
その他にいくつかの書類にサインをし、形ばかりのお礼を副部長や部長、支社長にする。支社長はヤクザみたいな人だった。副部長には「社会人としての当然のことを言ったまでだ」と言われた。
係長に、「お前、この先どうするんだ」と聞かれる。
一笑された。
「おまえになんかできるはずもない。まあがんばれや」
紙袋に荷物をまとめ、「ありがとうございました」と言って会社を去った。
胃や心臓の痛みは、消えた。
陸奥
競争原理を叫ぶ人達が、新卒一括採用をあまり批判しない不思議というのは昔から思うのです。
雇用に流動性が生まれれば、優秀な人材は正当な評価を求めやすくなるし、ダメな企業は淘汰される。何より、働く能力のある人が、年齢や学歴を理由に差別されることが少なくなる。
小林さんの例は極端だけど、「やり直し」の利きにくい社会は、基本的に生き難い社会と思います。
箱男
連載開始以来たいへん興味深く読ませてもらっていましたが、特に現在の会社に入社してからの数回は引き込まれるように読んでいます。小林さんの頭の中ではすでに最終回までの構想はできあがっているのでしょうか。一読者の希望としては、小林さんがライターとして大きな仕事を成し遂げ、あなたを迫害してきた連中を見返すことになる最終回を読みたいです。そういう物語になるよう、頑張ってほしいと思います。
たかし
絶対に書籍化して頂きたいと存じます。 毎回興味深く購読させて頂いております。次回作も毎日更新されないかと毎回のぞいております。
tazan
返事が遅くなって申し訳ありません。
>陸奥さま
だめな企業の淘汰は本当に必要なことです。
実際にこの会社も、私が辞めて一年しないうちに潰れています。
次回更新あたりでそのことには触れます。
>箱男さま
実は、申し訳ないのですがこのあともダメダメで、私を迫害して来たような人たちをギャフンと言わせるようなこともないのです。
これ自身は小説ではなく、エッセイやノンフィクションのたぐいなので、うそをつくわけにはいかないのです。
それに、惨めなことを書いたほうが、私の場合は多くの人に喜んでもらえるのです。
>たかしさま
日常の野暮用が多く、返事もできずに申し訳ありません。
このあと、もう一社体験します。
End
> 3月20日(祝)に浜松町都産貿で開催される「東京とびもの学会」にて売り子をやります。
もっと早くに言って(情報掲載して)くれれば、物見遊山に行けましたのに。いま気づきましたよw
書籍化を強く望みます!!