NAVIGATION
放送内容カレンダー
バックナンバー

放送内容

オフレコ

2012.10.11北朝鮮遺骨問題

先月、肉親の遺骨を残してきた日本人遺族たちが墓参りのため、67年ぶりに平壌を訪れました。訪問のきっかけを作ったのは「1枚の名簿」でした。

佐藤知也さん
「たまたま私の父が、龍山墓地に眠っているみなさんの、たった一通の名簿を日本に持ち帰ったというきっかけがあって」

佐藤さんの父親が残した「1枚の名簿」。そこには、戦後の混乱期に平壌で亡くなり、現地に埋葬された日本人2421人の名前が記されていました。

瀧澤真紗子さんもこの名簿をきっかけに、今回平壌を訪れた遺族の一人です。瀧澤さんは終戦直後、ソ連軍の侵攻をきっかけに、中国・満州から平壌へ避難。それが悲劇の始まりでした。避難先は学校。飢えと寒さで周りの日本人が次々と死んでいきました。そして、瀧澤さんの家族も命を落としました。母・ハツさんは肺炎をこじらせ死亡。後を追うように妹の久仁子さんも亡くなります。死因は栄養失調でした。

入国から3日目。遺族たちはようやく肉親が眠る場所、「龍山墓地」に足を踏み入れました。今回、北朝鮮を訪れた日本人遺族や関係者は合わせて16人。参加者の多くが80歳を越えています。残念ながら、墓地は戦後2度移設され、遺骨がどの場所に埋葬されているかは、まったく分からなくなっていました。動き出したかに見える日本人遺骨問題。しかし、まだ多くの事実が闇に埋もれていました。

平壌郊外にある三合里地区。ここでは日本の「軍人」とみられる遺骨が次々と見つかっています。この地区には戦後、ソ連軍が管轄する収容所があり、遺骨はそこにいた軍人たちのものだと見られます。

2万人近くの日本人の遺骨は、北朝鮮国内の71箇所の墓に埋葬されていると見られていて、現在、場所が確認されているのは「龍山墓地」や「三合里」など5箇所。名簿が存在するのは、「龍山墓地」だけとみられていました。

しかし、今回、朝日放送は三合里などの地区に眠る軍人たちの名簿を入手しました。名簿には、亡くなった800人以上の軍人の名前や所属部隊、住所や死亡原因などが細かく記されていました。三合里地区の埋葬者を示す貴重な資料です

どのようにして名簿は作られたのか。取材班は、この名簿を作成した元軍人の1人と接触することが出来ました。

元陸軍軍人・山本さん
「我々が持って帰ったのは859人。1200人は埋葬したであろうと。三合里を出発するときに上官が記録した」

山本さんは帰国する間際、上官が収容所から持ち帰った死亡者名簿を数人で小さな紙に書き写し、水筒の中に隠して持ち帰りました。ソ連軍から名簿を守るための行為でした。

さらに、山本さんは名簿には、遺骨の埋葬場所も示す工夫が施されている、と明かします。名簿には、一人ひとりに「墓標番号」が振られていて、見取り図を見れば、埋葬場所がわかるようになっていました。

山本さん
「1つがだいたい3列。3列というのは1列が25人。3列とは75人埋まっているわけ。このとおり埋めたかは、定かではありませんけども、可能だとすれば地図と、航空写真とあわせてみれば、大体、手付かずの埋葬場所がわかる」

三合里地区は、軍事地区で開発が進んでおらず、戦後、墓地の場所は移動していません。つまり、この名簿が見つかったことで、誰の遺骨がどこに埋葬されているか、分かる可能性が出てきました。

遺骨問題の調査を続ける佐藤さんは、こう訴えます。

佐藤さん
「ここに眠っている遺骨は、いつかは祖国の日本に帰って欲しいなと思うし、それが当たり前だと思う。でも個人の力では出来ないことなので、日本の政府にお願いして、やってもらいたいなと思っています」

戦後置き去りにされた日本人遺骨問題。まだ、解決の道筋は見えていません。