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第四話 シェイドミネイター
19. ヤミノセカイ
 最初は些細なことだった。
 少女が生まれてから1,2年。まだハイハイしかできず、歯も生えかけの年頃。
 玩具として与えられた積み木をただ少女は積み上げていた。
 何を作るとか、どんな形にするとか考えず、ただただ高く高く積み上げていった。
 そして、自分が精一杯手を伸ばしてもこれ以上積み上げられないところで、少女は両手を振り上げ、その歪な形をした積み木の集合体を……破壊した。
 ガラガラと音を当てて崩れるそれらを見て悦んだ。そしてまた積み上げては壊し、積み上げては壊す。そんな繰り返しが、彼女の最高の「遊び」だった。


 そして月日が流れ、少女は幼稚園に入園した。
 そこには様々な「創作」があった。さまざまなものを創り出す機会に恵まれる場だったのだ。
 彼女は折り紙に熱中した。一枚の紙から色んなものを生み出すことに没頭しまくった。
 彼女はお絵描きに熱中した。白い紙に色とりどりのクレヨンで鮮やかな風景や人物を描いていくことにのめりこんだ。
 そうやって、たくさんのものを作り出した後。
 彼女は……それをも壊した。
 びりびりに破いた。マッチで燃やした。踏みにじった。
 丹精込めて作り上げたものが自分の手で壊されていく。その「遊び」に少女はいつしか単なる悦びだけでなく、快感すら覚えるようになった。


 少女の「遊び」の手は生き物にも向けられた。
 近所の川で産卵期のメダカをバケツに汲んで家に持ち帰り、水槽に入れた。
 水中の藻に付着したその卵を彼女は毎日見つめた。生まれるのはまだかまだかと待ちわびた。
 卵が孵化した時は素直に喜んだ。一匹一匹に名前を付け、稚魚に餌をやってそれを食べる様子を見るのが楽しかった。
 以前より全長が大きくなっていることに気が付くと「自分がここまで育ててきたんだ」と実感した。

 そして、十分大きくなったころを見計らい、少女はそれらを「壊す」ことに決めた。

 水槽に大量の化粧水やら、洗剤やら、ジュースやらを注ぎこんだ。
 もちろん、すぐにメダカ達は死んだ。
 濁った液体の水面に腹を上にして浮かび、波にぷかぷかと揺れるメダカたちを見て、少女は白い歯をむき出して哂った。
 このメダカに生を与えたのも、死を与えたのも自分。
 誕生から死までを自分自身が全て掌握し、コントロールしていたことに感極まっていたのだ。
 もはや完全に少女はそのサイクルの虜になってしまった。
 何かを生み出すのも、何かを創るのも、全て最終的に壊すため。他でもない、自分の手で。
 少女の狂気じみたその行いは止まることなく、更にその過激さを増していった。


 次の彼女の魔の手が伸びたのは……対人関係だった。
 幼稚園を卒園し、小学校に上がって新しいクラスに振り分けられたとき。
 新しい顔ぶれ、話したことのない仲間。いつもと違う環境に置かれて、最初は児童たちが戸惑い恥ずかしがる。先生の手ほどきが必要のは普通だろう。
 そんな中、彼女だけは活発に他の子たちに話しかけていった。「いっしょにあそぼう」「わたしもいれて」と、積極的に接した。
 もちろん周りの人間も驚きはしたが拒むことはせず、徐々に彼女に打ち解けていった。果てにはクラスの壁を越えて、学年全体が彼女につられて色々な関係を作り上げていった。
 彼女はその仲間たちの中心の存在となって日々を過ごし、楽しく過ごしていた。その裏で、自分がこの関係を創り上げたのだという悦楽と、いつそれを壊してやろうかという思いにかすかに頬を緩めながら。
 ある日の放課後のこと。女友達の一人から同じクラスの男子が好きだということを打ち明けられた。
 所詮は子どものする単なる恋愛話。「そうなんだ」とか「がんばってね」とかで終わるはずだった。
 だが少女はそれを聞いた途端、心の中で邪悪な笑みを浮かべた。
 彼女はそれ以前に、その男子が既に他の子に想いを寄せていることを耳に入れていたのだ。それだけでなく、彼女は彼らの恥ずかしい秘密や弱みを多々知り尽くしていた。
 それもそのはず。少女は数々の子供たちと関係を持つ口八丁手八丁な顔の広い人間。情報など簡単に、かつ大量に自分の周りに集まってくる。
 当時そんな情報をそのままただの「情報」として見ていた彼女はその女子生徒からの告白を知った瞬間、持っていた情報を……「破壊の道具」として利用した。

 要は、自分の知っている他人の秘密を全てぶちまけた。

 告げ口するように、あるいは会話の中にさらっと混ぜたり、机の中に匿名で手紙を入れて置いたり。
 ほどなくして効果は出た。怖いくらいに大きかった。
 男同士は大喧嘩し、女子同士は罵り合った。いじめも起きた。怪我人も出た。不登校する者も出た。
 PTAでは大問題として会議で取り上げられ、学校全体としても大きな不祥事となった。
 時間が経つとともに事態は収まったものの、それまでの仲間意識は完全に崩壊した。
 誰も他人と話そうともしなければ信用もせず、いがみ合い、憎しみ合う。もはやそれはクラスメイトではなく、同じ空間に身を置いているだけの集団にすぎなかった。
 そんな暗くギスギスした空間の中で少女は一人、笑いをこらえるのに必死だった。
 自分が壊した。この環境は自分が壊してやった。自分で創り、自分で壊した。
 その達成感に、少女はこれでもかというほど酔いしれていた。
 もっと創りたい、もっと壊したい。その思いはどんどん大きくなり……時は過ぎていく。


 夏休み宿題で一生懸命栽培したアサガオを、花が開いた瞬間に鋏で切り刻んだ
 道端に捨てられていた生まれて間もない猫を拾った。家に連れて帰ってばれないように一生懸命育て、十分大きくなったころを見計らい、コンクリートブロックで頭を砕いて殺した。
 皆に慕われていて人気だった先生が異動する際、催したお別れ会で記念にと渡す色紙を自分の用意したものと入れ替えた。それはその先生に対しての罵詈雑言や誹謗中傷、知られたくないような過去が書き殴ってあった。
 優しかったはずの先生はそれを見た途端一変して泣き喚き、暴れた。楽しいお別れ会は台無しになり、今までの生徒達と紡いできた思い出も無残に砕け散った。
 最高だった。快感だった。自分は何て充実した日々を送っているんだろうと天に感謝したいほどの気持ちだった。


 だがそれからしばらくして、これまでの彼女の何もかもをを揺るがす事件が起きた。
 まったくの突然、自分の父親が妻を……自分の母親を殺したのだ。
 学校から帰った直後、いつもと変わらぬ日常の中で目にした惨劇。
 倒れた母。
 その傍らに立ったナイフを持った父。
 壁と床に飛び散った血飛沫。
 それを目の当たりにして彼女は、驚くより先に、恐怖するより先に、悲しむより先に、頭を真っ白にするより先に、直感した。
 今、私の家族は壊れてしまったんだと。
 今まで積み上げてきた積み木が崩れるように、壊れてしまった。
 家族全員で創り上げた家庭も、絆も、愛も、全て壊れたのだと、もう元には戻らないのだと。
 少女はそう思い、理解した。
 そして……後悔した。

こんなことになるなら(、、、、、、、、、、)……私が壊しておけばよか(、、、、、、、、、、)った(、、)

 私も家族の一員。この家族の歴史を創り上げてきた一人じゃないか。だったら、それを壊すことができたなら、どんなに気持ちがいいだろう。
 もしそのことにもっと早く気が付いていたら、こうなる前に私が先に(、、、、、、、、、、)壊せていたかもしれな(、、、、、、、、、、)いのに(、、、)
 少女は地団駄を踏んだ、親を失ったことへの悲しみなどまったく抱かず、ただ目的を遂行できなかった自分への怒りだけを募らせていたのである。
 その怒りを発散させるように、彼女はそれから一層激しく創造と破壊を繰り返した。
「自分による破壊」が起きるたび、少女は歓喜した。そしてすぐに次の「自分による創造」に移った。
 そうしなければ自我を保っていられない。永遠とループし続けることに陶酔した少女。




「……それが私」
 日影はそう切って、長い長い昔話を終えた。
 俺はその恐ろしい過去を全て理解し、混乱し、動揺し、恐怖した。
 今の話が全部日影のことだとはとても思えなかった。彼女はちょっとつんけんしてるけど、根はやさしくて、恥ずかしがり屋で……。
 でも……そんなあいつが……。
「嘘だ……嘘だよな……なぁ日影……」
 震えながら言うが日影は表情一つ変えずに俺を睨み続けている。
 信じたくない、何かの間違いだと信じたい。でも本人が語ってるんだからそんなわけがない。 
 創造と、破壊……それを繰り返す……。日影は、そんなことを……。

――――自分で壊せたから。 

 あの屋上で洩らしたあの一言。
 俺はその時、誰かに自分のものが壊されるのなら、自分で先に壊した方がいいという風に解釈してた。
 だがそれは、常識的に考えて「何かが壊れることに関して否定的であった場合」の解釈。それが今、彼女の本性が露わになったことで逆転した。

 
 彼女は壊れることを最初から想定に入れて話していたんだ。


 だとしたら意味合いは全く別のものに変わる。
 壊すのが自分か否かという問題。日影が今まで苛ついていたのは……自分で壊したいものを誰かに先に壊してしまっていたからなんだ。
 だとしたら……彼女がその姉を憎んでいた理由は……!?
「そういうこと。後味は悪かったにしても、あいつが死んでくれてせいせいしたって気持ちもなくはないわ。邪魔者が一人消えたっていう意味でね」
「……」
 俺はそれを聞いた途端、がっくりと膝を折った。 
 彼女の言っていた通り、俺の何かが壊れていく音が心の中でした。よくわからないけど、それは今まで俺が彼女に抱いていたイメージや想いや記憶が詰まった全てだったのかもしれない。
「ったく、親の事件のほとぼりが冷めた頃に、今度はあの女の方が事件起こしやがって。その風評被害のせいでどれだけ私が壊すはずのものが先に壊れていったか……」
 面倒臭そうに首の後ろを掻きながら日影はぼやいた。
「事件……?」
「あん? ああ言ってなかったっけ? 私の姉も前科者なんだよ。殺人の。自分のクラスメイトをナイフで刺してさ」
「え? ……え?」
 日影の姉が……殺人!? 親だけでなく、姉も!? じゃあさっき言ってた風評被害ってのは……それか。
 殺人犯の妹にして娘。その肩書がどれだけ彼女の重荷になるのかはわかる。だからそれは彼女にとって日常の様々なものを壊された、という意味と汲んで間違いはない。
「新聞とかじゃ男女間の交際関係のもつれ、っていう動機になってるけど。実は違うんだよね~これが」
 日影はどうでもよさそうな口調で説明を始めた。
「私はあいつも、もともと壊すつもりだった。10年前の事件で家族は散り散りになったけど、あの女だけは片時も離れず私の傍にいた。つまり、私の家族は完全には崩壊していなかった」
「……」
「なら、その壊れかけを私が粉々になるまで徹底的にぶち壊そうって決めた。後始末っぽくて味はないけど、何もできないよりはマシ」
「……ええ? え?」
 狼狽する俺を見て日影は少し含み笑いを浮かべた。
「それでその事件の真相。事の発端はあの女に彼氏ができたこと」
「か、れ……し?」
「そう、彼氏。恋人。男。突然家に連れて来られたもんだからかなりびっくりしたよ。でもしばらくして考えてみたら……これだ、って思った」
「……どういう意味だ?」
「あの女を壊すいい道具になりそうって意味」
 にい、と日影は白い歯を剥き出しにして言った。
 道具って……その彼氏をか? 一体どうやって……?
「簡単なことじゃん」
 ぽん、と手を叩いて彼女は俺に一歩近づいて跪く俺を見下ろした。
「別れさせればいいんだよ、その男とあの女を」
 平然と、今日の晩御飯の献立でも提案するような口ぶりだった。
「な、なにしたんだよ……お前……」
「私さぁ、今はそうでもないけどその時って結構他の娘より発育よかったんだよ?」
 そう言って、両手で自身の胸部をぐっと下から押さえて持ち上げた。
 大きくもなければ小さくない、形の良い乳房がやんわりと圧縮されていく。
 その言葉と動作で、俺は彼女の意図を瞬時に理解した。
「……色仕掛けか」
「男って本当に単純だよねぇ。すぐにこっち側に転んできたわよ、あの男」
「……」
「要はさぁ、あれじゃん? 愛だの性格だのそういう年頃の男は色々うるさいけどさ、結局女を選別する基準って『やらせてくれるか否か』ってことなんだよねー。姉貴の彼氏に訊いたらまだ一度もやってないっていうからますます好都合。そいつの溜りに溜まった性欲の感情を私の方に向けさせれば計画は達成したも同然」
「……」
「完全にあの男を虜にして内密に付き合い始めて二股をかけさせた。ってかもうその頃は男は姉貴とほとんど疎遠だったけどね」
「……」
「それで十分そいつを私に溺れさせた時に、私たちの秘密を姉貴に打ち明けようとした。放課後の教室で、あの男に一緒にエッチしようって誘ったの。その前に姉貴にメール送ってその場所まで来るように仕向けた。もし姉貴が今の私達を見たら、間違いなく粉々に砕け散るしついでに彼氏との関係も壊れる。一石二鳥だよねー」
 自慢話のように、武勇伝でも語るように、日影は語り続ける。俺は目を見開いて、その狂気に満ちた日影をただ見て。彼女の話を聞くことしかできなかった。
「でも、そこで想定外の出来事が起きた」
 急に日影は表情を硬くして、声のトーンを少し下げた。
「本当なら、そこで私が姉貴の彼氏と付き合ってるってことを本人に打ち明けるはずだったんだよ。でも……それより先に彼氏の方が動いた」
「……え?」
「姉貴に詰め寄って、恐喝した。私達の親のことを盾にしてさ」
「!?」
「正直そいつがそのことを知ってるなんて思わなかった。姉貴の奴が打ち明けてたのかな。あの女口軽いし」
 面白くないという風に日影は爪を犬歯で齧りながら舌打ちした。
「でもそれだけじゃなくて……更に予想外のことを、今度は姉貴の方がやりやがった」
「……その彼氏を、殺したんだな?」
 無言で彼女は頷いた。
「確かに、私の筋書き通り姉貴とその彼氏の関係は壊れた。逮捕もされたし、家族としての姉貴ももちろん壊れた。だけど……そこ(、、)に私はいなかった」
 ぎり、と歯ぎしりする音がダイレクトに耳に届く。
「全部あの女が一人で壊したも同然じゃない。私はただの部外者で……まったくの傍観者だった。私が必死で壊すために創り上げてきたものを、あいつは一人で全部台無しにした!」
「……」
「それからはもうあんたの想像通り。姉貴の汚名を背負ってからどこへ行っても私はハブられる。無視される。問い詰められる。いじめられる。……私のなにもかもが、あいつのせいで全て壊れてしまった……」
 放心したように日影は暗黒の宙を見つめながら黄昏るように語る。
「そのたびに何度も何度も転校を繰り返した。そしていつのまにか、私は創ることも破壊することもしなくなってた」
「……」
「自分の扉を閉ざして、外の世界と遮断して他人との関わりを断って、何もせずにただ一人でいる本当に空虚な日々を過ごしてた。今でも覚えてるよ、あの頃のこと」
 今度は物寂しそうな表情で、日影は胸にそっと手を置いて俺を見た。
「ねぇ覚えてる? 私が前にあんたにした昔話」
「昔話?」
 俺はそう訊かれて急いで何のことだか思い出そうとした。
 えっと、昔話……日影が前にした……何だっけ、確か……。
「……もう一人の、自分?」
「そう」
 正解、と日影は少しだけ純粋な笑みを俺に投げかけた。
「私は『彼女』に出会って、忘れていた大切なことを思い出した。それは、創ることだった。」
「……」
「何かを創りださなきゃ、何も始まらない。何もない場所の扉を開いて前に進んで、いろんなものに出会って、そこでたくさんのものを生み出していくことが大切なんだって気づいた。例えば……友達とかね」
「……」
「それを機に、私は少し変われた気がする。前向きにっていうか、積極的にっていうか」
「……」
「でもまだ不十分だった」
 急に一変して、また彼女は暗く重い雰囲気を纏い始めた。
「創るだけじゃ、足りなかった。私の扉はまだ開かれなかった。完全じゃなかったんだよ。その時の私はまだ何かが欠けていたのよ。まだ大事なことに気付いてない、忘れていることがまだ何かあるって」
 そこで日影はもう一度俺を見て、さっきの身も凍るような邪悪な表情を浮かべ、言った。


「そんな時、今度はあんたに出会った」


「お、俺?」
「そう、あんた。あんたに巡り会って、私は忘れていたもう一つの大切なことを思い出した。それは……壊すことだった」
「……え?」
 聞いた瞬間俺は耳を疑った。
「何で……何で、俺、なんだよ?」
 わなわなしながら質問すると、日影は待ってましたというように即答した。
「さっき言ったよね? 男が女を選ぶポイントは『やらせてくれるか否か』って」
「……は?」
「私は今までいろんな男を見てきたけどさ、どいつもこいつも私に対して同じような目を向けてくんだよね。下心しかないようなやらしい目。身体しか興味ないような、気持ち悪い目。本当汚らわしくて吐きそうだったっつの」
「……」
「結局そういうやつの頭の中ってデートとかキスとかよりその先のことしかないわけ。もう『好きです、付き合ってください』って言葉も『いい体してるね、一回でいいからやらせてください』って普通に変換されちゃう」
「……それは」
 違う、偏見だと反射的に言おうとしたが、彼女の言葉がそれを打ち消した。
「でもあんたは違う」
「へ?」
「あんたは、純粋に私を見てくれた」
 俺の顔を覗き込むように日影は言う。
「深く関わろうとせず、ただ傍にいてくれる。いわば私と平行線上を一緒に走ってくれるような存在。近すぎず遠すぎずの、適度な距離」
「……」
「だから私はその2つの平行線を捻じ曲げて交わらせようとした」
 言いつつ日影は俺に詰め寄ってくる。俺は尻餅をつきながらずりずりと彼女から遠ざかろうとする。 
「そして交わらせた瞬間に、それを木端微塵に壊してやるのが、私の目的」
「……はぁ?」
「セックスってのは本来恋愛の一番最後に位置するべき行為。最初からそれしか頭にないやつは、ゲームで言うなら最初からレベル99のユニットみたいなもの。私が『いいよ』って言えばすぐ襲いかかってくるような性欲の塊に興味などない。そんなのと付き合ったって育て甲斐なくてつまらないでしょ。だからあんたは特別なの」
「だから……俺に……」
「そ。他の連中と違うあんたは全部がレベル1の初期数値。今までの関係は私とのコミュニケーションを積むことであんたのバラメーターを上げていく飼育ゲーム」
 ゲーム……そんな……日影は最初からそのつもりで俺に近寄ってきたのか。
 じゃあ俺は、ただその駒に利用されてたって言うのか?
 じゃあ、日影の目的……平行線を交わらせるって……。
「読んで字のごとく、だよ」
 妖艶な笑みを俺に向けて、彼女はそっとしゃがみこんだかと思うと、四つん這いになって俺にすり寄ってきた。その女豹みたいなポーズがかなりエロい。
「ねぇ、もうそろそろいいよね? こんだけ話せばもう十分でしょ」
「え……ちょっと……」
 慌てふためきながら言葉に迷っている俺を見て日影は舌なめずりをし、そして言った。


「ねぇあんた、私とセックスしようよ」


 開いた口がふさがらなかった。
 どこまでも軽かった。恥じらいも何もあったもんじゃない、今までの彼女が俺に一緒に帰ろう、一緒に買い物行こう、とか言ってた口調と何ら変わらない。
 何で……何で……そんなこと、簡単に言えるんだよ。
 事情が違うだろ、もっと重要なことだろ。さらっと口に出していいことじゃないだろ……どうして。
「どうしてぇ? ぷっ、あははははは。前々から思ってたけど、あんたって本当優しいし可愛いし、変わってるよねー」
 今まで俺に感じた印象を全て言うと、日影は手をゆっくりと伸ばして俺の前頭部の髪を鷲掴みにした。
 そして威圧するようなとても低い声で、

「ナマ言ってんじゃねーよ、童貞が」

「……ひっ」
「もしかして私があんたに惚れこんでるとでも思ってんの? 『こんなことするのあなたのためだけなんだからね』『私の初めてあなたに捧げられて幸せだよ』とかいうの期待しちゃってるわけ? 自惚れんのもほどほどしときなよ。性に露骨なのもウザいけど潔癖すぎんのもかえって面倒くさいよ」
「……」
「あんまり女を舐めないでくれる? ちょっと優しくされたり、助けてもらったりするだけで簡単にその人を好きになっちゃって、ホイホイそいつのために尽くして股開くような××××女なんか現実にいるわきゃないっしょ。ギャルゲーやアニメと混同すんなっての」
 彼女が掴む手が髪から頭に移る。
「……あ……あ……」
「そもそも前提として間違ってんのよあんたは。私があんたを好きになるんじゃない、あんたが私を好きになるの。あんたが一方的な恋心を私に抱くよう仕向けるのが私。でなきゃ私がこの能力を手にした意味がない」
 と言って、頭を掴んでいる方とは逆の手を、指を広げて俺に見せつけた。
 すると、信じがたい超常現象が起きた。


 彼女の指の先が突然白く変色し、細長く伸び始めた。


 まるで飴細工が溶けるように、半液体状になって闇の床目指して垂れていく。
 その指は下に行けば行くほど細くなって、ついには目を凝らさないとよく見えない細さになっていた。
 それは……もはや指と呼べるものではなく……まるで……。
「糸……」
 束縛の指揮者ジェイルオーガナイザー。シェイド。サイキック。
 全ての元凶にして、神隠しの犯人。
 やっぱり、犯人はこいつだったのか……。
「驚いた? これは他人の感じている感情を増大させることができるの。今までこれを使ってあんたを飼育してきた」
「……俺に、も?」
「ええ、あんたが私を気にかけているタイミングで糸を括り付け、そのベクトルに向いた感情を昂ぶらせる。おかげで事を円滑に進めることができた。あんたみたいな唐変木をチートなしで育てるとなると途方もない時間がかかりそうだったから。その間に他の誰かに壊されないとも限らないしね」
「そ、んな……」
 俺の、この気持ちは……偽物? 日影の能力で俺がおかしくなってただけ?  
 全部、全部……嘘だったのかよ。俺は、ただこいつの手の上で監視されて、束縛されて、餌付けされていただけのモルモットだったのかよ。 
 日影の傍にいたいと思う気持ちも、ただあいつを見ていたいという気持ちも……何もかもっ! 仕組まれたことだったのかよ!!


「あ、あ、あ……うわあ……あああああああああああああああああっ!」


 全てに絶望した。
 全てを否定され、ないがしろにされた俺は頭を掻きむしって叫んだ。みっともなく涙をこぼして泣き始めた。
 もう嫌だ、何も考えたくない。言いたくない、聞きたくない。
 ちくしょう、ちくしょうちくしょう。どうして俺は……何で俺は……今まで何のために……。
 信じてたのに……ずっと、こいつとならずっと一緒にって思ってたのに……。
「だ れ が。泣いていいなんて言った!?」
 ぐい、と日影が痺れを切らしたように言うと胸ぐらを乱暴に掴みあげた。その有無を言わさない声色と表情で俺は強制的に黙らされた。
「あんたが一人で壊れたんじゃ意味ないでしょうが。あんたを壊すのはこの私。それも私が納得いくまでに完成体になってから。あんたが私が恋しくて恋しくてたまらなくて、私なしでは生きていけないほどの状態にね。だからそのために……ね?」
 とん、と日影は軽く俺の胸を押した。
 抵抗することもなく、俺はそのまま闇の空間に仰向けになって倒れた。間髪入れずに日影は俺の上に覆いかぶさり、腰の上に乗って両手で俺の手首をがっちりと封じた。
「あ……うぁ……」
「ねぇ、あの時……本当はあんたもその気だったんでしょう?」
「あの……時……」
 昨日の夜。こいつの家を訪れた時起きた……情事。
 男と女が二人きりで一緒になったら、そうなるのに何ら不思議ではないこと。
「私もちょっと押しが弱かったのかなって反省してる。ってか押すどころか逆に突っぱねちゃったしね。あんたは情欲に負けるより先に逃げようとするからちょっと驚いた。まさかそこまでヘタレだったとは……だからこうするの」
 素早く俺の制服の襟元に手をかけると、日影は思いっきり力を込めて……引き裂いた。
 びりびりと乾いた音がして、ボタンが宙に飛ぶ。俺の肌色の胸板がさらけ出され、日影はそれを愛おしそうに見つめた。
「ふーん、結構いいガタイじゃん」
「ちょ、お前……」
「心配しないで、私も脱ぐから」
 言うと同時に彼女は羽織っていたカーティガンと下のYシャツのボタンを全て外した。
 衣擦れの音とともに、2つのトップスがはらりと肩から滑るように落ちた。
 そして目の前に広がるのは、下着だけになった上半身裸の日影。
 フリルのついた可愛らしい下着に覆われた2つの柔らかそうな塊とその間にできた谷間に、俺は目が釘付けになった。
「ふふ、なんだかんだ言っても結局こうすればこっちのもの」
 甘い声で誘惑するように言うと、彼女はそっと俺の方へ体を倒してきた。二人の体が密着し、その2つの乳房が俺の胸板に押し当てられる。
 生暖かい感触がそこから体全体に広がり、何とも言えない快感が俺を襲った。
「柔らかいでしょう……我慢しなくていいんだよ? あんたはただ私という甘美な果実にむしゃぶりつけばいい」
「あっ……あ……」
「昨日みたいな貞操なんか必要ない。もうここからはあんたがする番なんだから。少しでもいい。私とやりたい、私と交わりたい、心も体も一つになって私の中に入ってそこで絶頂に達したい、自分の欲情の全てを私の中でぶちまけたい……そう思えば」
 腹部に指を這わせながら、俺の目と鼻の先まで顔を近づけて彼女は言う。
 頭が朦朧としてくる。何を考えているのかわからなくなる。何が正しくて何が間違っているのか判断できない。
 俺はどうすればいい? 今この場で何をすべきなんだ? 俺は……。
 そうやって混乱している時、日影はとどめとばかりに俺の耳元に口を近づけ、囁いた。


「私のこと、好きにしていいよ」


 その言葉を聞いた瞬間、理性が狂った。
 今まで騙されてたことなど、利用されてたことなど、ただ彼女の目的のために踊らされていたことなど、全てがどうでもよくなった。
 代わりに頭の思考を支配しているのは、ただの欲情だった。
 生まれて16年。一度も経験のない俺は……今目の前にいる紗弩日影という女の子を、性の対象として見ていた。
 抱きしめたい……キスしたい……いろんなところを触りたい、舐めまわしたい……。
 そう思ってしまった(、、、、、、、)
 途端、日影が哂った。
「もらった!」
 彼女は指を素早く動かした。そこから伸びる細長い糸が俊敏に動き、俺の体に吸い込まれていく。
「操りの糸」が、俺に括りつけられた。
 その瞬間、俺の頭にノイズが響き渡った。

――――素直になれよ
――――本当はやりたいんだろ?
――――今時の男なら普通だって
――――このチャンス逃すと一生ねえぞ
――――もうビンビンのくせによ
――――やっちまえよ、もうオカズ見ながらシコる必要もねーんだぜ 
――――いつまでも我慢してっとそのうち漏らすぞ
――――早く、やれよ

「日影!」
 気が付くと、起き上がって日影の体に抱きついていた。
 俺の頭はもう日影でいっぱいだった。日影以外考えられない、日影しか考えたくない。
「俺……お前が欲しい」
 荒っぽい声で言うと、そのまま唇を塞いだ。
 にちゃにちゃと唾液の絡み合う音が口内でする。その粘ついた液体の海の中で、俺と日影は舌を絡めあった。
 彼女の下は火傷しそうなほど熱かった。ざらざらとした粘膜が俺の感覚を麻痺させていく。
「ちゅぷ……んっ……んっ……いいよ……もっと……もっとして……」
 日影はトロ顔で俺を見つめながら言った。
 そしてスカートを片手でたくし上げ、中のショーツを俺に見せつける。
「こっちも……お願い」
 俺の手を取って、彼女は自らの秘部へ誘った。乳房よりも柔らかくて、とても熱くて、それでいてじわりと湿った感触が指先に伝わる。 
「わかる? こんなに……濡れてるんだよ」
「日影……」
「ねぇ、焦らさないで……もう私、我慢できない……」
 口元から漏れる熱風みたいな吐息を俺に吹きかけながら、日影は俺を見て懇願するように言った。
「一緒に……気持ち良くなろ?」
「……」
 俺は無言でうなずくと、もう一度彼女に口づけした。はむはむとついばむように唇を動かし、お互いの口の中で分泌される唾液という唾液を交換しあって、それをごくごくと喉を鳴らして呑み込んでいく。お互いを味わうたびにたまらなく相手が愛おしくなる。
 もう離さない。これからもずっと一緒に、俺は……こいつと……。
 口を合わせたまま、勢いに任せて彼女を押し倒して彼女の下着を全て脱がし、いよいよ本番に移ろうとしたが……。

 ふと、キスしている口の中に違和感が発生した。

 ……何だ、この味。
 生臭いというか、甘いというか、苦いというか……。唾液よりも粘着性がなくて、ぬるぬるしてて、……気持ち悪い。
 不審に思って俺はそっと彼女から口を離し、口の中にそっと指を入れた。そして取り出した指先に付着したものを見て……絶句した。


 その液体は、赤かった。加えて鉄の臭いがした。
 紛れもない、血液だった。


「……え?」
 いきなりの現象に驚いた俺は目の前の日影を見て、更に言葉を失った。


 その血液が、日影の口から洩れていた。


 ごぼごぼと取り留めもなく溢れ出すそれが、顎を伝い、首を伝い、胴体を伝っていた。
 美しい肌色に次々と赤いラインができていく。 
「な、んで……」
 目を大きく見開きながら日影は苦しそうに言った。話すために口の中の血を吐き出せど吐き出せど、すぐ後から湧いて出て口内に溜まっていく。
 何だよこれ……何が起きてんだよ……一体どうしてこんな……。
 俺が動揺し、狼狽して日影の身に何が起きたのか調べようとした。
 だが、その原因がわかるまでにはそう時間はかからなかった。
 日影の右脇腹―――――乳房のすぐ下あたりに「それ」が深く、深く突き刺さっていた。
 機械仕掛けのギミックを備えた、特殊な大型ナイフ。
「スペツナズナイフ……?」
 俺がさっき着替える際にポケットにしまっておいた、あのナイフ。
 それは根元まで彼女の体に吸い込まれており、おそらくその刀身は肺をえぐっているものと容易に分かった。
「あん……た……ど……う……つも、り……よ」
「え……え……?」
 何で彼女にナイフが刺さっているのか。それは誰かが刺したからに他ならない。
 この場には俺と日影しかいない。そして被害者は日影の方。
 だとしたら刺した張本人は……。


「……嘘だろ? 何で……何で俺が!?」


 無慈悲にもそのナイフのグリップは、他ならぬ俺の左手が今もしっかりと握っていた。
 つまるところ、俺は日影を刺していた。
「違う……俺は……違う!」
 ほぼ反射的に叫ぶが、何が違うのか自分でもわかってない。
 断じて言っておくが、意識してやったんじゃない。本当に、気が付いたらこうなっていた。
 まるで勝手に左手が動いて、勝手にナイフを握って、勝手に刺したかのように。
 何が起きてる? 一体俺の身に何が? 
 俺はやってない、俺のせいじゃない。俺じゃない……俺は悪くない!
 ぐるぐると再び頭が混乱の渦に巻き込まれる。
 俺じゃない、だけどやったのは俺だ。俺じゃないなら、いったい誰だ。その答えも俺だ。
 じゃあなんだ、俺以外の俺がやったのか? 何だよそれ、わけわかんねえよ。何なんだよ、俺の中にいる……俺以外の誰かが……?
 でも、何で日影を刺した? 何で刺す必要があった?  動機もない。理由も、必要性も何もない。なのになぜ……?
「どうして……どうしてなんだよっ! 俺は一体何なんだよっ(、、、、、、、、、、)!?」


 どん、と。


 いきなり背中を押された感じがした。
 後ろから、突き飛ばすように。
 それは、今までに体験したことのない感覚だった。とても不思議で、言葉にしえないような、そんな感じ。
 何というか、体が浮いて今までいた場所から飛び立つような、殻を突き破るような、締め切った窓を開け放つような……。
 とにかく、「何かから解き放たれる」という表現が一番近いように思えるものだった。
 これは……一体……。

――――俺ににできるのはここまで。後はお前に任せる。

 え?
 不意に声がした。
 鼓膜を震わせて話しかけてくるのではなく、頭に直接テレパシーのように伝えるような声だった。
 そしてそれは外からじゃなく、俺の内側から発せられているもののように思えた。
 俺の中で、俺以外の誰かが、俺に話しかけているみたいだ。
 何だろう、この声……。すごく……懐かしい。
 覚えのない声のはずなのに、なぜかとても大切なことのような気がする。
 俺はこの声の主を……知っている?
「君は……誰?」
 声の主は俺の問いに答えなかった。
 その代り、力強く俺の背中に呼びかけるように、言い放った。


――――勝てよ、ネク。


 その瞬間。俺の世界が全て暗転した。



 ●


「がぁっ! よく、も……」
 日影が脇腹に刺さったナイフを勢いよく引っこ抜いて立ち上がった。
 ぼたぼたとおびただしい血液が闇の床に落ちて染みこんでいく。
「あと、少し……だ、ったのに……よくもっ!」
 右手で傷口を抑えながら数歩後ずさり、彼女は鬼のような形相をして左手を広げ、俺に向けた。
 その指先から蝋のように溶け伸びる糸が巧みに動き、オレの足元に溶け込む。
 だが、それだけ。それ以上のことは何も起きない。影も出現しなければ、感情に少しの変化も起きない。それに気づいた日影の表情が次第に焦っていく。
「何で……何で操れないのよ! 糸は括りつけてあるのに!」
 指をあくせくと動かしながら彼女は悪態をつくが、やはり状況は変わらない。
 オレはそんな相手をつまらなそうに見ながら、左手にサイキックを発動させる。まばゆい光、皮膚を這う雷。纏うオーラ。
 異能の力が宿ったその腕で俺は落ちていたナイフを拾い上げ、そのまま軽く振った。
 一筋の閃光が2人の間を走る。

 刹那。彼女の指の糸が切れた。
 次の瞬間、彼女の指が全て千切れた。
 そのすぐ後に、彼女の腕が爆散した。

「え? あ? ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
 少し遅れて激痛が走ったのだろうか、骨と肉が剥き出しになった自らの腕を見て日影は絶叫した。
 血はそんなに出なかった。ホースのような血管からぽたぽたと滴り落ちるのが見て取れるだけだ。
「うで……腕……あ()しの……腕がァあ……」
 呂律のまわらない声で叫び、苦悶の表情を浮かべて悶絶している。その眼はギョロギョロと蠢き、切り離された腕を探している。くっつくわけがないのに元のパーツを探し求めるとは、愚かな奴。
 そこですかさずオレは走り、第二波をぶちかました。


 うずくまって這いずりまわる彼女に接近し、横から腹を蹴り上げた。


 日影の身体がくの字に曲がり、地面から離れて大きく宙に浮く。
 つま先が命中した部分から何かが砕ける様な鈍い音が聞こえた。場所から見て、おそらく肋骨が数本折れた……いや、砕け散ったな。
「げぼぁァッ……」
 肺に肋骨の破片が突き刺さった日影はさっきよりもさらに多くの血を口からまき散らす。
 そして重力の法則に従って、日影は再び落ちていくが……地面に叩きつけられるより先にこっちが動いた。
 彼女の首に右手を回し、渾身の力で絞め上げる。  
 足が地に着くことはなく、絞首されるような体勢になる。
「うぐぐっ……ぐぅ……」
 目玉が飛び出さんばかりに瞼を大きく開き、足をじたばたさせながら残った片腕で俺の締め上げている右手首に爪を立てる。
 だが、オレは表情一つ変えずに日影の首を絞める指により強く力を込める。
 一本一本が血管を圧迫し、顔がどんどんどす黒くなる。
 オレはそんな顔を見ても何も感じなかった。同情心も、罪悪感も、自分が今この少女に何をしているのかわかっているはずなのに。
 まるでそうするのが当たり前とでもいうように。
 オレは何も感じていない。いや、……何もというわけじゃない。
 空っぽになった心の中で、煮えたぎっているようなものがある。熱くて、痛々しくて、今にも破裂してしまいそうな感情。
「これは……」
 オレは小さく呟くと左手のナイフを逆手に持ち替え、大きく振り上げた。それを見た日影の表情が引きつる。
「ひっ……や、め」
 何をされるか察した彼女の精一杯の制止の声を無視し、腕を振り下ろしてその切っ先を……彼女の胸の谷間に突き刺した。
 甲高い悲鳴が暗黒の世界に響き渡る。
 それを一番近くで聞いていても、なおその手を止めなかった。
 刺さったナイフを、そのまま下方向へと……引き下ろす。
 簡単には下がらなかった。中の厚い内臓を裂きながら行くのだから当然だ。だからその分、日影は地獄の苦痛を味わうことになる。
 言葉にならない叫び声をあげながら足を震わせて痙攣している。
 体の中で次々と臓器が切り裂かれ、えぐられていく。そのたびに体の中央にできた赤い線から勢いよく鮮血が迸る。
 腹部にナイフが到達したところで、もう先へ進めなくなった。おそらく腸に絡まったのだろう。
 オレは舌打ちしてナイフを傾け、躊躇なく引き抜こうとした。
 刺すときはすんなり入ったが、今度はそうはいかなかった。引っかかってうまく抜けない。
 苛ついてオレは力任せに思い切り引っ張った。
 ずるり、と腹から血液と粘膜に覆われた腸がナイフにくっついて出てきた。腹を押しのけるように出てきたから中の状況もよく見える。ぐちゃぐちゃで、生臭い。まるで腐りきったソーセージの保管庫みたいだ。
 また痛みに悶えて何か叫ぼうとする日影を、首を絞めて気管を塞ぎ強制的にそれを封じた。
「お前さ……男はみんな性欲の塊みたいな言い方してたよな?」
「ぐぶぶ……あぐぅ……」
「要するに、お前は自分と交わりたくない相手に、好きでもない相手に、そういう目で見られるのが嫌なんだろ。それってさ……お前が女だから……連中にとってお前が性の対象だからだろ」
「……が、は……」
「じゃあさ、お前がその対象から外れれば万事解決じゃねえか。誰もお前を『女』として見ない。『使い物』にならない。そういう風になればいいだけのことだ……だったら」
 もう一度オレは血の染み込んだナイフを順手に持ち替え、先端を狙う箇所に定める。
 その場所は……腸がはみ出ている所よりも下。
 脱ぎかけのスカートの……さらに下。 
「やめて……おねが……そこは……」
 日影が何か言ってるが、俺はその怯えきった表情を無表情で見返し……何も言わずに……。


「んぐっ……うぐぁああああああああああああああああああッ!!」


 これまでで一番高く、想像を絶する痛みに悶える悲鳴をあげた。
 がくがくと体が、首が、腕が、一際足が大きく震える。
 彼女の股間に突き刺さったナイフを、オレはぐちゃぐちゃにかき回した。
 刀身を、手を、裂かれたショーツを通じて排出される血がしとどに濡らしていく。女性器の中から出る血液。だが間違っても月経で出る下り物じゃない。
 ナイフを少し出して、より一層深くめり込ませる。その都度愛液のごとく、潮を吹くように鮮血が飛び散る。
 そうやって何回も何回も何回もピストン運動を繰り返す。さながら、性行為のように、彼女の子宮を滅多刺しにしていく。
「あぅぅ……ぐぅぅ……ぇお……あぶぁ……あっ」
 肉棒で貫かれる快感に喘ぐように、彼女は悲鳴をあげ続ける。
 やがて呼吸困難に陥ってもはや叫ぶことすらできなくなった日影を俺は冷たく睨み、あざ笑うように言った。
「これでもうお前は女じゃない」
「……あ、あっ、あっ」
 少し首を絞める力を緩めると、ひゅうひゅうと日影は酸素を貪るように吸い始めた。窒息死はどうやら免れた。
 だが、決して情けをかけようと思って緩めたわけじゃない。
「呼吸できなくて頭がボーとしてちゃ、痛みも感じなくなってくるだろうから……な!」
 そう言ってナイフを完全に股から引き抜くと、今度は……。その鋭利な刃を……少し上にあてがった。
 それは、幾度もオレを誘惑するように揺れる……たわわに実った2つの大きな果実。
 そしてオレは。
「なぁ知ってるか。おっぱいって脂肪の塊なんだってよ」
 乳房を、削いだ。
「うっがぁぁぁぁっぁぁぁっぁあぶぁぁぁぁぁあ!!」 
 下から、押し上げるように、力を込めて、斬った。
 果実は切り裂かれ、中からとても温かく赤い果汁を俺の顔に噴射する。
 血を浴びすぎて切れ味が落ちてきたので、途中からは鋸のように左右に動かして果実を()いでいく。
 果実の木である日影は、狂ったように頭を振って暴れ出す。しかしそれは無慈悲にも無駄な抵抗に終わる。
 たゆんたゆんと揺さぶられる乳房は、液をまき散らしながらだんだんと身体から離れていく。
 ほら、消しゴムを強く擦ってるとたまになる、切れ目みたいなのが入ってパカパカ口が開いちゃうアレのように。
 ギコギコギコ……ぼとん。
 と、片方の乳房が……完全に削がれ、落ちた。
 覆うものを一つ失ったブラジャーがだらしなく肩から垂れ下がっている。
 休む暇もなくオレはもう片方の乳房もナイフで斬りつけ、削いだ。
 ギコギコギコ……べちゃっ。
 あれだけ豊かで魅力的だった日影の胸は……完全に平地になっていた。肌の上にぽっかりと開いた果実が捥がれた真っ赤な跡、まるで月面のクレーターのようだ。
 オレはその果実の切り口をどうでもよさそうに観察する。
 皮膚も、浅在筋膜浅層も、皮下脂肪組織も、乳腺も、乳腺後脂肪組織も、浅在筋膜深層もなくなって、残ったのはただの大胸筋だけ。
「これで体重も少しは減ったんじゃねえか? よかったな、ダイエットできて」
「あぅえあ……うぉっ……ぐぇぇぇ……う」
 もう嗚咽の類にしか聞こえない声を発しながら、女性としての証明を全て失った日影は暴れる気力すら失い、びくびくと痙攣だけを続けていた。
「苦しいか? 苦しいよな。これが壊れるってことだ」
「……うぁ」 
「お前さっき言ってたよな。オレとお前、2つの平行線を捻じ曲げて交わらせた後、それを壊すって。ああ、オレもお前に操られて、お前の思い通りに完膚なきまでにぶっ壊されたよ。跡形もないくらいにな」
「……」
「でもさぁ、オレが壊れてそれでお前の目的が完遂したわけじゃねえだろ。2つの平行線が交わった時に壊す……つまりオレ一人だけが壊れてちゃダメだ。オレとお前が一緒になっていなくちゃ意味がないんだよ」
「……あっ、あっ、あ……」
 放心して何も考えていないような、生気の消えた瞳をした日影をしっかりと見つめ、オレは言った。
「だからさぁ……オレと一緒に……」
 そして持っていたナイフを、そっと手放した。紅の刃が闇の床に音も立てずに突き刺さる。
 そしてフリーになった左手をゆっくりと握り、そこに全オーラを集中させる。
 光が集結し、既に放電がぼちぼちと始まっている。もう収めることなどできない。解き放つしかない。ぶつけるしかない。 
 俺はゆっくりと固く握りしめたその拳を振り上げる。狙いはもちろん、目の前のこの女。
 もう逃げられない、外さない。確実に一発で仕留める。
 ようやく分かった。今この胸の中にあるたった一つの感情。
 これこそがオレの存在意義であり、全て。
 この感情こそが、今のオレを支配する生命エネルギーであり、力の象徴。  
 俺の……力の感情(ブーストエモーション)。その名は……憤怒。



「お前もオレと一緒に壊れろよ」


 その言葉とともに、超高速で繰り出された雷拳は紗弩日影の顔面にクリティカルヒットした。
 乾いていたけど、とても大きく爆ぜる音がして。彼女の顔が西瓜みたいに破裂した。
 一瞬にして上顎から上の部分が全て消失した。
 彼女のつけていたヘッドフォンが、支える頭部を失いむなしく落ちた。
 血はもちろん、脳みその破片や脳漿、頭蓋骨の欠片や目玉など……さまざまな器官が四方八方に飛び散った。
 下半分だけになった日影の顔。下の歯がずらりと並び、その中央でだらりと下がる舌はその奥の喉へと長く続き、舌根まで鮮明に見ることができた。
 間違いなく、彼女は……紗弩日影は、死んだ。
 オレが殺した。
 この手で、凌辱した挙句に虐殺した。
 オレは左手を開いてまじまじと見つめた。血とその臭いがしっかりこびりついている。
「これで……終わりか」
 達成感も何もあったもんじゃない。残ったのはただの不快感だけだ。
 勝った気がしない、むしろ負けた気分だ。ただ騙された怒りに任せて暴れまわった無知な奴。今のオレはまさにそれだった。
 くそ、面白くない。とびきり残虐に殺したけど、まだ足りないくらいだ。
 それほどオレはこいつのやり方に怒っていた。
 だがそれは、最後までオレはこいつに操られていたのと同じ。どれだけのことをしても、結局彼女の策略から抜け出せていなかったんだ。
 戦いには勝っても、勝負には負けた。そういうことだ。
「……ちくしょう」
 俺は舌打ちして、首から手を離した。
 日影の死体が力なく闇の床に倒れ落ちる。
 それを見ながら、オレは唾を吐き捨てて背を向けた。あいつが地獄で自分を嘲笑っている顔が容易に想像できる。
「……帰ろ」
 オレはそのままとぼとぼと闇の世界を放浪するように歩き出した。
 どこに出口があるのかもわからないけど、とりあえずこの場から立ち去りたいという思いしかなかった。
 だが。


 後ろで殺気がした。


 シュウ、シュウ……と。蒸気が噴出されるような音が、背後でした。
「……」
 オレは何も言わずに振り返った。
 心当たりなんか一つしかない。
 俺の傍にあるもの。それは日影の死体以外にあるわけがない。
 そして予想通り。その音はその頭部と乳房と腕を失った、上半身裸の肉塊から発せられている。
 その死体に、変化が起きていた。
 周りの闇が、その体の傷口から吸い込まれるように入り込んでいっている。
 一定量の闇が入っていくたび、びくんびくんと動かないはずの死体が身を震わせる。
 まるで……闇が死体を動かしているかのように。
 嫌な予感しかしない。
 俺がそう思って唾液を飲み込み、用心して構えを取った瞬間。


 死体が起き上がった。


 手もつかず、足も曲げず、誰に起こされたわけでもなく自分で、その身を起こしたのだ。
 これはさすがに驚いた。
 まだ生きていたのか……それとも……。
 頭部のない日影がパクパクと下顎を動かした。下唇が歪に蠢き、伸縮し、その不完全な表情はまるで笑っているようにも見えた。
「……」
 俺が物怖じせずに、じっとその場に立ち尽くしてその起き上がった死体と対峙していると、更に驚愕する出来事に直面することになる。

 死体が、浮かび上がったのだ。

 足が地面から離れ、浮遊した。
 今度はオレは奴の首を絞め上げていない。なのに、何かに吊り上げられるように虚空の闇へと上昇していく。
 そして、その場で身体を内側に折り曲げ、脚を広げた。っていうか開脚した。
 当然だが、空中でそのような事をすればすぐ目の前にいる俺に下着が見える。いやもう見せつけていると言った方がいい。
 散々ナイフを出し入れしてぐちゃぐちゃになった彼女の秘部が俺の目に届く。そこからはまだ血が滴り落ちている。
 な、何だ……何をする気だ?
 俺が不審に思い様子をうかがっていると、その股間の裂け目からにちゃにちゃと生々しい音が聞こえた。
 割れ目の奥で……彼女の胎内で……何かが蠢いている。
「あっ、あっ、あっ、あっあっあっ……」
 次第に、そこから呻き声のようなものまで聞こえてきた。日影の死体が発しているものではない。
「何か」が……日影の中にいる何かが……生きて声を出しているんだ。
 オレは一歩後ずさった。半端なくヤバい気がする。絶対何かいる。
 そしてそれが、ほどなくして自分の前に姿を現そうとしていることは否が応にもにも分かってしまう。
「あっあっ、あっあっ、あっあっあっあっ」
 うめき声はだんだんと大きくなっていく。それとともに、響くグロテスクな音もボリュームを増していく。
 そして。
 ついに「何か」が実態を現した。とんでもないやり方で。


 死体の局部から、突き破るように勢いよく腕が飛び出してきた。


 あまりにも異常な光景に俺はさらに気持ちが悪くなり、吐きそうになった。
 ねばねばした液体と血液まみれの腕は死体の太ももに爪を立てるように手をかけ、そこを支点に這いずり出ようとした。
 肉がこすれ合う音、粘膜があちこちに付着する音を奏でながら、「何か」は必死に死体の体内から外に出ようと不気味な動きを繰り返す。
 そしてとうとう、腕だけではなく、頭が出た。
 秘部の割れ目を一層大きく広げ、黒髪の生えたつむじがずるずると吐き出される。
「あっ、あっ……あっ……」
 髪は長かった。パッと見腰までくらいはありそうだ。粘膜に染まっていても、サラサラで美しい、きれいな髪だった。
 ホラー映画に出てくる幽霊登場のような演出……いや、それよりも太刀が悪い。
 単純に考えれば……死体から生み出されたような……赤子。
 日影の脚を開いたこの体勢は……まるで分娩台で寝ている母親のよう。
 じゃあこの粘膜状の液体は……羊膜と羊水?  
 俺がそんな想像を巡らせているうちにも……「何か」はその体を外へ出すべく手を動かし、頭をかしげる。
 何だ……一体何が産まれるんだ(、、、、、、、)? 何を産み落そうとしてるん(、、、、、、、、、、)()!?
 オレがそう叫んだ時には、そいつはもう体の半分以上を死体のヴァギナから出していた。
 そして……上半身を大きく反らし、ラストスパートでもいうように死体の両腿にかけた腕に力を込めた。
 ず……ぼん。
 ついに……足も抜けて、「何か」は完全に体外に出た。
 そいつは宙に浮かず、そのまま出ると同時に地面へと落ちた。
 べちゃりと、体に張り付いた液体がそこらじゅうに撥ねる。
 体型からして人間の女。身長は175くらい……日影の死体から産み出されたその生命体は……しばらくうつ伏せになって動かないままでいたが、やがて両手を地面につき、恐ろしくゆっくりと起き上がり、立ち上がった。
 そして前頭部を垂れ幕のようにして隠していた髪を……片腕を動かし、かき上げた。
 今までわからなかったその謎の女型の生命の顔が露わになる。
 それを確認した途端、俺は目を大きく見開いて絶句した。
 黒ダイヤのような瞳に、日影のものとは比べ物にならないほどの大きな胸と、対面するものすべてを虜にしてしまいそうな、まさに「美」そのものといっていい顔の持ち主。
 赤雪姫。
 星の王女様。
 エターナルクイーン。
 ……そして、悪魔のような修羅の鬼。


「魔鬼羅……」


 オレは、長らく顔を合わせていなかったその学園一の美女と対面し、その名前を無意識に呼んだ。
 訳が分からない。どうして、魔鬼羅がここにいる?
 いやそれよか、いったい今の登場の仕方はなんだ? なぜ日影の中から? 今までどこにいたんだ、こいつは?
 魔鬼羅は付着したべとべとの粘膜液を顔をふるふる振って軽く吹き飛ばすと、ようやく俺に気付き、その眼光を俺に向けた。
 そして口を歪めて白い歯を覗かせるようにして哂い、言った。


「久方ぶりだな……小僧」


「何だって?」
「ふん、驚くのも無理はないか。もうあれからずいぶん経つものな」
 違う。
 いつもの魔鬼羅じゃない。明らかに語調が違う。オレのことを小僧なんて呼ぶ時点でおかしい。だが目の前にいる少女は魔鬼羅以外の誰でもない。
 じゃあなんだ? それにこの口調……どこかで聞いたことがある……。
 これは……いや、こいつは……!
 オレは直感した。魔鬼羅であって魔鬼羅じゃない。
 この矛盾した仮説を辻褄が合うように証明する根拠が一つだけある。
 オレを襲った最大の事件、俺と魔鬼羅が出会ったきっかけになった事件。
 燃え盛る火炎。火の海に呑まれる廃墟。
 その元凶にして発端。
 魔鬼羅の憎しみの感情を爆発させ暴走させた挙句、体を乗っ取ろうとした異種生命体。


「ジェラス……」


 オレが低い声で言うと、奴はますます気持ちの悪い笑みをオレに投げかけた。
 こいつ……完全に魔鬼羅を支配してやがる。また乗っ取られたのか。この前弱体化したはずなのにもう元の力を取り戻してるとは……それほど多くの感情を再び喰らったということ。
 そして考えられるのは……日影のサイキック。束縛の指揮者ジェイルオーガナイザー。魔鬼羅もこの影響を受けてたとしか考えられない。
 しかし、ここでこいつとは……完全に予想外の敵が現れたもんだな。
「お前と話すことなど何もない」
「ああ?」
 眉をひそめて言い返しても平然と魔鬼羅の姿をしたジェラスは嘲笑うような目つきでオレを見つめるだけだ。
「これから我が行うのはお前への一方的な虐殺」
「……」
「勝負でも戦いでもない。ただお前は黙って我に殺されさえすればいい。それだけだ」
 鼻で笑って締めくくったジェラスは、右手にサイキックを発動させた。
 燃え盛る紅蓮の炎が彼女の右腕をすっぽり覆う。
 絶えず小爆発をおこし、小規模のプロミネンスすら生み出すその凶器と化した体の一部をしげしげと見つめ、握ったり開いたりした後、こちらに向けた。
 だが。
「奇遇だな、俺も同じだ」
「何?」
 オレが速攻で言い返した言葉に今度は向こうが眉をひそめた。
 そんな奴に、俺は一歩踏み出しつつ言い、そしてまた左手に最大級の雷撃を走らせる。
 赤と白。炎と光。二つの色が対比的に描かれるような構図が出来上がった。
「俺もお前に言うことなんか何もない」
 言うとオレはその左腕を真っ黒な地面を突き破るほど強く、深く叩きつけてめり込ませる。
 そして闇の中で手をかき回してまさぐり、「あるもの」を手に取るとゆっくりとそれを引き上げていく。
 そこに握られていたものは、丸い形をしたリング型の取っ手と、それに繋がれた黒い、ただただ黒い、鋼の太い、頑丈な鎖。
 俺が腕を引き上げていくとともに地下から鎖がどんどん錨のように出てくる。
 やがて、その鎖につながれた、「本命」があたり一面の地面を大きく突き破ってその姿を現した。



 それは、棺。とてつもなく巨大な、西洋風の棺桶。



 色はルビーが溶けたような紅色と墨汁のような漆黒で染め上げられている。
 その本体にも、太い頑丈そうな鎖が幾重にも巻かれており、中からは何かひっかくような不快音が絶え間なく聞こえてくる。 
 俺の憤怒が形となって表れた武器。
 全てを破壊する、最恐最悪の武器。
 地響きのような音を立てて棺が闇の床に落ちる。とてつもなく大きな波紋が広がっていく。
「お、お前……」
 苦虫を噛み潰したような顔で不快感を示すジェラスに、オレは鎖をしっかりと腕に巻きつけながら全くの無表情で睨み返す。
 そして。
「これ、少し借りるぞ」
 と言い、近くに落ちて放置されていた物体を拾い上げた。
 それは……日影のつけていたヘッドフォンだった。
 金属製の、セルリアンブルーでかなり大きめの高価そうな品。日影がオレに頭部を粉砕された時に外れたやつだ。
 オレはそれをそっと両手で持ち、サイズを調節して頭に着けた。
 ふわりとした柔らかい感触が耳全体を包み込むと同時に、周囲の音が殆ど聞こえなくなった。さすがはノイズキャンセラに特化したタイプ。イヤホンとはずいぶん違うもんだな。
 俺はポケットからiPodを取り出し、イヤホンを外して代わりにヘッドフォンのプラグを差し込んだ。
 そして本体を起動。ミュージックをスタートさせる。
 オートチューンのかかった、激しい全英語詞のクリーンボーカルとスクリームのデュエットが奏でるメタルコア・ピコリーモが耳に大音量で届く。
 雑音の一切ない、初めて経験する透き通るような音質にオレは魅了され、自然と足でステップを踏んで軽くヘドバンした。
 これでいい。これで何も聞こえない。
 つまりオレは、誰の声に惑わされるわけでもなく純粋に戦いに集中出来る。
 もう、誰も信じない。誰の意見も聞きたくない。全てを遮断しろ。自分だけの殻に閉じこもれ。


 そう自分に言い聞かせるようにして、オレは……オレの扉を閉じた。


 ここからは、オレだけの世界。誰にも邪魔はさせない。
 侵入してくる奴には容赦はしない。そいつを傷つけ、殺すことに何の躊躇もするつもりはない。
 鎖をジャラリと鳴らして、オレはジェラスに向き直った。
「さぁ、最終決戦だ……」
 鎖を巻きつけた腕を肩の位置まで上げ、立ちはだかる最後の敵に向けて言い放った。


「死ね」
 


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