入国管理局からの通知書のコピーを前に、妻ジュリアネさんへの思いを語るルカスさん=浜松市中区で
|
 |
日系人帰国支援事業を利用して、二〇〇九年に浜松市からブラジルに帰国した日系ブラジル人の女性が、日本への再入国が認められないのは不当だとする訴えを国を相手に八日、静岡地裁に起こすことが分かった。国は事業を利用して帰国した日系人の再入国を雇用情勢を考慮しながら「三年後をめど」に解禁するとしていたが、四年が過ぎた五月になっても認めていない。
女性はサンパウロ在住のジュリアネ・イケミヤシロ・キニョネス・フテンマさん(21)。七歳の時に両親とともに来日、浜松市で生活していた。両親は市内で働いていたが、派遣切りに遭い、失業。再就職もできなかったことから、〇九年六月、一家は事業を利用して、帰国した。
ジュリアネさんは、浜松で知り合い、同じ時期に帰国した日系ブラジル人の夫ルカスさん(22)と一一年十一月、サンパウロで結婚した。帰国支援事業を使わず自力で帰国していたルカスさんは、一二年六月に再入国し、浜松市で就職。
生活が安定してきて、ジュリアネさんとともに暮らそうと、入国管理局浜松出張所にジュリアネさんの在留資格の認定を求めた。
しかし、事業利用を理由に認定書は不交付となり、観光目的など短期の滞在を除き、日本への再入国が事実上拒否された。裁判では認定を拒否した決定の取り消しを求める。
三年を過ぎても再入国を認めない理由について、厚生労働省の担当者は「日本の雇用情勢は改善していない。税金を使って帰国した以上、状況が変わらないのに再入国は認められない」と説明する。
ジュリアネさんの代理人を務める高貝亮弁護士は「ジュリアネさんは当時未成年だった。本人の意思に基づかない事業の利用を理由にした決定は許されない」と批判。ジュリアネさんは「三年で戻れると信じていた。早く日本で夫と一緒に暮らしたい」と話している。
<日系人帰国支援事業> 日本で失業し、再就職ができない日系外国人を対象に、母国への帰国費用を国が支給した事業。厚生労働省が所管し、リーマン・ショック後の2009年4月から1年間、実施した。帰国希望者に30万円、家族にも1人当たり20万円を支給した。計2万1675人が支援を受けて帰国。静岡県は愛知県に次ぐ多さで、4641人が利用した。
◆政府09年「3年で許可」
帰国支援事業を利用した日系人の再入国に関し、国は「当分の間、再入国は認めない」としていたが、国内外から批判を受け、事業開始後、一カ月余りで、「当分の間」は「原則三年」と時期を明示、方針転換した。
二〇〇九年四月の事業開始当初、ブラジル政府は再入国の規定を問題視し、見直しを日本に求めた。ブラジル人が多く暮らす浜松市の鈴木康友市長が「二度と入国できないような形になっているのは問題がある」と指摘。米紙ニューヨーク・タイムズも「日本から外国人労働者を追放するための手切れ金」と批判的に報じた。
批判を受け、当時の麻生太郎内閣は「(再入国は)原則三年をめどとしつつ、今後の経済・雇用情勢の動向を考慮し見直す」とした。ルカスさんは、提訴したジュリアネさんを含め、時期が明示されたことで、利用を決断した日系人は少なくないと、話している。
◆約束3年のはずが…
日本で一緒に暮らしたい−。日系ブラジル人のジュリアネさん(21)と夫のルカスさん(22)の願いはただそれだけだ。日系人帰国支援事業でブラジルに帰った後、日本への再入国を拒否されたのを不当として訴訟を起こすジュリアネさん。日本政府の冷たい対応に戸惑いながら、司法の判断に希望を託す。
今年一月、ルカスさんの元に入国管理局から一通の手紙が届いた。「上陸の条件に適合しません」。ジュリアネさんの入国を拒否する思いもよらぬ回答に言葉を失った。
二〇〇六年ごろに浜松で出会い、それぞれ親が派遣切りに遭って〇九年に帰国する前から恋人だった二人。「早く日本に戻って一緒に暮らそう」。帰国する時に誓い合った。
ルカスさんは十三歳、ジュリアネさんは七歳で来日した。二人とも思春期を過ごした日本に愛着があり、ブラジルへの帰国に反対した。当時未成年だった二人は、親に従うしかなかった。
既に自動車工場で働き、貯蓄があったルカスさんは「いつでも戻れるように」と、再入国を制限する帰国支援事業を使わず、自力で帰国した。ジュリアネさんもハンバーガー店のアルバイトで渡航費をためようとしたが間に合わず、「事業を使っても三年で帰れる」と聞き、利用することにした。
ルカスさんはジュリアネさんが再入国できるはずの「約束の三年」を信じ、昨年六月、一足先に再入国。浜松に住む友人のつてで派遣会社で仕事を見つけ、来日翌日から浜松市内の自動車部品工場で働いた。
こつこつと金をため、ジュリアネさんを迎える準備を整えて十二月、在留資格認定を申請した。派遣会社に頼み込み、ジュリアネさんの雇用を約束する手紙まで添えた。
訴訟に踏みきらざるを得ない現実を「悲しい」と思う二人の夢は「日本で家族をつくること」。争う相手となる日本政府には「制度のせいで離れ離れになった家族のことをちゃんと考えてほしい」と訴えるつもりだ。
(立石智保)
この記事を印刷する