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亡き母親の手編みセーターを展示
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会場にずらりと並ぶ母惠志さん手編みのセーターと、息子の邦彦さん(左)と娘の弥生さん。抱える絵は邦彦さんが描いた晩年の惠志さん |
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母が編んだセーターを見てほしい−。2012年4月26日、82歳で亡くなった青森市の主婦齋藤惠志(えし)さんが約半世紀にわたって作りためた手編みのセーターなど60点を、息子と娘が9日から青森市民美術館で展示している。一周忌を終えた母へささげる愛が詰まった遺作展。展示最終日の12日は偶然にも「母の日」。姉弟の感謝の気持ちは亡き母へ贈る最高のプレゼントとなった。
遺作展を企画したのは青森市の齋藤邦彦さん(56)と、姉で奈良市在住の鈴木弥生さん(59)。
惠志さんは1930(昭和5)年、青森市生まれ。22歳のとき鉄雄さん(06年死去)と結婚した。編み物の経験があった惠志さんは弥生さんが7歳のころから本格的に取り組んだという。弥生さんは「母は恥ずかしがり屋で外出も多くなかった。自宅でできる編み物は母の生きがいだった」と話す。
家事が一段落する昼すぎから夕飯支度に取りかかるまでが惠志さんの時間だった。毛糸は求めやすい価格のものを選んだ。カーディガン、ベスト、サマーニット…。気に入ったデザインを見つけては納得のいくまで時間をかけ完成させた。だが、ほとんどは袖を通すことがないまま段ボールに入れ、しまわれたままだったという。
邦彦さんは惠志さんに作品展開催を持ちかけたことがあったが、そのときは「主婦が片手間で編んだものを見せるなんてとんでもない」と拒まれた。
10年、喉に難治性の病気を患った惠志さんに邦彦さんは、入院先の病院で残り時間は少ないだろう−と打ち明けた。惠志さんはうなずきながら聞いていたという。「母さん、作品展やるからな。約束だよ」。邦彦さん精いっぱいの励ましだった。約2年後、惠志さんは息を引き取った。
惠志さんが残した遺作はセーターだけでも100点以上あった。細部までこだわって作られた数々。邦彦さんは自分が知らない母の一面を垣間見たようでセーターがよりいとおしくなったという。
「不出来のものがあるのは承知。でも、母のやってきたことを形にしてあげたかった」と弥生さん。作品展が実現し邦彦さんは「母はもういないが、約束は果たせた。肩の荷が下りたよう」と話す。
12日は「母の日」。「『作品展はしないと言ったでしょう』と言いながら天国ではにかんでいるかな」。邦彦さんと弥生さんは目を潤ませ笑った。
遺作展では邦彦さんが描いた惠志さんの肖像画12点や鉄雄さん、弥生さんの絵画も展示している。
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