最近下のような珍論を吐く莫迦者が結構いるのには驚くばかりである。要するに単なる「日蓮マニア」なのであるが、まさに習い損ねているので、一応簡単に破折しておきたい。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
習い損ね曰く、
<日蓮正宗の「戒壇本尊唯一絶対」教義が、究極の邪義である証拠の数々>
1.日蓮大聖人の遺文に「戒壇本尊」を意味する本尊の名は一切無い!
〇破折
この手の疑難は既に破折されつくされているが、いまだ二番煎じ、三番煎じの莫迦がいることに驚くばかりだ。
では聞くが、以下の御本尊に対する証明文は御書に存在するのか、如何?それを本門戒壇大本尊にのみ求めるのは支離滅裂の大狂乱というべきではないか。
たとへば、蛇形御本尊、万年救護本尊、臨滅度時の御本尊、楊枝御本尊、日禅授与本尊、どれも御書に説明は無いではないか。
2.日蓮大聖人の遺文に「戒壇本尊」なる唯一絶対な本尊の存在を示す証拠は一切無い!
〇破折
同じく、他の真筆本尊の唯一本尊の存在を示す証拠もないのだ。では、御本尊の説明は一体どこに書かれてあるのか? それは御本尊の脇書にお認め遊ばされているのである。
3.日蓮大聖人は、「戒壇本尊」ではなく、他の本尊に対して「本門の本尊」と言われている。
〇破折
当たり前ではないか!
「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」(685P 経王殿御返事)
即ち大聖人の一身の当体が人法一箇であり、それを文字曼荼羅として図顕されたのが御本尊である。
「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(1773 御義口伝)
4.日蓮大聖人は、「戒壇本尊」ではなく、他の本尊に対して「一閻浮提第一の本尊」と言われている。
〇破折
これも当たり前ではないか。他宗の一体誰が一閻浮提第一の本尊を図顕したのか? 法然か? 空海か?
笑わせてくれるのはお前さんの顔だけにしてくれ。
5.日蓮大聖人は、「戒壇本尊」ではなく、他の本尊に対して「日蓮が魂の本尊」と言われている。
〇破折
既に、3にて破折済みである。
6.日蓮大聖人は、「法体」とは「南無妙法蓮華経」とされており、南無妙法蓮華経の書かれた本尊は、すべて独自に本尊の力用を持つのが道理である。
〇破折
この莫迦者はここで矛盾したことを書いているので指摘しておく。
①『「法体」とは「南無妙法蓮華経」』と言っているが、これは「法に訳しての本尊」のことである。
②「南無妙法蓮華経の書かれた本尊」とは既に言ったように、人法一箇の本尊のことである。
さて、貴殿よ、貴殿は法本尊を究極としたいのか? ・・・正信会久保川法章のように?
或いは、御本尊を人法一箇の本尊として認めるのか、如何?
既に頭が狂っているのではないか?
7.日蓮大聖人は、「目」とは「南無妙法蓮華経」とされており、南無妙法蓮華経の書かれた本尊は、すべて開眼した本尊なのが道理である。
〇破折
当たり前ではないか、大聖人が図顕された御本尊である。但し、それらは一機一縁の本尊である!「一閻浮提総与」の本尊ではあるまい、如何?
大聖人曰く、
「本尊とは勝れたるを用ふべし」(1275 本尊問答抄)
貴殿は大聖人を勉強しているそうだが、「最大の仏敵はまさに日蓮大聖人である」、と言っておこう。
8.日蓮大聖人には「修多羅に依れるは白論なり修多羅に依らざれば黒論なり」等、「黒」を「邪法」とする教えがあり、日興上人も「衣の墨、黒くすべからざる事」など「黒」は否定される意味で使われるにも関わらず、戒壇本尊は、他の本尊と異質の「黒塗り」であり、黒色の本尊を、唯一絶対の本尊として建立する訳が無い。
〇破折
莫迦よ、本門戒壇の大御本尊の文字は「金」である。また「薄墨」の御指南は日有上人の化儀抄にあるが、僧侶の衣のことであろうが・・。貴殿の言葉を借りるとすれば、信徒に下附される紙幅の御本尊の下地は「白」である。文字は「黒」である。莫迦な悪口はよそうじゃないか、ノ~タリンよ。
9.日蓮大聖人は、戒壇本尊が建立されたとされる1279年(弘安二年)10月12日から2年後において、「肉団の胸中に秘して隠し持てり」と書いており、日蓮正宗が教えるように唯一絶対の本尊を建立し身延の草庵で公開していたのなら、そのような事を書くはずがない。
〇破折
結要付嘱と一大秘法
仏滅後二千二百余年に、月氏・漢土・日本・一閻浮提の内に「天親・竜樹、内鑑冷然(れいねん)たり、外は時の宜しきに適(かな)ふ」云々。 天台・伝教は粗釈し給へども、之を弘め残せる一大事の秘法を、此の国に初めて之を弘む。日蓮豈(あに)其の人に非ずや。前相已(すで)に顕はれぬ。去ぬる正嘉の大地震は前代未聞の大瑞なり。
『富木入道殿御返事』 (文8・11・23)
此の四大菩薩は釈尊成道の始め、寂滅道場の砌にも来たらず、如来入滅の終はり抜提河(ばつだいが)の辺(ほとり)にも至らず。加之(しかのみならず)、霊山八年の間に、進んでは迹門の序正の儀式に文殊・弥勒等の発起影向(ほっきようごう)の諸(もろもろ)の聖衆にも列ならず、退いては本門流通の座席に観音・妙音等の発誓弘経(はっせいぐきょう)の大士にも交わらず。但此の一大秘法を持して本処に隠居するの後、仏の滅後、正像二千年の間に於て未だ一度も出現せず、所詮仏専ら末世の時に限って此等の大士に付嘱せし故なり。
『曽谷入道殿許御書』 (文12・3・10)
教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし。かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。法妙なるが故に人貴し、人貴きが故に所尊しと申すは是なり。
『南条殿御返事』 (弘4・9・11)
http://www.geocities.co.jp/sarariwoman/nikken/kaki_16_geika.htm
これを拝読すれば一目瞭然であろう。即ち大聖人こそ、法華経文上に説かれた上行菩薩であり、その文底は久遠元初自受用報身如来である、末法の御本仏という証明文である!
これらの文は「本門戒壇の大御本尊の図顕」とは何の関係もなかろう。
ところで話は変わるが、『大聖人が一大秘法と書かれている文証は「曽谷入道殿許御書しかない』とか言っている者がいたが、ここでコヤツの邪論も一緒に破折しておくこととする。
「一大事の秘法」 これは一大秘法ではないのか、如何?
10.日蓮大聖人は、三大秘法を説明する中でさえ、たった一度たりとも「本門の本尊」が「戒壇本尊」なるものであるとの教えを残していない。
〇破折
当たり前ではないか、それを言ったらどうなるか考えたこともないであろう。
平和ボケした今の日本とは全く異なるのであり、世は戦国時代であることをよもやお主忘れたのではあるまいか?
①http://youtu.be/1cpBeMmWN8Y
②http://youtu.be/UoafOc7OOgg
11.日蓮大聖人が、最後の日に掲げられた本尊も「戒壇本尊」なるものではない。
〇破折
当たり前である。本門戒壇の大御本尊は公開ではない。しっかりせよ!
12.日蓮正宗では、戒壇本尊は、熱原の法難の時に建立されたとしているが、その時に日蓮正宗の開祖である日興上人は不在であり、日興上人との共作と言う伝説は崩れる。
〇破折
「共同作業」??
これは日道上人の「御伝草案」(正本は大石寺に現存)に書かれているものであるが、あくまでも「伝説」である。またこれは「御伝土代」とも言われているが、「土代」とは草案のことである。このような伝説を基に論議しても無駄であろう。
「桃太郎」「浦島太郎」は真実かね?莫迦者よ。
13.日蓮正宗では、戒壇本尊は、熱原の法難で、信徒が処刑されたことによって建立されたとしているが、実際は、信徒が処刑される10月15日よりも"前"となり、史実とずれる。
〇破折
「熱原の法難を機として」御図顕遊ばされたのである。一体何をどう間違ったのであろう? 「信徒が処刑されたことによって」とな? その文証を示しなさい。
14.日蓮正宗では、「戒壇本尊が、木造なのは、永遠に残すため」(主意ママ)であるとしているが、巨大な木造では、盗賊から守るために移動して隠すのも困難であり、焼かれる等すれば同じく消失するものであり、理由にならない。
〇破折
だから言っているではないか。 世は戦国時代である。平和ボケした現在の日本ではないと。であるから出世の本懐の戒壇様を隠されたのです。
15.日興上人の遺文の中にも、「戒壇本尊」なる唯一絶対の本尊は登場しない。
〇破折
当然である。平和ボケもいい加減にせよ。世は戦乱、南北朝時代の入っていたのである。
時系列
1282年(弘安5年9月) 日興上人御当座
1290年10月13日 日興上人、御座替本尊を日目上人へ授与
1329年 南北朝時代の始まり
1333年 日興上人重須にて滅
南朝の元号=元弘
北朝の元号=正慶
④1392年 南北朝・元号統一=南北共に「明徳」を使用
http://www.kumamotokokuf-h.ed.jp/kumamoto/bungaku/nengoui.html
もう分かるであろう。日興上人の時代は政局がきわめて不安定な時代だったということだ。 このような時代に日興上人が大聖人の出世の本懐である本門戒壇の大御本尊の存在を、世間に知らしめるような愚かなことはされないであろう。・・・世は下り江戸時代では寺請制度が存在し、自由な布教活動も出来なかったのが日本の歴史である。今のシリアのような状況であったということを認識せよ!
16.当然ながら、他の五老僧の遺文の中にも「戒壇本尊」なる唯一絶対の本尊は登場しない。
〇破折
では聞くが、五老僧の中に1人でも、蛇形御本尊、万年救護本尊、臨滅度時の御本尊、楊枝御本尊、日禅授与本尊の記述があるのか? あるのであれば出して見せよ!ましてや五老僧など「天台沙門」と名乗っておったのではないのか? 本尊よりも摩訶止観・釈迦仏像・大黒天の方が重要だったのではないのか? 莫迦を言うのもいい加減にせよ、と言っておく。
17.「本門戒壇の大御本尊」なる唯一絶対の本尊が登場するのは、200年近くも後の9世日有の時代になってからである。
〇破折
良かったではないか、本門戒壇の大御本尊は存在したのである!
18.日蓮正宗七世日阿は、この「唯一絶対の本尊」に最高の祈りをした"はず"にも関わらず法主になって九ヶ月で最大の使命である面受口決も果たせず急死している。
〇破折
日精上人著、「家中抄」か、笑わせてくれるではないか! 確かにこのような伝説が書かれていることは事実である。貴殿、いつまで「桃太郎伝説」「浦島太郎」を信じておるのかい? 家中抄や三師御伝土代には真実と伝説が混合しているのである。家中抄に関して言えば、著者である日精上人ご自身が、このように仰せである。
第17世日精上人曰く、
「猶(なお)お恨むらくは御筆記文は多く天下の大乱に散失し、あるいは国国門徒へ持参し、所伝の法門は住侶闕減(けつげん)に習い失い、唯見聞のおよぶ所わずかにこれを記録して未だ精密ならざるなり」(富士宗学要集5巻180p)と仰せられ、宗史の見聞するところを記し置き、これを「家中抄 三巻」として著された。
「庶幾(こいねがわくば)所々散失の御筆並びに本尊・記文等見聞にしたがって之を記して其の欠を補い給われば是れ吾(われ)がねがう所なり」(富士宗学要集5巻180P)とも仰せである。
更にダ!日精上人は、日有上人の真筆をご覧あそばされ、このように仰せである。
「添 書」
日有上人直筆、日阿上人付法之体被遊。就之雖有異説見此御筆跡散疑滞故書之而以為後証者也。
延宝四丙辰年二月良辰 日精花押」(正本大石寺蔵)
(日有上人の直筆、日阿上人に付法之体遊ばさ被たり。之に就いて異説有りと雖えども 此の御筆跡を見るに疑滞を散ず故に而して後に証する為を以って之を書する者也)
また、堀日亨上人は、このように仰せである。
「斯の如きの伝説を因師ほどの御方が何故掃き捨てなかったか怪しむべき事であると思ふ」
と明確に伝説を否定されている。(大日蓮第8号 血脈相承の断絶等に就いて史的考察及び弁蒙より抜粋)
19.その前後も代々の法主達が、この「唯一絶対の本尊」に最高の祈りをした"はず"にも関わらず急死し、法主になる人材不足が続き、稚児法主と呼ばれる十代の法主が誕生したり、引退した法主が再度法主を担当したり他教団から法主を要請するしかない状況が続いている。
〇破折
これは単なる悪口である。現代人の平均寿命を基とし、上代を図るからこのような悪口中傷が飛び出してくるのである。仏法内証の仏智を伝授するのは世間の年齢や体験等とは別次元のことであることを知りなさい。
大聖人曰く、
「法然・善導等がかきをきて候ほどの法門は日蓮らは十七八の時よりしりて候」(南条兵衛七郎殿御書)
大聖人は17・8歳の時すでに、念仏宗の奥義を極められているではないか。また南条時光も大聖人より文永11年、15歳の時に書を大聖人から頂戴している(平成2年版 富士年表32P)
20.この「唯一絶対の本尊」に最高の祈りをした"はず"にも関わらず焼死した法主までも居る。
〇破折
日恭上人のことであろう。 これは「覚悟の死」である。日恭上人はいくらでも逃げることが出来たのだ。
http://youtu.be/6nvrH6lPhW0
して、日恭上人が「一切の責任」を取られ、1945年6月17日に逝去され、僅か2ヶ月後の8月15日に戦争は終わったのである。
不思議であろう!
21.この「唯一絶対の本尊」に最高の祈りをした"はず"にも関わらず、600年もの間、広宣流布がほとんど進まなかった。
〇破折
当たり前である。理由は二つある。①それほど大聖人の仏法は難信難解ということであり、②もう一つは他の邪宗と異なり、時の権力に屈服、迎合することが無かったためである。「針金宗」と言われる所以はそこにある。
22.この「唯一絶対の本尊」に最高の祈りを続けている法主にも関わらず、裁判で敗訴している。
〇破折
裁判とは世法である。勝つときもあれば負ける時もある、と言っておこう。ニュースを見ても分かるであろう、「不当判決!」と世間でも騒いでいるではないか・・。また対創価学会の勝敗表を見てみようではないか。
http://homepage3.nifty.com/y-maki/emyou/294-2.html
ほぼ80%は日蓮正宗の勝訴であり、特に正本堂御供養返還訴訟に至っては100%勝訴しているのが現実である。
23.この「唯一絶対の本尊」に最高の祈りを続けている法主にも関わらず、大嘘を付いていた。
※意味不明の為、捨て置く。単なる悪口である。
24.この「唯一絶対の本尊」に最高の祈りを続けている法主にも関わらず、料亭に芸者を呼んでの贅沢な生活を繰り返していた。(いる?)
※貧乏人のひがみである。貴殿は芸者を売春婦と誤解しているのではあるまいか? 創価のデッチアゲ合成写真を以て批判しても無駄であることを知りなさい。「夫婦同伴での芸者」である。貴殿は若者がコンパニオンをよんで宴会・パーティーをするのを「贅沢な生活」と断定するのか? ド・ビンボー人のひがみはおよしなさい。
25.この「唯一絶対の本尊」に最高の祈りを続けている法主にも関わらず「末法万年の外、未来までも人類救済の大御本尊を御安置申し上げる」として集めた信徒の浄財355億3600万4309円で建立した正本堂をたった26年で破壊!
※よかったではないか!正法とは仏法のことであり、金という世法のことではないか。池田大作の裸体を彫刻した正本堂などに未練はない。で、貴殿創価員か? 日蓮正宗を批判するには、創価であれ何であれ引用する「何でもあり」か??
26.この「唯一絶対の本尊」に直結した本尊に祈りを続けている信者にも関わらず、事実を反対に書いて平気な大嘘つきで羞恥心の無い信者が多く、六根清浄の真実の功徳があるとは考えられない。
※それは貴殿のことであろう。ゲラゲラ
27.この「唯一絶対の本尊」に直結した本尊に祈ったときよりも、この「唯一絶対の本尊」に直結していない本尊によって遥かに大功徳が出ている。
※では、身延の土産本尊でも拝んでいなさい。なんら証明にはなっていない。単なる愚痴・落書きであると断言する。
28.戒壇本尊が、究竟完成された本尊ならば、戒壇本尊建立の後に戒壇本尊と相貌の違う本尊を多数顕現される訳が無い!
※それほど文字が大切であれば、貴殿、自分で本尊を図顕して拝めばいいであろう。御本尊とは単なるお絵かきではない、と言っておこう。
以上、
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
習い損ね曰く、
<日蓮正宗の「戒壇本尊唯一絶対」教義が、究極の邪義である証拠の数々>
1.日蓮大聖人の遺文に「戒壇本尊」を意味する本尊の名は一切無い!
〇破折
この手の疑難は既に破折されつくされているが、いまだ二番煎じ、三番煎じの莫迦がいることに驚くばかりだ。
では聞くが、以下の御本尊に対する証明文は御書に存在するのか、如何?それを本門戒壇大本尊にのみ求めるのは支離滅裂の大狂乱というべきではないか。
たとへば、蛇形御本尊、万年救護本尊、臨滅度時の御本尊、楊枝御本尊、日禅授与本尊、どれも御書に説明は無いではないか。
2.日蓮大聖人の遺文に「戒壇本尊」なる唯一絶対な本尊の存在を示す証拠は一切無い!
〇破折
同じく、他の真筆本尊の唯一本尊の存在を示す証拠もないのだ。では、御本尊の説明は一体どこに書かれてあるのか? それは御本尊の脇書にお認め遊ばされているのである。
3.日蓮大聖人は、「戒壇本尊」ではなく、他の本尊に対して「本門の本尊」と言われている。
〇破折
当たり前ではないか!
「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」(685P 経王殿御返事)
即ち大聖人の一身の当体が人法一箇であり、それを文字曼荼羅として図顕されたのが御本尊である。
「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(1773 御義口伝)
4.日蓮大聖人は、「戒壇本尊」ではなく、他の本尊に対して「一閻浮提第一の本尊」と言われている。
〇破折
これも当たり前ではないか。他宗の一体誰が一閻浮提第一の本尊を図顕したのか? 法然か? 空海か?
笑わせてくれるのはお前さんの顔だけにしてくれ。
5.日蓮大聖人は、「戒壇本尊」ではなく、他の本尊に対して「日蓮が魂の本尊」と言われている。
〇破折
既に、3にて破折済みである。
6.日蓮大聖人は、「法体」とは「南無妙法蓮華経」とされており、南無妙法蓮華経の書かれた本尊は、すべて独自に本尊の力用を持つのが道理である。
〇破折
この莫迦者はここで矛盾したことを書いているので指摘しておく。
①『「法体」とは「南無妙法蓮華経」』と言っているが、これは「法に訳しての本尊」のことである。
②「南無妙法蓮華経の書かれた本尊」とは既に言ったように、人法一箇の本尊のことである。
さて、貴殿よ、貴殿は法本尊を究極としたいのか? ・・・正信会久保川法章のように?
或いは、御本尊を人法一箇の本尊として認めるのか、如何?
既に頭が狂っているのではないか?
7.日蓮大聖人は、「目」とは「南無妙法蓮華経」とされており、南無妙法蓮華経の書かれた本尊は、すべて開眼した本尊なのが道理である。
〇破折
当たり前ではないか、大聖人が図顕された御本尊である。但し、それらは一機一縁の本尊である!「一閻浮提総与」の本尊ではあるまい、如何?
大聖人曰く、
「本尊とは勝れたるを用ふべし」(1275 本尊問答抄)
貴殿は大聖人を勉強しているそうだが、「最大の仏敵はまさに日蓮大聖人である」、と言っておこう。
8.日蓮大聖人には「修多羅に依れるは白論なり修多羅に依らざれば黒論なり」等、「黒」を「邪法」とする教えがあり、日興上人も「衣の墨、黒くすべからざる事」など「黒」は否定される意味で使われるにも関わらず、戒壇本尊は、他の本尊と異質の「黒塗り」であり、黒色の本尊を、唯一絶対の本尊として建立する訳が無い。
〇破折
莫迦よ、本門戒壇の大御本尊の文字は「金」である。また「薄墨」の御指南は日有上人の化儀抄にあるが、僧侶の衣のことであろうが・・。貴殿の言葉を借りるとすれば、信徒に下附される紙幅の御本尊の下地は「白」である。文字は「黒」である。莫迦な悪口はよそうじゃないか、ノ~タリンよ。
9.日蓮大聖人は、戒壇本尊が建立されたとされる1279年(弘安二年)10月12日から2年後において、「肉団の胸中に秘して隠し持てり」と書いており、日蓮正宗が教えるように唯一絶対の本尊を建立し身延の草庵で公開していたのなら、そのような事を書くはずがない。
〇破折
結要付嘱と一大秘法
仏滅後二千二百余年に、月氏・漢土・日本・一閻浮提の内に「天親・竜樹、内鑑冷然(れいねん)たり、外は時の宜しきに適(かな)ふ」云々。 天台・伝教は粗釈し給へども、之を弘め残せる一大事の秘法を、此の国に初めて之を弘む。日蓮豈(あに)其の人に非ずや。前相已(すで)に顕はれぬ。去ぬる正嘉の大地震は前代未聞の大瑞なり。
『富木入道殿御返事』 (文8・11・23)
此の四大菩薩は釈尊成道の始め、寂滅道場の砌にも来たらず、如来入滅の終はり抜提河(ばつだいが)の辺(ほとり)にも至らず。加之(しかのみならず)、霊山八年の間に、進んでは迹門の序正の儀式に文殊・弥勒等の発起影向(ほっきようごう)の諸(もろもろ)の聖衆にも列ならず、退いては本門流通の座席に観音・妙音等の発誓弘経(はっせいぐきょう)の大士にも交わらず。但此の一大秘法を持して本処に隠居するの後、仏の滅後、正像二千年の間に於て未だ一度も出現せず、所詮仏専ら末世の時に限って此等の大士に付嘱せし故なり。
『曽谷入道殿許御書』 (文12・3・10)
教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし。かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。法妙なるが故に人貴し、人貴きが故に所尊しと申すは是なり。
『南条殿御返事』 (弘4・9・11)
http://www.geocities.co.jp/sarariwoman/nikken/kaki_16_geika.htm
これを拝読すれば一目瞭然であろう。即ち大聖人こそ、法華経文上に説かれた上行菩薩であり、その文底は久遠元初自受用報身如来である、末法の御本仏という証明文である!
これらの文は「本門戒壇の大御本尊の図顕」とは何の関係もなかろう。
ところで話は変わるが、『大聖人が一大秘法と書かれている文証は「曽谷入道殿許御書しかない』とか言っている者がいたが、ここでコヤツの邪論も一緒に破折しておくこととする。
「一大事の秘法」 これは一大秘法ではないのか、如何?
10.日蓮大聖人は、三大秘法を説明する中でさえ、たった一度たりとも「本門の本尊」が「戒壇本尊」なるものであるとの教えを残していない。
〇破折
当たり前ではないか、それを言ったらどうなるか考えたこともないであろう。
平和ボケした今の日本とは全く異なるのであり、世は戦国時代であることをよもやお主忘れたのではあるまいか?
①http://youtu.be/1cpBeMmWN8Y
②http://youtu.be/UoafOc7OOgg
11.日蓮大聖人が、最後の日に掲げられた本尊も「戒壇本尊」なるものではない。
〇破折
当たり前である。本門戒壇の大御本尊は公開ではない。しっかりせよ!
12.日蓮正宗では、戒壇本尊は、熱原の法難の時に建立されたとしているが、その時に日蓮正宗の開祖である日興上人は不在であり、日興上人との共作と言う伝説は崩れる。
〇破折
「共同作業」??
これは日道上人の「御伝草案」(正本は大石寺に現存)に書かれているものであるが、あくまでも「伝説」である。またこれは「御伝土代」とも言われているが、「土代」とは草案のことである。このような伝説を基に論議しても無駄であろう。
「桃太郎」「浦島太郎」は真実かね?莫迦者よ。
13.日蓮正宗では、戒壇本尊は、熱原の法難で、信徒が処刑されたことによって建立されたとしているが、実際は、信徒が処刑される10月15日よりも"前"となり、史実とずれる。
〇破折
「熱原の法難を機として」御図顕遊ばされたのである。一体何をどう間違ったのであろう? 「信徒が処刑されたことによって」とな? その文証を示しなさい。
14.日蓮正宗では、「戒壇本尊が、木造なのは、永遠に残すため」(主意ママ)であるとしているが、巨大な木造では、盗賊から守るために移動して隠すのも困難であり、焼かれる等すれば同じく消失するものであり、理由にならない。
〇破折
だから言っているではないか。 世は戦国時代である。平和ボケした現在の日本ではないと。であるから出世の本懐の戒壇様を隠されたのです。
15.日興上人の遺文の中にも、「戒壇本尊」なる唯一絶対の本尊は登場しない。
〇破折
当然である。平和ボケもいい加減にせよ。世は戦乱、南北朝時代の入っていたのである。
時系列
1282年(弘安5年9月) 日興上人御当座
1290年10月13日 日興上人、御座替本尊を日目上人へ授与
1329年 南北朝時代の始まり
1333年 日興上人重須にて滅
南朝の元号=元弘
北朝の元号=正慶
④1392年 南北朝・元号統一=南北共に「明徳」を使用
http://www.kumamotokokuf-h.ed.jp/kumamoto/bungaku/nengoui.html
もう分かるであろう。日興上人の時代は政局がきわめて不安定な時代だったということだ。 このような時代に日興上人が大聖人の出世の本懐である本門戒壇の大御本尊の存在を、世間に知らしめるような愚かなことはされないであろう。・・・世は下り江戸時代では寺請制度が存在し、自由な布教活動も出来なかったのが日本の歴史である。今のシリアのような状況であったということを認識せよ!
16.当然ながら、他の五老僧の遺文の中にも「戒壇本尊」なる唯一絶対の本尊は登場しない。
〇破折
では聞くが、五老僧の中に1人でも、蛇形御本尊、万年救護本尊、臨滅度時の御本尊、楊枝御本尊、日禅授与本尊の記述があるのか? あるのであれば出して見せよ!ましてや五老僧など「天台沙門」と名乗っておったのではないのか? 本尊よりも摩訶止観・釈迦仏像・大黒天の方が重要だったのではないのか? 莫迦を言うのもいい加減にせよ、と言っておく。
17.「本門戒壇の大御本尊」なる唯一絶対の本尊が登場するのは、200年近くも後の9世日有の時代になってからである。
〇破折
良かったではないか、本門戒壇の大御本尊は存在したのである!
18.日蓮正宗七世日阿は、この「唯一絶対の本尊」に最高の祈りをした"はず"にも関わらず法主になって九ヶ月で最大の使命である面受口決も果たせず急死している。
〇破折
日精上人著、「家中抄」か、笑わせてくれるではないか! 確かにこのような伝説が書かれていることは事実である。貴殿、いつまで「桃太郎伝説」「浦島太郎」を信じておるのかい? 家中抄や三師御伝土代には真実と伝説が混合しているのである。家中抄に関して言えば、著者である日精上人ご自身が、このように仰せである。
第17世日精上人曰く、
「猶(なお)お恨むらくは御筆記文は多く天下の大乱に散失し、あるいは国国門徒へ持参し、所伝の法門は住侶闕減(けつげん)に習い失い、唯見聞のおよぶ所わずかにこれを記録して未だ精密ならざるなり」(富士宗学要集5巻180p)と仰せられ、宗史の見聞するところを記し置き、これを「家中抄 三巻」として著された。
「庶幾(こいねがわくば)所々散失の御筆並びに本尊・記文等見聞にしたがって之を記して其の欠を補い給われば是れ吾(われ)がねがう所なり」(富士宗学要集5巻180P)とも仰せである。
更にダ!日精上人は、日有上人の真筆をご覧あそばされ、このように仰せである。
「添 書」
日有上人直筆、日阿上人付法之体被遊。就之雖有異説見此御筆跡散疑滞故書之而以為後証者也。
延宝四丙辰年二月良辰 日精花押」(正本大石寺蔵)
(日有上人の直筆、日阿上人に付法之体遊ばさ被たり。之に就いて異説有りと雖えども 此の御筆跡を見るに疑滞を散ず故に而して後に証する為を以って之を書する者也)
また、堀日亨上人は、このように仰せである。
「斯の如きの伝説を因師ほどの御方が何故掃き捨てなかったか怪しむべき事であると思ふ」
と明確に伝説を否定されている。(大日蓮第8号 血脈相承の断絶等に就いて史的考察及び弁蒙より抜粋)
19.その前後も代々の法主達が、この「唯一絶対の本尊」に最高の祈りをした"はず"にも関わらず急死し、法主になる人材不足が続き、稚児法主と呼ばれる十代の法主が誕生したり、引退した法主が再度法主を担当したり他教団から法主を要請するしかない状況が続いている。
〇破折
これは単なる悪口である。現代人の平均寿命を基とし、上代を図るからこのような悪口中傷が飛び出してくるのである。仏法内証の仏智を伝授するのは世間の年齢や体験等とは別次元のことであることを知りなさい。
大聖人曰く、
「法然・善導等がかきをきて候ほどの法門は日蓮らは十七八の時よりしりて候」(南条兵衛七郎殿御書)
大聖人は17・8歳の時すでに、念仏宗の奥義を極められているではないか。また南条時光も大聖人より文永11年、15歳の時に書を大聖人から頂戴している(平成2年版 富士年表32P)
20.この「唯一絶対の本尊」に最高の祈りをした"はず"にも関わらず焼死した法主までも居る。
〇破折
日恭上人のことであろう。 これは「覚悟の死」である。日恭上人はいくらでも逃げることが出来たのだ。
http://youtu.be/6nvrH6lPhW0
して、日恭上人が「一切の責任」を取られ、1945年6月17日に逝去され、僅か2ヶ月後の8月15日に戦争は終わったのである。
不思議であろう!
21.この「唯一絶対の本尊」に最高の祈りをした"はず"にも関わらず、600年もの間、広宣流布がほとんど進まなかった。
〇破折
当たり前である。理由は二つある。①それほど大聖人の仏法は難信難解ということであり、②もう一つは他の邪宗と異なり、時の権力に屈服、迎合することが無かったためである。「針金宗」と言われる所以はそこにある。
22.この「唯一絶対の本尊」に最高の祈りを続けている法主にも関わらず、裁判で敗訴している。
〇破折
裁判とは世法である。勝つときもあれば負ける時もある、と言っておこう。ニュースを見ても分かるであろう、「不当判決!」と世間でも騒いでいるではないか・・。また対創価学会の勝敗表を見てみようではないか。
http://homepage3.nifty.com/y-maki/emyou/294-2.html
ほぼ80%は日蓮正宗の勝訴であり、特に正本堂御供養返還訴訟に至っては100%勝訴しているのが現実である。
23.この「唯一絶対の本尊」に最高の祈りを続けている法主にも関わらず、大嘘を付いていた。
※意味不明の為、捨て置く。単なる悪口である。
24.この「唯一絶対の本尊」に最高の祈りを続けている法主にも関わらず、料亭に芸者を呼んでの贅沢な生活を繰り返していた。(いる?)
※貧乏人のひがみである。貴殿は芸者を売春婦と誤解しているのではあるまいか? 創価のデッチアゲ合成写真を以て批判しても無駄であることを知りなさい。「夫婦同伴での芸者」である。貴殿は若者がコンパニオンをよんで宴会・パーティーをするのを「贅沢な生活」と断定するのか? ド・ビンボー人のひがみはおよしなさい。
25.この「唯一絶対の本尊」に最高の祈りを続けている法主にも関わらず「末法万年の外、未来までも人類救済の大御本尊を御安置申し上げる」として集めた信徒の浄財355億3600万4309円で建立した正本堂をたった26年で破壊!
※よかったではないか!正法とは仏法のことであり、金という世法のことではないか。池田大作の裸体を彫刻した正本堂などに未練はない。で、貴殿創価員か? 日蓮正宗を批判するには、創価であれ何であれ引用する「何でもあり」か??
26.この「唯一絶対の本尊」に直結した本尊に祈りを続けている信者にも関わらず、事実を反対に書いて平気な大嘘つきで羞恥心の無い信者が多く、六根清浄の真実の功徳があるとは考えられない。
※それは貴殿のことであろう。ゲラゲラ
27.この「唯一絶対の本尊」に直結した本尊に祈ったときよりも、この「唯一絶対の本尊」に直結していない本尊によって遥かに大功徳が出ている。
※では、身延の土産本尊でも拝んでいなさい。なんら証明にはなっていない。単なる愚痴・落書きであると断言する。
28.戒壇本尊が、究竟完成された本尊ならば、戒壇本尊建立の後に戒壇本尊と相貌の違う本尊を多数顕現される訳が無い!
※それほど文字が大切であれば、貴殿、自分で本尊を図顕して拝めばいいであろう。御本尊とは単なるお絵かきではない、と言っておこう。
以上、
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