29回目のフェデラーvs.ナダル 「早すぎる」特別な一戦
“生きる伝説”と“赤土の王者”の初対決
2004年2月2日。その日発表の世界ランキングで1位となった当時22歳のフェデラーは、滞在先のホテルの部屋の扉に「世界1位の部屋!」と書いた紙を張り、自らその地位を祝福した。同年1月の全豪オープンでキャリア2つ目のグランドスラムタイトルを手にしていた彼は、その後も3月のドバイオープン、ドバイ翌週のインディアンウェルズでもアンドレ・アガシ(米国)ら強敵を次々に破り優勝。若き王者の前途には輝かしい未来が開け、意気揚々と、3月下旬のマイアミマスターズ大会へと乗り込んでいった。
その新王者はマイアミ大会の3回戦で、17歳の少年と対戦する。真っ赤なノースリーブシャツに、頭には幅広の白いバンダナ。驚異的なフットワークでボールを拾いまくり、上腕二頭筋の盛り上がった左腕でボールをたたき潰すようにショットを打ち込むそのスペイン人は、王者相手にも臆することなく、荒ぶる雄牛の如く勇猛に立ち向かった。
試合開始から70分。スマッシュを豪快にたたきこむと、赤いシルエットがマイアミのコートを踊るように跳ねる。スコアは6−3、6−3。英語がまだあまり得意ではなく、はにかんだ笑顔が印象的なその少年は、時の世界1位を破り世界を驚嘆させると、翌年には全仏オープンで優勝。“ラファ”の愛称で、世界中から愛される存在となった。
一方で、王位に就いた直後に衝撃の敗戦を経験した世界1位は、その後も何と4年半の長きに渡り頂点に君臨し続け“史上最高の選手”となる。
あの衝撃の初対戦から9年――その間に2人は27回ラケットを交え、その全てがトーナメントの決勝もしくは準決勝で実現してきた。17歳の少年は“赤土の王者”へと成長し、22歳の若き王者は“生きる伝説”に。
そして“ロジャー・フェデラー対ラファエル・ナダル”は、他に並び立つ物のない、テニス界における唯一無二のライバル物語となったのだった。
9年ぶりの「早すぎる」対戦
フェデラーの「early」は「いつもラファとの対戦は決勝や準決勝なのに、今回は4試合目(準々決勝)だ」と、対戦がトーナメントの早い段階で実現したことを指していた。両者が準決勝より早いステージで対戦したのは、2004年マイアミ以来。つまり、初対戦以降では初めてのことである。
一方のナダルが嘆く「早すぎる」とは、復帰戦からフェデラー戦までの期間の短さを指していた。ナダルは今年の2月に、左ヒザの負傷による7カ月半の長期戦線離脱から復帰したばかり。その復帰からわずか1カ月の間に既に2大会で優勝しているが、にも関わらず「ロジャーと戦うレベルには、まだ達していない」と漏らす言葉に、フェデラーに対するナダルの並々ならぬ敬意と覚悟が込められていた。