By 肥田美佐子
4月半ば、都営地下鉄・東京メトロの一元化や都営バス・地下鉄の終夜運行を検討している猪瀬直樹・東京都知事がニューヨークを訪れ、現場を視察した。報道によれば、まず今年中に渋谷・六本木間の都営バスの終夜運転に踏み切るという。
地下鉄は、複線化しているニューヨークと違い、東京では、補修工事のために電車を止める必要があることやタクシー業界の反対が予想されることなどから、今のところ難しいと言われている。だが、「24時間都市」として真のグローバル経済化を目指すには、バスだけでは心もとないという声も聞こえてきそうだ。
そこで注目されるのが、都市交通局(MTA)が運営するニューヨークの地下鉄である。一部終夜運転で知られるシカゴを除き、米国で、地下鉄の全面的な24時間運行が実施されているのは、ニューヨーク市だけだ。
『722 Miles: The Building of the Subways and How They Transformed New York(722マイル――地下鉄建設、および、それがニューヨークをどう変えたか)』(仮題)を著し、ニューヨーク州北部のハワード・アンド・ウィリアムスミス・カレッジで歴史学を教えるクリフトン・フッド教授によれば、同市の地下鉄は1904年に開通し、その後2~3年で終夜運行が始まった。「眠らない街」ニューヨークの歴史は、はや1世紀以上に及ぶ。
「『常にどんなことでも起こりうるエキサイティングな街』というのがニューヨークの特長だが、24時間走る地下鉄あってこそだ」と、フッド教授は分析する。
同市ブルックリン在住のライター兼ブロガーで、ニューヨークへの熱い思いをつづ綴ったエッセー本『101 Reasons to Leave New York(ニューヨークを離れる101の理由)』の著者であるハワード・ジョーダン氏(37)も同意見だ。
同氏は、「14年前、バージニア州から移ってきたとき、終夜運行の地下鉄を見て感激した。『もう、ここはカンザスじゃないんだ』って」と、『オズの魔法使い』で中西部カンザスから魔法の国にやって来たヒロインがつぶやくセリフをまねて言う。
ジョーダン氏の言葉を借りれば、「若さとエネルギーの街」ニューヨークでは、夜11時からが本番だ。地下鉄がなかったら、お金のない若者は、バーのハシゴもできない。「24時間運行の地下鉄は、この街の性格そのものだ」(同氏)。
マンハッタンのダイナー(軽食レストラン)やデリは、大半が24時間営業だ。タイムズスクエアの人気バーガー店の前には、深夜でも観光客が行列を作っている。初乗り2.5ドル(約245円)のイエローキャブ(タクシー)は、チップの分を入れても、東京の710円に比べると割安である。だが、一律2.75ドルで24時間乗れる地下鉄がなければ、これほど長い行列はできないかもしれない。
若い世代にとっては、ことさら終夜運行の恩恵は大きい。午前2時でも3時でも地下鉄を利用すると話すのは、米PR会社に勤めるブルックリン在住のマイケル・パン氏(24)だ。「帰りの足を気にする必要がないから、心ゆくまでお酒が飲める。ニューヨークのナイトライフが充実している背景には、地下鉄の存在がある」。
地下鉄の利用について研究を行ったニューヨーク大学ワグナー公共政策大学院のミッチェル・モス教授(都市計画・政策)は、夜間と週末に乗客が増えることを発見した。ナイター観戦など、社交に24時間地下鉄を使えることで、ニューヨークという街の可動性と活気が増す。もちろん、遊びだけではない。
「企業や働く人たちが、フレキシブルにビジネスを展開したり働いたりするためにも、終夜運行は不可欠だ。常に足が確保されていることで、車がなくても、仕事の掛け持ちができる」と、モス教授は言う。
その一人が、地下鉄で夜中のショーからショーへと飛び回るスタンドアップ・コメディアンのショーン・イーライ氏だ。「一晩に3~4本以上のショーに出演するコメディアンも大勢いる。地下鉄があればこそできる芸当だ」と、「アイビーリーグ・コメディー」グループのエグゼクティブディレクターを務める同氏は言う。
一昔前は、富裕層は地下鉄に乗らないというイメージもなくはなかった。だが、「今やウォール街の銀行家から弁護士まで、誰もが地下鉄を使う」(フッド教授)。世界有数の実業家で大富豪でもあるブルームバーグ市長も、例外ではない。
インタラクティブなテレビ広告配信サービスを提供する米企業、ブライトラインの副社長、ジェームズ・ピアソン氏は、「初めて市長を車内で見かけたとき、地下鉄が、お金持ちも貧しい人たちも平等に利用できる『イコライザー』の役割を果たしていることに気づいた。ニューヨーク市の縮図を体感できる」と話す。ブライトラインの最高経営責任者(CEO)も、地下鉄で通勤している。
撮影などで早朝出勤が求められることも少なくない同社では、24時間のアクセスのおかげで、居住地域にかかわらず、有能な人材を採用できることも利点だ。「人的資本の枠が広がり、求人の選択肢が増える」(ピアソン氏)。
コスト削減効果もある。ガイド付きランニングツアー事業を全米で展開するシティー・ランニングツアーズの広報責任者、カール・ポウレビチ氏いわく、「ガイド役の従業員に15ドルの駐車料金を支給する必要がないため、大きな節約になる」。
一方、問題もなくはない。殺人発生率は下がっているが、強盗や性的暴行など、犯罪率が20年ぶりに上昇しているニューヨーク市では、女性の乗客は特に注意が必要だ。午前1時ごろでも地下鉄を利用する女性が増えたものの、「治安の確保が最も留意すべき点だ」(フッド教授)。
マンハッタン在住のベテラン女性ライター、イブリン・カンター氏は、月に数回、夜遅く地下鉄を利用する。ニューヨークの文化・社会事情にも詳しい同氏は、「芝居などがはねた後、夜11時ごろになるとバスも地下鉄も込み合う。特に週末は、マンハッタンの主要駅なら午前2時まで、それが続く。だが、観光客、とりわけ女性は夜中に一人で乗らないほうがいい」と、アドバイスする。
終夜運転をしながら、どうやって線路や車両を効率的に管理し、安全性を保つかも重要な点だ。
MTAで、地下鉄の車掌や操車係などとして13年の勤務経験を持ち、現在はビジネスコンサルタントとして働くトム・スカーダ氏は、スタッフのスケジュール管理や安全性、車体や線路のメンテナンスに留意すべきだと指摘する。同氏によれば、ニューヨーク市では、24時間運行に影響が出ないよう、乗降客が少ない時間帯を選んでトンネルや線路の一部を順に閉鎖し、メンテナンスや清掃を「戦略的に」行う。
また、スカーダ氏は、「何段階もシフトを組んで時差勤務体制を敷くが、職員の疲労という問題も生じる」と指摘する一方で、「東京で終夜運転が実現すれば、レストランや劇場などが営業時間を延ばし、目に見える経済効果が現れるのではないか」と予測する。
とはいえ、米国同様、女性の乗客の安全性に加え、泥酔者の多さや残業の長時間化による過労文化悪化の恐れなど、日本特有の懸念もある。複線化の問題と併せ、東京が「グローバル都市」へと変貌を遂げるには、いくつもの関門が待ち受けていそうだ。
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肥田美佐子 (ひだ・みさこ) フリージャーナリスト
東京都出身。『ニューズウィーク日本版』の編集などを経て、1997年渡米。ニューヨークの米系広告代理店やケーブルテレビネットワーク・制作会社などに エディター、シニアエディターとして勤務後、フリーに。2007年、国際労働機関国際研修所(ITC-ILO)の報道機関向け研修・コンペ(イタリア・ト リノ)に参加。日本の過労死問題の英文報道記事で同機関第1回メディア賞を受賞。2008年6月、ジュネーブでの授賞式、およびILO年次総会に招聘され る。現在、『週刊東洋経済』『週刊エコノミスト』『ニューズウィーク日本版』『プレジデント』などに寄稿。ラジオの時事番組への出演や英文記事の執筆、経済・社会関連書籍の翻訳も行う。翻訳書に『私たちは"99%"だ――ドキュメント、ウォール街を占拠せよ』、共訳書に 『プレニテュード――新しい<豊かさ>の経済学』『ワーキング・プア――アメリカの下層社会』(いずれも岩波書店刊)など。マンハッタン在住。 www.misakohida.com
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