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オリバー・ストーンとマイケル・ムーアで1万人の護憲集会を打つ
参院選まで残りあと2か月。都議選まで1か月。都議選の投票日の6/23までの間に、憲法96条改定に反対する1万人集会を打つ必要がある。都議選は参院選の前哨戦であり、当然、この問題に有権者の関心が集まり、事実上の争点になるだろう。96条改定の是非を先行的に問い、安倍政権の信認を問う選挙になると予想される。1か月間の準備で1万人集会を成功させること、そして、96条改定に反対する国民の意思をマスコミに示威すること、それは、そんなに難しいことなのだろうか。小森陽一が新聞に漏らした発言を聞くと、悲観論や消極論ばかりが色濃く出ていて、課題に挑戦しようという前向きな闘志が感じられない。それは残念で不満なことだ。9条の会は、まさに護憲リベラル勢力の前衛のはずだ。今、最も危機感と使命感に燃えて、活発に運動していなければいけない集団である。地方紙のほぼ全てが、社説で96条改定に反対の声を上げ、安倍政権の改憲の動きに抵抗の論陣を張っているとき、9条の会の事務局長たる者が、無力感を漂わせた弱気な愚痴をこぼすようではどうしようもない。むしろ、現在は護憲派の好機であり、国民の関心が憲法に向けられ、憲法の精神や制定過程に注目が集まっているときだ。マスコミや出版の世界を制圧している右翼的な現憲法否定の言説や俗論に対して、正論で対峙し反撃すれば、国民が耳を傾けてくれる論争のときである。闘いのときだ。


全国の地方紙の論説が96条改定を不当だと断じ、反対を明言したことは政治的に大きいだろう。また、新聞社の世論調査で、96条改定に反対が多数と出て、安倍晋三の公約に逆らう状況になっていることも、政治的にきわめて大きい。だが、世論調査は時間と共に変わるし、マスコミ(特にテレビ)が、昨晩(5/8)のプライムニュースのような精神注入棒の一撃を加え続けて行けば、常識の心理が次第に麻痺することは屡々あることだ。フジの強気で過激な洗脳工作を見ていると、安倍晋三は7月の参院戦で改憲の勝負を決める予定を崩していない。今後、フジに続いて、NHKでも同じ絨毯爆撃が仕掛けられ、現憲法の「左翼性」が宣伝され、現憲法を貶下する意識を強引に刷り込み、96条改定を正当化する世論の増殖が図られるだろう。考えてみれば、改憲派にとっても今は最大の好機であり、この機会を逃せば、再び長い雌伏を余儀なくされることになる。安倍晋三の「人気」は、改憲派にとっての天佑だ。地方紙の社説をサポートし、現在の世論の賛否比率を証明するのは、市民の集会とデモである。数字の規模と絵の説得による示威だ。昨年の反原発の運動で示したような、市民のリアルでフィジカルなパワーである。日本の改憲を危惧する韓国やアジアの人々も、日本でその政治が発現されることを期待しているだろうし、日本の右傾化に警鐘を鳴らしている欧米の報道記者も同じ心境だろう。

今から7年前の2006年、やはり改憲の気運が高まって危機的な状況になったときだが、そのときの5月、ブログで護憲運動のための幾つかの企画を提案したことがあった。「ネット企画としての5・3憲法デイ」とか、「ビッグネ-ム・オルグ」とか、「中島みゆきに九条の歌を」とか。遠い昔のことのように思え、振り返って若かったなと思う。最近は、イマジネーションを溌剌と具体的な形に描き、意気軒昂に提案をするという作業をしなくなった。そのような中身の記事が消え、何か寂しい気分になる。それから2年後の2008年、幕張メッセで「9条世界会議」なるイベントが催され、5/4-5/6の3日間で2万人の参加者を集める出来事があった。有料の事業イベントだ。2006年のブログのアイディア・ラッシュが、誰かにヒントを与えて「9条世界会議」のプロデュースに至ったのだろうなどと邪推するのは、おこがましい妄想だし、無名の者の僻みに違いない。いずれにせよ、2008年5月に実現したこの祭事は、構想と準備に1年以上かかっていて、2006-07年の、安倍晋三がこの国を統治していた時代の改憲の危機感から発生したものであることは確かである。企画が現実になったとき、すなわち2008年は、前年に安倍晋三が参院選で負けて失脚、ハト派の福田康夫に政権が移り、改憲の危機は過ぎ去っていた。今、こういう、夢のある(と言えば自画自賛が過ぎて鼻を摘むが)プランを着想し、ネットでラフを公表し、何がしか人を刺激してインスパイアの起点になる者がいない。

さらに余計な毒口を叩けば、この頃、ブログを誹謗し、「9条世界会議」を宣伝して動員に躍起になっていた左翼系の面々は、悉くネットの言論世界から消え去り、死に絶えた。右翼によって一掃された。今、私は昔のような無邪気な気分で「企画」も「提案」もできないが、結局、同じことだと思うのだ。改憲が現実に迫り、危機感と緊張感が横溢した今年の5/3、本当なら3500人ではなく7000人を日比谷に集めなくてはいけない。高齢化も分かるし、運動の担い手不足も分かる。しかし、いつまでも縮小再生産のルーチンワークではいけない。言い訳ばかり言っていてもいけない。96条改定反対、改憲反対の集会を打ち、そこに1万人を集めることはできる。それは、基本的にイベントのプロモーションであり、集客バリューのあるキャラクターを揃えるということに尽きるだろう。事務局のセンスとリクルートの問題だ。5/3の日比谷の護憲集会は、志位和夫と福島瑞穂が看板のルーチンイベントだから、3500人も集まれば御の字だった。さて、私なら誰で集客するか。オリバー・ストーンを呼ぶ。マイケル・ムーアを呼ぶ。ジョン・ダワーを呼ぶ。チョムスキーにも声をかける。ベアテ・シロタの娘のニコル・ゴードンも呼ぶ。「もうひとつのアメリカ史」を制作したオリバー・ストーンには、ぜひ日本国憲法論と9条論を聞いてみたいし、メッセージを発信してもらいたい。この5人が壇上に並んだ図は壮観だ。壮観だが、日本国憲法にはそれだけの価値がある。この憲法の改廃は世界の良心の問題だ。

米国人のパネルがメインで第1セッション。司会は誰がいいだろう。きわめて重要な人選だが、土井香苗を推薦したい。岩波のサイトで、「憲法9条は私の恩人です」と言い、9条擁護論を述べている。前に、日中関係の記事で峻烈に批判した土井香苗だが、何と言っても才色兼備で、こういう大舞台に抜擢する適材として有効な要件(年齢・性別・学歴・職業・経験)を持ち合わせている。国内からは誰を呼んで話をさせるか。美輪明宏を呼ぶ。吉永小百合を呼ぶ。菅原文太を呼ぶ。井筒和幸を呼ぶ。鈴木敏夫を呼ぶ。山田洋次を呼ぶ。この6人、国内の文化人で第2セッションを構成する。司会は田中優子でいいだろう。この6人だけで1万人の集客は十分に可能のように思われる。最後に政治家の第3セッション。野中広務、河野洋平、鳩山由紀夫、孫崎享、浜矩子、鳥越俊太郎。パネルの司会を堤未果にして、川田龍平を護憲で登壇させられるなら、サプライズで飛び入りさせるという演出もある。考えていくと楽しいものだ。鳩山由紀夫が96条改定反対の立場をコミットするなら、この機会に出番を与えて目立つ場所で発言をさせてやりたい。鳩山由紀夫の南京訪問は立派であり、実に勇気ある政治家の行動だった。日本のマスコミと右翼は袋叩きにしたが、本当は、平和憲法を守ろうとする国民は、鳩山由紀夫に拍手を送り、夫妻の労をねぎらわなくてはいけないのだ。この機会に名誉回復をさせ、光の当たる政治の表舞台に引き出してやりたい。以上、思いつくところを書き並べてみた。

無論、三つのセッションはIWJが中継する。岩上安身が事務局になり、堤未果と土井香苗と協力して準備を進めるという図もある。こうした集会イベントは、1か月半以内(6/23まで)に実現可能だろうか。私は可能だと思う。第3セッション(政治家パート)は、単発ならすぐに打てるだろう。第2セッション(文化人パート)も、開催に何か困難や障害があるとは思えない。出演を依頼して、了解の返事を得るだけだ。出演者の快諾を受け取り、日程と場所を押さえた時点で、どんどん情報を発信していけばいい。こうした集会の告知と案内こそが、そしてネットでの周知と議論こそが、96条改定阻止の政治の推進力になる。会場を屋内にするか屋外にするか、どこを選ぶか、三つのセッションを同じ日にするか分けるか、有料でやるか、このあたりはイベントのプロが検討して即断すればいい。できれば屋内の方がいいと思うが。ポスターやキャッチコピーも作りたい。公式サイトは当然作る必要がある。ベアテ・シロタの遺影(1945年の写真)をシンボルにして、それを統一的なコンセプト・アイコンにするのがいいだろう。集会なりセッションなりの冒頭は、必ず全員でベアテ・シロタに黙祷を捧げ、司会が追悼の辞を読んでスタートする方式がいい。その方が盛り上がる。護憲では人は集まらない、護憲派は高齢者ばかりで若い世代がいない、護憲派はどんどん先細っている、そう言い訳と悲観論ばかり言っている者たちは、自らの最後の想像力と行動力をふりしぼって、どうすれば人を集めることができるか考えるべきだ。

7年前、私のアイディアや提案を揶揄し罵倒していた左翼たちは、ここまでネット世界が右翼に制圧された現時点でも、抵抗する言論を吐こうとせず、黙ったまま傍観を決め込んでいる。週刊金曜日を買い、岩波の世界を買い、本を買い、集会に出かけ、満足で快適な毎日を送っている。7年前を思い出して、好きなだけ嘲って叩き、そしてパクればいい。肝心なのは大きな集会を打ってモメンタムを作ることだ。政治戦に勝つことだ。


by thessalonike5 | 2013-05-09 23:30 | Trackback | Comments(2)
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Commented by nyckingyo2 at 2013-05-09 22:18
海の向うから、憲法をめぐる最近の日本社会の動向に、心からの危惧を抱いています。
憲法は当時のアメリカの叡智と日本の叡智が生み出した人類の傑作ですから、もう一度現代のアメリカの良心を呼び集めて「9条世界会議」を開くアイディアはすばらしいと思います。
生前ベアテさんがくり返したいたように「憲法は日本だけのものでなく、世界人類のもの」です。
日本の地方新聞からの、阿部政権への猛烈な反発は、似非グローバリズムに毒されたアメリカ至上の「国際の声」ではなく、世界の「地方の声」を聴け、と受け取りました。

世界の良心がこぞって参加する世界運動として、日本から発信すれば、奇妙な時期のオリンピック誘致など比べようもないすばらしい運動になると信じます。それこそいま、このときに日本がリードするべき平和大会です。金魚

Commented at 2013-05-10 01:10 x
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