2013年05月09日 22時00分02秒 posted by uruseiblog

イエスの究極の戒律

テーマ:ブログ


昼間に外に出てきましたが
どうやら寝不足も続いているようです。


電磁波刺激から一時的に開放された時に気がつきました。


要するに電気的刺激が強いためか眠りを制御されていて
深い眠りにつけていないのです。


脳機能の司る心の意識はなくしている状態で
夢を見せられたり脳を汚染されたり、


意識送信と言う事で妙な意識を受けこまれているらしい事が
想像できます。


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XX @XXX 12時間
仄めかし、アンカリングで非現実を体験させターゲットにスイッチ
(条件付けされた数字、音、光、動作、言葉など)を仕込む。
たとえターゲットが監視されていない場合でも刷り込まれたスイッチが
条件付けされた数字を視界に入れるなどのきっかけで作動する。
非現実を再起動。錯覚…


XX @XXXX 1日
2時間程前くらいから情報処理ができないというか
目の前の物に集中できない状態。
ホントにこれなんなんだろう。落ち着くまで待ってみる。


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集中力散漫状態は私が散々体験しています。


連休中は頻繁に集中力散漫となり
記事がろくに書けなかったと言う言い訳なのですが

原因の一つは勿論脳への関与です。


延髄からの延長で右脳と左脳の中心に
激しく電気的刺激が入り込み
それが頭頂部付近でとまっていたのですが


それが集中力不足の原因でもありました。


脳りょうなのか、松果体なのか偏桃体なのか
その組み合わせなのかは不明ですが
いずれにしても脳の重要な機能がこの辺に集中しているようです。


ここ数日は寝ている時に見た夢で
自分の脳に何が施されてるかが判ります。


目が覚める直前に見ていた夢を覚えている事が幸いしているようです。


昨日は脈絡もない、つまらない夢を見たことを覚えています。


学校の様な背景で私はそこの生徒らしい印象でした。


覚えているのは、机を廊下に締め出された事に腹を立てた私が
他人の机の上を歩き回ると言うものでした。


現実の自分では怒りの対象にもならないような事象に腹を立て、
現実には絶対にありえない事を夢の中では実行していた事になります。


そして悪魔達はそれを覗いては
それが私の実態だとでも言いたいのかもしれません。


他人を陥れるためには脳までいじり
感情や思考操作までしている悪魔たち。


夢の効果の中には記憶の整理と言うものもあります。


作り上げた夢を元に意識や記憶を組み立てる事が出来るかどうかは不明ですが
この人間達は他人の夢まで利用しては
脳汚染や印象操作に利用しているらしい事だけは判ります。


人が生きていくために一番大切な他人の脳を弄り回す。
こんな輩を放置して置いて良いのでしょうか。


日本中の誰もが私のような目に遭う可能性があるのです。


精神状態を落とされたり、価値観や意識を変貌されたり
記憶を消されて、感情まで操作されます。


視覚・聴覚・味覚・嗅覚にも
すでに影響が出てきています。


脳機能障害だって有り得ます。


現に私は延々と脳機能を壊されてきた気配があります。

(それを回復してくれている人間もいるようなのですが)


私達にとっての不運は
せっかく作り上げられた高度な科学力を
道徳心のない人間達が中心になって利用している事だと思います。


自己の利益や満足や保身のためにそれを利用する人間が
精神的な進化を果たしているわけがないのです。


科学の進化と精神的な進化の伴わないこの社会の実態が
今のような社会を作り上げてきた。


アトランティスやレムリアでさえ人間はもっと精神的に
進化していたらしい事がアダムスキーの著書からも伺えますし
そんな文明ですら終焉を迎えたのです。


ハイテクを使用してのエゴのための争いによってです。


このままでは、この社会の行く末は決まってしまいます。
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信じてはいけないのは霊能者の予言です。


自称霊能者が地震を予測する?


霊能力を持っていると主張する事は
その時点で半ば自分が詐欺を実行している事を
認めるようなものです。


私が繰り返しているように幽霊など存在していないのですし
霊能力があるとすれば、それはテレパシーに集約されるからです。


(テレパシー能力が本当にあったとしても
地震発生を予知できるほどのものであれば
もっと多岐にわたる能力を持っていそうな物です)


そしてこの人間は闇政府得意の太陽フレアにまで触れています。


この人間は信頼できる情報発信元では有り得ません。


つまりは闇政府の中には
「今日地震を引き起こす予定がある」と語っている人間達がいて
この人間はその予定を、


霊能力や予知能力の振りをしては
予言として語っているに過ぎないと思います。


この人間の地震の発生予言と、
工作員の私への身体攻撃強化が頻繁に連動するのですが
それは只の偶然なのでしょうか?


最近は”予言”こそしませんが
私達も以前は頻繁に地震を当ててしまっていましたね。


と言って私達が彼らの策略を妨害している事への腹いせを

彼らが実害のない範囲で実行しているわけでしょうし、


多くの有識者の牽制の効果で
それらは実害のない地震に収まっていたのだと認識しています。


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予知--福島大地震は今夜か?
予知--福島大地震は今夜か?


 おはよう


 いつも通り、朝起きて、テレビをチェックして、朝食をとった。
そして、大地を感じるべく散歩した。今日は、私にとって運命の日。
日本にとっては、ただの凡庸な一日か、それとも苦難の日かを調べるために。


 足元から感じた今日の感覚は、明るい微細なものだった。
黒い微細な感覚だと、西日本のM6以上。
明るい微細な感覚だから、初めてだからわからない。


微細な感覚が強い地震の前兆と考えると、
今日明日にでも東北沖の大地震もありうる。


福島沖大地震--- 311以後最大の余震。廃炉の事故が懸念される。


時期--5月9日夜。
規模--M7.4-8.4、福島は震度7、宮城県は6、関東は5-6。


被害--建屋が一部崩落、廃炉の爆発。新幹線、在来線、東京地下鉄の脱線。


マンション火災、電車停止。死者は3000人未満。
津波は低く、被害はわずか。


千葉県湾岸でガス・石油施設の火災。


サイン--円形大型建物の爆発、高い建物が赤らむ、水玉、
人が路上にあふれる、空中に光を放つアンテナ、脱線、カニの2足クレーン。


 防災--夕方から東北・関東は沿岸から離れる。
夜間、寒くても、家の外に出て待機すること。
マンションは火災の恐れがあるため、地震後は外に出る。
津波は低く、宮城県の沿岸のみ。


 科学的なデータは?


 昨夜からかわらず、明確な予兆がない。
地磁気に波がなくても、衛星磁場に波があるものだが、ない。

太陽フレアは何日も少なくて、
こんな日が続くと強い地震にいたるときはある。


茨城県の地電流グラフは、まっすぐなのがひっかかる。

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どの程度の的中率かは判りませんが
その規模は予言よりも小さかった事だけは想像できます。


皆の牽制と天使達の加護が
この社会を守り続けてきたはずだからです。


今日から明日にかけては新月です。


サタンの会派はどう動くか?


一番悪い人間達に騙され続けるのか
それとも。。。


闇政府の人間達が福島に拘る一番の理由は勿論福島原発でしょうね。


今度は日本に致命的な災害をもたらそうとしている?


掲示板でも日本が人が住めなくなるような状況に
追いやられると語る人間がいるのです。


私達はそんな想いを牽制しなければなりません。


HAARPに関しては気象変動関与的な動きに見えますが
一撃は別のハイテクですからそれだけでは判断できません。



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イエスキリストが一番大切な戒律として
聖書の中で取り上げていたのがこの一節でした。


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イスラエスよ、聞け。
我らの神である主は唯一の主である。


心を尽くし想いを尽くし力を尽くし
あなたの神である主を愛せよ。


貴方の隣人を貴方自身の様に愛せよ。


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これは戒律と言うよりは
そっくりそのまま私達の行動の指針となるものであり
そして私達の持つべき心の有り方である事は理解して頂けましたか?


私達がイエスキリストの語る例え話を受け止める時は
その言葉を額面どおり受け止める人間もいますが
その言葉から事の本質を学ぶ人間もいます。


前者は一の例えから一や二しか学べないかも知れませんが
事の本質を学んだ人間は一の例えから60も100も学ぶ事にもなります。


それは持つべき価値観と心の指針を学んだからであり、
持つ事になった意識は色々な事象に対して応用が利くからです。


そしてその持つべき心のあり方は
時代が変わろうと私達の文明が進化しようと
変わるものではありません。


それは思考をするにあたっての根底的な価値観になります。。


私達はイエスキリストの言葉から形式ではなくて
実質を学ぶ事が大切なのです。


例えば旧約聖書で「安息日を設けてその日は仕事を休みなさい」

と言われた時にそれを戒律とする事に関しても


それを額面どおり理解すると、


「週に一日お休みしなさいと主は語ったのだから休もう。
休みなしに働いている人間や安息日を設けない事は罪だ」


という意識を持ってしまいます


しかし安息日を設ける事の実質が、
例えば、人間は肉体疲労がたまる事で精神的にゆとりがなくなり
精神の進化の妨げになるからであるとか、


主人が働いていては家畜や奴隷が休むことが出来ず
それは彼らに負担のかかる事であるからと認識すれば、


私達がここで実質的に重視すべきは、
自分が労働し続ける事で疲労を伴う諸要素を
休ませなさいと言う事になります。


そしてイエスが”戒律”に関して語りたかったのは、
戒律とは”罪”を意識してそれを”罰”するための尺度ではなくて
戒律は人間がより良く生きるための指針であると言う事だと思います。


そしてイエスは短い言葉の中や例えの中で神の戒律として
多くの真理を語ってくれたのだと思います。


それは私達人間が、
自分の心の価値観を持って作り上げた戒律ではなくて


イエスというキリスト(真理)を語っていた人間が
私達に提示してくれた創造主の意志です。


そしてここでのイエスの二大戒律は
私達の意識のあり方、心の持ち方にも関わってくる


創造主の法=宇宙の法則を理解するために
一番大切な意識と言う事になると思います。

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以前にも記事の中で触れていますが
今日はイエスの教えを理解してくれる人間を意識して
もっと細かく説明してみたいと思います。


ここではイエスは二つの戒律を提示して
それが私達にとって一番重要だと触れています。


クリスチャンであれば誰もが知っているくだりで
おそらくは深く考えることなく読み流している箇所です。
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イスラエルよ、聞け。
我らの神である主は唯一の主である。


心を尽くし想いを尽くし力を尽くし
あなたの神である主を愛せよ。
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多くのクリスチャンはこれを額面どおり受け止めて
自分の主である創造主を愛していると表現し
それを賛美し奉る事になると思います。


ただ、ここでの”愛する”というその行為に関して
イエスは具体的には表現していません。


だから私達はここも額面どおり受け止めては
私達が通常”愛”と語っている内容を
実行しようと言うことになります。


まず私達が理解すべきなのは
ここでイエスキリストが言っている”愛する”と言う言葉は
一つには”創造主の想い”を一言で表現したものであること。


つまり宇宙の法則となっている四次元における創造主の意識は、
自らの創造物への溢れんばかりの愛情で満ちていると言う
そんな前提を含んでいると思います。


私達は創造主の分身としての魂を与えられた存在なのですから
それを受け止め自らも実践すべき事を私達に求めたとも言えます。


つまり私達に創造主の分身らしく生きるための指針として
神である主から学べと言っているとも受け止めれると言う事です。


そして愛すると言う事は一体どんな事なのかを、
自分が異性や家族を愛している時のあらゆる意識や行動を
ぜひ思い出してみてください。


私達は愛している者のために一体何をする事になるのかをです。


私達の社会の愛は通常は”無償の愛”ではありません。


例えば異性への愛の場合、
他人を愛する事で実は自分の心を心地良くしている
自分の意識に気がついていない事もあります。


時には愛情を与える事でその見返りを望む事もあります。


自分が愛情を注げば
その愛情をそっくり返して貰えると言うそんな期待もあるでしょうし

他人を愛していることが心地良いと言う側面もあると言うことです。


ただ、イエスキリストは私達のそんな実態を理解した上で
神を愛しなさいと語ったのですから


私達がイエスの言葉から学ぶべきは、
私達が通常愛というものを語った時にそこに付随する
あらゆる要素を想定していたのだと認識できます。


他人を愛している時の自分の事を思い出してください。


その人間を意識して
自分は一体どんな行動をとっているか何を考えているかと言う事をです。


愛の対象となっている人間を尊敬するかもしれませんし、
その人間の生き方をまねようとするかもしれません。


その対象に自らも愛されるために自分の事を変えようと
思う事もあるでしょう。


その対象に対して何かをしてあげたくて
時には贈り物をしたり、何かと気遣ってもあげると思います。


その相手の事を尊敬しているかもしれませんし
その相手の事をもっと深く理解したいと思うかもしれません。


日々の生活が、その相手の存在が大前提として
動き始めるかもしれません。


もちろん時には「愛してるよ」と言葉で表現するかもしれませんし
愛する相手のことを賛美して作曲でもするかもしれません。


いずれにしても心の中は
常にその相手への想いで一杯だと思います。


私達は誰かを力を込めて想いを込めて愛した時には
自分中心の想いであっても
その行動は相手の事を思いやったものへと変わるのです。


そしてそんな恋愛対象や家族を愛する様に
創造主を愛しなさいと言っているのが
ここでのイエスの言葉だと思います。


「心を尽くし想いを尽くし力を尽くし」


と似たような表現ではありますが繰り返しているのは
それほど強い思いを創造主に対して寄せなさいと言う事だと思いますし


私達が”愛する”と言う意識が先述のような意識であると考えれば


私達が創造主を愛する時には日々の行動や生活の中で
常に創造主を意識していなければならないと言う話にも
繋がってくるのだと思います。


私達は異性を愛すると言う体験の中で
それを感じているはずです。


寝てもさめても相手のことが頭から離れない。


その相手を喜ばせたくてその方法を考えてみたり
愛する対象と出来るだけ長く一緒にいたいと願うでしょう。


相手の事をもっと色々知りたくてたまらない
そんな意識にも駆られるはずです。


自分の事を愛して欲しくて、
相手が何を望んでいるのか自分はどんな人間でいれば愛されるのかなどと
いろんな事を思考したのではないでしょうか。


イエスキリストが神を愛しなさいと言っているのは
まさにそんな意識を持って神を意識の中心に据えて
暮らしなさいと言っているのだと思います。


そしてそれを具体的に表現すれば、


創造主の事を常に意識して行動し、創造主の想いを理解し、
創造主の想いに叶うような存在になるように勤めなさいと言うことになります。


イエスキリストが語っていた「神を愛せよ」と言う言葉は


私達が単に「神様私は貴方を愛しています」
と表現するような簡単な物ではないはずです。


この戒律は、私達の心のありかた意識を向けるべき方向まで規定する
大きな神の戒律だと思います。


額面どおり受け止めるのではなくて
その言葉の実質を理解しようとすれば、


私達は、ここでイエスが私達に求めているのは
持つべき意識のあり方だと気がつきます。


私達は誰もが四次元空間に存在する創造主の残留思念であるエネルギーの一部を
魂として持っている存在です。


私達は誰もが創造主の分身であり父の子なのです。


父の想いを表現するために与えられた、
仮の器に過ぎない肉体とそれを司る心(脳機能中心)が
元々の父の意志でもある私達の魂を無視して勝手に生き始めた為に


今では創造主の存在すら感じる事が出来なくなって
本来あるべき存在とはかけ離れていますが
私達の実態は間違いなく神の意識の一部です。


イエスの「創造主を愛せよ」というこの言葉は、
結局は神の分身である私達の魂を意識するようになって
その生き方を変えなさいと言う意図の現われだと言えます。


ブラザーズの一人が言っていたのは
地球社会の愛は得てして所有欲を含む物となっていると言うことでした。


創造主の想いとしての愛は
尊敬と信頼と理解を含む意識だという話でもあります。


そして言うまでもなくそれは万物に対して無償で
しかも分け隔てなく与えられるものでした。
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そしてイエスキリストが私達に提示した
もう一つの戒律はこちらでした。


「貴方の隣人を貴方自身の様に愛せよ。」


こちらは一つ目の戒律と併せて
私達の意識の持ち方に関わってくる”神の戒律”だと思います。


宇宙の法則を理解している人間には
イエスの教えは、宇宙の法則がその根底にある事がわかります。


宇宙の法則では、
私達は誰もが創造主の被造物であり創造主の分身です。


私達は創造主の三次元における調和の世界の創造という意志を
三次元で実践するために、
仮の器としての肉体を与えられている存在ですが、


その器の持つ機能のおかげで自分と他人を区別する事も
自分を自分であると意識する事もできます。


心を持たない植物と私達はここで大きく異なる事になります。


そして心を意識すれば、他人と自分は区別され別の存在となりますが


一方、魂を意識すれば
私達は誰もが同じ創造主の意識の一部である事にもなります。


そして本来、自分と他人、そして人間と万物の間には
垣根は存在しない事になります。


誰もが魂という実態として創造主の意志を持っていて、
それを三次元において元素を持って表現している存在だからです。


しかし私達は現実社会において、
この器の心にばかりとらわれるようになり
創造主の意志を忘れ一人歩きしています。


結果、私達は誰もが自分と他人を別の存在と認識し
人間と万物を別のものであると認識し、


一方では自分の事ばかりを愛し意識の中心は自分の心となっていますが、
万物や他人への信頼感や尊敬感を失っています。


イエスキリストが私達に求めたのは、


自分は個ではなくて神の意識全体の中の一部であり
そして誰もが同じ創造主の一部として存在しているのだから


自分を尊敬し愛するのであれば
他人や万物も同様に愛さなければいけないのだ


と言う事だと思います。


勿論、大前提は創造主の法です。


地球社会の中の好戦的で、争いや分裂を当たり前としている人間達に対して


「愛し合いなさい」と語ったがために
イエスの言葉は”究極の奇麗事”とされてしまってますが


もしも戦う事を良いと看做さない人間達の社会がこの地球に残っていれば
その教えから学べる事も少なくはなかったと思います。


ブラザーズは他人を見ると
そこに創造主を見ているのだと言う話でもありました、


他人も自分も創造主の分身であり
同じように尊敬されるべきなのだと言う意識が
ここでのイエスキリストの真意だと思います。


宇宙全体、地球全体、といった私達が本来意識すべき全体を意識することなく
常に自分を真ん中に置いて
意識を伸ばす事になっているのが私達です。


そしてその意識する範囲はとても狭いのです。


でも私達は本当であれば心を持って自分を意識するだけではなくて
その魂を持って全体をも意識することが求められているのですから
私達はその本質に戻らなければならないと言うことだと思います。


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この戒律の始めに
「我らの神である主は唯一の主である。」
とイエスが語っています。


クリスチャンやイエスを信頼する人間は
ここを読むことで、


「自分達の神が正しい神なのだ」


と喜ぶ事になるのかもしれませんが


そうではなくて、
イエスは当時、多数の神が奉り崇拝されていた時代である事を
理解したうえでそれを背景として、


「私達が信仰すべき神はこの宇宙を作り上げた
唯一の神としなければならない」


と自分を信頼してくれた人間達に語っていたのだと思います。


当時は世界中で多くの民族が独自の神を奉っていたでしょうし
その殆どがおそらくは大元は人格神であったり
人間が作り上げた神であったであろう事も想像できます。


でもそんな人格神や人間の作り上げた神々は
この宇宙の法則を作り上げた創造主ではありません。

(中には創造主を表現した神も混ざっているのでしょうが)


だからこそイスラエルの民が信仰すべきは
宇宙で唯一の創造主だ
と語っているのであって、


「イスラエルの民のための神が真の神だ」


と言っているのではないと思います。


そしてその人間がどんな神を信仰しているのかは
その人間の行動に現れることになります。


宇宙の創造主を信仰しているのでれば、


創造主は私達に自分に似ること、
地球社会に調和と進化を齎す事
そして自分の意志を実践する事を求めているのですから


私達はそのように生きるはずです。


そしてそこには戦争や争いや差別意識は存在してはいません。


そしてイエスキリストはイスラエルの民に対して
「宇宙の創造主」こそを神として信仰する事を勧めていた。


それはイスラエルの民が作り上げた神ではなくて
ユダ王国時代からのヘブライの民が従っていた神でもなくて


イスラエルの民が信仰すべき真の神として
イエスによって提示されたのだと思います。


繰り返しますがイエスの語った父なる神は人格神ではなくて
宇宙の創造主だと言う事です。


特定の人間や民族のために存在し
その民族を優遇してくれる神ではなくて


地球社会そして宇宙空間のすべての法則を
作り上げてくれた存在です。


どんな宗教を信仰していたとしても、
その個人が想っている神が宇宙の創造主ならば


私達はその創造主の求めるような存在になろうと
勤めるはずです。


同じ宗教を信仰しているとしても、
その意識が向いている場所が異なれば
実は同じ神を信仰している事にならないのかもしれません。


だから同じ組織の中であっても
ある人間は記憶を持った転生へと向かい
ある人間は魂の滅亡へと進む事になるのだと思います。


良い木に悪い実はならない。


創造主を信仰している人間の想いは
創造主に似るのです。


そして私達の想っている神がイエスの創造主であれば
私達はその意志を実践しなければなりません。


天使達は地球社会は神を信じているだけで
その想い(法則)を実践してはいないと言っていました。


もしも私達がその想いの片鱗でも理解できて実践できれば
地球社会には戦争などなくなるだろうとも触れていました。


軍事産業をまとめて宇宙産業へと移行する事を提案した
天使達のその想いを

この社会は踏襲する事が出来ないのでしょうか。


私達が信頼して理解して実践すべきは創造主の法です。


この社会の誰もが創造主を自分の父と認めてくれる様に
私や兄弟姉妹そして理解者は父への道標となる事を心がけたいです。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】


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