2006/7/16 1:28
ツール・ド・フランス2006現地レポート第11ステージ by綾野 真
メンショフとランディス ツールは2人に絞られた?
ピレネーの名所、超級カテゴリーのツールマレー峠(2115m)を越え、さらに4つのカテゴリー1級山岳の峠をこなす。今ツール初の上りゴールとなるこのステージは、予想通り個人総合を狙うエースの選手同士の闘いになった。
まだ勝負が決まるには早いと思われたこの峠で、脱落者が続出。とくにチームでの動きに注目が集まるディスカバリーチャンネルは遅れる選手が目立った。2005年ジロ覇者のサヴォルデッリ、優勝候補の一角をなすポポヴィッチ、スペインゴールのこの日にファンの期待が集まる"チェチュ"ルビエラや、エゴイ・マルチネスも苦しんで、とても何かができる雰囲気ではなかった。
マヨ(エウスカルテル)も早々に遅れ、とうとう峠を越えることなくツールを去った。バスク人たちに諦めムードが走る。ホテルの空調不良が原因で喉を痛めていたとのこと。ヨーロッパのホテルはエアコンがないことが基本であるうえ、もしあっても調整が利かないことが多い。そのうえ乾燥していることもあり、とくにアメリカ人選手などが不満を漏らす要因になっている。スペイン(バスク)人のマヨさえ犠牲になってしまった。
スペイン領となるプラデベレの頂上付近こそが、バスク人たちのハイライト。コースを埋め尽くすオレンジの洪水。それに加えてスペイン系の選手たちの応援団がそれぞれに陣取り、独自の応援を繰り広げる。出身地に近いアスタルロサ、デラフエンテ、マルチネス、イサシなど、応援Tシャツも様々だ。
この上りの最後の九十九折れに先頭集団として現れたのはランディス(フォナック)、メンショフ(ラボバンク)、ライプハイマー(ゲロルシュタイナー)、エヴァンス(ダヴィタモン・ロット)、サストレ(チームCSC)の5人。アメリカ人2、ロシア人1オーストラリア人1、スペイン人1の5人。スペイン人といってもサストレはバスク地方の出身ではないため、観客たちを十分喜ばすことはできなかった。
ここまで素晴らしい働きを見せたのはラボバンクだった。ボーヘルトの引くハイペースはメンショフを助け、クレーデン(Tモバイル)を落とし、シモーニ(サウニエルドゥバル・プロディール)ら何かしたいと思っていた山岳スペシャリストたちを寄せ付けなかった。
アタックを見せたライプハイマーは、すでに個人タイムトライアルで大きく遅れているためステージ優勝が欲しい。それ以上にふがいない結果に留まっている自分への不満をぶつけるかのようなアタックだった。
ラスト4kmでランディスが先頭をキープし、ペースを保つ。ランディスはここまでボーヘルトらラボバンク勢の積極的な動きに身を任せてきた。フォナックはチーム力で劣る面があるため、他力本願の走りにならざるを得ない。
勾配の緩い上り斜面。ハイペースにサストレとエヴァンスがたまらずドロップする。ジロ・デ・イタリアでバッソを助けてきたサストレのクライミング能力も、ランディスらのハイペース走の前に打ちのめされた。
ランディス、ライプハイマー、メンショフの3人のゴールスプリントはメンショフがとり、ラスムッセンとボーヘルトのアシストに応えた。ライプハイマーは後続を大きく引き離したこのタイム差をもってしてもトップ10入りさえできなかった。
ランディスとメンショフ。ツールの優勝候補としてこの2人が大きく浮上した。勾配の厳しい坂ならサストレにもまだ可能性があるが、クレーデンとエヴァンスを振り切ったことは2人にとって大きな安心材料になる。
ディスカバリーチャンネルには最悪のステージとなった。アゼベドの15位(4分10秒遅れ)を最高に、ポポヴィッチ26位(6分25秒遅れ)、ヒンカピー(21分23秒遅れ)サヴォルデッリ(23分04秒遅れ)。言われ続けた「誰がアームストロングの替わりになるのか?」の問いの答えに近づいたのは、他のチームのアメリカ人ランディスだった。
ディスカバリーチャンネルにとってダメ押しの良くない出来事はレース後に起こった。観客の間を縫って逆送し、麓のホテルへと下るサヴォルデッリが飛び出した観客と衝突。転倒して目の上をぱっくり切るケガを負った。
ランディスはペンシルバニア州ランキャスター郡出身。厳格な思想をもつメノナイト派の家族のもとに生まれた。4人の姉妹とひとりの兄弟、じつに6人兄弟の2人目。アナバプテスト(再洗礼派)に源を持つというメノナイト派とは、聖書を重んじ、神以外に自分に栄光をもたらすような行為を一切禁じ、テレビ観賞まで禁の対象という禁欲的な宗派。ランディス自身は15歳でマウンテンバイクに乗り始め、夢中になったことで忠実な信徒ではなくなったが、家族は今も戒律に忠実な暮らしを送っているという。
「あなたのお母さんは宗教上の理由でテレビを観れませんが、特別に観ているということはありませんか?」との問いには
「母はテレビを観ることができるよ。父がテレビなしの生活を選んでいるだけなんだ。
ツールの最終週にはフランスに来て実際に
レースを見てくれるんだよ」と答えた。
ツール・ド・フランス2006 第11ステージグラフィックス
photo&text:Makoto.AYANO
まだ勝負が決まるには早いと思われたこの峠で、脱落者が続出。とくにチームでの動きに注目が集まるディスカバリーチャンネルは遅れる選手が目立った。2005年ジロ覇者のサヴォルデッリ、優勝候補の一角をなすポポヴィッチ、スペインゴールのこの日にファンの期待が集まる"チェチュ"ルビエラや、エゴイ・マルチネスも苦しんで、とても何かができる雰囲気ではなかった。
マヨ(エウスカルテル)も早々に遅れ、とうとう峠を越えることなくツールを去った。バスク人たちに諦めムードが走る。ホテルの空調不良が原因で喉を痛めていたとのこと。ヨーロッパのホテルはエアコンがないことが基本であるうえ、もしあっても調整が利かないことが多い。そのうえ乾燥していることもあり、とくにアメリカ人選手などが不満を漏らす要因になっている。スペイン(バスク)人のマヨさえ犠牲になってしまった。
スペイン領となるプラデベレの頂上付近こそが、バスク人たちのハイライト。コースを埋め尽くすオレンジの洪水。それに加えてスペイン系の選手たちの応援団がそれぞれに陣取り、独自の応援を繰り広げる。出身地に近いアスタルロサ、デラフエンテ、マルチネス、イサシなど、応援Tシャツも様々だ。
この上りの最後の九十九折れに先頭集団として現れたのはランディス(フォナック)、メンショフ(ラボバンク)、ライプハイマー(ゲロルシュタイナー)、エヴァンス(ダヴィタモン・ロット)、サストレ(チームCSC)の5人。アメリカ人2、ロシア人1オーストラリア人1、スペイン人1の5人。スペイン人といってもサストレはバスク地方の出身ではないため、観客たちを十分喜ばすことはできなかった。
ここまで素晴らしい働きを見せたのはラボバンクだった。ボーヘルトの引くハイペースはメンショフを助け、クレーデン(Tモバイル)を落とし、シモーニ(サウニエルドゥバル・プロディール)ら何かしたいと思っていた山岳スペシャリストたちを寄せ付けなかった。
アタックを見せたライプハイマーは、すでに個人タイムトライアルで大きく遅れているためステージ優勝が欲しい。それ以上にふがいない結果に留まっている自分への不満をぶつけるかのようなアタックだった。
ラスト4kmでランディスが先頭をキープし、ペースを保つ。ランディスはここまでボーヘルトらラボバンク勢の積極的な動きに身を任せてきた。フォナックはチーム力で劣る面があるため、他力本願の走りにならざるを得ない。
勾配の緩い上り斜面。ハイペースにサストレとエヴァンスがたまらずドロップする。ジロ・デ・イタリアでバッソを助けてきたサストレのクライミング能力も、ランディスらのハイペース走の前に打ちのめされた。
ランディス、ライプハイマー、メンショフの3人のゴールスプリントはメンショフがとり、ラスムッセンとボーヘルトのアシストに応えた。ライプハイマーは後続を大きく引き離したこのタイム差をもってしてもトップ10入りさえできなかった。
ランディスとメンショフ。ツールの優勝候補としてこの2人が大きく浮上した。勾配の厳しい坂ならサストレにもまだ可能性があるが、クレーデンとエヴァンスを振り切ったことは2人にとって大きな安心材料になる。
ディスカバリーチャンネルには最悪のステージとなった。アゼベドの15位(4分10秒遅れ)を最高に、ポポヴィッチ26位(6分25秒遅れ)、ヒンカピー(21分23秒遅れ)サヴォルデッリ(23分04秒遅れ)。言われ続けた「誰がアームストロングの替わりになるのか?」の問いの答えに近づいたのは、他のチームのアメリカ人ランディスだった。
ディスカバリーチャンネルにとってダメ押しの良くない出来事はレース後に起こった。観客の間を縫って逆送し、麓のホテルへと下るサヴォルデッリが飛び出した観客と衝突。転倒して目の上をぱっくり切るケガを負った。
ランディスはペンシルバニア州ランキャスター郡出身。厳格な思想をもつメノナイト派の家族のもとに生まれた。4人の姉妹とひとりの兄弟、じつに6人兄弟の2人目。アナバプテスト(再洗礼派)に源を持つというメノナイト派とは、聖書を重んじ、神以外に自分に栄光をもたらすような行為を一切禁じ、テレビ観賞まで禁の対象という禁欲的な宗派。ランディス自身は15歳でマウンテンバイクに乗り始め、夢中になったことで忠実な信徒ではなくなったが、家族は今も戒律に忠実な暮らしを送っているという。
「あなたのお母さんは宗教上の理由でテレビを観れませんが、特別に観ているということはありませんか?」との問いには
「母はテレビを観ることができるよ。父がテレビなしの生活を選んでいるだけなんだ。
ツールの最終週にはフランスに来て実際に
レースを見てくれるんだよ」と答えた。
ツール・ド・フランス2006 第11ステージグラフィックス
photo&text:Makoto.AYANO