<ハンセン病>患者遺体で骨格標本…戦前、旧熊本医大が作製
毎日新聞 5月9日(木)20時43分配信
熊本大医学部は9日、前身の熊本医科大が1927〜29年、九州療養所=現・国立ハンセン病療養所菊池恵楓(けいふう)園、熊本県合志(こうし)市=の入所者の遺体から骨格標本を作製していたと発表した。標本は第二次世界大戦中の空襲で焼失したとみられ現存していない。専門家は「遺族の承諾を得ていない可能性があり重大な人権侵害」と指摘している。【澤本麻里子】
ハンセン病を巡っては2005年に胎児標本が療養所などで保管されていたことが判明、国が謝罪している。菊池恵楓園入所者自治会は9日、園に対し遺体提供を裏付ける資料などの調査を文書で要請した。
熊本大医学部によると4月下旬に学内資料を調査した際、一般の解剖者名簿とは別に、ハンセン病患者だけの解剖名簿が見つかった。
1927〜29年に43体を解剖し、うち20体で骨格標本を作製したとの記載があり、遺体はすべて九州療養所の入所者だった。
熊本医科大病理学教室で助教授、教授を務め、後に日本病理学会長を務めた鈴江懐(きたす)氏(故人)が執刀したケースが最も多かった。解剖名簿には43人分しか記載されていなかったが、鈴江氏は51年に発表された京大の研究誌「皮膚科紀要モノグラフ」の中で、2年足らずの間に50〜60体の遺体を集め、その大部分で骨格標本を作ったと記述。「この貴重なCollection(コレクション)は、熊本大学を訪れる医学界の名士に鼻高々と供覧誇示したものである」としている。
31年には日本病理学会で頭部の計測について報告していたことも記載していた。戦災で焼失したと記し「完遂されていたならば世界でも比類のない珍しい貴重なData(データ)が出ていた」としている。
竹屋元裕・同大医学部長は「九州療養所と一緒になって進められたハンセン病研究の一環だと思う。骨格標本作製の経緯や患者、遺族の承諾書が残っているかなど恵楓園と連携して調査したい」と話した。
国のハンセン病問題検証会議元副座長の内田博文・神戸学院大教授は「当時、国内でもナチズムの優生思想が強まっていた時代で、骨格からハンセン病患者のなんらかの特徴を見いだそうとしていたのだろうが、感染症であり医学的にも妥当ではない。遺族の同意を得ていないなら死体損壊罪に問われる可能性がある」。菊池恵楓園入所者自治会の志村康会長代行は「50〜60体もの標本を作った目的は研究を誇示するためだったのではないか。こういうことがハンセン病への差別につながっている。医の倫理が欠けている」と批判している。
最終更新:5月9日(木)20時54分