268)米長、天皇に怒られる  トップページ

秋の園遊会で、棋士の米長邦雄が天皇陛下に怒られた。米長氏は東京都の教育委員をしている。天皇陛下に「日本中の学校で国旗を掲げ、国家を斉唱させることが私の仕事でございます」と得意そうに話しかけた。これに対し、天皇陛下が「やはり、強制になるということではないことが望ましい」とたしなめた。

今上天皇は1933年に昭和天皇の第一皇子として生まれた。満三歳で天皇、皇后のもとを離れ、東宮仮御所で育てられた。幼名は継宮。現在は明仁(あきひと)。 1945年、第二次世界大戦が終わったときは、11歳だった。学習院高等科を卒業。1959年、カトリック系の学校出身の正田美智子さん(現皇后)と結婚した。ハゼの研究者でもある。

私は天皇が背負ってきた過去や立場、身分を思うとき、天皇が「国旗、国家を強制させないでほしい」と願うことはごく自然なことだと思う。今回の言葉は、傾聴すべき見識だと思っている。

王政復古の大号令で朝廷(天皇)に政権が移ってから太平洋戦争が終結し国民主権に移行するまで、日本は戦争を繰り返す。戦争は「強制」なしには成り立たない。誰だって死ぬのも人を殺すのもイヤだ。それを手伝うのもイヤだ。しかし、イヤだイヤだでは戦争に勝てない。だから、国(行政)は国民を教育で「強制」に慣らし、その感覚を麻痺させる。

天皇は子ども時代、「強制」の経過と戦争の現実をつぶさに見たはずだ。「強制」と戦争が切り離せない関係にあることを、「強制」する側である戦争当事者の近くにいて思い知らされたはずだ。天皇は歴史の証人でもあるのだ。

沖縄の人々や被爆者たちの苦しみ、基地の問題、日韓・日中の歴史の問題……。それら戦争にまつわるすべての出来事は、戦争当事者の身近にいた今上天皇にとっては今も「自分自身の問題」なのではないかと推測する。だから、その人の口から出る「強制でないことが望ましい」という言葉は極めて重い。

全国の自治体で、学校の入学式や卒業式で日の丸を掲げ、君が代を起立して歌わされる。東京都では、従わない教職員が大量に処分されている。私は、天皇が教育現場の「強制」の蔓延に違和感を抱くのは当然なことだ、と思う。そういう天皇であるからこそ、私は天皇とその家族が嫌いになれない。むしろ、好きだ。

憲法で「天皇は…国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」(4条)とされる。そして国事行為も「内閣の助言と承認」が必要になる(3条)。つまり、象徴天皇制をとる現憲法下では、天皇の公的行為の責任は内閣にあると考えていい。そこで、今回の天皇の発言は、どう位置づけられるのか。

宮内庁の次長は「国旗・国歌法制定時の『強制しようとするものではない』との首相答弁に沿っており、政策や政治に踏み込んだものではない」と語っている(朝日)。政府や東京都も「一般論を言ったのだ」と逃げている。政府や東京都は君が代・日の丸問題で明らかに踏み外しているから、しらばっくれるしかないのだ。

多くの人が政府や東京都ではなく、天皇を支持している。奇妙な現象だが、これも民主制だ。

【2004/10/30】