あの震災から一夜明けた3月12日朝、被災地を取材するためヘリで岩手県陸前高田市の上空を飛んだ。破壊し尽くされた街。無我夢中で撮影していると、鉄骨だけになった3階建てのビルのベランダで人が助けを求めている姿が目に飛び込んできた。ヘリの燃料はあとわずか。必死でシャッターを押し続けるしかなかった。そして1カ月半。陸前高田市の避難所で偶然その人に出会った。
■壁を突き破った津波
その人は、菓子店「清風堂」の職人、松野浩二さん(42)。あの日午後2時半すぎ。3階で一人仕事をしていた。いつも通りの休憩時間がきた。「お茶が入ったよ~っ」。呼ばれて階下に下りようとしたら激しく揺れた。
大型冷蔵庫などが倒れないように必死で支えたが、揺れが収まったとき周りには物が倒れていて部屋から出られなかった。
「2月にニュージーランドで起きた地震の印象が残っていて、建物が倒壊するのではという恐怖でいっぱいだった」。ベランダに出て下の人に助けを求めようとすると、外は外で飛び出した人たちでパニック状態。やはり自力で下りよう。部屋に入ると再び揺れた。
「もうだめだ」
そう思ってもう一度ベランダに出たところで、あり得ない光景を見た。海岸沿いの名勝、高田松原の松が次々となぎ倒されていく。やがて数百メートル離れた巨大な市民体育館の壁が轟音を立てて吹き飛んだ。民家が転がるように流されていく。下の通りにはまだたくさんの人。車は渋滞で動かない。
とにかく下にいた人たちに上がってくるよう呼びかけ、3階に避難させた。しかし、水はあっという間に階の高さに達した。
3階の部屋に何人いたのだろうか。これでは危ないと思って屋根裏部屋に上がるための階段を下ろし、一人ずつ上がった。津波が外壁をたたき付ける大きな音が響く。ちょうど自分が上りきったとき、津波が壁を突き破った。
■ 偶然残った赤い服
「がれきのかたまりが突っ込んできた。目の前で社長の奥さんと息子さんが悲鳴を上げながら流されていった。助けられなかった」
助かったのは6人。もう一人の従業員と社長、近所の女性。それにたまたま店の前を通りかかった女性と高校生。
自衛隊らしきヘリが、消防署の鉄塔に避難していた署員らをつり上げていたのが、唯一目にした救助の様子。それを最後に夜を迎えた。
真っ暗闇。そして寒い。屋内で仕事をしていたので、たいして服も着ていない。屋根裏に戻って探すと、クリスマスに店頭に飾るサンタクロース人形を見つけた。真っ赤な服を脱がせ、身にまとった。
たまたま見つけたずぶ濡れの毛布に6人でくるまった。「何もかもが流されて、6人だけがぽつんと残された」。会話はない。
夜明けとともに、次々とヘリの音が聞こえ始めた。「屋上に出て手を振った。でも、みんな素通りしていく。まさか、こんな所に人が居るなんて思わないよね」
救助されたのは昼ごろ。気付いた消防団員が建物の周りに並んで目立つようにしてくれた。
■ 「今も信じられない」
記者が松野さんたちを撮影したのは午前8時すぎ。遠景写真を撮影中、赤い物が動くのに気づいてズームした。松野さんがサンタの服を着て帽子をこちらに振っていた。「ヘリが旋回し始めたので、気づいてくれたのかなと思った」と松野さん。しかし、燃料にも時間にも限りがあった。何もできなかった後ろめたさと悔しさがよみがえった。
6人の家族は、全員公民館に避難して無事だった。松野さんは消防団員。翌日から、捜索や遺体搬送に追われる日々を過ごしている。
「時間がたっても、あの日の状態からずっと同じ。朝起きて、高台にある公民館から出て下を見下ろすとがれきの山。ああやっぱりなあって。店に行っても夢のような、いや夢であればという思いで、何度も様子を見てる」。その店の再建もまだ望めない。
取材の最後に松野さんはこう話してくれた。
「写真を見ると自分が写っているのがいまだに信じられない。一歩間違えると、ここに写っていなかったから。でもこれを撮影した人と偶然出会って、今こうしてしゃべっている。縁ってあるんだな。動く体があるんだし、何でもやらないと」 (写真と文 写真報道局 門井聡)