「麦々堂2008秋-2012春」
- 2012/04/08 08:59
- Category: おみせのこと
入院中にFacebookに連載していました文章を、ひとまとめに致しました。
題して「麦々堂2008秋-2012春」。
一部加筆して御贈りします。後半に大幅追記致しました(2012.04.08)
プロローグ
パン屋を始めて20年。特にここ3年は病気があったり離婚があったり、いろいろ大変でした。ここ一年、信頼できる友人と家族、そして季里のおかげで、これからの道筋がつきはじめたところです。沢山の皆様から「なぜ?」と聞かれてもアヤフヤにして来たこと、これから書き進めたいとおもいます。むぎ(2012.03.31)
キャラクターのこと
キャラクターと看板のデザインは小樽・なまらやのがんこちゃんの作品。制作は札幌のなかちんが担当しました。
今のところ立て看板、足拭きマット、バルコニーのウエルカムボードのほかに、お店のチラシなどに登場しています。
思えば開店以来、決まったロゴマークを作っていませんでした。
以前キャラクターなどを描いていた接客担当の花房は、一昨年、結婚を機にめでたく退社いたしました。
それを機会に新しいキャラクターデザインの制作作業を始め、今回はじめてちゃんとしたロゴマークを決めました。
今後とも末長く付き合ってくださいね。復帰したらショップカード・商品シールもいっしょに直ぐに発表します。
因みにパンのパッケージも大きく変化しつつあります。
パンの個別ビニール袋をお付けするのを中止して三ヶ月。保存用の大袋の販売を始めて二ヶ月経ちました。
これからはビニールの手提げ袋の改善を進めて行きたいと思います。
皆さん、買い物カゴを持ってお店にきてください。
さあ、今週は天気の良い日を見つけて、バルコニーの大掃除をしましょう。
そろそろお外でお茶をいただける陽気の午後もちらほら。
僕らもお昼は、店先で和ませてもらいます。
では、今日はこの辺で。
次回は弟子・季里の紹介です。(2012.04.01)
お弟子さんのこと
20年間、公私ともにパートナーで、お店では販売担当だった花房が突然結婚することになったのは一昨年の冬。お店のキャラクターをデザインしたり毎月の通信を書いたりお店の顔として働いていただきました。彼女の個人的な活動、特に版画展のお手伝い(というか、事務仕事全般。ポスター・チラシ作りから場所によっては設営。作品のマスキングから梱包・発送。そしてオープニングパーティーのパンやお菓子の提供など)など手伝ってましたが。
僕も病気をしたし、田舎に家を建てたせいで借金もたくさんあってバタバタしていましたが、岳子and佳奈子の接客のお手伝いのおかげでどうにかお店を続けることができました。
で、春を迎えて。以前からお店を手伝ってくれていた季里っちが見事弟子入り。
新しいマダムとして麦々堂の顔となることになったわけです。
助産師からのいきなりの転身です。規則正しいとは言え早朝からの重労働。
一年後の今の姿を誰が想像したことでしょう。
今朝も一人で早朝製パン作業をこなしています。おまけに販売もこなしちゃうんだからさ。
追記:5月からは経理作業も分担しまーす。
ご存知の通り僕も彼女も、ここ数年であわただしく離婚と結婚を経験しました。
他にもいろいろなことを同時に進行してきて、さてそろそろ一服できるかな・・・というところでのアクシデント。
でも、こんな形でも一息つけたことは、ラッキーだったと思います。
あと一週間くらいで復帰します。ちょっとは落ち着いた麦々堂にご期待くださいね。
さて今日はこれから胃カメラ。これで最後ならいいな。
では、次回予告。
あの田舎の家はどうなったか!(2012.04.02)
田舎の家のこと
当麻町の知人の空き土地を整地して、道産落葉松材で家を立てました。追記:1996年頃です。
製材を始めてから完成まで4年はかかったかな。
親父の退職金からの借金と、売り上げをつぎ込んでね。
完成後は結局花房と二頭のラブラドールのアトリエという事に事実上なりました。
はじめのうちは毎週地主さんのお仕事手伝ったり、欠かさず宴会したり。
僕は家のメンテナンスとか庭の管理とか養蜂仕事とか、お隣の畑で遊ばせてもらったりとか、お店のお休みに出かけるくらい。
固定資産税だけは彼女が払っていたけど、水道光熱費はほとんどお店持ち。給料も払ってたんだけどね。
ま、共有財産ということなら、そこはいいんだけどさ。
ところがやっぱり、地主さんと彼女の人間関係が悪化。もともと土地の賃貸の契約なんかしてないし、土地の賃貸料も払ってないし。
僕も透析で時間が取れなくて足が遠のくし、彼女も新しい生活を考えているようで・・・。
そのうち僕らの離婚話が出て、「じゃ、僕には店があるし」ってことで、家は彼女の所有ということに。
と、今度は地主さんから「土地は麦さんに貸したんだから、違う人が住むなら出て行ってくれ」と内容証明付きのお手紙。
それを受けて彼女が「いえは私のものだし、麦さんは関係ない。居住権を主張する。」と訴訟にしちゃった。
で、地主さんからも訴えられて、所有権の所在の主張の違いで、結局被告人は僕になっちゃったんで、ちゃんと巻き込まれました。
そのあとは、知人友人一通り巻き込んでぐちゃぐちゃ。
どうにか弁護士間で落としどころを見つけて、結局半年くらいの猶予期間を見て引越し代は地主持ち、と和解かな?
ところが、いきなり誰にも何お知らせもなく、彼女は引っ越しました。
家中の動かせるすべてのもの、コンセントカバーから玄関内ドアまで外して消え去りました。
僕の私物はある程度持ち出してあったんだけど、誕生日に知人からいただいた絵画とか、ぜーんぶ持ってっちゃった。
この事は弁護士も呆れるばかり。新たに地主から訴えられてもしょうがない。
ただ地主さんは、もう彼女と関係を持ちたくないということで、これでおしまいとなりました。
あれだけ自慢していたバラには手もつけず。地主への挨拶もなし。
で、今に至ります。
地主さんはあちこち家のメンテナンスをして、どうやら貸家として利用している模様。
ぼくは、時々隣の友人宅に遊びに出かけるたびに、家を見ては狐につままれたような気分でボーッと眺めています。
勉強になりました。
追記:母屋は空っぽでしたが、不要品(ゴミ)は物置の中に詰まってました。後日片付けてくれたのは、河合サンと地主さん。
相変わらず寒い朝です。
では、今日はこの辺で。
次回予告。黄色いワーゲンの話。(2012.04.03)
黄色いワーゲンのこと
さて、このレポートもあと二回で終了します。
黄色いワーゲンのこと。
年金型のちょっと大きな生命保険に入っていたので、田舎の家の建具代金の支払いに、契約者貸付の枠で百万円ほど借り入れました。離婚の際に花房から「そんな話は聞いてない。横領だ。」と言われました。
少し前に飼っていたラブラドールも死んでしまって、通勤には大きな車が必要なくなったので、あの黄色のワーゲンをちょうど中古で購入していたところ、その車を保険の代償としてくれとのこと。ま、いいか。
その後、彼女は洗礼して結婚するので、日曜は働けませんと。それがお店を離れてもらうことになった決定的な理由・タイミングかな。
その車を、最初の車検の直前、先週日曜日に返してきました。
車を返す代わりに、お店のコピー機の連帯保証人から抹消してくれとのこと。
ちなみにリース商品の途中解約はできませんし、保証人の抹消・変更は不可能といわれました。
リース代金を延滞した時に問い合わせが回ったようですが、コピー機の保守契約は一年ほど前に解約し、リースの残債も延滞なく支払っています。
車は処分することにしました。残債は残りますが。
そんなわけで、今お店の裏に黄色いワーゲンが、引き取りを待って停車しています。
追記:車は残債を完済後、ワーゲンのディーラーで処分・買い取りしてもらうことになりました。
差額も結構な額だろうな。
さて、退院まであと一日。この連載もあと一回としましょう。
もうすぐ雪も溶けますし。(2012.04.05)
追記:離婚時期などについて記載されていないので、理解しづらいというご指摘がありました。加筆致します。ちなみに結婚したのは1993年。でも1987年頃から東京で同居してました。
正確な日にちは省略させていただきますが、2009年のある日、田舎の家にて、花房から離婚の意志を告げられました。
直後に花房の父親を離婚の保証人にした離婚届を渡されました。
間もなく離婚成立。条件等は口頭での約束のみ。田舎の家・黄色いワーゲン・在庫してある花房の出版物およびポストカード・花房名義でかけていた生命保険などはすべて花房に譲渡。お店の借金・ローンなどはすべて麦が負担。
のちも花房は今までどうり麦々堂へ勤務を続けていました。
その間に、前記の田舎の家の居住権訴訟あり。
しばらくして花房より結婚することになったとの報告。で、日曜は働けないとのことなので2010年秋に退職していただきました。
お店に残っていた花房の私物はすべて、今のご主人の実家へ送ってくれとのこと。この引っ越し代金は、預かっていた花房の未払い給与をあてました。
それから半年間、マダム不在のまま営業。そして2011年春より季里マダム誕生。
昨年9月、麦と季里は結婚。今に至ります。
エピローグ
連載の最後に
忘れないけど書き残しておきたいもの。
川村兼一さんにカムイノミしてもらった時の、イナウ・チセコロカムイ。
引っ越し直後に隣家の友人から連絡を受けて駆けつけた時、真っ先に確認したけど影も形もなく、持ち去られていて愕然とした。
引越し先にでも飾っているのだろうか。
建設に携わってくれたみんなを集めてのアイヌプリの宴。
チタラベをたて、アペオイをきり、周りにはすみやのご馳走と地元の友人の作ったトノト。
僕が花矢を射た。タカヤも歌ってくれた。
隆平棟梁が一番嬉しそうだった。
建設に携わってくれたどんころのみなさん、ありがとうございました。
建具や家具を作ってくれたカーイさん、向坊さん、ありがとうございました。
みち・マサイもありがとね。
そして、長い間無償で土地を貸してくれたアガペの父母。
ご迷惑かけ通しでした。ごめんなさい。
どうぞ、家の管理よろしくおねがいいたします。
あの家に集まることはもうないけど、カムイノミの夜のことは忘れません。
では、この連載はこれで終了いたします。
読んでくれて、ありがとう!(2012.04.05)
むぎ=光浩一
追記:昨今店先で【カムイブロートの食卓】について御聞きになられるお客様が多くいらっしゃいます。
あの本は、田舎の家での花房の生活と麦々堂の当時の交友関係をノンフィクション形式でまとめた物でしたが、紹介した方々の中には廃業された方や亡くなられた方等いらっしゃいます。また、前記したとおり田舎の家・庭の所有権はすでに麦々堂にはございません。
また、当時ラブラドールの飼い主友達の方も多くいらっしゃいましたが、エマ・アンヌとも数年前にこの世からいなくなりました。報告が遅くなってごめんなさい。
養蜂に関しては、麦の御師匠さんに蜂蜜を分けていただいております。
麦が焼くパン、変わらずにお店に並んでおります。
季里のパンもいっしょに並んだ麦々堂、今後ともよろしくお願い致します。
もう済んだと思ったのに。。。。
先日の黄色いワーゲンの後日談です。
というか、ただ今進行中です。
残債を完済してディーラーに買い取りをお願いしようと、昨日見積もりを御願いしました。で、たった今お返事がありました。
「実は調べて解ったんですが、車に事故歴がついています。これだと認定中古車ということで再販できないので、引き取り額はかなり安くなります。」とのこと。
実際の引き取り価格は10万円程にしかならないらしい。
確認すると、どうも花房が事故か何かで車を破損したとのこと。
そのあと勝手に修理に出したようだ。
車は未だローン中なので、所有権はローン会社にあります。
ローン会社と売買契約しているのは、僕です。
僕と花房は離婚しているので、責任関係は明白にしなければなりません。
事故・車を破損した話は、今ディーラーからの電話で初めて知りました。
全く今になって、寝耳に水です。
なぜ、このような事を連絡して来なかったのでしょうか。
おまけに車検が4月11日で切れるにも関わらず、車を返すと予告の手紙が届いたのは3月30日。ディーラーが家の店に車を届けたのは、4月1日です。
車検が切れると車を動かすのも面倒な事になります。
任意保険には必ず入るようにと、保険屋さんからも言ってもらっていましたが、保険証のコピーすら車載されておりませんでした。
前回までに書いてきた事の中には、まだ書ききれないことが沢山あります。
幼稚で恥ずかしくて書けない事もあります。
ただ、それらを含めて僕は面倒な解決の方法をとりたくはありません。
何故なら、二度とかかわり合いになりたくないからです。
以前に田舎の家の立ち退きの件でお世話になった弁護士の方にも、法的な解決の方法をアドバイスされましたが、その時も回避しました。
早々に解決する事を望んで止みません。。。。
追記;下取り価格と完済のための価格差が開きすぎたため、ローン会社に引き取りを御願いする事にしました。オークションにかけた後、残債と相殺して差額を再度ローンを組んで弁済する事になりそうです。車は手元に無く、支払いだけが続くわけ。
お店の借金すべて僕が抱えた、その最後っぺだね。
題して「麦々堂2008秋-2012春」。
一部加筆して御贈りします。後半に大幅追記致しました(2012.04.08)
プロローグ
パン屋を始めて20年。特にここ3年は病気があったり離婚があったり、いろいろ大変でした。ここ一年、信頼できる友人と家族、そして季里のおかげで、これからの道筋がつきはじめたところです。沢山の皆様から「なぜ?」と聞かれてもアヤフヤにして来たこと、これから書き進めたいとおもいます。むぎ(2012.03.31)
キャラクターのこと
キャラクターと看板のデザインは小樽・なまらやのがんこちゃんの作品。制作は札幌のなかちんが担当しました。
今のところ立て看板、足拭きマット、バルコニーのウエルカムボードのほかに、お店のチラシなどに登場しています。
思えば開店以来、決まったロゴマークを作っていませんでした。
以前キャラクターなどを描いていた接客担当の花房は、一昨年、結婚を機にめでたく退社いたしました。
それを機会に新しいキャラクターデザインの制作作業を始め、今回はじめてちゃんとしたロゴマークを決めました。
今後とも末長く付き合ってくださいね。復帰したらショップカード・商品シールもいっしょに直ぐに発表します。
因みにパンのパッケージも大きく変化しつつあります。
パンの個別ビニール袋をお付けするのを中止して三ヶ月。保存用の大袋の販売を始めて二ヶ月経ちました。
これからはビニールの手提げ袋の改善を進めて行きたいと思います。
皆さん、買い物カゴを持ってお店にきてください。
さあ、今週は天気の良い日を見つけて、バルコニーの大掃除をしましょう。
そろそろお外でお茶をいただける陽気の午後もちらほら。
僕らもお昼は、店先で和ませてもらいます。
では、今日はこの辺で。
次回は弟子・季里の紹介です。(2012.04.01)
お弟子さんのこと
20年間、公私ともにパートナーで、お店では販売担当だった花房が突然結婚することになったのは一昨年の冬。お店のキャラクターをデザインしたり毎月の通信を書いたりお店の顔として働いていただきました。彼女の個人的な活動、特に版画展のお手伝い(というか、事務仕事全般。ポスター・チラシ作りから場所によっては設営。作品のマスキングから梱包・発送。そしてオープニングパーティーのパンやお菓子の提供など)など手伝ってましたが。
僕も病気をしたし、田舎に家を建てたせいで借金もたくさんあってバタバタしていましたが、岳子and佳奈子の接客のお手伝いのおかげでどうにかお店を続けることができました。
で、春を迎えて。以前からお店を手伝ってくれていた季里っちが見事弟子入り。
新しいマダムとして麦々堂の顔となることになったわけです。
助産師からのいきなりの転身です。規則正しいとは言え早朝からの重労働。
一年後の今の姿を誰が想像したことでしょう。
今朝も一人で早朝製パン作業をこなしています。おまけに販売もこなしちゃうんだからさ。
追記:5月からは経理作業も分担しまーす。
ご存知の通り僕も彼女も、ここ数年であわただしく離婚と結婚を経験しました。
他にもいろいろなことを同時に進行してきて、さてそろそろ一服できるかな・・・というところでのアクシデント。
でも、こんな形でも一息つけたことは、ラッキーだったと思います。
あと一週間くらいで復帰します。ちょっとは落ち着いた麦々堂にご期待くださいね。
さて今日はこれから胃カメラ。これで最後ならいいな。
では、次回予告。
あの田舎の家はどうなったか!(2012.04.02)
田舎の家のこと
当麻町の知人の空き土地を整地して、道産落葉松材で家を立てました。追記:1996年頃です。
製材を始めてから完成まで4年はかかったかな。
親父の退職金からの借金と、売り上げをつぎ込んでね。
完成後は結局花房と二頭のラブラドールのアトリエという事に事実上なりました。
はじめのうちは毎週地主さんのお仕事手伝ったり、欠かさず宴会したり。
僕は家のメンテナンスとか庭の管理とか養蜂仕事とか、お隣の畑で遊ばせてもらったりとか、お店のお休みに出かけるくらい。
固定資産税だけは彼女が払っていたけど、水道光熱費はほとんどお店持ち。給料も払ってたんだけどね。
ま、共有財産ということなら、そこはいいんだけどさ。
ところがやっぱり、地主さんと彼女の人間関係が悪化。もともと土地の賃貸の契約なんかしてないし、土地の賃貸料も払ってないし。
僕も透析で時間が取れなくて足が遠のくし、彼女も新しい生活を考えているようで・・・。
そのうち僕らの離婚話が出て、「じゃ、僕には店があるし」ってことで、家は彼女の所有ということに。
と、今度は地主さんから「土地は麦さんに貸したんだから、違う人が住むなら出て行ってくれ」と内容証明付きのお手紙。
それを受けて彼女が「いえは私のものだし、麦さんは関係ない。居住権を主張する。」と訴訟にしちゃった。
で、地主さんからも訴えられて、所有権の所在の主張の違いで、結局被告人は僕になっちゃったんで、ちゃんと巻き込まれました。
そのあとは、知人友人一通り巻き込んでぐちゃぐちゃ。
どうにか弁護士間で落としどころを見つけて、結局半年くらいの猶予期間を見て引越し代は地主持ち、と和解かな?
ところが、いきなり誰にも何お知らせもなく、彼女は引っ越しました。
家中の動かせるすべてのもの、コンセントカバーから玄関内ドアまで外して消え去りました。
僕の私物はある程度持ち出してあったんだけど、誕生日に知人からいただいた絵画とか、ぜーんぶ持ってっちゃった。
この事は弁護士も呆れるばかり。新たに地主から訴えられてもしょうがない。
ただ地主さんは、もう彼女と関係を持ちたくないということで、これでおしまいとなりました。
あれだけ自慢していたバラには手もつけず。地主への挨拶もなし。
で、今に至ります。
地主さんはあちこち家のメンテナンスをして、どうやら貸家として利用している模様。
ぼくは、時々隣の友人宅に遊びに出かけるたびに、家を見ては狐につままれたような気分でボーッと眺めています。
勉強になりました。
追記:母屋は空っぽでしたが、不要品(ゴミ)は物置の中に詰まってました。後日片付けてくれたのは、河合サンと地主さん。
相変わらず寒い朝です。
では、今日はこの辺で。
次回予告。黄色いワーゲンの話。(2012.04.03)
黄色いワーゲンのこと
さて、このレポートもあと二回で終了します。
黄色いワーゲンのこと。
年金型のちょっと大きな生命保険に入っていたので、田舎の家の建具代金の支払いに、契約者貸付の枠で百万円ほど借り入れました。離婚の際に花房から「そんな話は聞いてない。横領だ。」と言われました。
少し前に飼っていたラブラドールも死んでしまって、通勤には大きな車が必要なくなったので、あの黄色のワーゲンをちょうど中古で購入していたところ、その車を保険の代償としてくれとのこと。ま、いいか。
その後、彼女は洗礼して結婚するので、日曜は働けませんと。それがお店を離れてもらうことになった決定的な理由・タイミングかな。
その車を、最初の車検の直前、先週日曜日に返してきました。
車を返す代わりに、お店のコピー機の連帯保証人から抹消してくれとのこと。
ちなみにリース商品の途中解約はできませんし、保証人の抹消・変更は不可能といわれました。
リース代金を延滞した時に問い合わせが回ったようですが、コピー機の保守契約は一年ほど前に解約し、リースの残債も延滞なく支払っています。
車は処分することにしました。残債は残りますが。
そんなわけで、今お店の裏に黄色いワーゲンが、引き取りを待って停車しています。
追記:車は残債を完済後、ワーゲンのディーラーで処分・買い取りしてもらうことになりました。
差額も結構な額だろうな。
さて、退院まであと一日。この連載もあと一回としましょう。
もうすぐ雪も溶けますし。(2012.04.05)
追記:離婚時期などについて記載されていないので、理解しづらいというご指摘がありました。加筆致します。ちなみに結婚したのは1993年。でも1987年頃から東京で同居してました。
正確な日にちは省略させていただきますが、2009年のある日、田舎の家にて、花房から離婚の意志を告げられました。
直後に花房の父親を離婚の保証人にした離婚届を渡されました。
間もなく離婚成立。条件等は口頭での約束のみ。田舎の家・黄色いワーゲン・在庫してある花房の出版物およびポストカード・花房名義でかけていた生命保険などはすべて花房に譲渡。お店の借金・ローンなどはすべて麦が負担。
のちも花房は今までどうり麦々堂へ勤務を続けていました。
その間に、前記の田舎の家の居住権訴訟あり。
しばらくして花房より結婚することになったとの報告。で、日曜は働けないとのことなので2010年秋に退職していただきました。
お店に残っていた花房の私物はすべて、今のご主人の実家へ送ってくれとのこと。この引っ越し代金は、預かっていた花房の未払い給与をあてました。
それから半年間、マダム不在のまま営業。そして2011年春より季里マダム誕生。
昨年9月、麦と季里は結婚。今に至ります。
エピローグ
連載の最後に
忘れないけど書き残しておきたいもの。
川村兼一さんにカムイノミしてもらった時の、イナウ・チセコロカムイ。
引っ越し直後に隣家の友人から連絡を受けて駆けつけた時、真っ先に確認したけど影も形もなく、持ち去られていて愕然とした。
引越し先にでも飾っているのだろうか。
建設に携わってくれたみんなを集めてのアイヌプリの宴。
チタラベをたて、アペオイをきり、周りにはすみやのご馳走と地元の友人の作ったトノト。
僕が花矢を射た。タカヤも歌ってくれた。
隆平棟梁が一番嬉しそうだった。
建設に携わってくれたどんころのみなさん、ありがとうございました。
建具や家具を作ってくれたカーイさん、向坊さん、ありがとうございました。
みち・マサイもありがとね。
そして、長い間無償で土地を貸してくれたアガペの父母。
ご迷惑かけ通しでした。ごめんなさい。
どうぞ、家の管理よろしくおねがいいたします。
あの家に集まることはもうないけど、カムイノミの夜のことは忘れません。
では、この連載はこれで終了いたします。
読んでくれて、ありがとう!(2012.04.05)
むぎ=光浩一
追記:昨今店先で【カムイブロートの食卓】について御聞きになられるお客様が多くいらっしゃいます。
あの本は、田舎の家での花房の生活と麦々堂の当時の交友関係をノンフィクション形式でまとめた物でしたが、紹介した方々の中には廃業された方や亡くなられた方等いらっしゃいます。また、前記したとおり田舎の家・庭の所有権はすでに麦々堂にはございません。
また、当時ラブラドールの飼い主友達の方も多くいらっしゃいましたが、エマ・アンヌとも数年前にこの世からいなくなりました。報告が遅くなってごめんなさい。
養蜂に関しては、麦の御師匠さんに蜂蜜を分けていただいております。
麦が焼くパン、変わらずにお店に並んでおります。
季里のパンもいっしょに並んだ麦々堂、今後ともよろしくお願い致します。
もう済んだと思ったのに。。。。
先日の黄色いワーゲンの後日談です。
というか、ただ今進行中です。
残債を完済してディーラーに買い取りをお願いしようと、昨日見積もりを御願いしました。で、たった今お返事がありました。
「実は調べて解ったんですが、車に事故歴がついています。これだと認定中古車ということで再販できないので、引き取り額はかなり安くなります。」とのこと。
実際の引き取り価格は10万円程にしかならないらしい。
確認すると、どうも花房が事故か何かで車を破損したとのこと。
そのあと勝手に修理に出したようだ。
車は未だローン中なので、所有権はローン会社にあります。
ローン会社と売買契約しているのは、僕です。
僕と花房は離婚しているので、責任関係は明白にしなければなりません。
事故・車を破損した話は、今ディーラーからの電話で初めて知りました。
全く今になって、寝耳に水です。
なぜ、このような事を連絡して来なかったのでしょうか。
おまけに車検が4月11日で切れるにも関わらず、車を返すと予告の手紙が届いたのは3月30日。ディーラーが家の店に車を届けたのは、4月1日です。
車検が切れると車を動かすのも面倒な事になります。
任意保険には必ず入るようにと、保険屋さんからも言ってもらっていましたが、保険証のコピーすら車載されておりませんでした。
前回までに書いてきた事の中には、まだ書ききれないことが沢山あります。
幼稚で恥ずかしくて書けない事もあります。
ただ、それらを含めて僕は面倒な解決の方法をとりたくはありません。
何故なら、二度とかかわり合いになりたくないからです。
以前に田舎の家の立ち退きの件でお世話になった弁護士の方にも、法的な解決の方法をアドバイスされましたが、その時も回避しました。
早々に解決する事を望んで止みません。。。。
追記;下取り価格と完済のための価格差が開きすぎたため、ローン会社に引き取りを御願いする事にしました。オークションにかけた後、残債と相殺して差額を再度ローンを組んで弁済する事になりそうです。車は手元に無く、支払いだけが続くわけ。
お店の借金すべて僕が抱えた、その最後っぺだね。