東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社会 > 紙面から一覧 > 記事

ここから本文

【社会】

食堂のおばちゃんは作家 漫画家断念→就職先倒産→40代で小説

従業員食堂で春巻きを揚げる山口恵以子さん=東京都千代田区の丸の内新聞事業協同組合で

写真

 良質な長編エンターテインメント小説に贈られる松本清張賞(日本文学振興会主催)に、ガード下の従業員食堂で働く山口恵以子(えいこ)さん(54)=東京都江戸川区=が選ばれた。「世間は『なんで食堂のおばちゃんが』と思うでしょうが、だからこそ書ける」。春巻きを揚げ、ご飯をよそう手でパソコンをたたき、遅咲きの花を咲かせた。 (井上幸一)

 職場は、官公庁や大手企業に新聞を配達する丸の内新聞事業協同組合(千代田区)。JR有楽町−新橋駅間のガード下にある。五人のスタッフを束ねる食堂の主任で、朝昼夕のメニューを考え食材を購入。調理室に立つ。一日に用意するのは八十食。「体を使って働く人にはボリュームが大事。四、五十代は毎日肉でなくてもいい」と細かく気を配る。

 山口さんは早大文学部卒。漫画家を目指した学生時代、編集者から「話は面白いけど絵が下手」と言われ断念した。就職した宝飾会社は倒産。派遣の仕事をしつつ、三十代で松竹シナリオ研究所で学んだ。

 テレビの二時間ドラマのプロット(構想・枠組み)を数多く手掛けたものの、脚本家の芽も出ない。「不安定で先が見えない。焦り、夢にしがみつく一方だった」という。

 「好きな料理の仕事ができ、時給も高い」と新聞の求人欄を見て食堂のパートとなった二〇〇二年に、人生の転機が訪れる。後に正規職員となり、調理師免許も取得した。収入と身分が安定すると心に余裕も生まれた。

 「脚本は若手が起用される」と冷静に分析。四十代で小説を書き始めた。「アイデアが鳥のふんのようにポトリと頭に落ちてくる」と、才能の開花を独特の表現で語る。

 ストーリーと食堂の仕事に関連性はない。主に休日に執筆し、〇七年から時代小説や短編ミステリーを発表。「腰を据えて書いた初めての作品」が、松本清張賞に輝いた「月下上海」だ。

 第二次世界大戦中の一九四二年、中国・上海を舞台に繰り広げられるサスペンスロマンで、五百九十五編の中から選ばれた。

 やや珍しい名前は本名だ。「一人で強く生きていける」と易者が命名したといい、「その通りになった」と笑う。現在は母親(86)のほか、猫と暮らす。

 更年期うつも経験し、順風な日々ばかりでなかったが「小説家は失敗もネタにできる。だから私の人生に失敗はない」と言い切る。「ここが私を小説家にしてくれた場所」と、食堂の仕事に誇りを持つ。調理場に立ち続け、注目される次作に挑む。

 <松本清張賞> 幅広いジャンルの小説で時代を表現した松本清張氏の業績を記念した長編小説賞。応募にプロ、アマは問わない。選考委員は石田衣良、北村薫、小池真理子、桜庭一樹、山本兼一の各氏。4月下旬に結果を発表、「オール読物」6月号に選考経過や選評が掲載され、受賞作は6月下旬、文芸春秋から単行本として刊行される。

 

この記事を印刷する

PR情報





おすすめサイト

ads by adingo