本来、核兵器保有について、議論すること自体が無意味だとは思えない。
しかし、政治・軍事の議論は、「現実」を冷静に見据えて、国家をどういう方向に運営していくかという戦略の延長上にある。
現状の核議論は、お台所空想平和主義と軍備拡大国亡主義という『平和ボケ』をした人たちが、日本の外交戦略・国際政治を議論することなく、いきなり「核兵器保有」是か非かという議論を始めてしまう現実がある。
このような議論しかできないなら、無意味であるというにとどまらず、日本の未来を見据えた政治戦略を議論することを妨害してしまうという意味で、有害であると思える。
<参考1>
政治支配圏の中で国家運営がある程度可能であった第二次世界大戦前までは、一国の国家戦略がある程度国家単独の利害のもとで形成されてきたが、経済圏が国家の枠を超えて広がってしまった現在では、一国家の利害をもとに国家戦略を作ること自体が不可能となっている。
国防だけを見ても、世界最大の軍事大国アメリカでさえ、日本やヨーロッパ諸国などにアメリカの軍事世界戦略に基づいた軍事力整備を求め、アメリカの軍事費を少なくしようとしているし、最近ではイギリス・フランスが核兵器・空母の維持費を削減するために、広範囲な軍事協力条約に調印している。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/europe/458712/
日本の核武装について論議するなら、その前提に『集団的自衛権』をどのように取り扱うかを決めないと、「核武装の方向性」が決まらなくなる。
<参考2>
現実の技術論として、日本は地球の静止衛星軌道に数トンの重さの人工衛星を打ち上げる能力を持つHIIロケットを持っており、兵器としての効率を無視した力技でよいなら、10トン程度の原爆弾頭を付けた大陸間弾道弾を他国に打ち込む能力を持っており、低濃縮の核燃料も現在の設備である程度処理すれば、爆弾にすることはできる。(=潜在的核兵器保有国)
尚、この程度の「原子爆弾」では、実際に作っても軍事的には大した意味を持たない(軍事的には、既に原爆保有国と同等)にもかかわらず、国際政治的には大問題となってしまうから、現実的ではないとは言える。
<参考3>
戦術核兵器の可否
他国への攻撃に使用するのではなく、大規模な敵の侵攻に対して使う、使用可能な核兵器の保有はどう考えるか。
燃料気化爆弾(サーモバリック爆弾)を配備すれば、戦術核は不要か?
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Afghan/airbomb_resource.htm
投稿日時 - 2010-12-28 08:41:46