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【憲法と、】

第2部 救われた人生<4> 国籍取得 出生後認知でも可能に

日本国籍を取得し、この春から高校に進学した佐藤真美さん=名古屋市港区で(星野大輔撮影)

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 二〇〇八年七月二十五日、マサミ・タピルさん(15)は名古屋市港区役所に日本国籍の取得届を提出し、佐藤真美(まさみ)になった。母親のロサーナ・タピルさん(48)は「すごく、うれしいよ」と涙ぐんだが、真美さんはそれほどでもなかった。「だって、昔から自分は日本人だと思ってるから」

 真美さんは同じ年の六月四日、八〜十四歳の子どもたち九人と最高裁にいた。みなフィリピン人女性と日本人男性の間に生まれ、日本国籍を取得できないでいた。国籍法の定めで、未婚の日本人男性と外国人女性の子は、胎児の段階で父親が認知すれば日本国籍を得られるが、出生後の認知では得られないためだ。

 「国籍法の定める日本国籍の取得要件は、法の下の平等を定めた憲法に違反」。判決は十人の日本国籍取得を認めた。

 ロサーナさんは一九八八年に来日。神奈川県内の飲食店で働くうち、日本人男性と親しくなり、真美さんを産んだ。相模原市役所に漢字の名前を記した出生届と父親の認知届を提出すると、「日本人じゃないから名前はローマ字表記にして」と言われる。「父親が日本人なのに何で」。何時間もやりあうが、対応は変わらなかった。

 その後、国籍法の壁を知ったロサーナさんと男性は、真美さんの妹(11)を胎児認知。父親の姓をとって佐藤直美と名付けた。

 同じ親から生まれた姉妹なのに、姓と国籍が違う。保育園では「本当に姉妹なの?」といぶかしがられた。小学校低学年のとき、ロサーナさんが隠していた外国人登録証を見つけ「私、日本人じゃないの」と泣いた。いじめもあった。真美さんは「学校で『フィリピンに帰れ』と首を絞められたこともある」と振り返る。

 ロサーナさんは〇五年、同じような思いをしているフィリピン人の母親たちと裁判を起こす。弁護士からは「裁判は負けるかもしれない」と言われたが一審は勝訴。二審で敗訴したが、最高裁でひっくり返した。その間、真美さんは学校のテストや提出書類などに「佐藤真美」と書き続けた。

 真美さんの裁判は中学の教科書にも写真入りで取り上げられている。授業で先生から「どうだった」などと聞かれても、恥ずかしいから「忘れた」などとはぐらかした。

 現在は日本とフィリピンの二重国籍で、成人したときにどちらかを選ぶことになる。「当然、日本を選ぶ」と話すが、一昨年と昨年にアイドルグループSKE48のオーディションに応募したときは「マサミ・タピル」の名を使った。真美さんはその理由を「その方が目立つかなと思って。ハーフってかっこいいし。最終選考まで残ったんですよ」と屈託がない。

 それでも国籍取得の重みは感じている。中学の卒業式があった三月七日には、自分のために闘った母に感謝の気持ちを伝えた。「産んでくれてありがとう」

 <国籍法> 日本国籍を与える条件を定めた法律。母親が日本人の場合、子どもは日本国籍を取得できる((1))。母親が外国人、父親が日本人の場合、結婚した両親の子は日本国籍を取得できる((2))。未婚の場合、父親が胎児の段階で認知すれば日本国籍を取得できる((3))が、出生後の認知では取得できない((4))。2008年12月の改正で、(4)のケースでも日本国籍が取得できるようになった。

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