2013年4月8日(月)

覆された在日米軍違憲判決

井上
「日米の間であり方が議論されている、在日アメリカ軍基地。
この在日アメリカ軍は憲法違反、という判決が半世紀以上前に言い渡されたことがあるのをご存じでしょうか。
しかしこの判決は、わずか9か月後、最高裁判所によって取り消されます。」

大越
「今回、新たに公開されたアメリカ政府の文書から、当時、日本の司法トップである最高裁長官がアメリカ側とひそかに会い、判決の取り消しを示唆していたことが分かりました。」

覆された 在日米軍違憲判決

元裁判官の松本一郎さん、82歳。
今から54年前、ほかの2人の裁判官とともに在日アメリカ軍を違憲とする判決を書きました。

元裁判官 松本一郎さん
「私はやはり、日本は日本であるべきだと。
(判決当日は)やるべきことをやったと、割と淡々としていた。」



ことの発端は、東京の旧砂川町(すながわまち)で起きた、アメリカ軍基地の拡張計画に対する地元住民らの反対運動。
基地に無断で立ち入ったとして学生ら7人が起訴された、「砂川事件」です。
1審の判決は、被告全員を無罪。
在日アメリカ軍の存在は、戦力の保持を禁じた憲法9条に違反しており、罪には問えないという判断でした。
しかし9か月後、最高裁大法廷はこの判決を取り消します。
この背景には、アメリカ軍を駐留させたい、日米双方の意向があった可能性が明らかになりました。

核心:揺らいだ司法の独立

覆された“米軍違憲” 揺らいだ司法の独立

今回、アメリカの公文書館が開示した文書。
最高裁判決の4か月前、駐日アメリカ大使館が、国務長官宛てに送った秘密の書簡です。
記されていたのは「タナカ」という名前。


最高裁大法廷の裁判長をつとめた、田中耕太郎長官でした。
最高裁で審理が始まるひと月前。
田中長官は、アメリカ大使館のレンハート首席公使と秘密の会談を持っていたのです。

“砂川事件の判決は、12月になるだろう。”

公にされていない、最高裁の判決の時期を漏らしていました。

元裁判官 松本一郎さん
「裁判官というのは、なった時から、なる前から事件については一切、家の者にも話さないというのは伝統。
田中長官は明らかにそれを無視している。」

田中長官から、事前に判決の時期を聞いていたアメリカ。
レンハート首席公使と親交が深かった春名幹男(はるな・みきお)さんです。
密会は、翌年に控えた日米安全保障条約の改定と密接な関係があったといいます。

早稲田大学 春名幹男客員教授
「やはり安保条約の改定に向けて、大詰めの段階を迎えていた。
米軍の駐留が憲法を犯すといった判決をどうしても覆さないと、という米側の強い意志が反映された。」


こうした強い危機感の裏には、アメリカが進めるアジア戦略があったと指摘します。

早稲田大学 春名幹男客員教授
「東アジアにおいても共産主義の嵐が強まってきたという段階で、日米同盟という形で日本を反共の砦(とりで)にしていくという意志があったと思う。」

さらに文書によると、田中長官はこうも語っています。

“裁判官全員一致に意見をまとめ、日本の世論を不安定にさせる少数意見は、避けるのが望ましい。”

安保条約の反対勢力を勢いづかせないよう、15人の裁判官全員一致での1審判決の取り消しを示唆していました。
文書に記されていたとおり、この年の12月、最高裁大法廷は全員一致で1審を取り消しました。

最高裁 田中耕太郎長官(当時)
「15人の全裁判官が、結論なり理由の極めて重要な点について根本的に一致したのは、喜ばしいことだと思う。」



判決の翌日、大使館からアメリカ本土へ電報が打たれていました。

“この裁判における裁判長の功績は、日本国憲法の発展のみならず、日本国を世界の自由陣営に組み込むことにとっても、金字塔を打ち立てるものである。”

この判決で最高裁は、「わが国の存立にかかわる高度な政治性を有する問題は、司法審査の対象にはならない」と判断しました。
松本さんは、この判断がその後の司法の消極的な姿勢を決定づけたといいます。

元裁判官 松本一郎さん
「(在日米軍や自衛隊などの)アンタッチャブルなものには裁判所は触れないんだという態度がはっきり出て、その後もそれが続いている気がしないでもない。
その意味では、大変な先例だったという気がする。」

大越
「この時の最高裁の判決によって、アメリカ軍基地の存在の是非は、司法からは遠い、政治の判断に委ねられるテーマとなったとも言われています。
しかし明らかになった資料のとおり、この最高裁の判決が、司法の独立とはほど遠い、政治的な判断によって行われていたとしたら、昭和戦後史の重要な断面に、さらなるメスを入れていく必要がありそうです。」

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