石の上三年3
石の上にも3年以上頑張っていると、周りから話が転がり込んでくることもあります。ホームレスの支援対象を教会関係者から紹介されたと書きました。その後別の話が来ました。生活保護の人ですが、大家がもう出て行って欲しいということで、困った管理会社の人から連絡が来ました。
その管理会社の人というのが、このレディー・ガガの真似をしている人です。ここでは「ガガ様」と言うことにしておこう(笑。
ガガ様の相談内容は「大家がもうこの人の契約更新を渋っている、退去してもらうのにどうしたらいいか」との趣旨です。聞けば家賃はキチンと払っているといいます。しかし部屋が大分汚くなっているようですし、大家としては出て行って欲しいらしいです。う~ん。
「当人と信頼関係さえできれば、こちらで新しい場所を探してあげても良い」
との旨回答しました。小生からすれば、生活保護の人は、国家財政が破綻しない限り、家賃取りっぱぐれの無い安全パイ。しかし問題は、本人との信頼関係ができるかどうか、につきます。それで問題の物件に訪問することにしました。
ところでこのガガ様が、なぜ拙ブログを覗いて小生にコンタクトしてきたか?どうも苫米地さん関係から来たらしいのです。以前苫米地さんにもメールか何かで連絡してみたらしいです。すると苫米地さんからも返信があったとのこと。さすが苫米地さん、若い女性には対応違うな。
現地近くで待ち合わせて、追い出されそうな生活保護者宅に行くべく合流。なんと素顔のガガ様は、某有名企業CMに登場している有名美人女優に似ているではないか。美人過ぎる検事以来のちょっとしたときめきを感じつつ現地へ。
ガガ様にピンポンを鳴らしてもらうと、60過ぎのおじさん登場。生活保護などの支援をしているNPOとして紹介されました。玄関先の立ち話も何だから…、と部屋の中に案内してもらうと、まさにゴミ屋敷!足の踏み場もないゴミの山。6畳一間なので落ち着いて座れる場所もありません。勧められるままベッドの上に座りました。ガガ様は玄関土間で突っ立ったままです。
役所の方は、施設に入ってもらうかも知れないとのことでした。過去に施設にも入ったことがありますが、人間関係がうまく行かなかったらしいです。最悪の場合はホームレスに戻ることも考えているようです。一応こちらのことはそれなりに信頼してくれたみたいでした。
何にしろ大家の意向もあって、ここは立ち退きしなければならないことも理解してもらいました。生活保護対象者の支援だけではなく、追い出す大家側の支援も、というのは初めてです。美人女優似のガガ様の頼みでもあるわけだし、きっちり引っ越してもらうしかないです。
一応話は納得してもらいました。その後の事を簡単に約束して、息が詰まるようなゴミ屋敷を後にしました。
「ふぅ~~、あれはライトヘビー級ですな。」
ライトヘビー級の上には、クルーザー級、ヘビー級がある。このシリーズで後で記事にしようと思うが、ヘビー級ゴミ屋敷を過去に体験しました。それに比べればかなりマシ。
帰り際、苫米地さんの話になる。苫米地さんは催眠関連技術でセミナーや著作業でかなり忙しい人です。よって、小生が会って欲しい場合でも、平気で1時間くらいは待たされます。何だかよく分からないが、苫米地さん曰く「野田君は上級アシスタントみたいなもの」だそうで。その上級アシスタントの扱いも、1時間以上待たせた挙げ句、「今日はちょっと都合悪いからまた後日にしてくれる?」ということもありました。出版社・担当者他の関係者は勿論、セミナーの開始時間でもそれくらい遅れることもあります。
ところがガガ様がどの程度待たされたのかを確認してみると
「5分か10分くらいは待ったかも知れません。」
さすが美人には対応が違う(笑。
小生としても、60過ぎのゴミ屋敷爺さんよりは若くて可愛い女性の方がいいに決まっています。ゴミ屋敷の程度その他諸々の事情を勘案すれば、世間一般的には「誰も相手したくない」人達。しかしこの4年間でそういう人達を50人以上対応してきたから、美人女優似のガガ様登場となったのかもしれません。
(つづく)
コメント
般若心経
わたしもそう思いますが、
そもそも、般若心経を含む全ての大乗仏典自体が虚構かもしれません。
ソンシも「般若心経は小乗だ」などおかしなことを仰っていました。
とまとまさん
阿羅漢と菩薩では、それこそ概念の抽象度が違うので、どちらが偉いということはできないと思います
つまり、麻原流では菩薩とは、自分だけでなく他の救済も考える志いわゆる菩提心をもったもの全般、を指しますので、阿羅漢であって、菩薩でもあることも考えられるし、菩薩とはいえない阿羅漢もおられることになりそうです
さらにいえば、観音菩薩が、阿羅漢より修行の進んだ修行者であることもありえるわけです
輪廻転生で男女、師、弟子入れ替わる
生まれ変わったり、輪廻転生ではグル、師匠が弟子、生徒に入れ替わる
逆転するようなこともよくあると思います、それに法を説くということは
言葉、観念を施すということであり格下が格上に言葉を施す、法を説くということは
現実問題あたりまえに行われていることだと思っています。
草々
般若心経の間違いを正すという趣旨の本ですが、般若心経で舎利仏が観音菩薩から教えを与えられる内容につき、『舎利仏は観音菩薩より格上なので、観音菩薩が舎利仏に法を説くのは間違ってる』という苫米地さんの説明があります。
私の認識では、観音菩薩が上だと思うのですが、ここんとこはどうなんでしょう?