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大学では教えられない歴史講義

2009年11月30日(月曜日)

フィンランドメソッドと言うよりも・・・

カテゴリー: - kurayama @ 23時55分57秒

 かなり前ですが、教育論に関しての私の意見を、というご要望がありましたので、軽い雑談として。というか数日前に、本当に雑談としてしていた話を。というか、ちょっと今、難しい仕事を抱えていて、重い内容が書けないので、すいません。これが片付けば、「日本国憲法の正統性」をばたばたと仕上げつつ、「世界史」も急いで、余裕ができたら「亡国前夜」もやります。そして、「国際連盟脱退」は皆忘れています???

 

 最近、教育に関してフィンランドメソッドということが言われている。基礎学力の向上に関して模範とされ、日本でも中途半端に取り入れているらしい。この中途半端振りが、いわゆる保守の方々から反発を受けているらしい。ではこうしよう。

 マンネルハイムメソッド!で如何?

 そもそもフィンランドメソッドとは基礎学力を向上させる国民教育を指すらしいです。日本風に言えば読み書き算盤ですね。大事なことで忘れられているのが、フィンランドでは国民の権利として誰もが大学まで無償で行ける権利がある、ということですが。どこぞの国の最高裁のように「義務教育には教科書代が含まれていないのだから、その金額は払え」とかどういう基準だかわからない言説は言い出しませんのでご安心を。(どこの国の最高裁だろう?うーん)

 教育と外交には金を惜しむな、は小国外交の基本ですね。軍事力が弱小ならば、なおのこと頭が良くなければ生き残れないのですから。国防と外交と教育は票にならないから金をつけない、などと言っている国はたぶん大国なのでしょう。

 ちなみにG7(=本来のサミット参加国の意)に含まれるある国では、「大学卒業生が借りた奨学金を返さない」と問題になっているが、その他すべての国から「お前の国は奨学金をあげるのではなく、貸すのか」と呆れられているらしい。あなかまあなかま。

 さて、確かにフィンランドメソッドの本質はあまり語られていない。フィンランド式教育の本質は愛国心です。その象徴は、二次に渡る冬戦争の英雄、マンネルハイム元帥です。最後は物量の差が響いて、外交交渉で領土をむしりとられたが、戦闘では圧倒的な強さでソ連軍を屠りまくっていったのです。その国民一丸となった英雄的な戦いは指揮したマンネルハイム元帥とともに語り継がれています。

 油断すればロシアが攻めてくる。だから全員が賢くならなければならない。これがフィンランドメソッドの神髄、マンネルハイム元帥の精神です。

 これを言うと、「フィンランドは隣にロシアという巨大な大国が狙っているから、そうせざるをえないのだよ」などと言われることがあります。それはそうですが、名前を挙げたくないが、ある極東の島国では、隣国の大陸国家が膨張主義を公言し、さらに半島を不法占拠する匪賊集団に自国民を自国領で拉致されても何もできないらしい。その国では、「みんなで賢くなって愛する祖国を守りましょう」という人を右翼勢力として弾圧しているらしい。

 これが右翼ならば、

フィンランド人は全員極右です!

 冷戦期に西側諸国にありながらソ連の影響力が強まった時期に中立化の同義語で「フィンランディゼーション」などという失礼極まりない米語が流行ったが、それでもフィンランドに親露派は一人もいない、という事実は大きいです。

 モンゴルもそうですが、大国の圧力に耐えかねる状態でも教育をしっかりして、外交で上手く立ち回れば、しっかりと生きていくことはできるのです。

 我が国でも導入しよう、マンネルハイムメソッド!

※文中でいくつか目的語が不明なところがありますが、脱字ではありません。


2009年11月29日(日曜日)

昨日御礼他

カテゴリー: - kurayama @ 23時05分50秒

 昨日の帝国憲法講義には予想よりも多くの方々に集まっていただき、ありがとうございました。この砦を見て知って下さった方もいらしてくださって、ありがとうございます。やっている甲斐もあります。笑

 アンケートを読むと、理系の方々の受講者の多さには驚きました。かの適塾では、「医者なのだから政治とか歴史に関心がなければならない。だから黒船や耶蘇教に興味がないなど知識人失格である」という雰囲気だったそうですが、平成日本にもそのような向学心に燃える知識人が増えてくるということは祖国のためになると思います。ぜひ、広めていきましょう。

 本日も急遽企画会議がありました。おかげさまで忙しくさせていただいております(汗)。月内にご報告できると思います。

 私の主催する行事には特定失踪者生島孝子さんの姉である馨子さんに来ていただいてご挨拶をしていただいているのですが、若い人の間に徐々にその熱が伝わってきているようです。

 拉致被害者全員を帰すまでは、日本人が絶対に北朝鮮に対して甘い顔をしない、おかしな真似をしたら日本人が永久に北朝鮮を許さない、という姿勢を見せ続ける限り、北朝鮮は拉致した日本人を大事にしなければならない訳です。

 我々日本国民全員で声をあげ続けましょう。そして「知らないこと、無関心は罪である」というくらいのつもりでいましょう。これに関しては、拉致関係の集会に参加しなければならないとか、募金をしなければならないとか、そういうことではありません、

日本人全員が忘れていない。

 これを続けるだけで構わないのです。それ以上に大きなことはないですから。なにせ、今の日本政府こそが「無関心の犯罪」そのものですから。

 

 さて、帝国憲法講義の懇親会でお話させていただいた方々からもレスをいただいているようですが、一応説明を。

 千葉景子法務大臣(だけでなく菅直人副総理も強調しましたけど)を大臣どころか国会議員にしていること自体が日本人として恥である、ということなのですが、単に私が彼女(ら)を嫌いだからそれを言った訳でもなく、自国民を拉致して返さない犯罪者の釈放を要求するなど、本来ならば事実が発覚した時点で議員辞職しなければならない訳です。百万光年(百歩ではない)譲って、「知らずにやったことなので今は反省している」と主張するのであれば、ではどれほど拉致被害者のためにとりくんできたのか。このような明らかな事実があるから、菅・千葉の両名に関しては「議員を続けていること自体が日本の恥。可能な限りの手段を使って落選させなければならない」と、はっきりと申し上げられる訳です。一見、特定の政治家を攻撃しているようで、実は学術的一般論の範疇なのです。

 以上、釈明と言うよりも、さらに菅と千葉への攻撃を露にしたようですが、この主張がおかしいというのであれば、学術的に証明して欲しいものです。あるいはこれが学術的議論の範疇を超えていると言うのであれば、それも反証して欲しいものです。

 ちなみに今の民主党がとんでもない政党だと思いますが、自民党もそんな民主党以上に駄目な政党であるのも明らかです。ついでに、基本的には国会議員の人とあったことはこの砦には書かないつもりですが、民主党にも自民党にも立派な人はいますよ。

 千葉・菅両大臣のことで思うのだが、日本では切腹しなければならない人が「首切り役人」をやっている。バブル崩壊後のリストラなどがまさにそれで、日本経済がそれでよくなる道理がない。結局、若者にしわ寄せがいったあげく、「正就職できないのはお前が努力が足りないからだ」などと自己責任にされてしまうが、ではその「首切り役人」の皆さんは就職時にどんな努力をしたのか。時代の恩恵に甘えてきただけではないか。

 気づいた者が立ち上がるしかない!

 自分ができること以上の事をしよう!

 それがこういう活動をはじめた動機です。


2009年11月28日(土曜日)

世界史(4)―アメリカの参戦

カテゴリー: - kurayama @ 13時07分21秒

 この節、全面的にアメリカ崇拝者へのあてこすりですね。そもそも米国が大国になったのは第一次大戦であり、世界の超大国になったのは第二次大戦からなので、それ以前の米国を必要以上に強大な国として描く必要は全くないのです。

 モンロー宣言など第一次大戦までヨーロッパ列強は誰も守らなかったとか、中南米研究者の常識なのですが。せいぜい、極めて当事者能力の高かったセオドア・ローズベルトを英独双方が味方につけようとしていた、以上に米国の力を過大評価できないはずです。

 はっきり言いましょう。第一次大戦以前の米国は日本と同様に小国です。一番困るのは、敗戦コップレックスを勝手に抱いた老人が、若い世代にそれを押し付けようとすることです。米国史や日米関係史も仔細に検討すると、間違った歴史認識により現在の日本人が不当に自信を喪失している例も多々あるのです。

 あと、第一次大戦をめぐる米国の立場を考える上で、メキシコ問題は絶対に避けて通れないですな。米国は、メキシコ革命(というか紛乱の方がふさわしい)への対応に忙殺されて欧州大戦などに関わっていられなかったのであり、ドイツがメキシコに手をつけたから参戦したので。

 

 米国にとっての第一次大戦の意義とは、欧州の没落によるモンロー主義の確立である。モンロー主義の「欧州への不関与」こそ崩れたが、「欧州の南北アメリカ大陸への介入阻止」はむしろ第一次大戦で実体化するのである。

 

 実は六節を書き終えた後にこの節を直したのですが、最後の一文などそうやって挿入しました。人からはよく「とにかくウッドロー・ウィルソンへの悪意だけは伝わります」と言われます。悪意かどうかはわからないですが、現在の人類の不幸は、この人物が作った訳ですから、まちがっても聖人君子としては描けないでしょう。


2009年11月27日(金曜日)

日本国憲法の正統性(1)―無効論

カテゴリー: - kurayama @ 11時26分31秒

 竹田先生と連絡が繋がりました。相変わらずご多忙で大変そうでした。

「竹田研究会会員一同、全員気持ちは同じくし、ご同情申し上げております。ただ決してお一人ではありませんよ。皆で応援いたします」と御伝えいたしました。私が何の資格で代表しているのかはさておき、たまたま繋がったということで、会員の皆様はご容赦をお願いします。その他の竹田先生を応援してくださっている方々の気持ちも勝手に代弁させていただきました。かなり僭越ですが、こういう事は一番早く連絡が取れた誰かが最初に御伝えするべきだと思いますし。

 さて、表題は小林よしのり氏に限らず、むしろ保守派を自認される方々に誤解があり、それが「内ゲバ」の様相を呈することもあるので、憲法学の基礎理論として、緊急講座を致したいと思います。これにより、相手の主張を結論だけ皮相に抽出して批難するのではなく、内容や論理体系をも踏まえた批判による議論が行われることを期待します。

 日本国憲法の正統性に関して竹田先生は「改正憲法説」をとられており、「たとえ占領下であっても、欽定憲法である事実は重い」との主張です。これに対して批判するのは構わないのですが、その前に「国体政体可分論」「改正限界説」「憲法優位説」「貫史憲法」などの意味を理解した上で批判されている論者がいた記憶がありません。他にも重要な概念が多々あるのですが、全部を言い出すとそれこそ博士論文一本になってしまいますので、要旨のみで。

(ちなみに「貫史憲法」など、ネットて調べてみても出てきません。その他の用語に関しても同様に、少しばかり素人が調べたくらいでは理解どころか、用語の意味すら調査できない、体系的な学術用語であると理解してください。はっきり言って、本当の学問とは手抜きができない厳しい世界だと思ってください。前にも書いた記憶がありますけど、例の『正論』の対談を字面だけ読んで、竹田先生は護憲派で私が改憲派、とかいう認識しかできないならば、これからの話はまったく理解できないと思ってください。あえて厳しい、下手をすると上から目線の文体に思われるかもしれませんが、これは自分のやってきた仕事に対する矜持の問題ですので、申し訳ないですけど、理解できない相手にとやかく批評されることへの怒りのようなものです。少なくとも、相手の言っていることが理解できないからレッテル張りをするならば、された相手にも怒る権利はあるでしょう。ちなみに私は改憲派でも何でも良いのですが、竹田先生を占領秩序全肯定の護憲派とする粗雑な議論には、本気で怒っています。これは学者の良心の問題です。)

 この論題、ややもすれば中身を検証せずに結論だけで判断する傾向があるので恐いのです。といっても、玄人でなければ本当のところはついていけない難解な議論です。私も理解している範囲をできるだけわかりやすく解説しようと思いますが、私自身の能力不足もあるでしょうし、表現の問題としてこれ以上簡単にできないところもあるので、そこはご容赦ください。

 

 本題。日本国憲法はなぜ日本国の憲法として正統性があるのか。

 そもそも「正統性」には歴史的伝統を踏まえている、との意味がある。日本国憲法は主権国家の憲法でありながら、占領下において外国軍隊の主導により制定された、しかも日本の歴史的伝統から逸脱する内容が多すぎる、などの「正当性」の段階で疑義がある。国際法的にも国内法的にも瑕疵がある以上、日本国憲法は憲法として無効である。よって「正統性」などありえない。

 以上が日本国憲法無効論の概要である。この立場に立つ論者の筆頭は金森徳次郎憲法担当国務大臣である。金森博士は「日本国憲法は本来ならば無効」と述べられておられた。この「本来ならば」の解釈は、厳密に法解釈をすればの意味であろう。

 菅原裕弁護士は体系的にこれを纏められている。(ちなみにWikiでは南出喜久治弁護士と渡部昇一博士だけが紹介されているが、せめて井上孚麿先生や、少し立場は違うが小森義峯先生を紹介しないのは、研究整理として落第である。) なお、枢密院議長として日本国憲法審議を行った清水澄博士も同様のお立場であられたと思われる。

 占領軍の行為は、国際法的には、確立された慣習国際法を文言化したハーグ陸戦法規に完全に違反している。この違反行為は、全人類に対する挑戦であり、絶対に許されない。正当性そして正統性があるとするにはまず国際法的問題を解決しなければならない。

 本来ならば、フランスやオーストリーがナチスドイツ占領期の憲法以下の法体系の無効を宣言して憲法を復元するのが正しい法手続である。

 ちなみに本朝においても、王政復古の大号令とそれに伴う三職(摂政・関白・征夷大将軍)の廃止は、法体系の復元である。それまで現実に存在した江戸幕府の秩序を否定し、神武創業の精神に立ち返りつつ、現に存在する秩序を尊重するための措置である。これができるのは天皇陛下ただお一人である。これによりわが国においては、社会の秩序を全否定する意味での「革命」は現実にも法的にも起こりえない。

 国内法においても、改正の限界が帝国憲法に存在したか否かはさいておいても、やはり古来の日本における歴史的伝統に基づく秩序(これを貫史憲法と称する)に明らかに反している部分も存在するのである。その範囲をどこに求めるかは議論が分かれるが、明らかな不備を一つだけあげると、九条二項である。戦力不保持と交戦権放棄は主権国家の否定であり、いかなる国の最高法規としても認められる内容ではない。もちろん日本国においてでもそうである。

 ただ、以上のような憲法無効論にも問題が生じる。

 憲法が無効だったとして、では現在までそれを否定しなかったのはなぜか。むしろ憲法として現実には機能しているのではないのか。今頃になって過去に遡って憲法の無効を宣言して誰がその混乱を収拾できるのか。また、一度憲法として国民が認知した憲法を全否定するのは革命と同じであり、それは国体そのものをあやうくしかねない。

 このような諸点への答えは困難である。また、「改正憲法説」「承認(追認)説」からは有力な批判があるので、縷々紹介する。ちなみに「八月革命説」からは無力な反論があるが。

 

 かなり難解な内容だと思われるが、大前提は二つ。

一、完全な正解は存在しえない問題である。

二、そもそも正当性と正統性が問題にある憲法の時点で、日本国憲法は異常である。

 

 憲法無効論に対する私の立場は、清水博士・金森博士・菅原弁護士の論は有力であると考えています。ただし、「議会が憲法の無効を宣言すれば良い」「帝国憲法の何条に違反しているから」「(慣習国際法に基づかない)何とか条約、例えば大西洋憲章に違反しているから」などという粗雑な議論は否定します。


想像してみましょう。日本語が失われた祖国を。

カテゴリー: - kurayama @ 04時36分04秒

 移民大国のアメリカ合衆国で、麻薬以上に流入を恐れているものは何か。

 スペイン語である。なぜか。

 東西に関係なく、フロリダ・テキサスからカリフォルニアまで、スペイン語人口が急速に増え、英語が話せない層が増えている。ブッシュ二世大統領がスペイン語で演説ができるので、南部ヒスパニックの支持を権力基盤としたのは周知の通り。それほど影響力は大きい。ただしそれ自体は深刻ではない。米国特有の原理、「先に入った移民は後から来た移民をいじめる。それにより階級ができても仕方がない。それがいやならば、自由と機会に溢れた国の建前があるので、成りあがればよい。」との「アメリカンドリーム」で、秩序を正当化するだけなので。

 ちなみに米国のこの論理、中世スペインの異端審問に比べれば穏健でしょう。支配階級であるイスラムにアイデンティティーを奪われないために、イベリア半島諸国が裏切り者に対してどれほど凄まじい拷問を加えていったか。

 ただ、国歌「星条旗」をスペイン語で歌うとなると話は別である。日本のサヨクが想像する「戦前の現人神信仰」などとは比べ物にならないくらい国旗国歌への忠誠が強い米国である。どこまで許容できるかで深刻な論争を引き起こしたとのことである。

 先日火曜日に、武山百合子元代議士夫妻に来場していただいたのですが、ご主人の彰吾さんに倫理法人会などでいつもお世話になっていまして、本日も以上のような興味深いお話をしていただきました。

 武山さん、米国在住三十年らしいのですが、当然ながら参政権はもらえない訳です。米国の論理は簡単で、「国籍をとればあげますよ」です。当然ですね。国家に忠誠を誓い、運命をともにしない人に、どうして参政権をあげねばならないのか。

 参政権とは人権ではなく、特権です。特権をあげなければ差別なのであれば、その差別の何が悪いのか。それは合理的区別となぜ言えないのか。納得できる立証をしてもらいたい。

 日本の国会議員の過半数が賛成していると言われる外国人参政権だが、どこまで認める気なのか。地方議員の選挙権被選挙権?知事や市長など主張の選挙権被選挙権?副知事など幹部公務員への就任権?首長・議会・議員へのリコール?住民投票や条例制定要求?

 日本国の公用語は日本語だけである。この一事でもって我が国は模範的な国民国家である。このような国は幸せである。

 二つ以上主要言語が存在している国では必ず深刻な民族対立が存在している。たとえば、穏健と言われるベルギーなどでもそうでもある。

 植民地支配を経験した多くの国では、統治者は旧宗主国の言語を駆使し、一般市民は先祖伝来の言語を話す。そして議会で話されたり法律で書かれた文字を、旧宗主国の人間は容易に理解できるのに、一般国民の多数はさっぱりわからない。アフリカではありふれた光景である。

 

 最初に、ヒトラーはラインラントを要求した。皆、それくらいは仕方ないと思った。

 次いで、ヒトラーはオーストリアを併合した。皆、当然の権利だと押し切られた。

 最後に、ヒトラーはチェコスロバキアを強奪した。皆、これが最後だと信じたかった。

 そして、ヒトラーはポーランドに侵攻した。皆、遅まきながら戦う準備を始めた。

 

 想像してみましょう。公務員試験の言語が日本語以外で受けられるような社会を。

 想像してみましょう。その言語が何語かを。英語でも許せませんよ、私は。

 

 何度も繰り返します。外国人参政権法案、許せないのは確信犯であろうが単なる無知であろうが、推進する日本人です!日本人の敵は反日的日本人です!

 誇りを持って「我が国」と言える国、日本。若者達が立ち上がらなくて誰が守るのか?


世界史(3)―総力戦体制

カテゴリー: - kurayama @ 03時57分20秒

 ボツネタその一。 ドイツの将軍は開戦劈頭、イタリア軍参戦の速報を聞いて訊ねた。「敵軍にか、我が軍にか?」と。副官答えて曰く。「裏切って我が軍に攻め込みました!」と。将軍曰く「ばんざーい!足手まといが向こうに行った!」と。・・・イタリア軍が戦争を二年長引かせたと言われる。

 ボツネタその二。トルコの参戦は連合国の勝利を二年遅らせた。よって、双方が短期決戦になると思われた戦争が、四年にも及ぶ大戦になってしまった。。。

 ちなみに、「決戦」とは、「その勝利により講和に持ち込む戦闘」のことです。講和とは条件交渉である以上、総力戦において決戦など存在しないのです。

 このことから応用。

 日米戦争における日本海軍はいつかどこかで起きるであろう「艦隊決戦」を延々と追いかけ続けた。米国が総力戦を挑んでいることに気づいていなかったのか、それとも総力戦そのものを理解していなかったのか。答えは両方である。この人たち、日米戦争の趨勢のほとんどを予言的中させた総力戦研究所の提言など、組織的には何も理解していなかったと称されても文句は言えまい。日本海軍、この意味で無能な官僚機構である。現場は優秀なのに、中央のお偉いさん(キャリア官僚)ときたら。。。

 さらに。敗戦濃厚の昭和二十年。「本土決戦」と怒鳴っていた、頭の中身が風越信吾のような陸海軍の首脳を占めていた。この一事で日本人の本音は戦争をやめたがっていたとわかる。「決戦」とはその戦闘で戦争そのものをやめることを前提としているので。日本を占領してからが本番で、「どうやって日本人を洗脳し、自分の都合の良いように改造してやろうか」などと考えている米国人と比べて何と軟弱なことか。ちなみに、日本人改造計画の教範のひとつが『菊と刀』である。

 さて、本題。 

 副題の「敵の総力を打倒する戦争に」は私が変えました。「国家の総力を動員する」だと、単なる総動員体制ですから。

 第二段落は、国際的には常識的な内容ですが、日本では異様に受け取られるでしょうね。たぶん、日本近代史家の大半は「伝統国際法」など、何のことか説明できないでしょうし。しかし、ウェストファリア体制とかウィーン体制が何かわからずに日本近代史を語れる人って、才能なのか、勇気があるのか。少なくとも私にはそんな匹夫の勇は無理です。院生時代に基礎から勉強しました。

 戦争とは、「鉄(軍事力)と金(経済力)と紙(言語力)」というの表現には苦心しました。鉄と金は誰でも説明できるのですけど、「紙」とは何だとなると、「外交力」「宣伝力」「文化力」など、色々な表現ができますけど、そのすべてを包含した用語として「言語力」との造語をしました。今の日本に最も必要だと思います。

 ちなみに、最初の一段落と最後の一行で、何気なく日本目線を入れています。

 編集から「世界史もできるのですか」と聞かれて引き受けた仕事ですが、専門・応用はともかく、基礎・教養分野に関しては、いやしくも日本近代史を専攻する身としては、「世界史」に関してはわかっていなければならないと思っています。少なくとも日本は十九世紀以降は明らかに世界史に巻き込まれているのですから、日本国内だけの論理で日本を語れないでしょう。

 教科書には「世界の中の日本」などと題されることが多いのですが、日本史と東洋史(中華王朝史)と西洋史(英仏独史の一部)を並べただけで、なぜ「世界」を語れるのか。

 レスでその手の内容、たとえば「世界の中の日本史」みたいな内容を求めてくださる方が覆いようですけど、十年位前から用意はしていますよ。オファーがないだけで(笑)。ちなみに、外交史の先生にレジュメを見せたら、「今の大学院生にこれをわからせるのには一年はかかるねえ」とのお言葉をいただきました。今だと三年くらい?


2009年11月26日(木曜日)

世界史(2)―第一次世界大戦勃発

カテゴリー: - kurayama @ 01時09分49秒

 第一段落、ハプスブルクを中心とした大ドイツ主義とプロシアを中心とした小ドイツ主義の相克からはじめなければならないのですが、字数の都合でかなり削りました。普丁(プロシア・デンマーク)戦争はいずこへ?って全部を書く訳にはいかないので勘弁してください。この手の書籍は、何を書かないかの決断が一番大変なのです。

 この節に限らないのですが、この原稿全体、全部記憶だけで書きました。より正確に言うと、最初に記憶だけで書いて、後から事実関係を史料で確認するという作業工程ですが。その割にはこの節、「バルカン史の研究者をうならせる要約!」を意識してます。1908年という年、日本にとっても、欧州にとっても、バルカンにとっても、そして世界にとっても、重要な年で、しかもそれらがすべて繋がっていると言うことを言っているの、日本人だと中山冶一さんと黒羽茂さんくらいかなあ。同時代でそういうことを言っていた吉野作造の洞察力、驚嘆しますね。

 余裕があれば、「エーレンタール小伝ー火薬庫に火をつけた男」とかやりたいのですが、さすがにこのネタの渋滞では。。。日本の外交史家でエーレンタール知っている人どれくらいいるだろうか。日本の同時代で言えば小村寿太郎くらい重要人物なのだが。逆に欧州の外交史家で小村を知っている人はどれくらいだろう。どちらも知らなければ、どちらもわからない、というのが私のたどりついた結論です。小村は明治を代表する日本の外相、エーレンタールは1900ヒトケタ年代の欧州外交を牽引した(引っ掻き回した)ハプスブルク帝国外相(オーストリー=ハンガリア帝国・統一外相)です。

 一九一四年六月二八日にハプスブルク帝国皇儲夫妻が暗殺されるサラエボ事件で、第一次大戦が勃発するのはご存知の通り。フランツ・フェルナンド殿下は皇太子じゃないですよ。六月二十八日の意味も言い出したらキリがないので軽く流しました。なぜ、よりによってこの日にパレードなどをするのか。。。ちなみにスロヴォダン・ミロシェビッチが逮捕(自主投降?)されたのも六月二十八日です。セルビアでは何かが起きる日です。

 第二次大戦はケインズが予言したように、勃発は必然です。それに対して、第一次大戦は何の必然もないのです。錯誤(「マヌケ」と読みます)の連続で発生してしまった悲劇です。その辺り、「絶対死刑にするからウチの国で下手人の裁判をやらせて」というセルビアに対して、ハプスブルク宮廷は、「不誠実だ!宣戦布告だ!」とやってしまい。。。が十回くらい重なり。。。

 実は宮廷の連中、「フランツフェルナンドのような他民族への融和主義者の邪魔者が消えてくれてありがたい」との本音を隠しているのですけど。とか。

 欧州の国際関係が日本にとってどれほど重要か、日本を中心とした東アジアの情勢がどれほど欧州にとって重要か、もっと詳しく書きたかったのですけど、初学者用教材ということで断念しました。解説する余裕がなさすぎますので地図でも日本を入れませんでした。

 「帝国憲法講義」に来てくださった方は、「七年戦争により日露戦争の舞台が用意された」という話に一様に驚いてくれたようですけど。一七六一年以降、実は日本は世界史の渦中にいたのです。ちなみにその事実に最初に気づいた大物はおそらく田沼意次です。徳川吉宗もおそらく予感はしていたと思います。これの立証は私の生きている内にはできそうもないので、意欲のある人は研究してみてください。仮説の全体像と方法論を教えますので。

 ということで、日本は世界の中で生きている以上、日本のことも世界のことも知らねばならないのです。


2009年11月25日(水曜日)

今週の「ゴーマニズム宣言」の竹田恒泰批判に関して

カテゴリー: - kurayama @ 17時04分23秒

 今週の『SAPIO』の「ゴーマニズム宣言」で小林よしのり氏が一本分を丸々費やして、竹田恒泰氏への批判を展開しておられる。この砦にレスをつけてくださっている方々の中にもどう反応してよいかわからない方も多いかと拝察いたしますので、私の見解を述べたいと思います。その上で皆さんがご判断して頂ければと思います。

 個人的には、小林よしのり氏は間違いなく歴史に名を残す漫画家として尊敬しています。ちなみに『厳格に訊け!』が一番好きですよ。『ゴー宣』の中でも「南の島に雪が降る」とか、涙なしに読めない傑作だと思いますし。現実と作品の境界を越えて緊張感ある世界を作り出すという意味では、梶原一騎以上の存在だと思っています(これ、マンガに詳しくない人のために解説しておくと、最大級の褒め言葉です)。

 また、彼が日本を思う立場で言論活動を行っているのは間違いないでしょうし、実際にこれまで多くの言説で世の中を動かしている以上、敬意を払う存在だとは思います。一部に「商売でやっている」との批判があり、御本人も過剰に反応しているところもあるのですが、それは別に構わないでしょう。「商売として成立する」ように、色々な運動を盛り上げるということ自体は、良いことであってもそれ自体が悪ではないのですから。小林氏の本心が本当に純粋か不純かなど、本人しかわからないのですから、彼の言動に関してのみ各々が賛否の立場をとれば良いだけの話なので。

 その上で、私が親しくさせていただいている竹田さんに関して、「これは一線を超えて人格攻撃になっているのではないかな」と思われる微妙な表現が散見したのは如何なものでしょうか。

「「偽ブランド」で商売をしていると勘繰られても仕方がなかろう」「定職に就いた様子はない」「ずいぶん政治色の強い人物のようだ」「詐術」「卑劣」、などはどうしても使わねばならない表現だったとは思えないので、筆の走りすぎかなと解釈しました。

 私が懸念するのは、件の皇室典範論争の時は下積みの立場で色々と偉い先生たちの議論を裏方で仰ぎ見ることが多かったのでその経験から言うのですが、皇室を思うあまり感情的な表現を使いすぎる傾向がどなたにもあるということです。普段温厚な先生方同士が感情を剥き出しにして罵り合う光景は見るに堪えなかったので、少なくとも私の砦の読者の皆様には、感情的な表現だけは慎んで頂ければと思います。いつ味方になるか分からない人に対して批判ではなく非難を行うのは問題のある感覚です。

 内容への疑問と誤解に関しては以下に列挙します。

 主題は「旧皇族の皇籍復帰は非である」ということで、つまり「一度でも民間人になられた方やそのご子息が皇族に復帰して、天皇になる可能性があるなどとはそれこそ問題である」とのことです。もしこの通りの主張ならば、宇多天皇の先例もあり、宇多帝御自身が相当な御苦労をされた事実を思い起こせば、なおさら苦難の道であり、現実的には国民の理解を得るのが難しのは確かでしょう。

 ただ、私が考える「旧皇族の復帰」とは、「旧皇族の方々に皇族に復帰していただいて、その御子息の方々に皇族としてふさわしい御教育を用意し、万が一の時に備えていただく」という意味ですので、小林氏の批判される「旧皇族復帰案」とは違う内容です。つまり、現時点で民間人として生活されている方々が天皇になられることはありえない訳です。よって、小林氏の懸念に関しては論題充当性がないので答えようがない、というしかないのです。

 「竹田氏は全然気づいていない。」の後に、「皇居内に悠仁親王が一人でのこされてしまう」と続くのですが、これは完全に小林氏の誤解です。将来、秋篠若宮殿下が即位される際には、皇族が一人もいなくなる、というのが竹田さんや私の問題意識ですから。この砦でもそれは何度も強調しているくらいですから、「竹田さんが気付いていない」とはまったくの誤解です。むしろこの点で、小林氏と竹田先生は完全に問題意識は一致しています。解決の方法論はまったく逆ですが。

 旧皇族の方々が何親等離れているかの議論ですが、これは継体天皇・後花園天皇・光格天皇の先例、そして宮家創設の先例を検討する上での議論だと思います。その解釈によるのですが、私は「何親等以上離れたら不可」という先例はないが、「女系」は先例がない、との立場です。「Y染色体」云々の議論は、私は竹田さんと一度もしたことがないので、「そういうことを言ったことが、八木さんの発言に賛成していたかな」くらいの感覚しか持てないのですみません。

 竹田先生の憲法無効論批判と「国民が決めればよい」は、佐々木惣一・大石義雄両先生以来の京都学派伝統の憲法論ですので、結論だけ取り出して論評するのは危険です、としか言いようがないです。この砦でも近いうちに解説します。竹田先生・佐々木先生・大石先生のいずれも占領憲法全肯定のお立場でないことだけは確かです。

 最後に。竹田さんは色々な揶揄にさらされていますが、御自身の立場を考えるのであるならば、社会に向かって声をあげる必要がない立場にあった訳です。言論界にいる以上、竹田先生の御意見にすべて賛成せよなどというのは愚かなことであって、聞いた人が自分の頭で考えて賛否を表明すれば良いのですが、一つの議題で立場が異なっても、また別の議題では同じくする可能性もある訳です。そして立場が異なる敵であっても尊敬できる相手も存在する訳です。

 竹田先生への小林氏の批判がどういう方向に飛び火するかわかりませんが、感情的な対立になることだけは望みません。繰り返しますが、賛否いずれにせよ、相手への敬意を払った議論を望みます。

 少なくとも私は小林氏とは女系天皇論に関して意見を異にしますが、敬意は払います。


拉致と指揮権発動と政治不信

カテゴリー: - kurayama @ 15時08分48秒

 昨日は、拉致された日本人の中でも政府に認定されていない特定失踪者の生島孝子さん(68歳)の姉にあたる馨子さん(70歳)もお越しいただきました。孝子さんはもし日本に帰ってきてもお姉さんしか身寄りがいません。しかも姉妹お二人ともご高齢です。

 生島さんがおっしゃるには、

「若い人にこの事実を知ってほしい!」

とのことです。

 忘れられると、それで終わりにされてしまいますから。「無関心による殺人」という言葉があります。「殺人者」になりたくない人は、特定失踪者のことを会う人や連絡をとれる人すべてに伝えましょう!それだけで北朝鮮は日本を無視できません。ましてや拉致した日本人に手出しはできないのです。何かあれば日本人の恨みを永久にかうことになりますから。

 

 ところで、例によって訳あって名を明かせない人から「これを書いてください」メールが来ましたので、以下紹介します。

千葉法相に日本人拉致事件で“追試” 知らなかった被害者の名前 (11月19日17時10分配信 産経新聞)  千葉景子法相は19日の参院法務委員会で、拉致実行犯である辛光洙(しんがんす)元死刑囚による被害者の名前を問われ、「原敕晁(ただあき)さんと承知はいたしております」と答えた。17日の衆院法務委で同じ質問に答えられなかったため再質問されたもので、法相は“追試”を何とかパスした形だ。森雅子氏(自民)の質問に答えた。千葉氏は、自身が平成元年に辛元死刑囚の釈放嘆願書に署名したことについては「韓国の民主化運動で逮捕されるなどしたみなさんの署名ということで署名した」と改めて釈明。森氏は「大臣が助命嘆願書に署名した辛元死刑囚が拉致した被害者の名前は承知してください」と諭した。この問題をめぐっては、17日の衆院法務委でも、自民党の棚橋泰文氏が辛元死刑囚による被害者の名前を質問した。千葉氏は秘書官に紙を手渡されたものの、原さんの「敕晁」という名前を読めずに「原さん」とだけ答弁。棚橋氏の追及を受け、再び秘書官の助けを借りて原さんのフルネームを答える場面があった。

 千葉法相って、この人どこまで冷酷で不真面目なのだか。拉致実行犯の釈放に「知らずに」署名したらしいが、ならば罪滅ぼしで拉致問題に熱心になっても罰は当たるまい。今国会を閉じる前に野党は不信任案を出すべきだろう。もちろん理由は

「人権問題を扱う法相として不真面目で不適格」

しかありえない。否決されるのはわかりきっているのだから、提出理由説明演説で徹底的に非を訴えればよい。

 かたやたった一人で身寄りなきおばあさんが異国の地にさらわれた妹の身を思いながら助けを求めている。かたや国を売った不真面目な政治家がわが世の春を謳歌している。いやな社会になったものだ。と嘆いていても仕方がない。思いついたことは全部やりましょう。

 

 しかし、鳩山・小沢の周辺で毎日のように疑惑が報道されている。検察には適切な仕事をしてほしい。この言葉の意味が鳩山首相と同じ意味であるかどうかは、私は知らない。

 千葉大臣、指揮権発動したら、それこそ支持率激減だろう。

 

 造船疑獄の吉田茂首相が佐藤栄作自由党幹事長(&池田勇人政調会長)の政治生命を助けるために、指揮権発動により、検事総長の佐藤逮捕請求を却下したとされる指揮権発動である。これが捜査に行き詰った検察から言い出したものであるとの説があるがどうなのだろう。指揮権発動と同日に法相辞任をしているし、結局はこれを大義名分に与党が造反して野党と新党を結成して退陣に追い込まれているんであるから。もし検察の泣き言を吉田が聞いたのなら、相当間抜けな話である。ありえない話とも言い切れないが。

 この時に大事な話は、不信任案可決が可決される絶望的な状況で吉田は解散総選挙による政権しがみつきを策すが、緒方竹虎副総理の「憲政の常道に従い、退陣すべきです」の一言に抗せず、退陣に至る。疑惑まみれの政権で総選挙などしたくないのは当然である。やったら第一次中曽根内閣みたいに負けるの分かっているし。

 民主党政権、鳩山内閣が総辞職したら、次の政権が「来年夏の参議院選挙で衆議院選挙も同時に行い、国民の審判を仰ぐ。それまでは内閣は職務にまっとうし、国民の皆様に仕事を判断してもらう。」と宣言すれば良い。野党、特に自民党はそれを受けて来年の選挙準備と政策論争をすれば良い。それが憲政の常道である。

 ロッキード事件の時の三木武夫内閣では、前首相の田中角栄の逮捕をめぐり、「事件の全容解明」を公約し国民世論の支持により政権浮揚を狙う三木首相が「逮捕せよ」と逆指揮権を発動したとの説が有力である。しかし、三木は衆議院解散に踏み切れなかった。反対も強かったが、決断できなかったのである。結局、粘れるだけ粘ったが、行くところまでいって退陣し、自民党も結党以来の敗北を喫した。憲政の常道を守れなかったのである。

 この話、次回「亡国前夜」と大きく関係があります。

 それはさておき、拉致問題忘れるべからず。  


昨日の東條さんとのイベント満員御礼

カテゴリー: - kurayama @ 10時50分37秒

 まずは満員御礼申し上げます。

 おかげさまで、「正しい異業種交流会」になってきました。赤坂大輔先生は寝起きのところを駆けつけていただき、ありがとうございました。しかもこの砦を熟読していただいて、体調の心配までしていただきました。ありがとうございます。

 武山百合子元衆議院議員、椿邦司北区議会議員、社会人と学生の方に多数集まっていただきました。次は12月11日(金)竹田恒泰先生大講演会をいたします。よろしくお願いします。

 さて当日はまず私が前座で「戦前の日本人は大日本帝国が滅びるなどとは、ほとんどの人が思っていなかった。空襲されてからではもう遅い。では取り返しがつかなくなる前はいつなのか?」という現代に通じすぎる話をしました。

 現代ではいつか?来年の夏です。その後で行動しようなどと思っても、守るべき日本などなくなっています。今、行動して、何とか守るべき日本を守らないと、日本は滅びます。

 民主党は論外として、自民党も崩壊しています。ではどうするかと言うと、まずは今の日本が亡国の危機にある、と日本人の一定多数以上が認識するところからはじめましょう。だから皆さんもこの砦の話を一人でも多くの人に広めてください。

 来年の夏は

白村江にして、

日本海海戦にして、

真珠湾攻撃です。

 ここで負けた後のことなど何も考えなくて良いのです。負けたら滅びるだけですから。勝つことだけを考えていれば良いのです。

 そこで懇親会で聞かれた質問。若者は何をすれば良いですか?

 誰でもできることとして以下。

一、倉山満の砦を毎日二回以上見る。 

一、倉山満の砦に一日一回以上書き込みをする。

一、倉山満の砦の内容を一日会う人に必ず話す。

一、倉山満の砦に書き込みをするよう、色々な人に誘ってみる。交流の輪を広げる。

一、倉山満の行事には必ず参加する。

一、倉山満の行事に一人でも多くの人を誘う。

 これだけ聞いてわかると思いますが、倉山満とはもはや個人の所有物ではなく、一つの運動体であり商品だと思っています。私個人のきまぐれで言動はできないという覚悟もとっくの昔にしています。


2009年11月24日(火曜日)

外国人参政権賛成論者を一言で論破しましょう

カテゴリー: - kurayama @ 01時48分18秒

 まずは、やたらと気合の入った記事を見つけたので、紹介します。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/091123/crm0911231801007-n1.htm

 この砦でも追い続けている、鳩山首相と小沢幹事長の疑惑ですが、結局検察の手がどこまで伸びるかが重要になるでしょう。ちなみに指揮権発動して疑惑の大物政治家の逮捕を阻止したとして、国民はその政権を許すだろうか。

 

 さて、外国人参政権を一言で論破するには、

なぜ国籍をとらないのですか?!

 お願いだからこの疑問に答えて欲しい。

 ついでにこんな動き。外国人住民基本法制定の請願らしい。

http://news.goo.ne.jp/hatake/20091117/kiji3962.html?type=tree

「日本に居る外国人は差別されている。かわいそう。だから法律を制定して彼らを助けてあげることはいいことです。それに反対する貴方は差別者です!」とか言い出す勘違いには一言で言い返してあげましょう。

 それとこれとは話が別!

 もう少し丁寧に言うと、

「どこの国にも多かれ少なかれ差別はある。差別とは不合理な区別のことであり、この世からあらゆる差別が完全になくなることは個の喪失と同義であり、かえって問題が起きる。しかし、犯罪が完全になくなることが現実には想定できなくても、可能な限り犯罪を無くす努力は必要である。差別をなくす努力も同様に必要である。では外国人参政権などは本当に差別されて困っている人への救済になるのか。そもそも外国人参政権そのものが、まじめに国籍をとった帰化人への差別になるのではないのか。本国の国籍を放棄しないままよその国の参政権を寄越せというのは人権でもなんでもなく、とんでもない特権ではないのか。外国人参政権の付与が差別にならないこと、形を変えての外国人住民基本権が誰かに特権を与えるものではないということ、その法律の存在そのものが差別にならないということを納得できるように証明してください。少なくとも、法案の内容を審議した上での批判を言う権利は私には保証されますよね。何十年も前の歴史問題やらを持ち出して言論を封殺しようなどということはありえませんよね。」

 くらいでどうでしょう。

 もっと簡単には「倉山満の砦を見ろ」とか「レスで議論でも吹っかけてみれば」という言い方もできますね(笑)。

 何が気に入らないって、外国人参政権推進派って、議論などまともにできないくせに、レッテル張りだけは一人前なところです。日本の国会議員の多数が外国人参政権に賛成らしいが、この砦で言っているようなこと、わかっているのか、極めて疑問である。

 ついでに、外国人参政権に反対なだけで「あいつは差別者だ」云々のレッテル張りをする貴方!貴方こそ差別者です!そして全世界の自由主義者の敵です!

 外国人参政権を推進する特定の外国人の皆さん。あなた方はある意味立派です。参政権を持つ日本の若者が選挙にも行かずに虚無感にひたっているのに比べれば、選挙権すらないのに日本の政治家にあの手この手で影響力を行使して。あなた方とは決して交わることがないでしょうが、敵として尊敬します。

 それに比べて、「外国人参政権をあげることは人道的なよいことだ」と自分の頭で考えずに奇麗事のつもりで国を売る日本人、挙句には自分の反対言説には「あいつは差別者だ」「ああいう右翼には近づかないほうが良いよ」程度の言語しか吐けない日本人。

 ただただ不愉快である。


明日は東條さんとのイベント&PandA会ご紹介

カテゴリー: - kurayama @ 01時05分47秒

 もう本日になりますが、東條英利さんの講演会です。前座で私もしゃべりますので、お誘い合わせの上、お越しください。

☆11月24日(火) 

学校では教えられない日本人のための教養講座

「知識ゼロからの昭和16年」(講師:国士舘大学講師  倉山満)

「伝承文化と日本の未来」  (講師:カルチャージ社長 東條英利)

【会場】早稲田奉仕園 You&Iホール
【住所】169-8616 新宿区西早稲田2−3−1

【参加費】一般 1,000円 学生 500円

http://okamura-takeharu.com/modules/eguide/event.php?eid=24

 

 東條さんはご存知英機大将の曾孫にあたられます。一体日本はどこへ行くのか、守るべき伝統とは何なのか、という問題意識で企画しました。内容はマニア向けではなく、一般向けです。

 例えば、東條家ではしつけはかなり厳しかった、とか普通の人は知らないと思いますので、身内の方からすると当たり前すぎる話を、今の若い人、特に知らないもしくは忘れている人に向けてお話ください、とお願いしました。 

 

 19日以来、大事な会合が連続しており、計算したら一日平均睡眠時間が四時間でした。21日はそのせいで更新が途切れてしまいました。すいません。

 20日は出版社に、持ち込みの手伝い&不始末のお詫び(私がした訳ではないですけど)&打ち合わせでした。「戦前の日本には今よりまともな民意が存在してよほど強く機能していた。」「憲法を見なければ、日本近代政治史など『小説吉田学校』と変わらなくなる」などという話を茶飲話で。

 21日は朝から夜まで大事な打ち合わせでした。その後、仙台から上京される先輩のご尊顔を拝しに合流。吉住健一都議は相当できあがっていました。笑

 22日は昼から竹田研究会でお世話になっている仲手川社長と中村屋へ。社長ブログは以下。

http://calendar.j-brain.jp/word/id/219

 さらに仲手川社長に連れられて、PandD会(近現代史研究会)へ。チャンネル桜でおなじみの濱口和久キャスターもおられました。濱口先輩のブログは以下。何の先輩かは内緒(でもないか)。自衛隊でないことだけは確かです(笑)。防衛大学校関係ではありますが。

http://blog.livedoor.jp/kazuhisa431014/

 なぜPandDかと言うと、Passion and Actionのことなのと、会長がパンダ好きだから、だそうです(笑)。思わず「パンダはチベットの動物ですよね」などと返答してしまう私でした。会のH.P.は以下。

http://www.panda1945.net/index.html

 笹幸恵会長のブログは以下。今月から、小林よしのりさんと「チャンネル桜」で番組をやっておられます。

http://www.panda1945.net/blog/hibipanda.html

 内容は「占守島の戦闘と二年間の抑留生活」と題する、岩瀬しげしさんの体験談です。この日あたりになると、もう座っているだけで意識朦朧になるのですが、メモを取る勘所になると手が動く私の歴史家としての本能。

 というか、誰も私が歴史の先生だって知らなかった。。。「憲法の先生」だとばかり言われるもので。この砦のタイトルも「歴史講義」なのに。泣

 ちなみに私、オーラルヒストリー、得意です。やらないだけで。

 ちなみに笹さんに『世界史』を見せたら、「図表入りで1000字くらいに要約するのって一番大変なんですよね」と同情されました。さすがライター、その通りです。

 

 以上、かなり雑多な内容になってしまいましたが、早稲田奉仕園でお会いしましょう。


2009年11月23日(月曜日)

世界史(1)ー三国同盟と三国協商

カテゴリー: - kurayama @ 23時58分24秒

 『総図解 よくわかる世界史』(新人物往来社)の解説シリーズです。

 この章の「一味」は、バルカン戦争への拘り!ですね。本当はもっとビスマルク体制について書きたかったのですが。

 よく読むと、「3B政策」はあったが、「3C政策」などなかった、とわかりますね。「政策」の定義にもよりますが。

 実はあまりいわれないのだが、19世紀から一次大戦までのバルカン史って、セルビアとブルガリアの内ゲバが軸なのである。

 ついでに、「紛議」は国際法用語です。いまだに国際連合憲章などで使用されている重要な概念です。「紛争」とも「戦争」とも違います。何気ない一語の使い方も、国際法を知っているのといないのでは違ってくるという事例として。

 あと、全体的にイタリアを大国として数えていませんね。吉野作造などはハプスブルク帝国も大国には加えていませんでした。


2009年11月22日(日曜日)

田中秀臣先生にとりあげられました

 高名な経済学者であられる田中秀臣先生のブログで取り上げられました。

http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20091121#p7

 経済学・経済史は田中秀臣先生の御著書で勉強しましたので、感激の極みです。田中先生の御立場としては、城山三郎は、日本国民に数々の間違った経済認識を植えつけている点で有害である、との認識だとのことです。私もそう思います。城山三郎の「間違った政策を実行した人を、史実と創作の境界をあいまいというかいい加減にして、美化する」との手法は何とかならんのかな、と思いながらかのシリーズを書いていましたので。

 田中先生は私とは政治信条が違うとのことですが、それならばなおさらうれしいことです。


金融法強行採決への報道について

カテゴリー: - kurayama @ 22時37分55秒

 中小企業等金融円滑化法案に関する報道で気になることがあったので。

一、小沢民主党幹事長が強行採決を山岡国対委員長に指示。

三、山岡が強行採決の件で小沢に叱責される。

四、山岡は小沢の言いなり。国会全体が闇将軍の小沢に振り回される。

 さて、

二、横路衆議院議長が強行採決に懸念

を入れても、小沢は闇将軍なのだろうか。確かに鳩山首相や閣僚、ほとんどの国会議員より小沢氏の方が権力を握っているのは確かだろう。しかし、輿石や高嶋どころか、横路よりも序列が下だったのか?が今回の騒動に関する私の感想なのだが。結局、小沢が特定左翼勢力に振り回されているのではないのか?

 「闇将軍」とか「首相を超える真の実力者」とか、テレビや新聞は書かないが、週刊誌やタブロイド紙の方がこういう言い方をしがちである。しかし、今回に関しては、五大紙で目立っためで気になった。中身をよく読むと「二」が書いてある記事もあるのだが、たいていの読者は「あー、今の日本の影の支配者は小沢一郎なんだ」との印象を持つのでは?(記事ごとの細かい批評はしていられないが。)

 真の権力の中枢を隠す、というのは「憲政の常道」においては好ましくない。権限と責任は一致すべきであり、国民が最高権力者を選ぶという意味での民主制の蹂躙である。しかも、これでは特定左翼勢力の存在に国民が気づかないではないか。

 政治家と報道の関係についての基礎知識を。

 どんなにその政治家を悪く言っているようでも、「闇将軍」「実力者」などとつけてくれれば政治家は嬉しい生き物なのである。そういう意味では田中角栄・金丸信は健全であった。

 自分が権力を握っている事実を触れられたくないのは、官僚は習性だからしかたないが、政治家は如何なものか。かつての竹下登、今の特定左翼勢力がそうである。今の特定左翼勢力にいたっては、輿石・高嶋・横路すら本当に真の権力者であるのかどうかすら私は疑念を抱いているほどであるが、かといってどこに中枢があるのかは示せない。ただ、この三人が今のところ、小沢以上の発言力を有している事実だけは示せるが。

 小沢をかつての角栄や竹下に比す表現、違和感を感じる。別に「闇将軍」とか「真の権力者」などの表現を使う必要はないが、自治労・日教組それから在日外国人参政権推進勢力について、客観的な事実の報道を、いまよりもはるかに多い量を求めたい。


2009年11月20日(金曜日)

世界史(0)ー二つの世界大戦

カテゴリー: - kurayama @ 17時27分43秒

 昨日は、奇数月恒例の竹田研究会でした。私や一部の人は二時まで。竹田さんは一ヶ月で三日しか家に帰っていないとのこと、しかも台湾から渋谷に直行とのことでしたので、お帰りいただいて。笑

 私はというと、会員のN社長から、「最近更新が滞りがちですね」と厳しい一言に汗。あまりの多忙で更新できませんでした。今後は毎日更新します。ネタの渋滞シリーズもあるので、できれば一日二回を目途に。ということで、本当に一日二回閲覧してくださっている方も多いようです。ありがとうございます。頑張りまーす。

 今回は、竹田先生APA論文最優秀賞受賞記念とお誕生日会も兼ねて、でした。実は、先月の明治神宮での禊の後に、竹田さんや北海道神宮から来ていただいた禊の先生たちとお茶をしていた時に、丁度「全員一致推薦、最優秀賞受賞」の電話が竹田さんの携帯にかかってきたところに居合わせました。竹田さんと秘書さん、本当に嬉しそうに喜び合っていました。いい光景だったなあ、などと感慨。

 ちなみにお二人、我々との集合時間の前に先に祈願をしてきたらしいのですが、その二時間後に電話。ということで、「お祈りをしてから二時間でご利益」と、おそらく最短時間での満願成就?(笑)

 

 さて、いよいよ『総図解 よくわかる 世界史』が発売されます。私は第十一章「国際秩序の変貌と二つの世界大戦」を担当しました。明日かあさってには店頭にならぶと思います。コンセプトは、「世界史を習ったけど忘れた人、そもそも習っていない人」向けの世界史の本です。頁の半分は図表ですので相当わかりやすいと思います。その分、書く方は「苦行」でしたけど。

 「二つの世界大戦を1200字で要約せよ」とか、ほとんど無理難題のような要望に始まり、最後は「キュリー夫妻を750字で」まで。節に従い、17回シリーズで見所を解説します。というのは、入門書なので情報量自体はそれほど多くできないのです。その一方で好事家の視点も意識して、「一味だけ違う視点」というのも入れなければプロの仕事とは言えないのです。といっても普通の人にそれがわかるはずがないので、どこが「一味」なのか、を解説したいと思います。

 ということで、最初の「概説」の頁ですけど、1200字になどとてもおさめられず、最後は出版社で締め切り二十分前まで出張校正でした(大泣)。図表が多いのでFAXだけでやりとりする訳にはいかないですし。泣く泣く削った内容が、バルカン戦争です。日本史の教科書ではいきなりサラエヴォ事件から始まりますので訳がわからないですが、せめてバルカン戦争には触れないと、とは思っていたのですが。

 国名表記だけでも筆者の立場は現れるのですが、墺国は「ハプスブルク(帝国)」と表記しました。オーストリアでもオーストリア=ハンガリーでもなく、です。というかこの人たち、国の名前をどうするかで本気で殺し合いと民族差別をしている人たちなので。少なくとも現在のオーストリー共和国は、ハプスブルク帝国の版図の四分の一の領土しか継承していませんし、国家意識もまるで違うので。

 年表は編集部が作ったものを筆者が確認するのですが、「ドイツの降伏」は当然そのままに、「日本の無条件降伏」は「日本ポツダム宣言受諾」に直しました。そういうことを言う人はいるのですが、日本は無条件降伏などしていませんので。最も簡単な理由は、ポツダム宣言が降伏の条件ですから。


2009年11月19日(木曜日)

たたけば埃が出る民主党?

カテゴリー: - kurayama @ 14時45分54秒

 最近咳がすると思ったら、検察が民主党をたたいていた為か。そんな埃がこちらにまで?あ、ちなみに健康の方は大丈夫です。

 鳩山にしても小沢にしてもたたけば埃がでる身だろうし。

 http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091119/stt0911191133005-n1.htm

 水谷建設の件が事実ならば議員辞職せよ、と民主党中堅議員が発言。それも良いのでは?しなければしないで、来年の選挙にも関係してくるだろうし。

 

 最近気になるのは裁判員制度の綻びが出始めたことです。

 被告に向かって「ムカツク」とか、「用事があるので次回来れません」とか。いずれ考え直しの時期が来るとは思う。


2009年11月18日(水曜日)

ところで「参政権」とは

カテゴリー: - kurayama @ 23時59分18秒

 今回は「大学でできない」というより、「大学で言い足りない」講義、です。今週の日本国憲法の授業は「参政権と国務請求権」でした。毎年、時間調整に使っているような回なのだが、時節柄、ほとんど授業が時局講演会になってしまいました。

 

 まず、日本国憲法第三章は「国民の権利」である。「人権」と言い換えている東大憲法学のような人々がいて、最近は京都学派の人まで同じように使うから困るのであるが、あくまで「国民の権利」である。完全に置き換えることはできない。

 さて、第一問。人権の反対語は何か?

解一=物権。帝国憲法では「人権」などという概念を使っていないので、「人権」などは民法上の概念としてしか扱われなかった。

解二=特権。

 「国民の権利」には「人権」もあれば「特権」もある。つまり「国民の権利=人権+特権」の公式が成立するのである。

 「人権」とは、人が人であるという理由だけで認められる権利である。

 一方で、「特権」とは「人権」以外の権利である。人間全員にではなく、特定の人にだけ認められる権利である。

 では第二問。以下の権利は「人権」か「特権」か。

その一。何の理由もなく生命・財産・自由を奪われない。

解。近代憲法学の考え方では「人権」である。これが認められないと、人間は家畜と同じである。西欧ではこれが当たり前ではなかったので、あるゆる人間に人権を認めよう、人間は家畜ではないのだ、などと「人権」思想が発明された。昔は基本的人権と言ったような。この部分は「人権」でも「国民の権利」でも「臣民の権利」でも、まったく代替がきく。

その二。健康で文化的な最低限度の生活を営む権利。

解。一九一九年ワイマール憲法が発明した「人権」である。ただ息をしているだけではなく、人間らしい、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利まで認められて人間である、という考え方である。では「不健康で、非文化的で、最低限度以下の生活を自らの意思で選択する自由はないのか」、などという司法試験で出された超難問(愚行権について)もあるが、今日は省略。最近は「生存権」などという紛らわしい名前を使っているが、その一がマイナスをゼロにする権利ならば、その二はゼロをプラスアルファにする権利である。佐々木惣一先生は「生活権」と称していたが、適切と思われる。今はその一もその二も、まとめて「人権」とされる。

その三。選挙権。

解。「特権」である。大学ではこれを「人権」と教えざるをえないので良心の呵責を感じる。

 中世ヨーロッパ神聖ローマ帝国では、皇帝の選挙権のことを指した。七人の選帝侯と呼ばれる超特権貴族にしか認められなかった。後に九人に増えたが、フランス国王など毎回門前払いである。日本国憲法が大好きな古代ギリシャの直接民主制でも、選挙権は戦争に行く義務を果たした市民だけの特権であったので、女子供奴隷に選挙権はない、もしくはまともな人間として認められなかった。

 選挙権は国民の権利ではあっても、国民だけに認められた「特権」であって、「人権」ではないので、国民以外の人々に認める必要はない。ついでに言うと、天皇皇族は賛成権の対象ではないし、未成年には認められていない。少なくとも、その一とは明らかに性質が異なろう。

 これを外国人に与えると想定する根拠、是非とも教えて欲しい。賛成論者の本をいくら読んでもどこにもまともな根拠を書いていないのは、これまでのこの砦での話の通り。

 さて参政権とは何か。

選挙権(公務員選定権とも言う)・・・国会議員、地方議員、首長の。間接的には総理大臣も。

被選挙権・・・上に同じ。

公務就任権・・・国家及び地方の幹部職以上を想定されたし。(被選挙権も含めてもよい。)

公務員罷免権・・・首長・地方議員・幹部公務員(副知事など)に対しては解職請求を直接できる。間接的には総理大臣や国会議員に対しては、選挙権を通じて行っている。

 ついでに地方自治では、住民投票や住民発案(条例制定改廃要求)という形式で政治参加の道が開かれている。

 参政権とは政治に参加する権利である。なぜ国民として運命を共にする気がない人に認める必要があるのか。外国人だからと命を奪うのは良くない。当たり前である。双方の国民の権利として尊重しあいましょうという考え方は文明国の付き合いとして当然である。

 翻って、その国の政治に参加する権利は歴史的にも、理論的にも特別な権利である。なぜ外国人に認める必要があるのか。

 

 民主党、上記の参政権をどこまで認める気か。平成二十三年の統一地方選挙で実施したいらしいが、せめてまともな理論的根拠を示すべきである。

 「某都知事、在日外国人への差別的思想の持ち主との疑いにより、住民の解職請求により知事を辞任」などという暗黒社会にならないようにしなければならない。

 

 ちなみに最近驚いた東大憲法学の言説。

「しょせん宮沢俊義先生は国家主義者だった。在日外国人参政権には反対の立場であった。」

 こいつらの頭の悪さ、底なしである。

 ついていけない。


2009年11月15日(日曜日)

亡国前夜(10)―自民党はなぜ敗北したか

カテゴリー: - kurayama @ 02時46分28秒

 自民党はなぜ敗北したか。講演などでは「鎌倉幕府が滅びたのと同じ理由」と述べています。ということは民主党政権は???

 さて、本題。

 自民党が敗北した理由としてまったく間違っているのが、「麻生太郎が漢字が読めなかったから」である。そんなものは単なる現象であって本質でもなかろう。

 翻って考えよう。池田勇人などは所信表明演説で「能ある猫はヘソ隠す!」と自信満々に述べて国会中の大爆笑を誘い、「君達、人が真面目に演説しているのになんだ!」と本気で怒ったので、さらに自民党も社会党も一緒になって笑いあったという逸話も残されている。

 では麻生と池田の違いは何か?麻生は慢性的不況(要するにデフレ)下の総理である。経済が上手くいっていない時にアホなことを最高責任者に言われたら国民は殺気立つ、というそれ以上でも以下でもない現象である。逆を言えば経済が上手く言っていれば笑って許されるのである。

 池田は高度経済成長を成功させた総理大臣である。戦後政治家の中で唯一、日本をどのような国家にするかという意味での国家観を描き、病気で退陣するまでほとんどすべてに成功しているのである。最も成功した池田の理念は、「日本は特別な金持ちなど居なくても良い。皆が真面目に働けば、皆が豊かになれる社会を実現するのだ」である。これは一時期「総中流意識」などと揶揄されたが、「ごく一部だけが特権階級、ほとんどすべてが下流」などという今と比べていかがか。もはやなつかしいを通り越して夢物語であろう。しかし確かに存在したのである。

 確かに池田には、吉田茂首相や石橋湛山蔵相のような優れた上司もいたし(もうひとり重要人物がいるのだが、それはいずれ論文か本にしたいので企業秘密)、前任首相の鳩山一郎や岸信介は既に高度経済成長路線を走っていたし、そもそも下村治のようなブレーンの発案がなければ出てこない発想だが、それでも高度経済成長により、極端な金持ちは居ない代わりに極端な貧乏人は出さないという社会を築いた功績は、誰よりも池田勇人に帰すべきであろう。その後の自民党は池田の遺産を食いつぶしていたと断言できる。

 自民党が政権を維持できたのはなぜか。民主党登場以前は、野党第一党の座に日本社会党という、政権担当意欲が皆無な、政党と呼ぶのもおこがましい院内会派兼圧力団体が居座っていたから、国民はどんなに与党に不満でも現実的には自民党しか政権の選択肢がなかったからと言える。ただこれだけでは、自民党が時々大勝した理由が説明できない。そのような消極的な理由だけなら、自民党も社会党も両方とも目減りしなければならないが、社会党だけが一方的に減退しているのである(例外が土井たか子のマドンナブーム)。

 昭和五十一年のロッキード三木おろし選挙が「支持政党なし」のいわゆる無党派層が発生したとされる。これ以降の12回の衆議院選挙で、10回は無党派層の動向で風が吹いたと言われる。つまり、世論の風により勝者が決まっているのである。自民党は5勝5敗である。

 内訳は、

三木・・・ロッキード事件と三木おろしへの反感で大敗。新自由クラブ躍進。

大平・・・一般消費税導入発言への反発でさらに大敗。伯仲国会に。

大平・二回目・・・大平の死への同情票で大勝。

中曽根・・・田中角栄有罪判決で大敗。伯仲国会で新自由クラブとの連立を余儀なくされる。

中曽根・二回目・・・衆参同日解散を断行し大勝。

海部・・・社会党政権への不安を煽りまくり、議席は減らしたが安定多数を獲得。

宮沢・・・政治改革解散。新党ブームで大敗。野党転落。

(橋本・・・特に風なし。与党を確保。)

(森・・・意外と風が起きず。与党を確保。)

小泉・・・小泉ブーム。大勝。

小泉・二回目・・・郵政解散。史上最高の大勝。

麻生・・・政権交代選挙。民主に大敗。

 

 そもそも自民党とはどのような政党か。社会党ではなくて自民党でなくてはならない理由はなんだったのか。

 これは私の独自の説ではなくて、浜田幸一という政治評論家が言っていたのだが、自民党の存在意義は「富の公正配分をすることにある」だそうである。これと同時に、「自由主義陣営の一員として日米安保条約を守り云々」となるのだが、それは如何なものか。池田の死後の佐藤内閣では、主権国家としてまともな国防政策をやめているので。

 つまり、自民党は経済が元気で、利権を配れる以上は政権政党でいられたのである。上で言えば、中曽根内閣まではバブル期で何とかできているのである。闇将軍と言われた田中角栄の本質はアメである。ムチを与えようにも、三木武夫や検察庁に塀の中に落とされた田中が生き残るにはアメを与え続け、自民党内に巨大派閥を維持し続けなければならなかったのが実情である。私は田中角栄という政治家に、特に総理就任後に関しては、むしろ哀れを感じる。

 一方で失われた九十年代は竹下支配の時代である。配るアメがどんどん縮小していく時代である。島根県の人間なら誰でも知っている話だが、別に竹下に政治献金をしても利権にありつける訳ではない。ただ支持しないと絶対に排除されるだけである。自民党と圧力団体の関係もこのようになっていく。自民党に勝てる政党が登場するまではこのような状態が続くのは必然であろう。竹下登の本質はムチである。私は竹下登という政治家に、悪魔性を感じる。

 竹下登は十ヶ月だけ権力の座を譲り渡したが、死ぬまで権力を手放さなかった。確か島根の、竹下の葬式に財務事務次官が駆けつけていなかったか。そんなの竹下の継承者への忠誠の儀式でなくて何か。(この辺り、政治評論家の渡辺乾介がこれでもかと描写していた)

 それでやったことは?失敗し続けた経済政策?

 できあがったのは?あと一歩でとりかえしのつかない格差社会?

 大体、マネーサプライ(市場に出回らせる通貨の量)を十五年いじらないって、どういうことだ?つまり、ペーパーマネーが希少品になるから価値が上がって、ということは手に汗流して働くことの価値が下がることでは?それは博打みたいな人生をやってたまたま当ったIT長者だけが得をするという社会の到来では?

 今の慢性的経済不況を小泉改革の責任にする人が多いけど、根本的には竹下の責任では?

 小泉時代の経済政策に関してはただ一言。中途半端なカンフル剤!それ以外で本質的に付け加えることがあればご教示ください。

 

 次回から小泉編に入ります。内容は、

 「小泉純一郎の政治改革と限界」と「世にも不思議な物語」です。先にラスボス登場編(=愛国者激闘編)ができあがりましたが、小泉編はサラリと終わりたいです。もしかして小泉がラスボスだと思った人はいました?

 

 それにしても、民主党政権。格差社会を少しでも良くする気配、皆無ですな。日本の富を同増やし、どう配るかに関して、何かを考えているようにも思えない。自民党もだが。

 そもそも自治労って政府に寄生しようという集団なので、公正などという概念が無いからなあ。池田勇人が「富の公正配分」「総中流社会」のようなことを考えたのは、訳のわからない社会主義者に日本を食い荒らされないためでもあるのだから、単に経済政策を超えて、思想戦とか安全保障政策の意味でも意義があったと思う(この辺りは、日本の地政学の普及者である倉前盛通先生も「池田にはグランドデザインがあった」とおっしゃられていた)。

 特定の老人が若者を搾取する社会、いい加減に断ち切らないと。

 ついでに外国人参政権にも一言。

 若者は選挙権や被選挙権がありませんし、公務員の地位にもありません。一方で、特定の在日外国人も同様ですが、特定の日本の政治家に巨大な影響力を行使しています。例えば、政治献金をしたり、選挙でタダ働きをしたりです。

 日本の若者が何もしないと、彼ら日本を乗っ取りたい人に二度と逆らえなくなります。まずはできることをしましょう。とりあえず、この砦を毎日見て、書き込みをして、一人でも多くの人に伝えましょう。参加できるイベントには全部参加しましょう。そこにどれだけの若者が集まっているか、本気で国を思う若者が集まるだけで、大人たちの見る眼が変わります。

 老人達が無茶苦茶にした我が日本!守るのは青年です!

 最後に吉野作造の口癖。

「時代を動かすのは常に青年である!それはいつの時代、どこの国家でもそうである!」 


2009年11月13日(金曜日)

最近の皇室論への補足

カテゴリー: - kurayama @ 23時57分24秒

 私は良く知らないのだが、奉祝曲を歌い踊ったEXILEのボーカルの方、普段はサングラスがトレードマークで絶対にはずさないそうな。今後は是非ともサングラスをはずさないで芸能活動を続けて欲しい。そして誰に何を言われても拒否して欲しい。そしていつか言って欲しいと思う。

 「俺に色眼鏡をはずせと言えるのはこの世で天皇陛下だけだ」と。

 これが現代の婆沙羅だと思う。

 

 さて、小林よしのり氏が『SAPIO』で女系天皇論に賛意を示したことについて。まあ『天皇論』でも言及しているので、驚きはしないが。

 私は彼の問題意識については共有します。また、染色体を持ち出して皇統保守の根拠とすべきではない点に関しても同意します。私が皇統保守を自分の価値観とする理由は、理屈ではいくらでも言えるにしても、根本的には「不滅の法灯」の論理というか感性です。

 今すぐに何とかしなければならない。ではどうするかの方法論が小林氏と私は違います。なぜ旧皇族の復帰では良くないのか、この点に関して女系天皇論者には立証を求めます。

 ちなみに誤解があるようなので補足。旧皇族復帰とは、現在民間人として生活している旧皇族の方々をいざという時には天皇になっていただくことを前提とした制度ではなくして、順序として復帰された(旧)皇族の方々のお子様に皇族教育を施す、という意味です。

 考えなければならないにしても、陛下や殿下の不吉を口にするのは憚らねばならないですし、制度が本質的に何を要求するのかについて誤るべきではないでしょう。

 また詳しくやります。


2009年11月12日(木曜日)

慶賀にたえませんね

カテゴリー: - kurayama @ 14時01分47秒

 天皇陛下御即位二十周年記念、慶賀にたえません。国民としてお喜び申し上げます。

 さて、わたくしの「帝国憲法講義」を主催してくれているQOLさんからの依頼で告知です。

 昨日の『夕刊フジ』5面をご覧になられた方はいますか。竹田恒泰先生がAPAの最優秀論文に選ばれたのはご存知かと思いますが、12月8日に授賞式があります(去年は田母神さんで話題に)。慶賀にたえません。いつもお世話になっている感謝を込めて、お喜び申し上げます。

http://www.apa.co.jp/book_report2/index.html

 その3日後の12月11日(金)に、目白で竹田先生の講演会があります。題して

「天皇は本当に主権者から転落したのか」

 極めて刺激的なお話しかと思います(私は「当然の話じゃないですか」と即答しましたが)。決して深く広い知識がないと理解できない話ではなく、中学生にもわかるように読み解いていただいている内容です。若い人は是非お越しください。詳しくは下記へ。

http://okamura-takeharu.com/modules/eguide/event.php?eid=21

 

 ついでに。それこそ、まさについでに。外国人参政権法案、提出見送られましたね。慶賀にたえん。

 しかし、各々方、御油断めさるな!


2009年11月11日(水曜日)

近況と予告

カテゴリー: - kurayama @ 10時49分38秒

 最近、執筆にこもっていたので更新していませんでした。すみません。「あと一歩でやっと半分」とは徳川家康の言葉だったか、本当に大変です。引き続き頑張りまーす。

 その割に移動と余計な仕事が多くて困っていますが。

 今後の予定ですが、24日に東條英利さんをお招きする若者の会、28日が帝国憲法講義です。その他、内輪の茶話会がいくつかありますが。

 今月に共著の本が出ますので、砦ではその話もシリーズでやります。二つの世界大戦を1200字で纏めよなどという過酷な仕事でした。題して、

『図解 総わかり 世界史』

 新人物往来社から出版、乞御期待!ソフトカバーです。二つの世界大戦を担当しています。

 砦の方ですが、いよいよ現代編に突入しましたが、「前夜」などといっているうちに、世の中の方が急展開して(汗)。。。ということで「加藤の乱」などというくだらない話はしません!(笑)リクエストにも応じません(爆)。

 ただ、普通の人の方が「一体これから日本はどうなるのか」との不安を抱えているようです。よく聞かれるので真面目に答えます。「滅びます!」と。ただ、滅びる可能性が高いからと、何もしなければ本当に滅びるだけです。何かをすれば滅びないかもしれません。

 我が国はこれまでも何度も亡国の危機に瀕してきました。そのたびに、知恵と勇気と行動力で乗り切ってきました。誰かがやらねばならぬなら、みんなでやりましょう。

 私が先陣をきりますので、応援をよろしくお願いします。


2009年11月8日(日曜日)

中井拉致担当大臣よ、首をかけて戦え!

カテゴリー: - kurayama @ 23時20分45秒

 忘れない内に。

http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20091102-562119.html

 中井大臣、特定失踪者の皆さんと会ったらしいが、一方的に声明を読み上げて終わりだそう。本気で真摯に向き合うのならば、口約束だけではなく、実効性のある結果を出すべきである。片っ端から再調査して、二ヶ月以内に拉致認定してしまうとか。

 ついでに外国人参政権を政府与党が強行するならば、辞表を出すか、罷免されるまで反対し続けるべきであろう。「拉致問題を解決するために外国人参政権には内心反対だが賛成します」などという言い訳は通らないと思ったほうが良い。拉致問題を解決したいならば、一切の売国的法案には反対すべきである。良識ある日本国民は、拉致問題を、しかも結果が出せないのに、何かの隠れ蓑にするのを許さないだろう。

 中井大臣の選択肢は一つ。外国人参政権問題に反対せよ。さすれば国民がついてくる。さもなくば拉致問題の解決など夢のまた夢である。

 


2009年11月7日(土曜日)

亡国のはじまりー外国人参政権

カテゴリー: - kurayama @ 23時09分37秒

 古代日本に大きく貢献した外国人出身者日本人がいる。彼らは渡来人と呼ばれる。彼らは三つの点で賢かった。

 一つ、自分の出身国が、逃げなければならない不幸な国であることをわかっていた。

 二つ、逃げる方向を間違えなかった。

 三つ、二度と戻りたいと思わなかった。

 渡来人とは、元々列島に住んでいた日本人よりも日本に愛着を持っていた人々である。その意味で、今日の国際法用語で言う「排他的」である。外国に対する敵愾心は強かった。ここで言う外国は主に彼らのもともとの出身国である大陸や半島である。古代の渡来人と、自分の元の国の国籍を保持したまま参政権を寄越せなどと言い、あまつさえ人の国の政府を乗っ取ろうなどと企む不逞の輩と同列に並べること自体が、古代日本人である渡来人に失礼である。移民受け入れ議論に関してもこれは同様である。

 

 さて、いよいよ民主党政権の売国が始まった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091107-00000862-yom-pol

 民主党が突如として在日外国人への地方参政権付与と言い出した。予想通りと言うか、予定の行動と言うか。今国会で駄目でも次の統一地方選挙までに何度でもやるだろう。

 目的は明らかである。民主党にこれまで選挙ボランティアとして貢献してきた特定の団体の人たちに参政権(選挙権と被選挙権)を与えようとのことである。つまり政治家を選んだり、政治家になる権利を与えようとの考えである。

 ついでに、都庁や県庁などの幹部にもなれるようになる。沖縄県の幹部が、北海道の幹部が、島根県の幹部が、などと想像されよ。区市町村でもどれだけの外国人がいるか。大多数の在日外国人が善良な人々であるなどという統計はあるのだが、一部の不良外国人が不当に発言力を持つと、日本人の憎悪が無関係な外国人に向かないなどという懸念がないなどといえないのである。

 その人たち、日本国に忠誠を誓うのか?それは、自分の本国に都合が良い日本に作り変えてから誓うだろう。それが、どう少なく見ても千三百年間連続して守ってきた日本と同じものかどうか。

 もはや日本が日本でなくなる危機である。

 政治論としては、民主党から造反が一人でも多く出ることを期待する。そもそも、与党内での意思決定過程はどうなのか。小沢一郎は、こんな法律論としては終わっている話をどうやって正当化する気なのか。党内で自由な議論をさせる気なのだろうか。したら負けるのだが。党内の反論に有効な説得ができないまま法案提出を強行するならば、それは民主的議論が存在する政党ではなくなる。

 傀儡小沢・親特定アジア勢力による翼賛体制の完成である。

 造反は憲政の常道に反しないのか?反しない。憲政の常道とは国家本位の政党を前提としているのである。この意味で外国人参政権付与などと国家主権を売り渡す売国行為に加担する方が憲政の常道の蹂躙である。

 さて、法律論からは一言で終了する。

 参政権が欲しければ国籍をとれ!

 むしろ、外国籍の人間に参政権を与えると、日本人、特に外国からの帰化者への差別になる。

 ついでに国際私法の常識を一言。

 相互主義って知っていますか?

 外国人参政権を認めて居る国々ではお互いに認め合っているのである。対等の主権国家では相互に権利を認め合うのが原則だからである。例えば、日本にある英国大使館は日本の土地にありながら、英国領としての扱いを受ける。同様に、英国にある日本大使館は英国にありながら日本領としての扱いを受ける。外国人参政権でも、個々の条約が必要なのである。無差別に認めて居る国、あれば教えて欲しい。不勉強で知らないので。

 よく、「代表なければ課税なし」を持ち出して、外国人も地方自治体に納税しているのだから参政権が与えられるべきだ、とのたまう勘違いが居る。あれは国民の権利であって、外国人を対象としていないのである。そんなに地方税を払うのがいやなら、どうぞお帰りくださいとしか言いようがない(「戦前の強制連行は・・・」などと言われるのを手ぐすね引いて楽しみにしている私。というかそういう反論が来た瞬間、他の人が先にレスをしてくれそう)。外国人の場合は、住民としての行政奉仕(サービス)を受けられるための代価である。

 日本国憲法学が「国民の権利」を勝手に「人権」などと読み替えるから勘違いする人が増殖してしまうのである。実に罪深い。

 しかし小沢一郎、いきなりこんなのを持ち出して、民主党を分裂させて、内閣交代を策しているとしたら、相当手の込んだ陰謀である。嫌味だけど。

 レスを見ると直接行動論が多いので、その前にできることはいくらでもありますということで。

 売国奴という言葉を復活させましょう!

 そして、外国人参政権賛成論者に情け容赦なく浴びせかけて、広めましょう。外国人参政権移管しては、絶対反対論以外は売国奴です!条件付賛成などありえません!


2009年11月6日(金曜日)

亡国前夜(9)―青木幹雄は神か悪魔か

カテゴリー: - kurayama @ 16時46分53秒

 華々しく散って来い!葬式は盛大にあげてやる!

 よくよく考えたら、すさまじく無責任な励ましである。平成十年自民党総裁選に際して、江藤隆美が梶山静六に出馬を促した際の台詞である。で、江藤さん何をしていたかと言うと、テレゴングをひたすら押しながらテレビ世論調査の「首相になって欲しい人ランキング」で梶山の順位をあげていたという。・・・本人も竹下に追い詰められて何をして良いかわからずにせめてもの思いで、、、と述べている。何もしないよりはマシか。ちなみに江藤さん、カストロ&チャベスとのスリーショット写真を回顧録に載せるようなお茶目な方である。これをやってフジモリはアメリカ(オルブライト)によって失脚させられたのだが。。。

 あと、1998年は平成十年です。すみません。などと軽い話ではじめますが、以下はひたすら異様な話ばかりです。当時、私がウォッチングしながら感じた異変を御伝えできればと思います。なぜそんなウォッチングをしていたかと言うと、まあ事情があったのです。その辺りの記録は将来は国会図書館の「憲政資料室」で公開できるようにします。本当は当時の独自取材が山のように入ってる記事ですけど、一応公開情報のみを証拠としています。この長ったらしい記事の最後まで読めば何となくわかるでしょうけどね。

 

 橋本内閣は参議院選挙にまさかの大敗北。総辞職に至った。後継を選ぶ自民党総裁選挙には、小渕恵三・小泉純一郎・梶山静六が名乗りをあげた。永田町の常識では、大本命は小渕、梶山は泡沫と思われていた。ところが。。。

 さて、この時の総裁選挙、すべてが異様だったのである。まず週刊誌には「梶山以下三人の代議士がアメリカ大使館に呼ばれた」とか平気で載っていたし。梶山出馬は、細かい立証は省くが、田中角栄の権力樹立以来優勢だった北京派に対するワシントン派の最初の反撃、と考えて良いだろう。ちなみにこの場合は、ウルトラ親中派のクリントン政権中枢とか、前身のOSSの段階で共産主義者に乗っ取られていたCIAの如き無能者組織ではなく、国務省&東京大使館の意向と考えるべきである。

 55年体制は、98年を境に変質する。98年までは、三木武夫と竹下登が関わらない限り、相手を抹殺するまでやらない八百長なのである。98年以降は、加藤紘一が迷い出ない限り、相手を抹殺するまでやる真剣勝負である。

 平成十年総裁選では、実質的に竹下派(その頃は小渕派を名乗っていた)の属領と化していた旧河本派以外のすべての派閥が分裂しているのである。数が多いほうから以下。

 小渕派・・・小渕恵三(竹下直参)対梶山静六(を含めて3人)

 三塚派・・・小泉純一郎(竹下に命令されて出馬)対亀井静香(派閥分裂)

 宮沢派・・・加藤紘一(前橋本内閣で主流派)対河野(この時のみ「愛国心」を絶叫)

旧渡辺派・・・山崎拓(前橋本内閣で主流派)対村上正邦&江藤隆美(タカ派で有名)

 結果、小渕の当選は予想通りだが、梶山は基礎が三票なのに大健闘で百二票の二位。小泉は自分の派閥すら固めきれずに最下位と政治生命の危機に追い詰められた。なぜ?今後の歴史家の課題であるとしか言いようがない。三十年後に米国が公文書を公開すると相当のことがわかろう。

 さて、しばらくは小渕はひたすら根回しだけで支持率を上げていく。小渕の悪口を書くと、どんな無名のジャーナリストのところにも小渕本人から電話が来るのである。ただ根回しでも参議院の劣勢は回復できない。公明党も連立を要求してくる。そこで、いきなり宗教政党と手を組むと反発が強烈なので(実際に自民支持層が相当離れた)、まず自由党と手を組み、ついで公明党も引き込んだ。この時点での小沢一郎自由党党首は、竹下の軍門に下った姿勢で、内部から自民分裂を策していたのは確かだろう。

 よく、「小沢との連立は竹下の影響力低下の証拠」「野中がNEC疑惑で竹下を脅して黙らせた」などとの解説を目にするが、嘘だろう。ならばなぜ竹下の葬式に財務事務次官が一人で駆けつけるのだ?確か島根まで行ってなかったか?本当に過去の人ならばそんな必要はあるまい。竹下の後継者の眼を気にしていたからの行動以外ありえまい。むしろ当時、野中がはしゃぎすぎて竹下に土下座させられる話が載っていたが、その方がまだ信憑性はあるか。この辺り、大宅壮一文庫に行く時間があればきっちり立証できるのだが。

 竹下の影響力低下の原因は明らかで、病気である。その結果、平成十一年十月五日、またもや異様な事態が発生する。青木幹雄官房長官の就任である。この速報を聞いた時、「永田町の権力中枢で何か異変が起きている」「とうとう竹下が裏の側近を表に出した」「青木は神か悪魔かのどちらかでしかない」と直感したものである。以後、内閣を青木が取り仕切るようになる。

 青木は学生時代から大学を中退してまで竹下の下に馳せ参じた側近中の側近であり、所謂「バッジをつけた秘書」である。彼の弟も竹下の秘書である。竹下派分裂騒動で、有能なメッセンジャーボーイを努め、小沢追い出しの最大殊勲者でありながら恨みを野中に向けさせていた。そしていきなり参議院からの官房長官登用である。こんあ経歴の人物が重要人物でない訳がない。

 そして小沢自由党党首が散々無理難題を吹っかけたあげく連立離脱をしたことで小渕首相が病気で倒れたことになる。しかし小渕が倒れた直後に普段は絶対に説明をしない小沢が事情は違うと言い訳する。その要旨は「自民・自由の同時解党による新党結成」だったそうである。小渕はそれを飲めずに苦しんだとのことである。

 小渕の「遺言」を青木が聞いたことになり、五人組が密室で次期森総裁を談合したことになる。今、世間に出ている情報だけでもこの一連の騒動をさりげなく動かしているのは青木であるとわかる。最大の証拠を挙げると、この五人組の談合なるもので「森さんで行きましょう」と宣言し、しかも続けて官房長官に留任しているのである。この過程で野中は追随している。

 竹下も小渕とほぼ同時期に他界する。権力の真空地帯が発生する。

 

 さて、当時考えていた「北朝鮮に拉致された中大生を奪還する条件」を本邦初公開。

一、大売国奴竹下が健在の内は、とにかく拉致問題の存在を日本中に広めるしかない。

二、竹下の側近でありながら実は面従腹背の実力者に、拉致問題の重要性を認識させる。

三、竹下死後の跡目争いに乗じて親中派を駆逐し、親米派政権を樹立する。

四、その時には、民主党の政策転換よりも共和党のしかも相当な親日政権の可能性が高い。

 つまり、●●が●●を担いで、●●や●●を総裁選で打倒するしかない、と考えていた訳です。ちなみに最初の●●が最も重要なのです。他の三つは入れ替え可能なので詮索自体に意味がありません。ついでに言っておくと、「村岡じゃねえ〜」が一時期の口癖。

 平成十年総裁選以降、親米派と親中派の対立と見ています。米国にも親中派がいるから困るのですが。永田町だけで永田町のことを決められない、それが日本現代政治の特徴です。


2009年11月5日(木曜日)

亡国前夜(8)ー竹下登と内閣法制局

カテゴリー: - kurayama @ 12時54分53秒

 中村明『戦後政治にゆれた憲法九条 内閣法制局の自信と強さ』(中央経済社、一九九六年)によると、村山内閣組閣直後に、総理と大出法制局長官が二人きりで一時間ほど会談したらしい。その直後に村山は盟友の野坂建設大臣に「駄目だ。あいつらを敵に回したら政権は持たない」と漏らし、自衛隊・日米安保以下全部容認したという一幕があったらしい。

 社会党五十年の歴史を一時間で放棄させる内閣法制局。何者なのか。語りだすとそれだけで一冊の本になるのだが、最も大事なのは戦後の第三代長官・高辻正巳である。この人、佐藤内閣を通じて長官を務めた。つまり、法制局を護憲の府にした人である。最高裁判事を経て竹下内閣法務大臣に就任した。

 竹下登『証言保守政権』(読売新聞社、一九九一年)によると、予算がついた法律に対しても「憲法違反」との判断を下して、その政策そのものを無効にしてしまうのが内閣法制局である。昨日は全省庁の上に財務省(主計局)があると書いたが、そのさらに上に法制局がいる構造が出来上がっているのである。「官僚機構」などという表現にも注意が必要であろう。

 たとえば小沢氏の法制局嫌いは有名だが、「議員立法の実質禁止」などと彼の言うとおりの政策を採れば、すべての法案は法制局の審査の下に置かれるのである。国会はその翼賛機関と化してしまう。小沢さん、わかって裏で法制局とつるんでいるとしたら相当のワルだが、わかっていないとしたら相当のバカである。私は裏情報などは知らないので判断しない。

 竹下と法制局の関係などこれからの研究課題なのだが、佐藤・竹下と法制局の蜜月だけは容易に想像できよう。ちなみに竹下は何かやりたいことなどないが、法制局は自分達の過去にやってきた歴史は守りたいのである。彼らの権力の源泉は「あいつらは法律に詳しい」なので、過去の言説との矛盾を疲れるのだけは嫌がるのである。それに対して竹下には守るべき理念など何もないのである。

 日本憲政史の法則。「指導力に注目してはならない!拒否権の強さに注目せよ!」

 竹下と法制局が本気で対立するなど思い出せないが、この点でも何かしたいことがない竹下は日本国憲法下では無敵なのである。

 村山政権ではただひたすらすべてが行政的に処理されていく。社会党の歴史的転換は政治決断でもなんでもなく、お役所的ルーティンワークなのである。

 退陣に際して「憲政の常道に従い、自民党に政権を譲る」とはよくもぬけぬけと言ってくれたものだ。この一言で私は村山富市を絶対に許せない。単なる政権たらいまわしではないか。

 ついでに橋本内閣でもルーティンワークは続く。竹下元老の下で、役人の心太人事の感覚で、最も忠誠心が高かった橋本、しかも政治家にまるで人望がないので反逆能力ゼロだった橋本が宰相に就任し、何の国家戦略もなく、ただ目の前の情勢にだけ対処していく。

 こういう風に政治家が本来果たすべき「国家の方向性を示す」をやらないと困るのは誰か。真面目に仕事をしている役人である。自分達が必死になってやったことが、全部無駄になりかねないので。

 この時期に良かったことをあえてあげると、橋本龍太郎と小泉純一郎が争った自民党総裁選挙は良かったかなあ。まじめな政策論争だったし。

 政争においては、表の親衛隊長の梶山静六と、かつては裏にいたが表の世界でも台頭する竹下側近の野中広務の角逐が激しくなる。これが自民党政治を本質的に変えていくのである。

 次回、「再考!平成十年自民党総裁選!」


2009年11月4日(水曜日)

井上準之助という悲劇

カテゴリー: - kurayama @ 23時58分51秒

 民主党の「官僚政治からの打破」の正体があからさまになってきた。行政刷新会議では必要不必要の事業を仕分けしているという。誰と一緒に?財務省主計局と一緒にである。

 つまり、「原告・民主党政府vs被告・官僚機構」の構図の裁判官兼検察官が財務省主計局なのである。このやり方を正しいとも悪いとも言わない。英国内閣制度などは、第一大蔵卿が総理大臣となった歴史である。上っ面だけでなく、その中身までもきちんと模範にするなら構わない。せめてウォルポール、大ピット、小ピットがどのように「政治主導」を確立したか、ことあるごとに「イギリスでは」などとおっしゃる民主党政治家の皆さん、ご存知のはずであろう。是非とも講釈を承りたい。特に菅さんと小沢さん。

 嫌味ついでに。「政府に、大臣以下100人の政治家を入れよう」などとよくわからない数値目標が一人歩きしていたあげく、「最近の労働党では反省の報告が提出されています」などと知らされてあわてふためく、って余程うわべだけしか真似していないのか?そんなこと、44年前から言われている。

 R・T・マッケンジー『英国の政党』(早川崇・三澤潤生訳、有斐閣、一九六五年)

 早川崇は、まあ色々あったが、インテリとして知られた議員である。わざわざ金と時間をかけて英国に出張する前に、日本語で書かれた文献はきちんと読んでおけばどうだ?先輩にあたる議員が翻訳もしてくれているのだし。

 本朝においても、「主計局が全省庁を強権でもって査定」など、昭和四年(一九二九年)からやっているのである。この当時の大蔵大臣は井上準之助である。何をやったかと言うと以下。

一、前内閣が可決した予算を停止。実行予算(今の執行予算)において、使える上限を減額。野党が挑んできた憲法論争を論破。

二、予算編成で、とりあえず陸海軍、ついでに内務省を見せしめに。外務省すら例外と認めてもらえず。

 新規要求には、さらなる節約による自主的財源捻出が要求される。あげくには、主計局が予算請求表を作って、自分で査定する。査定の最中に、一応の意見が言えるだけ。言おうものなら、やはり「では他の予算を自分で削れ」などと言われてしまう。

三、大義名分として「赤字財政健全化」「行財政整理(改革)」。ちなみに井上蔵相は与党内の族議員全員を敵に回し、一切妥協せずに完勝。「復活折衝」の概念が消滅。

四、さらなる大義名分として「軍縮」。主計局にかなわない陸海軍は、内閣の法制局にまで権限(統帥権の独立)を食い荒らされそうになって、一致団結して撃退。この頃の法制局は弱かったというか、珍しく陸海軍が一致団結したというお話し。

五、さらに官吏一斉減俸。裁判官を含めた国家上級公務員の給料を一斉に一割カット。大審院(最高裁)も含めた全省庁の反対運動を制圧。

 関東軍とか青年将校が「東京で合法的に活動しても駄目だ」と思うのも当然であろう。すさまじいばかりの権力である。それでやったのが城山三郎すら実は認めている世紀の大愚作である金輸出解禁で、結果は大不況(=東北農民身売り&東大を出ても就職難etc)である。

 強い権力を作るのは大事だが、使い方を間違えないようにしないと。

 井上準之助、存在そのものが悲劇である。

 今の民主党は見守るしかないが、何をやっているのかをわかった上で見守りたい。別に新しいことをやっているわけではないので難しくはないが。

 歴史に学ぶ、難しいが大事だなあ。


2009年11月3日(火曜日)

亡国前夜(7)ー小沢一郎が負けた理由

カテゴリー: - kurayama @ 09時34分20秒

 小沢一郎が竹下派を追い出された理由と、細川・羽田連立政権が崩壊した理由は同じである。

 平成四年八月、自民党を倒す、その為ならば何をしても許される、と第五党を首班とする細川内閣が成立した。この内閣を牛耳っていたのは、小沢一郎新生党代表幹事(と市川雄一公明党書記長。もう忘れられた存在?)であり、二重権力と批判された。

 二重権力とは、連立与党の党首全員が閣僚になっている一方で、小沢らが構成する幹事長級の与党代表者会議とで意思決定機関が二元化した状態をさす。と、ここまではよく言われ、しばしば小沢の暴走が連立瓦解の原因であると指摘される。

 ただ、三重権力になっていたのをお忘れではないか。

 社会党からは山花委員長(右派)が政治改革担当相として入閣した。しかし、総選挙で議席を半減させた責任により委員長を村山富市(左派)に譲っている。つまり、社会党だけは党首が入閣せず、連立内閣の意思決定に参加しない状態を作ったのである。これを小沢が「体質の違う社会党を排除しようとした」と評されるが、仮に小沢の主観でそうだったとしても、客観的には社会党の拒否権集団化である。しかも社会党は責任を負わない。現に、政治改革法案は社会党左派の造反で参議院で一度否決されているのである。

 さて、細川内閣はなぜ潰れたのか。三人の人物を見ればわかる。

 一人は、この時点で小沢の宿敵と化していた梶山静六である。竹下派七奉行と呼ばれる政治家の中でも筆頭の実力者である。田中角栄は早くから「竹下は裏切る」と見越して警戒し、「竹下が裏切っても梶山が守ってくれる」と信頼していた親衛隊長である。その梶山が竹下を担いで造反したので絶望したとも言われる。

 誰もが認めるタカ派政治家の梶山が国対仲間の社会党左派の村山に接近し、早くから社会党の切り崩しをしていた。このように自民党保守系政治家が尖兵となって社会党左派に接近した事例は枚挙にいとまがない。保守系政治家の黒歴史である。

 二人目は、野中広務である。小沢を竹下派から追い出す時も細川首相の政治献金問題を追及する時も急先鋒である。青年団以来の竹下側近である。つまりは所謂竹下派七奉行よりも格上なのである。梶山が表の親衛隊長ならば、野中は裏の親衛隊長か。その野中が、竹下派分裂・自民党野党転落という危機に表に出て来た。

 三人目は、青木幹雄である。小沢は衆議院竹下派の多数を制圧したから竹下に対して勝算があると踏んだ。参議院など衆議院についてくると勘違いしたのである。確かに衆議院議員の数では辛勝したものの、参議院竹下派の多数は竹下に抑えられた。この時に竹下の意向を忠実に伝えたのが青木幹雄である。現在の憲法構造と選挙制度では、参議院を制するものが日本を支配するのである(この話は別に。)。青木こそ、竹下の真の側近であった。

 要するに、小沢は竹下に負けたのである。まず参議院を切り崩され、首相を退陣に追い込まれ、衆議院を切り崩され。結果、竹下派を追い出され、連立政権を壊され。「参議院を抑えなければ勝てない、参議院さえ抑えれば盛り返せる」という法則である。現在の小沢さん、反省しすぎたのか、参議院の旧社会党左派をこれでもかと大事にしている。

 さて、細川内閣の後の羽田内閣では、組閣当日に社会党をはずして統一会派を作るという暴挙に出て、村山委員長に連立離脱の大義名分を与えてしまう。この頃の小沢、世間では横暴と言われていたが、私には何かに脅えていたようにしか見えない。普通は自民党を切り崩してから、社会党を切り捨てるだろう。手順前後のせいで自民切りくずしが難航するのである。

 この頃の東アジア情勢で重要なのは北朝鮮問題である。アメリカは核開発を阻止するために本気で戦争を考えていたが韓国も日本も乗り気ではなかった。それは、日本はこの有様なので。

 一説には、小沢は米国の要望にこたえる為に、親北朝鮮派の切り捨てに奔走していたとも言われるが、それにしても中途半端ではある。既に政界中枢では拉致問題が知られていたのに、なぜかこれを訴えていないのである。別に直接「参戦しましょう」などと言う必要はない。「国際貢献を」などと言うから、「あれはできるがこれはできない」などという日本国憲法に縛られた話しかできなくなるのである。「同胞を救う!その為に団結を!」と言った方がよほど大義名分として明確なのだが。国際情勢よりも竹下登との権力闘争を優先させた、が真相としか思えないのである。最優先課題の政策と政争は、優先順位をつけるものではなく、実は同じものなのだが。

 結果、社会党と自民党が結託することによって、小沢は苦節十五年の野党生活に追い込まれる。北朝鮮問題は有耶無耶に終結し、今に至っている。

 

 うーん。中曽根裁定など二行で済ませようと思っていたのに、あんなに書いてしまったのでバランスが崩れてしまった。まだまだ竹下編、続きます。不愉快だからさっさと終わらせたいのだが。

 さて、問題。社会党に自衛隊・日米安保合憲以下、五十年の歴史全否定を飲ませたのは誰でしょうか。諸説ありますけど。

 教訓一。参議院が大事!(政争)

 教訓二。有事に日和るな!(政策・国際政治)


2009年11月2日(月曜日)

「Made in USA の憲法」の意味

カテゴリー: - kurayama @ 13時07分53秒

 日本人が米国人にコンプレックスを抱いているのは間違いない。そのせいで、「拝米」でも「反米」でもない「親米」が難しいのである。現実の政策としては「親米」しかないのだが、そういうことをすると決まってその人たちが「拝米」になるので困るのである。

 戦争に負けて占領されて・・・という直接体験した世代は仕方ないのかなとも思う。あんまり弁護する気にはなれないが。ただ、「ペリーが砲艦外交で鎖国の日本を無理やり開国させた。」などという露骨な嘘がまかり通ってしまうのは如何なものか。タイムマシンで江戸幕府の幕閣の阿部正弘とか井伊直弼にそんな話をしたら「はぁ?」と言われてしまいそうな大嘘である。(この話、いずれしますが、ネタの渋滞が・・・。リクエストが多くあれば早めます(笑)。)

 しかし、「日本開国の恩人」とか銅像を立てるの、恥ずかしい限りである。さらに高名な心理学者の先生によれば「日本はペリーに●●された。さらにマッカーサーに。このコンプレックスを本当に回復するには、もう一度アメリカと戦争をして勝つしかない」などと言い出す御仁も存在する。そんな非現実的な提言をして、「だから日本人がアメリカ人を父親的に崇拝するのは仕方がない」などと逆説的な結論を導き出そうとしているのか。と言うより、自分のコンプレックスを正当化して、未来の日本人も自分と同じようにコンプレックスを抱き続けて欲しいのだろうが。

 イスラエルが第二次中東戦争で英仏をダシにして米ソを出し抜いた歴史でも研究すれば良いのでは?イスラエルのエリート、二千年もひどいめに遭い続けながら劣等感を抱いてはいない。見習いたいものである。

 さて、本題。「アメリカの」「アメリカ人の」と主語や目的語で使う時は気をつけるべきである。しばしば「Made in USA の憲法」「アメリカ人が作った憲法」という言い方がされる。しかしこの場合のアメリカ人とは誰であろうか。

 ご存知の通り、日本国憲法を作った中心はマッカーサーとGHQ民政局である。この民政局に憲法の専門家が一人もいなかったのは確かだが、ホィットニー局長やケージス次長以下、札付きのニューディーラーの集まりである。ニューディーラーとはF・ローズベルトのニューディール政策を支持した共産主義者のことである。彼らの頭の中身、資本主義から逸脱しているので有効需要と関係のないことばかりはじめるのである。しかもその人たちの中でもおちこぼれである。だから本国で相手にされない鬱憤晴らしを日本でやりたい放題やっているのである。

 シロタ・ゴードンなどは回顧録で「アメリカよりも良い国を、アメリカ憲法よりも良い憲法を作ろうとしたのだ」などと強調しているが、これこそ己のコンプレックスを押し付けていた証拠ではないか。

 マッカーサーを筆頭に、その後のアメリカの国政において重要な地位に昇った人間が一人もいないという時点で、如何に粗悪な人間を送り込んでくれたかの証拠であろう。

 ちなみに我が国は、「朝鮮や台湾や満洲で何をした」と言われても、「その後に総理大臣になる人間を責任者として送っています」と答えられるのである。特に韓国や中国に留学や仕事で行く人はこれくらい言い返せるようにはしておいて欲しいものである。

 「アメリカ人の中でも、本国に相手にされないようなおちこぼれが、日本国憲法など救いようのない占領政策を押し付けてきた」とするのが正しい表現であろう。

 オウム真理教をさして「日本人がサリンを撒いた」と言われると困るのと同じ理屈である。まあ、アメリカの場合は、オウム真理教に該当するニューディーラーを政府が送り込んできた責任はあるが。

 しかし、日本の「拝米」派が米国の反日派に媚びて、日本の「反米」派が米国の親日派を攻撃する習性、どうにかならないものか。


2009年11月1日(日曜日)

ユーゴでは「6÷1=7」

カテゴリー: - kurayama @ 13時14分38秒

 以下の話を聞いて、「琉球やアイヌは独自の民族だ」「民族(ナロード)自決権があるのだ」と言いたがる人、どれくらいいるのだろうか。

 ユーゴスラビアは、セルビア・モンテネグロ・クロアチア・スロベニア・マケドニア・ボスニア=ヘルツェゴビナの六つの共和国から成り立つ連邦であった。それぞれ、セルビア人・モンテネグロ人・クロアチア人・スロベニア人・マケドニア人を多数民族(ナロード)と認定していたが、後に少数民族(ナロードノスト)であったボスニア=ヘルツェゴビナの多数を占める「ムスリム人」をナロードに格上げした。

 カリスマ的独裁者であるチトーが死去し、結束のための共通の脅威であるソ連が消滅し、冷戦期にソ連の構成国や衛星国であった国々が次々と独立していくと、ユーゴでも独立運動が頻発、十年に及ぶ果てしない殺し合いの末、それぞれの民族が独立して、最終的にユーゴは消滅し、七つの国になった。

 あれ?それぞれの国が独立しても六つの国では?

 実は、さらにその後、コソボというセルビア内の自治区までもが独立したのである。彼らの言い分は「コソボではムスリム人こそが多数でありナロードとしての権利を主張する。だからセルビアの支配に服さず独立するのだ。」と、本当に独立してしまった。

 それで平和かと言うと、今度は「北コソボではセルビア人が多数であり、ナロードとしての権利を主張する!」と独立運動をしている。これ、どこまで続くのだろうか。心配で夜も寝られない。バルカン半島に火がつくと世界大戦になる、とは歴史の法則なので。

 例えば、NATOがコソボ空爆をはじめた瞬間に、どこぞの不審国が不審船を寄越したように、欧米がここに釘付けになると、日本や台湾や韓国や東南アジア諸国は危険になるのである。ただでさえ、米軍がイラクとアフガンで泥沼化しているから中国・ロシア・北朝鮮が東アジアで恐いものなしの状態になっているのに、これでバルカンでまで火がついたら・・・。

 さて、琉球人やアイヌ人も今は日本国の「国民」である。同じ国民の間で差別があってはならない、これは当たり前である。法の前の平等である。しかし、それと彼らを「ナロード」として認めよ、という話は別である。

 よくいるのだが、彼ら独自の文化を強調して、「だから彼らは日本民族とは違うのだ」と主張する人が多い。これ、いくら「違う民族だ」と言っても、ナロードノスト(ethnic)の証明にすぎないのである。そんなに彼らを不平等の地位に貶めたいのか。

 ナロード(nation)とするには主権国家を有する意思と能力を証明しなければならないのだが、力で証明するとは分離独立運動である。そんなに日本を暴力の渦に巻き込みたいのか。

 今でもいろんな国、例えば米国などでは「米国国民」としての意識を徹底している。これは小中高の初等教育を通じて、これでもかとやる。高校が高等教育ではなく、初等教育なのは米国とその制度を押し付けられた日本くらいである。米国では「〜人」であろうが、それ以上に「米国国民」である、との建前を守らなければ、国そのものが一瞬で崩壊してしまうのである。現実には「〜人」であるかの差別がすさまじいが、それだけになお。日本で「我々は日本国民です」との意識を共有しようと言うのは、危険思想でも少数民族差別でもなんでもないのである。

 琉球もアイヌも等しく日本国民である。日本のナロードノストかもしれないが、ナロードではない。よって、日本は単一民族(ナロード・nation)による国家である。もちろん、統合された国民国家である。これが一番穏健な思想だと思うのだが。


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