DeNAの中村紀洋内野手(39)が5日の中日戦(ナゴヤドーム)で史上43人目となる通算2000安打を達成した。どちらかと言えば“ヒール”のイメージが強い中村だが、20年以上にわたってプロで長距離砲として生き続けられたのには理由がある。近鉄時代の恩師がその原点とも言える18年前のマル秘エピソードを明かしてくれた。
「ここまで来るのは本当に大変だったと思う。よくやった」。そう言って中村を褒めたたえたのが、1995~2004年まで近鉄の内野守備走塁コーチを務め、01年のリーグ優勝時に中村と美酒に酔った中尾明生氏(60)だ。
中村と中尾氏の二人三脚は当時のヘッドコーチ・水谷実雄氏(65、現阪神チーフ打撃コーチ)の「ノリのことは任せた」の一言から始まった。中尾氏に託されたのは野球だけにとどまらず「将来がある子だったので、私生活を含めて指導するのが目的だった」。
91年のドラフト4位で近鉄に入団した中村は、当時の本拠地である藤井寺球場に隣接した寮で生活していた。中尾氏はコーチながら“監視役”として一緒に寮に住み込んだ。そんななかで水谷ヘッドから中村が命じられたのが「20本塁打を打つまで外出禁止」。夜遊びどころか近所のコンビニへの買い物も不可。
だが中尾氏は「今だから言うけど水谷さんに内緒で一度だけ外禁を破ったことがあった。ノリの本塁打(13号)で試合が決まった西武戦(95年7月8日、藤井寺)だった。その時は誰にもバレないようにこっそりと寮近くの居酒屋に2人だけで祝杯を挙げに行った。みんなにはずっと黙っていたけど、もういいでしょう」と18年前の秘蔵エピソードを明かした。
“極秘祝勝会”で勢いをつけた中村はそこから7本塁打をマークし、ノルマの20本塁打を達成。その時は中尾氏とグラウンドで抱き合うと大手を振って藤井寺商店街に飲みに繰り出した。この年を機に中村は球界を代表する長距離砲に成長し、5億円プレーヤーにまで上り詰めた。
その後は04年に近鉄が消滅。所属球団も米大リーグ・ドジャース、オリックス、中日、楽天、横浜と転々とし、紆余曲折を経ての2000安打到達となったが、中村にとっては有益な経験の積み重ねでもあった。「万が一、指導者になる時(のため)に、いい経験ができたと思う。今は守備練習をしながら若い選手の打撃を見ている。聞かれることがあるかなと。アドバイスできればと思っている」(中村)
どちらかと言えば“お山の大将”タイプ。指導者向きかどうかは微妙なところだが、恩師の見解は世間の評価と異なる。「ここまで遠回りしたと思うけど、その分、指導者として後進に伝えることも多いはず。自分がやってきたことを教えていけばいい指導者になれると思う」と中尾氏。その日が来るのも、ちょっと楽しみだ。
☆なかお・あきお=1952年11月7日生まれ。愛媛県出身。内野手。県立南宇和高、拓殖大を経て74年広島にドラフト外で入団。83年に南海にトレード。88年に引退後はダイエー、近鉄の守備走塁コーチを務めた。昨年11月に楽天スカウトを辞め、現在は野茂英雄氏のNOMOベースボールクラブのコーチ。
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