なぜ私は朝鮮総連ビル競売に入札したのか
―― 朝鮮総連ビルを落札された動機について教えてください。
池口 最大の動機は、日本国民を守らなければならないという、宗教家としての使命に突き動かされたことです。
私はこの4年間で5回ほど北朝鮮を訪問しましたが、その間、金永南最高人民会議常任委員会委員長や楊亨燮最高人民会議常任委員会副委員長、金貞淑対外文化連絡協会委員長、労働党幹部などに会って意見交換を行いました。
その際、彼らは朝鮮総連ビルの競売問題について次のように言っていました。朝鮮総連ビルは北朝鮮の大使館のようなものであり、これがなくなれば日本と敵対関係になってしまいます、何とかしていただけませんか、と。彼らはまた、私たちは日本や日本人が好きだ、本当は日本に行きたいんだといったことも話していました。
中には労働党のパク・ブガン幹部のように、厳しい主張を行う人もいました。彼は「総連本部が九段のビルを失うことは大使館を失うことであり、我々は宣戦布告されたと受け取る。戦争になれば我々は絶対に負けない」と強い口調で訴えていました。
現在、日本政府は北朝鮮に対して制裁を強めています。確かに制裁が必要なときもあるでしょう。しかし、圧力に耐えかねた北朝鮮が暴発してしまい、仮に日朝が戦争に突入するようなことになれば、日朝共に甚大な被害を受けてしまうでしょう。それだけは何としても防がなければなりません。
どれほど悪化した外交関係でも、針の穴ほどのルートを確保しておけば、それが「平和へのカギ」となるはずです。日本国家と日本国民を守るため、やむにやまれぬ気持ちから応札に踏み切りました。宗教家として天に愧じない行動をとったつもりです。
私が入札を決断したのは入札締切日の前日でしたので、お金をどうするかについてメドもついていませんでした。今ではメドはほとんどついておりますが、ハードルもあり、それを首尾よく実現できるかどうかは天の仏さまのお裁き次第だと思っています。
北朝鮮に残っていた古き日本の姿
―― 訪朝するようになったきっかけは何ですか。
池口 私はこの四半世紀、仏教の怨親平等の教えに基づいて、かつての激戦地を訪れ、敵・味方の区別なく、戦没者を慰霊しながら、世界平和を祈念する世界巡礼の旅を続けてきました。この世界平和祈願は子供の頃の体験に根差したものです。
私の生まれた鹿児島県大隅半島の東串良にあります西大寺は、特攻隊基地にほど近い場所にあったため、出撃を控えた若い隊員たちがよく最後のお参りに来ていました。
彼らは参拝後、当時小学生だった私の頭を撫で、「大きくなったら靖国神社に来なさい。兄ちゃんは靖国神社にいるからね」と言って帰って行きました。出撃の日、特攻機が私の寺の上空に来て、旋回したり、翼を揺らせたりしながら別れを告げ、南の空に向かっていったことを今でも鮮明に覚えています。
お国のために戦って非業の死を遂げた戦争犠牲者は、国の根っこです。その御霊を大事にし、きちんと供養することが国と国民の平和と幸せに繋がる、というのが私の信念です。
私は上京した際は必ず靖国神社に参拝し、祈りを捧げております。また、アジア各地で日本人戦没者の慰霊を行ったときには、私の肩に乗ってください、一緒に帰りましょうね、と、戦没者の御霊を持ち帰り、靖国神社にお連れしてお納めしています。
しかし、大変不幸なことですが、北朝鮮では現在に至るまで正式な戦没者慰霊が行われていません。北朝鮮で戦没・戦争犠牲者の慰霊と世界平和祈願の大柴燈護摩をしたい。これが北朝鮮を訪問するようになったそもそものきっかけです。
以下全文は本誌5月号をご覧ください。