現在位置 アナウンスルーム トップページ > アナウンサー仕事の流儀 > 小郷 知子

アナウンサー仕事の流儀

クリックするとNHKサイトを離れます

アナウンサーとしての“こだわり”や、仕事の上で欠かせない道具の紹介、そしてリフレッシュタイムと、普段放送には出ないアナウンサーの素顔に迫るコーナーです!

人の心に届くようなアナウンサーになるために

インタビュー
小郷 知子 アナウンサー

目次

  • 青春のなかで見つけた達成感

青春のなかで見つけた達成感

――アナウンサーを目指したキッカケを教えてください。

小郷「特に大きな夢なども抱かずに生きてきたタイプなので、子どものころから目指していたというわけではありませんでした(笑)。今の仕事につながる原体験は何かと考えると、高校時代の文化祭の存在が大きかったなぁと思います。私の通っていた高校は少し変わっていて、文化祭に必ずミュージカルをしなければいけなかったんですね。3学年それぞれに7クラスありましたから、全部で21通りのミュージカルが文化祭で行われるんです(笑)。自分たちで配役を決めるだけでなく、監督、脚本、美術、照明、衣装といったスタッフ(キャストと兼務)も自分たちで取り決めていく。アマチュアとは言え、まがりなりにも3年間毎年続けていると、全体で作り上げる共有感や達成感などに感動を覚えるようになってしまって。見ている人に何かを伝える、作り出したもので人が感動する、心を動かされることって素晴らしいことだなぁと思うようになりました。就職活動をする際、そういったことに携われるような職業。そして、あのときのような達成感を覚えることができるような仕事にめぐり会いたいという思いからマスコミを志しました。」

――マスコミということはアナウンサー以外も視野に?

小郷「出版社やディレクターなども考えていましたが、そのころにはアナウンサーという仕事への興味とあこがれがありました。NHKスペシャルなどで、松平定知アナウンサーを拝見していて、その語り方が本当に画面の向こう側にいるわたしに語りかけてくるような感覚を覚えたんですね。テレビに向っているんだけど、その先にある視聴者、さらには一個人であるわたしに言っているような語りかけに感動してしまって。言葉で人を感動させる、言葉が人に伝わる、そんな仕事をしてみたいというあこがれが大きかったんです。」

――子どものころから人前で何かをするのは好きだったんですか?

小郷「まったく! どちらかというと目立ちたくない(笑)。小学校のころは、本当におとなしい子でした。授業などで答えが分かっていても、目立ちたくないから手を挙げない(笑)。恥ずかしさもあるし、みんなの前でわたしが率先して答える必要もないだろうって。あまりに消極的だったので、先生に注意されたこともありましたね(苦笑)。中学生になっても、前に出るようなタイプではまったくなかったですね。」

――中学のときは陸上をされていたんですよね?

小郷「陸上は小学校のときから続けていたのですが、単に足が速かったからなんですよ。手前味噌なのですが、運動神経は良かったみたいです(笑)。」

――区大会で砲丸投げ三位に輝いたというのは? おとなしい子が砲丸投げをするというイメージがあまりわかなくて・・・

小郷「それには事情があるんですよ(笑)。わたしは短距離ハードルを専門としていたのですが、大会では一人一種目というわけではなくて、何種目かに出場しなければいけなかったんです。その一環として砲丸投げにエントリーしたところ、たまたま一番良い成績が飛び出してしまうという。実は、体育の授業で砲丸を投げていたときから、あきらかに他の人よりも飛んでいたので、「わたし飛ぶなぁ...」とは思っていたんですけれどね(笑)。だからといって、まさか区三位の記録が出るなんて! 結果、全校集会で表彰されることになるのですが、みんなの前で校長先生から銅メダルをかけてもらったときの恥ずかしさといったら(笑)。「砲丸投げ、何メートル何センチ」と高らかに発表されて、顔から火が出るくらい恥かしかったです。」

――(笑)。人前に出るのが苦手だった小郷さんですが、高校の文化祭を機に変わってきたわけですね。

小郷「当初は恥ずかしかったのですが、慣れてきたんでしょうね。学校以外に公園などでも稽古をするほどの練習量だったので、続けていくうちに段々と照れのようなものもなくなっていきました。人前に出るのが苦ではなくなり、積極的な性格になったように思います。幼少のころを知っている両親もびっくりです。昔のわたしを知っていたら、まさかアナウンサーのような職業を選ぶなんて夢にも思っていなかったでしょうから。今につながるさまざまな契機となった高校時代は、わたしの青春そのもの、でした(笑)。」


小郷アナウンサー あの日あの時

小さなころから体を動かすことが好きでした。
小学生の時、水泳後のおやつをぺろり


高校生の時取り組んだ「クラスミュージカル」の練習仲間と。
集まれば遅くまで稽古一筋


母校の卒業式での一コマ。
社会人への仲間入りを前に、様々な思いが駆け巡った日


小郷 知子(こごうともこ)
2002年入局。宮崎局、福岡局を経て、2006年から東京アナウンス室。
これまでに、「つながるテレビ@ヒューマン」、「世界遺産」、「生活ほっとモーニング」など各種番組のリポーターや、「おはよう日本」のキャスターなどを担当。2009年、「ニュース7」のニュースリーダーを経て、11年からは、12年ぶりに女性アナウンサーとして「ニュース7」(土日祝)のメインキャスターを務めている。東京都出身。

目次

  • 青春のなかで見つけた達成感